以上によって、経験的デザート論の概要が紹介・検討されたため、続いてその分析を⾏う。
具体的にはまず、経験的デザート論の刑罰論としての位置づけを、これと⽅向性において⼤
まかに類似するドイツの諸⾒解との対⽐を通じて明らかにする(1.)。その上で、経験的 デザート論に残された課題を、経験的および規範的観点の両⾯から指摘し、同理論を発展的 に解釈するための⽅途を⽰す(2.および3.)。最後に、本稿II.の全体を要約する(4.)。 なお、ここで予め旗幟を鮮明にしておくと、筆者は、経験的デザート論は基本的に正当で あり、刑罰の正当化根拠論として⽀持するに値すると考えている。ただし、筆者はこの理論 を無批判に受け⼊れるわけではなく、その残された課題の解決を通じて、これを「制約され た表出的抑⽌刑論」として発展的に解釈するべきであると考えるものである。本稿II.を通 じては最終的に、このような主張に到達することになる。
1.理論的位置づけ
1-1.実証的な積極的⼀般予防論としての経験的デザート論
経験的デザート論に対して、好意的にであれ批判的にであれ分析を加えるためには、それ がいかなる刑罰正当化論であるのか、他の諸理論といかなる関係に⽴つのか、という点の理 解を⼤まかにでも定めておく必要がある。つまり、経験的デザート論を、刑罰正当化論全体 の⽂脈の中に位置づけなければならない。ここで、わが国の刑罰論はドイツの理論展開から
⼤きな影響を受けてきていることに鑑みれば、経験的デザート論をわが国の視点から参照 する上では、これをドイツ刑罰論の概念図式に即して位置づけておくことが便宜にかなう であろう。
本稿I.4.の論述から明らかである通り、経験的デザート論にとって、刑罰の正当化根拠
は、その犯罪予防効果に求められる。したがって、この理論は⽬的刑論である。その中でも、
社会全体の⼀般⼈を抑⽌対象とするものであるから、⼀般予防論である。ところで、広く普 及している整理法によると、刑罰の⼀般予防効果は消極的側⾯と積極的側⾯に区別され、前 者においては、刑罰による威嚇抑⽌(Abschreckung)を通じた犯罪予防プロセス(予防効果の 発⽣機序)が想定されるのに対して、後者においては、「法秩序の存⽴⼒と貫徹⼒に対する 信頼を維持し強化すること」が想定される279。これに照らすと、経験的デザート論は、積極
279 BVerfGE 45, 187 (256); s.a. BGHSt 24, 40 (42); Gerhard Schäfer/Günther M. Sander/Gerhard van Gemmeren, Praxis der Strafzumessung, 6. Aufl. 2017, S. 40; 学説における積極的⼀般予防の理解は多 様であるが、これについてはとりわけ、vgl. z.B. Claus Roxin/Luís Greco, Strafrecht Allgemeiner Teil, Bd. I, 5. Aufl. 2020, § 3 Rn. 26-32a; Kindhäuser/Neumann/Paeffgen/Hassemer/Neumann, NK-StGB, 5.
