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荏 (1)本葬は黄 7‑ 1‑1/Zと同 じ手 続 きにエb作成 した
(2) 「割賦賃銭 」の徹 は幕府御 用 5通 行 の均合 杜宿駅 と助郷 か らの出役 人属に割 蹴 られ た額 で あるが託 候 家 中通 行 については ,助郷 と符節 の場 合 に分 け た。
戚低 で .これ に対 応 して .出役 人馬 FrL.l敬一疋 当た i)の割賦 賃銭 (以下略 して割賦賃 銭 と して使用す る )も人足012文 ..馬1 4文 と栽府御 用通 行 中最 低 で あ った。 このD・2文,1 4文 とい う缶 は天明 年 税の京掛 EI場 で豆腐1丁が9・i‑ 12文で あ った ことか ら推 しLi・る といかに過 少で あ ったかが う かが われ るo通行上 の格 式が これ に次 ぐ琵文人属通行 の城 合 を勘定 方普請 方通行 で み る と .小規 模 夜通行で あ ったが ,規定 準拠額堤 墳戟支 払部分 の比婆 は通行規 模 の大′J、忙関係 な く .鼎 底 の朱印人 馬通 行 に次 ( ●低寒 であ った。 これ に対応 して凱耽焚銭 も最低 の朱 印人馬 の場 合に 次 ぐ仮親 で人Ji
5文 ,.唱 5 6文 で あ った。御 用通 行 中ia・も格式 の低 い御用 人馬御 足賃 銭 通行の場 合を ,長崎 奉行嵐 行 でみ 71と
,
「規定埠拠御足 Ti銀 支払 部分 」の比蜜 は御 用通 行 中では虎 高 で ,これ に対応 して割賦 賃 銭 も御 用通行 中では蛙 高 の人足8文 馬45文 で あ ったa特権通 行荊 型 中で巌 も格式 の低 Vl諸侯 家 中通行の場 合 を久 留米藩 主 の
通
行 でみ る と ,析 規定に
従 ってTir鎖 を支 払 ってい るので
,
頒銭支払 紘 「確定 準 拠 御足
tl戟支払 部分 」と 「規定 準拠 相対甥 釦 支 払部分 」とか らなる D・これは 使用人馬総数 忙対 す る御定 賃銭支 払部分の比寒 は18 0%で .そ の上
に人足の4 1% ,馬 48
%には 「増戟 」が支払 J=・れた ことに なる ,これ に対 応 して割賦 賃 銭は御
用通行 の場 合 とは比 較に な らないほ ど高額 で宿駅 出役人馬は御荘貿銭 (人足8 0文 ,.篤 1 2 2究 ) 助細 山役 人馬は 人足14 9文 ,馬5 05文 で あ った。
以上の各新 型別 の出役 人馬割賦貿鎖 を白米軸 当歳 でみ T:‑,と矛‑ll示 の よ うにな り ・御 用通行 と諸侯家 中通行 との間には 割賦 賃銭額 に大 きな菱が あ ったが ,その薮は岱少で あ り ,御 用通行 の割 賦賃
鈍仁 〔
1291‑
多 くとも人足の場合 白米2合 Iiで馬 の場合‑一升 まで と ,過少で あ ったo
さ らにEti役人馬が通行 者か ら諦 取 った割賦 賃銭額は 矢掛宿継送
b
距離 三塁
に対 す る労 働相 当賃銭 疏 .つま b人足1人につ き自乗 4升馬 一疋 忙 白米 八升 を保証す る額 に対 して どの程度 の額 で あ った か とい うと慕示 の よ うに
,割賦賃銭 は労 働相 当賃銭 の朱 印人馬 通行が ,人足0・1% .,馬4・0% ,置 文 人属通行 が 人足2.0%馬8% .御 用人馬 (長崎 奉行 )通 行に おいて も人足5・5%馬10%程度に す ぎなか った。 これ に対 し諸侯 家 中通行 の場 合壮 人足6 0% ..鴨 60%に及ぶ鮫 で あ ったD以1 の よう
・
忙幕府御用通行 の場合 は割賦項銀飯 が過少で あ ったので .労働相 当賃銭 と割賦賃蚊 と の差敵 を継送 b側が 間銀 負担 しなけれ ば な らない とす ると ,継送D
側 の負担 は過重 75:ものに な るO 慕示 の よ うに‑人一疋当 た Dの間銀 負 担は通 行上格式 の高い通 行ほ ど大 きい といえ るajll)継送b個uの年 間負担
これ まで
に
,各新型別 の法 則的 人馬使用形 態 とその割賦貸釦額 お よび継 送b側 の負担 をみ て きたが 次に
,矢掛 宿にかけ・る年間の特権通行 継送 b側 の負担 を調 べて みる 。石井 家文香 の中の 「大助細足助郷 人馬算 用帳 (草 和2年同 4年 ・文 化5年同4年 )によ b草和 ・ 文化 年代 の矢 掛積 で助郷 人馬 が出役 した特権通行 類型 別年 間通行数 を
黄
にす ると下乗 の ようにを私費 7‑ 1‑ 15 矢掛 宿通行新型別年間通行数 (宇 和 )
