全体の動向概観
2006 年,教育に関しては,前年に続き,「学力低下」という調査結果を受けてのゆとり教育見 直しを軸とした教育再生,さらに小学校からの英語必修化に関して,議論がなされました。その 中で,国語教育の重要性がたびたび説かれ,ベストセラー『国家の品格』の著者藤原正彦氏が,
3資料それぞれで持論を展開したのが目立ちました。
また,ウェブ上の一般参加型百科事典『ウィキペディア』の台頭,電子辞書やウェブ辞書の普 及による紙の辞書の売上げ減,誰もが情報の発信者となれるブログ・SNS(ソーシャルネットワー キングサービス)などの流行,「ケータイ小説」の急成長といった,IT 化のさらなる進展が日本 語をめぐる状況に与える影響についての話題も,各資料をにぎわせました。
図書の動向
2006 年は,日本語に関する話題が絶えなかった 2005 年に比べると,この点については「静 かな年」であったといえます。図書にもそれが現れています。
まず,前年には年間ベストセラー総合部門(トーハン調べ。以下も同)ベスト 20 の中に言 葉を扱った本が 3 タイトル入っていましたが,2006 年は言葉そのものについて論じたベスト セラーは生まれませんでした。ただ,それに関連・隣接するテーマを扱ったものとして,ま ず第 1 位の藤原正彦『国家の品格』(2005 年 11 月,新潮社)があります。この本はところど ころで国語教育の重要性にふれています。「品格」で「2005 ユーキャン新語・流行語大賞」
の大賞も受賞した藤原氏は,他の著書に加え総合雑誌や新聞でも国語教育に関する持論を展 開しました。また第 4 位の,大迫閑歩書・伊藤洋監修『えんぴつで奥の細道』(1 月,ポプラ 社)は「手書き」という行為を再評価させました。さらに第 7 位の,竹内一郎『人は見た目 が 9 割』(2005 年 10 月,新潮社)は対人コミュニケーションにおける言葉以外の要素の重要 さを説いています。
さて 2005 年夏から秋にかけては,若い世代(特に東京とその近辺の女子高生・女子大生)
の間で,全国各地の方言を会話やメールに織り込む「方言ブーム」が起きていると各メディ アが報じました。また同年 10 月には,テレビで日本語に関するクイズ番組が一斉に始まり,
「日本語クイズ番組ブーム」が話題になりました。しかし,この二つのブームはいずれも 2006 年前半には沈静化してしまいました。それでも方言に関する図書や,テレビ番組関連の図書 は 2006 年も刊行されています。
また 2006 年は辞書をめぐっていくつかの新しい動きが見られました。電子辞書の普及など により,書籍体―すなわち紙の辞書の売上げ低下が続いている中,出版各社では書籍体の辞 書とウェブを連動させる動きが進んでいます。辞書の項目選定や意味記述・例文についての 情報をウェブ上などで一般から募集するという,辞書への一般参加の動きも注目されます。
さらにウェブ上の一般参加型百科事典『ウィキペディア』も大きな注目を集めるようになり ました。
各トピックで引用した新聞記事は,特に断わらない限り 2006 年のものです。また朝夕刊の 別は,夕刊の場合のみそう示しました。
◆藤原正彦氏の著作◆
作家を両親に持つ藤原氏は数学者ではありますが,以前から国語教育の大切さを主張して おり,2003 年には『祖国とは国語』(講談社)を刊行しています。2006 年に入ると同書の文 庫版が刊行され,さらに『世にも美しい日本語入門 』などの著作で,「美しい日本語」を守 ることとそのための国語教育の重要性を述べています。
総合雑誌でも,小学校の国語の授業時間が明治期から減少の一途をたどっていることを指 摘し,初等教育で大事なのは一にも二にも国語である,と主張しています(『中央公論』1 月 号「特集;教育再建」,『正論』3 月号「読書の時間 Book Lesson」,『文芸春秋』11 月臨時増 刊号「特集;教育の力を取り戻す」)。さらに新聞でも,新聞の「特殊指定」見直し問題に関 する特集に「見直しは宅配制度の衰退につながり,活字復興に水を差す結果になる」という 意見を寄せたり(3 月 2 日付毎日),小学校の英語必修化に対して「英語より国語のほうが優 先度が高い」と反対意見を述べたり(5 月 15 日付毎日「闘論」欄)しています。小学校の英 語必修化に関連しては,文芸誌の対談でも反対意見を述べています(『文学界』7 月号「特集;
国語再建」)。
他の資料では 雑誌 藤原正彦氏の国語論 新聞 出版・読書状況
関連文献情報 藤原正彦氏の著作
--- 文献番号 書名 (著者) 発行年月 ページ 発行所(発売所) 判型 本体価格
--- 2006003 ちくまプリマー新書 027 世にも美しい日本語入門 (安野光雅;藤原正彦/著) 2006-1 137p 筑摩書房 B40 700 円
2006456 新潮文庫 祖国とは国語 (藤原正彦/著) 2006-1 236p 新潮社 A6 400 円
◆『えんぴつで奥の細道』◆