Aufl. 2017, Vor § 1, Rn. 288-296; Tatjana Hörnle, Straftheorien, 2. Aufl. 2017, S. 27-30; Johannes Kaspar, Verhältnismäßigkeit und Grundrechtsschutz im Präventionsstrafrecht, 2014, S. 648-676 (s.a. ders., Wiedergutmachung und Meditation im Strafrecht, 2004, S. 48-70); Angela Kalous, Positive Generalprävention durch Vergeltung, 2000; Jens Christian Müller-Tuckfeld, Integrationsprävention, 1998, S. 39-75; Bernd Schünemann, Zum Stellenwert der positiven Generalprävention in einer dualistischen Straftheorie, in: Bernd Schünemann/Andrew von Hirsch/Nils Jareborg, Positive Generalprävention, 1998,
的⼀般予防論の⼀種であると理解することができる。
それでは、いかなる積極的⼀般予防論なのだろうか。この整理法は複数考えられるが、⼀
つの視点として、経験的デザート論の特徴は、刑罰の積極的⼀般予防効果を、社会科学的な
⼿法を⽤いた経験的調査を通じて明らかにするという実証的なアプローチをとる点にある ということができる。すなわち、経験的デザート論は、実証的な積極的⼀般予防論である。
そうであれば、次は、実証的な積極的⼀般予防論の中で、経験的デザート論にはいかなる 点で独⾃性が認められるのか、という問いを⽴てることができる。ところが、実際のところ、
問題状況はそれ以前の段階にある。すなわち、そもそもドイツは、(アメリカに⽐べれば)
刑罰の⼀般予防効果に関する実証研究に乏しいのである280。その理由(そうであってよい、
あるいは、それはやむを得ないということの理由)としては、概ね次の⼆点が挙げられる。そ れらを検討する中で、経験的デザート論の意義も浮かび上がってくることになる。
第⼀は、ドイツのように実証研究に乏しい状況にあっても、刑罰に⼀般予防効果があると 推定することには最低限の合理性が認められるということである。なぜかというと、例え ば、次のように⾔われる:281
「〔⼀般予防効果など存在しないのではないか、という〕異議に対しては、常に次のように反論 することができるからである。すなわち、公衆の多数は、あらゆる犯罪が存在しているに もかかわらず、法に対して忠実に⾏動しているのであって、このことが⼀般予防の有効性 を⽰している、と。確かに、これがどの程度、⼀般予防の消極的側⾯と積極的側⾯による ものであるのかという点は、未だ経験的に解明されておらず、⼗分な証明⼒をもって⽴証 することも難しい。しかし、まさにそうであるがゆえに、(…)〔刑罰には⼀般予防効果があ るという〕仮説を、誤りであると証明することはほとんど不可能(kaum falsifizierbar)なので ある」。
これは、⼀⾒する限り、「この仮説は誤りであるとは⾔えない以上、正しいのだ」というよ うな乱暴な議論であるようにもみえるが、次のような⽂脈と併せて理解すれば、必ずしもそ うではない。すなわち、そもそも刑罰の⼀般予防効果は、それを⽰唆する経験的証拠が全く ない(あるいは、これを明らかに否定する証拠が⼭積している)わけではない。後述するよう
S. 109 ff.; Kai Hart-Hönig, Gerechte und zweckmäßige Strafzumessung, 1992, S. 98-124; Winfried Hassemer, Einführung in die Grundlagen des Strafrechts, 2 Aufl. 1990, S. 324-329; Heinz Müller-Dietz, Integrationsprävention und Strafrecht, in: Festschrift für Hans-Heinrich Jescheck, 1985, S. 813 ff.; Franz Streng, Schuld, Vergeltung, Generalprävention, ZStW 92 (1980) 637 ff.; Bernhard Haffke, Tiefenpsychologie und Generalprävention, 1976; Günther Jakobs, Schuld und Prävention, 1976 (vgl. ders,
Staatliche Strafe, 2004, S. 31-34). なお、わが国の⽂献は⼗河・前掲注(1)の注(5)に掲げたが、
その中でも、ドイツにおける実証的な(すなわち、観念的なレベルでの規範妥当そのものを志向 するものでない)積極的⼀般予防論のバリエーションについては、中村悠⼈「刑罰の正当化根拠 に関する⼀考察(1)」⽴命341号(2012年)303-324⾴において詳しく検討されている。
280 Bernd-Dieter Meier, Strafrechtliche Sanktionen, 5. Aufl. 2019, S. 30; Kindhäuser/Neumann/Paeffgen/
Villmow, NK-StGB, 5. Aufl. 2017, Vor §§ 38 ff, Rn. 76; Joecks/Miebach/Radtke, MüKoStGB, Bd. 2, 3.
Aufl. 2016, Vor § 38, Rn. 37; Franz Streng, Strafrechtliche Sanktionen, 3. überarbeitete Aufl. 2012, Rn.
59.
