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社会問題研究・第36巻第1 ('86.10.1)

貨幣ではなく、商品資本・貨幣資本の諸規定を分析することを課題としているO

そこで、流通部面において商品・貨幣を商品資本・貨幣資本にするのはどの ような諸規定であるかが問題になるが、第3部「主要草稿」中の次の一文がこ の点について述べている 1資本が流通過程で資本として現れるのは、ただ全 過程の関連の中だけのことであり、出発点が同時に復帰点として現れる契機、

G‑G'または

w'‑w'

の中だけであるO ・・・資本は、その流通過程では資本と しては現れず、商品または貨幣として現れるにすぎず、これが流通過程での他 者にとっての資本の唯一の定在であるO 商品や貨幣がここで資本であるのは、

商品が貨幣に転化し貨幣が商品に転化するかぎりのことではなく、買い手や売り 手に対する商品や貨幣の現実的な関係の中でのことではなく、

7

こだ、資本家自 身に対する(主観的にみれば)、または再生産過程の諸契機としての(客観的 にみれば)、商品や貨幣の観念的ideelleな関係の中だけのことであるO 現実 の運動の中では、資本が資本として存在するのは、流通過程においてではなく、

生産過程・労働力の搾取過程においてだけである。

J

(MEW Bd.25 8.355)犯 )

第 2部「資本の流通過程」論の性格を考察する手掛かりはこの一文において ほぼ与えられているO

まず、その主題は、流通過程において商品・貨幣に商品資本・貨幣資本の諸 規定を賦与することにあるO ところが、商品・貨幣は、それ自体としては単な る商品・貨幣であるにすぎず、 「全過程の関連

J

1資本として行う総運動との 関連

J

(MEW Bd .258.354)の中でのみ資本の諸規定をうけとるO さらに、

この

l '

...関連」とは「再生産過程の諸契機としての(客観的にみれば)商品 や貨幣の観念的ideelleな関係

J

1商品資本の再生産過程のー契機

J

(ibid)  とされているO

すでに指摘したように、第2部「第1稿」では、第1章「資本の流通」で資 本の「形態的諸規定」を分析し、第3章「流通と再生産

J

でその「実体的諸規 定

J

を分析すると述べており、かようにして最終章・第3章での資本の再生産過 程の解明によって流通過程で資本がうけとる資本の諸規定の全容が析出される

ことになるO

次に、その論理次元については、資本の諸規定は「全過程の関連」の中での み与えられるのであるから、個々的次元・細胞基準とは区別された全体的次元・

『資本論』第1部『資本の牛:産過程論』成立史の段階区分 および第2部,第3部,第4部の課題の牛一成・変容 (佐式)

有機体基準において把握されていると理解されるO これらの両次元または基準 については拙著第 11章 II資本の蓄積過程」論の確立と「商品と貨幣

J

論の 再執筆」で考察しており、すでに第 1部「資本の生産過程」論最終章「資本の 蓄積過程」論が同じ全体的次元・有機体基準で分析されているO

第2部「第1稿」の「資本の流通過程」論が全体的次元で把握されているこ とは、次の点により証明されるO

(1)  第2部「第1稿」では、労働能力・労働能力の価値という表現ではなく、

労働・労賃という概念が使われているO 前者が個々的次元の表現であるのに対 し、後者は全体的次元の概念であることは、拙著第

1 0

章 II諸結果」の生成 と消滅jで指摘しているO 掛 第2部「第1稿

J

~こも次の叙述がある I 労働 (そして労働能力 というのはこれはその効果からみれば労働と同じものだ からである一一一)

(訳

2 6

ページ)

(2) I資本の蓄積過程j論では、資本制再生産過程を分析することにより、

「可変資本は...労働者があらゆる社会的生産体制のもとで自ら生産・再生産 しなければならぬ生活手段の元本・・ー・・の特殊的な歴史的現象形態

J

(第 1部復 刻版

S5 5 4 )