この本は,書家である大迫氏の書いた『奥の細道』の本文が薄く印刷された上を読者が鉛 筆でなぞる,という趣旨です。各メディアもとりあげ,「パソコン全盛の時代に手書きという のが逆に新鮮だった」「心静かな自分の時間を持てるのがよかった」とヒットの理由を分析し ています。また新聞記事を順に見ていくと,「主な読者は,50〜70 歳代の女性」(4 月 6 日付 読売「くらし」面「家庭 彩事記」欄)→「年齢層は,20 代まで,30〜40 代,50 代以上が それぞれ 3 分の 1 を占める」(6 月 4 日付朝日「読書」面「売れてる本」欄),「30,40 歳代の 購買者が多く,若者も少なくない」(6 月 8 日付読売「顔」欄)→「当初,ターゲットと考え ていたのは団塊世代以上の人たち」「だが予想外だったのは,20〜30 歳代からの大きな反響 だった」(8 月 16 日付読売夕刊)となっており,購買層が次第に下の世代に広がっていった ことがうかがえます。総合雑誌の書評(『中央公論』8 月号「ベストセラー温故知新」欄)で も取り上げられました。
2002 年にベストセラーとなった,斎藤孝『声に出して読みたい日本語』(2001,草思社),
柴田武『常識として知っておきたい日本語』(2002,幻冬舎)は,当初は若い世代に読んでも らうことを考えて編集されたものの,予想以上に中高年層に支持され,この「見込み違い」
が大ヒットにつながったといわれます。『えんぴつで〜』はその逆のパターンということにな ります。
他の資料では 新聞 出版・読書状況
関連文献情報
『えんぴつで奥の細道』
--- 文献番号 書名 (著者) 発行年月 ページ 発行所(発売所) 判型 本体価格
--- 2006201 えんぴつで奥の細道 (大迫閑歩/書@伊藤洋/監修) 2006-1 227p ポプラ社 B5 1400 円
◆『人は見た目が 9 割』◆
この本で言うところの「見た目」は顔立ちや服装だけでなく,表情やしぐさ,さらには匂 いや相手との距離等,「非言語コミュニケーション」全般を表します。対人コミュニケーショ ンにおいて言葉以外の要素が重要だ,というのは従来言われてきたことですが,「人は見かけ によらない」「外見よりも中身が大事」という伝統的かつタテマエ的な価値観を否定するよう な書名もヒットの一因でしょう(1995 年の「新語・流行語大賞」トップテンに入った,「見 た目で選んで何が悪いの!」という CM コピーを連想させます)。総合雑誌の書評(『中央公論』
3 月号「ベストセラー温故知新」欄)や新聞(1 月 16 日付毎日夕刊「売れてます ほんの森」
欄,12 月 15 日付毎日夕刊「読みたい 本の現場」欄)でも取り上げられています。そして,
ベストセラーが出ると往々にしてあることですが,明らかにこの本を意識していると思われ る,タイトルに「9 割」という語を含む本が次々に出版されました。
◆「方言ブーム」と方言関係の図書◆
2005 年の夏から秋にかけ,各メディアが,若い世代―特に東京とその近辺の女子高生・女子 大生の間で全国各地の方言を会話やメールに織り込む「方言ブーム」が起きていると報じま した(『日本語ブックレット 2005』参照)。
このブームを,方言を専門とする研究者はどうとらえたのでしょうか。2006 年の学術誌に 掲載された見解をいくつか挙げてみます。
・関西方言に限らず,方言一般への好感度が増している現在,かつては抑圧され追放され ていた方言が,今や首都圏の若者世代には「(コミュニケーション上の:引用者注)化粧 品」として重宝されているわけである。(陣内正敬「特集:若者の「方言」 方言の年齢 差 若者を中心に」,『日本語学』25-1,1 月)
・方言を理解するだけでなく使用する段階まできているのが興味深いが,もとの方言から 切り離して使うのだから,体系としての方言は考慮されていない。切り花を飾るような 使い方である。(佐藤貴裕「特集:日本語の謎 方言が時折「ブーム」になるのは」,『国 文学解釈と教材の研究』51-4,4 月)
・地域の伝統色を失った都市部で,伝統色にまみれた方言を「ふるさとのことば」として 鑑賞する風潮は,すでに今期(2004 年〜2005 年:引用者注)以前にも見受けられたが,
ここにいたり,方言を新奇なものとして消費する時代が来たわけである。(日高水穂「特 集 2004・2005 年における日本語学界の展望 地域言語・方言」,『日本語の研究』2-3,
7 月)
本来,各地の人々が素顔でふれあう時の言葉であり,生活に根ざして馴染んだ言葉である 方言が,東京とその近辺の若者にはそれとは異なる「(コミュニケーション上の)化粧品」「切 り花」「新奇なもの」として使われたわけです。
一方総合雑誌がこのブームを取り上げたのは 2006 年になってからで,『文芸春秋』3 月号
「特集;現代人必携 推薦図書リスト付き 日本の常識 44」,『Voice』6 月号に記事が見られ ました。しかし,ブームは 2006 年に入ったころにはすでに峠を越えており,火付け役と目さ れたテレビ朝日系のバラエティー番組『Matthew's best hit TV+』も 3 月には放送が終了し ました。2005 年後半に相次いで刊行された,若い女性をターゲットとした全国の方言を紹介 する本も,2006 年には 1 月の『使える方言あそび メールで、会話であそんじゃえ!』程度 でした。
ブームについての報道がすっかり見られなくなった後半にも,方言に関するさまざまな話 題をわかりやすい文体で記述した『日本語でなまらナイト しのざき教授のなまらやさしい 方言講座』『ことばのとびら』などが刊行されました。しかしこれらは 2005 年後半の一連の 本とは一線を画し,研究者の立場から客観性に留意しつつ書かれたものでした。今回のよう なメディアがこぞって報じ,盛り上げるという形のブームが再来するかはともかく,方言に