281 Roxin/Greco, a.a.O. Anm. (279), §3 Rn. 30.
に、少なくとも⼀定の犯罪類型に対して、⼀定程度の消極的⼀般予防効果が経験的に確認で きることは、ドイツでも承認されている。予防効果の経験的基礎が不明確である(すなわち、
「証明されていない」)というのは、その効果が全ての犯罪類型に妥当するのかは確⾔でき ず、あるいは、予防の必要性を科刑基準としうるほどに詳細かつ確実なデータが集積してい るわけではない、ということに過ぎない。⼀般予防効果の経験的実在性が「真偽不明(non
liquet)」282であるという⾔明は、以上のような意味で理解されなければならないが、そのよ
うな状況の中では、法律家としての「健全な常識(gesunder Allgemeinsinn)」に従って、この 真偽に関する⼼証を真の⽅へと傾けることは――すなわち、刑罰制度が存在し、刑罰という 重⼤な害悪が⾏為に科せられていることは、その⾏為を抑⽌する上で何らかの、⼗分に重要 な役割を果たしているであろうと想定することは――許される283。したがって、現状で得ら れている経験的証拠から導かれるのはせいぜい、刑罰制度の⼀般予防作⽤を「過信してはな らない」ということだけなのであって、「このような作⽤を無条件に否認するのは、妥当と はいえない」のである284。
以上の第⼀点⽬は、それ⾃体、⾸肯しうるものであると⾔える285。しかしそれは、改めて 確認すれば、⼀般予防論を正当化する上では刑罰の予防効果に関する経験的証明を要しな い、ということを意味するものではない。むしろ、⼀⽅で、もとより刑罰の⼀般予防効果を
⽰唆する証拠は⼀定程度⽰されてきているのであって、ただその妥当範囲や確実性には限 界も指摘されているところ、他⽅で、我々の健全な常識に従えば(⾔い換えれば、直観的に 判断すれば)刑罰威嚇に⼀定の抑⽌⼒が存在することは容易に了解できる。それゆえ、刑罰 には概して⼀般予防効果があるという⾔明は、最低限の合理性を有するものとして承認す ることができる、ということである。より端的に⾔えば、刑罰の⼀般予防効果に関する経験 的証拠は、完璧ではないが、⼀定程度存在してもいるのであるから、我々の常識に照らして この効果の存在を肯定することには、最低限の合理性が認められるということである。
とはいえ、このような状態では、例えば⼀般予防の観点を量刑基準に具体化することは困 難であり、すなわち⼀般予防論の給付能⼒は低いままとなる286。それゆえ、仮に⼀般予防効
282 Meier, a.a.O. Anm. (280), S. 30.
283 Luís Greco, Lebendiges und Totes in Feuerbachs Straftheorie, 2009, 365-371; ähnl. Lothar Kuhlen, Zum Strafrecht der Risikogesellschaft, GA 1994, 364.
284 Tatjana Hörnle, Claus Roxins straftheoretischer Ansatz, Festschrift für Claus Roxin zum 80. Geburtstag, Bd. 1, 2011, S. 8; vgl. Streng, a.a.O. Anm. (280), Rn. 61; Norbert Hoerster, Muss Strafe Sein?, 2012, 68 f.; Eberhard Schmidhäuser, Über Strafe und Generalprävention, Festschrift für E.A. Wolff, 1998, S. 446;
Kai Hart-Hönig, Gerechte und zweckmäßige Strafzumessung, 1992, S. 100-102; Heinz Schöch, Zur Wirksamkeit der Generalprävention, in: Christel Frank/Gerhart Harrer (Hrsg.), Der Sachverständige im Strafrecht Kriminalitätsverhütung, 1990, S. 97.
285 補⾜すると、ここで述べていることの趣旨は、本稿の⽴場を前提としない場合であっても、
刑罰の⼀般予防効果の存在を推定することには、なお最低限の合理性を認めうるということで ある。これに対して、本稿の⽴場を前提とすれば、少なくとも積極的⼀般予防効果がロビンソン の研究によって説得的に検証されていると解するため、そもそもこの第⼀の問題が⽣じない(正 確に⾔えば、この検証も完璧なものではないため〔例えば、本稿I.4-2-1-3.参照〕、最終的に は同様の問題が⽣じるが、本稿の⽴場を前提としない場合よりも、前提とする場合の⽅が、⼀般 予防効果の確からしさは遥かに⾼まっているため、後述する「健全な常識」によって補充すべき 部分が、⼤幅に⼩さくなるのである)。
286 Georgios Giannoulis, Studien zur Strafzumessung, 2014, S. 88-90; Tatjana Hörnle, Tatproportionale