と把えられているが、同じ把握は第

2

部「第

1

稿」にも貫ぬいて いる。 I資本家は、 A方の手で彼が労働の価値として労働者に支払うものを、

他方の手で彼が労働者に売る諸商品の価額として取りもどす(このことは、そ れがどのように媒介されるにせよ、階級全体について当てはまり、その媒介の 仕方は後に考察されるo ) 

(訳

2 6

ページ)

1 1  

小括十一第

1

部『資本の生産過程論』の成立と第

2

部、第

3

部、第

4

部 の 課 題 一

初めに掲げ、Tこマルクスの手紙では、 『資本論』全四部のうちマルクスが最後 に執筆に着手したのは第 1部ということになるが、これは初版『資本の生産過 程論』の清書を意味すると理解されるO これにまちがし、なければ、全四部の執 筆開始の順序とそれぞれの時点は次のようになる 40)

4

1862 年 3 月中旬一一1861~63 年草稿ノート VI の「剰余価値にか んする諸学説」の執筆開始を意味するO

第 3 部一一 1864 夏一一一 1863~65 年草稿中の第 3 部「総過程の諸形象 j の執

t

p o  

社会問題研究・第36巻第1号 ('86.10.1) 筆開始をさす。

第2部一一1864年末または1865年初め 1863~65 年草稿中の第 2 部「資 本の流通過程」の執筆開始をさす。

第1部一一1866年1月 第1部「資本の生産過程」初版の清書開始を意 味するO

そして、第4部 第2部のそれぞれの執筆は、以上に考察してきたように、

第 1部「資本の生産過程」論の一定の発展段階において生じた諸論点の分析を 媒介にして着手されたと理解されるO

第 4 部「剰余価値にかんする諸学説」は、 1861~63 年草稿の「資本の生産 過程」論の執筆のための準備資料で、ある「引用ノート」に収録された諸学説を、

引用文献としてではなく、自立的な一章(第

1

部第

5

章)で批判的に検討する ことから出発している O それは、 1861~63 年草稿前半の機械論の分析を契機 として、 「資本の生産過程」論の主題を「し、かにして資本が剰余価値を生産す るか

J

に求める分析の再検討を媒介にしているO

そして、その後、 「剰余価値にかんする諸学説」だけではなく、一方で「生 産的および不生産的労働にかんする諸学説」などをも含み、他方で「補録ノー ト」などに抜粋文献を増やして、 『資本論』全三部に対する第4部として位置 づけられたとみられるO それゆえ、その主題一一従って表題一ーは「経済学に かんする諸学説

J

(1経済学で取扱った部分にかんする各種の文献史的なもの」

(1863年5月29日付エンゲルス宛の手紙)、「経済学の歴史

J

(1867年4月30日 付

J

・マイア一宛の手紙))になったと推論されるO

第 3 部は、 1857~58 年草稿以来「資本と利潤」論という表題で分析されて きたが、 1863~65 年草稿で「総過程の諸形象」論として再編成される O それ は、 1861~63 年草稿後半の資本蓄積論の形成とくに不変資本の輪廻または

「資本根幹の視点

J

(拙著第 11章711資本の蓄積過程」論の分析視角と論理 次元を参照)からの分析の形成に対応しているO

「資本と利潤」論と「総過程の諸形象

J

論は、前者の前提する「資本の生産 過程j論が、 「し、かにして資本が剰余価値を生産するか」を課題として、可変 資本部分だけを対象とする(不変資本部分を度外視する)のに対し、後者の前 提するそれが、 「し、かにして資本=資本関係そのものが生産されるか」を課題

『資本論』第1部『資本の生産過程論J成立史の段階区分 および第 2部,第 3部,第 4部の課題の牛成・変容 (佐武)

として、資本関係の一極である不変資本部分の変容を重視するという点で相違 するO したがって、後者の場合、 「資本の生産過程」論が生産諸関係=資本・

賃労働関係の発展の分析を課題とするのに対し、 「総過程の諸形象」論は分配 諸関係の分析を課題とし、利潤だけでなく利子・地代という収入諸形態をも対 象として含んでいるO