I 通 行 這\
空 票 で 草加 2年(18□2)】同 4(1804)年 卜文(化 1
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不 明 「 2汀 1)本葬 壮 「近世封建 交通の梯進 的研究そ の四P■1824表Ⅲ‑ 7‑(5)で あ る。
これに よると年間通行総数 は平均25遇 で あ った。 しか し込合通 行 の場合 が あ るq)で助郷 人馬 出役 回数は年平均20回であ った。通 行数 を各節aLJ̲別 にみ てい くと朱 印に よる通 行は 年平均1通 行 で侮 年 あるとい うものでは なか った。 これ ら朱 印 ・証文 に よる通行 は少 75:か った。 この ことは特 権通行 の大部分が 御用 人馬御定賃銭 通行 と諸 侯家中禰僅 賃銭 通行で あ った とい うことで あるo前 者即 ち御 用人馬 御足 賃銭通 行は 年平均6通行 ・諸 侯家 中御荘岱銭通 行 は年平 均15通行 で あ った。
‑292‑
●■
乎和 2年 の算 用帳 に よると矢胡宿 を通 行 した特持政行 で助 郷人馬 の出役 したのは2 0回で .そ の うち4回は 込合通行で あ ったので特椎通 行 と しては2 5通 行で あ った。そ の うちわけは襲 7‑ 1‑
1 5に示す ように諸 侯家中御賃銭通行が16血行 御用 人馬御足賃銭通行が7通行 ,詮 文に よる通行 が2iざl行 ,朱 印に よる辿行は0であ った。
これ らの通/行 を継送 った人馬数 は1 9 占5人, 5 5')疋で あ った。 これ を宿駅か らのLii役分 と助 細 か らの出役分に分け Z‑と ,前者が5 5 9人5 1 5 5疋,後 者が1 604人245.5疋であ った . 人足は主に助郷 か ら馬は
主
に宿駅 か ら仕一役 した といえる.矢掛楕助躯の年間仕'.役人偶数 1 604^,245.5疋(,,C対す る労働相 当岱銭は^ 足分米64.1i 石 .鷹分 と して米1 ?I4 8石 ,合計米8 1 占 4石で ある。通行 者が支払 った人馬賃 戟紘年間 に人 足 分 と して銑 9 2× 5 5 6文 (白米 1 1・6 9石 相身j)..幣分 と して銭2 7× 5 05文 (白米 15,1 9 古粕当 ),合計1 2 0× 0 5 9文 (白米15.1 9石相 当 )で ,労 働相 当賃銭 の約 5分 の1に 当た る ため ,矢掛 宿助郷 としては ,この差額つ ‑,より労働相 当額銭 の約5分の4に 当た る米に して6 8.4 7 石が年間におけ る経 済的負祖 とな った。
この ような開銀負担は助郷 保有 ^馬 で相投 した場 合であ る。実際 出接 した人馬 の 中には助 郷保 有 人馬 では比後数 i^=達 し‑jth場 合鹿^席 で似役 してい る人膚が含 まれてい るので ,か か る間僻 負担は 助郷 探有^属 のみで出校 した場合 よ りも一周過
丑
に な った。帯 人馬で Lli役 とい うのは馬 の場 合が主 で あ って .助郷 村 に保有 馬が少 75く出役数に連 しない場 合 .これ を嵐 馬を腐 って F,役 した。矢掛橘助灘 の席 馬の状況は ,撃利2年では .年FEjr仙役2r)回申 15回 に尾鴨に よる
出
棺 が あ り ,令 計暦鹿数虻助郷 の年間出馬数2 45.5疋e:)うちそ の7割に値す る1da.5疋忙及ん でいた。風 乾賃銭は‑疋に付 5 0 0文か ら6 0 0文 で年間hf.馬ti鉄板は銭 10 1× 2 0 0文 (白米 12.78石 相 当
)
に1 ってい る。 この年間風乾
賃銭 を助郷かCIZH指 した年間 出役儀 (245.5疋 )が通 行 者から諦取 った割蹴Tl銭敬 2 7× 5 05文 (白米5148石相 当 ) ,を大 きく上 回わ 少 .差 引 き7 5×
a 9 7文 (白米 9.5 0石相当 )の赤字 とTrる額 であ った .婦 人G̲の場 合は 雅範 を塘 ぐ特殊専 門人足 な ど五割蹴 られた時
に
限 ったので ,そ の数は年間5人に過 ぎず .有人足部銀 は7 50文 で ,年間帖
役人足に対 す る割駄賃献 9 2.55 6文 か らこか を差
引
くと銭9 1× 7 8 6文 (白米1 1・5 9石 )那 残 り ,風 乾Ti銭で の赤字 17i・堆 め ると ,年間で鍬 1 8,0 8 9文 (白米2・29石 相当 )の黒字 とTZる.これ はつ ま り .矢掛宿助郷は年間1a04人 .2 45・5疋 を出役 し .これ に対 す る通行者か ら帝 取 った割賦賃‑ [(* 間に人足分 と して戟 9 2 ・5 5は (白米 ,.・69石相 当 か 成分 と して ・ 銭2 7× 5 05文 (白米5.48石相当)計銭 12 0× 0 5 9文 (白米1 5・1 7石相当 ) は労 働 相当 貸 戟 (人足分 .米da ld石 ・馬分米1 9.48石 .諾†85・占 4石 )の約5分 の1に過 ぎなか ったので ,
出役人儒 中の雇 人席 5^・ 1
da
5疋 (,C対 す る雇人馬賃銭 (人足分7 50文 白米相 当0・1石 ・馬 分 1 01.2 0 0文 白米 相 当12.78石 ,引 1 8 1.9 5D文 .白米12・88石 )を これ で支払 うと残り
はわずか米2.2 9石に過 ぎず .助郷か ら出役の実入電 1 55 9人・7 5疋は実質的 には無賃労働賦 ヽ
‑295‑
1''1にJぷi4'i'した と同様にな った。 しか しrij役 した人馬1i04人 ,2 45.5疋に対 して労働相当賃銭 を支払わねばを ちなVlので .85・a4石か ら罷人馬賃軌 と割賦賃銀 との差飯米2.29石を引いた残
Dの8 1,5 5石を助郷側は閲銀負重 しなければ な らない。
(高 取 悦 子 )
い
休油とその負担との項で払 継送 りの勝能ととも忙近世宿駅に扱 せられていた.
樹
砺通行者の休泊の桟能につい て,考察を試みるのであるが,その場食 間顔となる点は,休 油に齢する#府の規定は どの よう75: 内容の ものであ 9,それに対 して,特権通行者の休油の突如 具体的tAr‑は との ような ものであったJ かとい う点と.僻陳通行者の休泊の腹掛こよって継送州 肘 との程度 の負担を課せ られ ていたのかとい う2点である と考えられ る。 このような観点か ら, 休油の問題につV,て矢掛宿の場 合 を対象に 考察され た研究成殊 として,井山一恐氏の卒業研究 「洗世糊 朝通行の封越的休油の展開‑僻甲矢掛 宿を甲心 として‑」が ある。そ こで.以下,井山氏の研究成果を用tJlさせて もらい, これに新 しく 考察耕例 を加えて静を進めてい きたい。
まず.前述 した2点のうち, 筋 1点の休油VC関する叢府の期 定は どの ようを内容の ものであ9, それに対 して特権通行者の休泊の襲態壮具体的には どのようを ものであ ったか とtJlうことに対 して 従来なされた研究成果の 内容をまとめてみ ると,幕府規定の Pq容に触れ ている程度に エb.段階 的 に次の4つに分類され る。す なわち,
①特搾通行者が井府期定の墳鎖で休油し,その税が
架
空CE以下の低いものであったとい う・点の指摘 にとどせ り,実際に出された#府規定額銭については何 ら音及 してい をい もの。(至氏 の 指摘に加えて.幕府規定賃銭の内容Kつい て少 し触れ られてはいるが,十分に究明されて いるとは言えをい もの。
e① の指摘及び宿泊形式め変遷についてもか なり述べ られてはい るが,幕府規定の追求について は十分で
杜
をい ものd①宿油形式の変遷及び幕尉規定突
放
についてかなb詳細
に述べ られ ている もの。①
忙属するのは児玉幸多氏で,.『近世宿駅 制度の研究 』の中で, 「甲山迫の荷は公定値段 をもっ て休泊させたが,その際支払われ るもの帆 宿に とって相応 した代価であるとは限 らず.一般の仙 格 より低いのが通常であった。(l )
」 と述べ てLnる.②忙属するのは菊田太郎氏 で, 『東海道守口宿 .守 口駅 』の 甲で, 武家の通行結木銭形式であb, 木銭には公定敬があって.漸次柚熟されていたけれ ど も物価の謄怨には とうてい件わなく,#末に 扶木施米代形式か ら旅範形式にをっk(2)ことを述べてい るOまた,安藤綿氏 も
,
『徳川 幕府県治要 略 』の甲で,
「公務旅行のとき.管頼地内は木銀米 代と称す る宿泊料 を支払V , J
F管頼地以外壮一定 の旅講判 を支払 う」 と規定されてい た。 そ して,・さ らに,
「木銭米 代 (宿泊料)一 泊銭三拾五文定 '臓 (^.馬原頚)の定規yi,幕末の当時 と雑 も時 価に比する とき総裁多の懸隔 あ bて.其権衡頗 る 当を得ずO責 し是等の給取を所定せ し当時忙在て.争 でか斬 る不 当の窃あ らんo往古の物価は今<概如 し碑べか らざるm・.:の布 くべ き低廉忙 して,之が億準を取 りしのみな らず.却て官用に依 9^ 民
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