第 2 部は、 1857~58 年草稿以来「資本の流通過程」論という表題で変って いないが、 1863~65 年草稿の第 2 部「第 1 稿」で初めて統一的な課題のもと に通して執筆された。それは、 1863~65 年草稿での資本蓄積論の論理次元の

方法論的な確定を契機にしている。

第2部の論点は、 「し、かにして資本が剰余価値を生産するか」の分析を前提 とする「単純な流通」論・「資本の通流」論と「し、かにして資本=資本関係そ のものが生産されるか」の分析を前提とする「資本の再生産」論から形成され

ている O そして、 1863~65 年草稿において、 「資本の生産過程」論最終部分 の資本蓄積論が想定する資本の生産物の生産諸要因への転化を「社会的総資本 の再生産」論として展開することにより、 「資本の流通過程」論を通しての課 題が設定されたとみられるO

したがってまた、第4部は別としても、第2部、第3部は第1部を前提とし ているO

第3部冒頭にある有名な A文は、第3部の主題は、第2部第3章の再生産論 で分析された「生産過程と流通過程との統寸について I-~般的な反省」を試 みることではなく、 これを前提として、これから生ずる「具体的な諸形態」を 分析することにあると述べているO かように、第3部は第2部を前提としてい るO ところが、再生産論については第1部の資本蓄積論中に次の指摘があるO

「市場での事象は、年生産の個々の成分の転態を実現するだけであり、年総生 産を増加させることも生産された諸対象の本性を変化させることもできない。」

(MEW B d .  2 3  S .  

606)かようにして、第

2

部は第 1部を前提しているO Lt

がって、統ーは第1部にあるO

‑ 69 

社会問題研究・第36巻第1サ ('86.10. 1 )  後編注

1 )当時、マルクスは第1部 (Buch)を第1巻 (Band)として出版した後、第2部・

第 3部を第 2巻、第 4部を第 3巻として山版する予定をしていた。たとえば、第 1部初版「序文

J

最終の指摘、 「本書の第2巻は資本の流通過程(第2部)と総 過程の諸形象(第3部)を、最後の第3巻(第4部)は学説の歴史を取り扱うこ

とになるo

2 )拙著の第5章注(3)で指摘したように、 MEGA編集部には「諸学説」の課題につ いて矛盾する二面の理解 (1) I歴史的付論jか、 (2)I新しい理論的諸発見」か があり、 MEWにおける「歴史的付論」に重点をおく理解から、 MEGAに おいて「新しい理論的諸発見

J

Vこ重点をおく理解へと再吟味きれているが、これ

は最近の成立史の諸資料の解読にともなうものとみられる。

この二面の理解のいずれに重点をおくかは、 「諸学説」が剰余価値にかんする 諸学説だけではなく、生産的および不生産的労働や利潤・地代にかんする諸学説 の検討へと対象を広げ、また再生産論や生産価格論の積極的分析へと範囲を広げ たことをどう評価するかにかかわってくるoMEGA編集部は、 「新しい理論的 諸発見jに重点をおいてこれらの検討の対象と分析の範囲の拡大を説明し、その 結果である「諸学説

J

の位置づけの第 5章一一第 8章一一第 4部という変更を理 解しているO とはいえ、第4部に位置づけられた「諸学説Jの表題を、エンゲル スの判断にもとづき「剰余価値にかんする諸学説」とし、その内容が剰余価値以 外の諸対象範囲を含む点については納得的な説明をしていな L、。

3)  I諸学説jについて、わが国の支配的な見解は「歴史的付論」に重点をおいてい るとみられるが、その理解を最も明確に展開されているのは田添京二 [36Jであ るO 同稿は、 「諸学説」の内容を「剰余価値にかんする諸学説

J

I生産的および 不生産的労働にかんする諸学説

J

I第2部・第3部の歴史的付論

J

Iマルクス自 身の理論の開発」に4分類され、 「諸学説

J

は前二者の「学説的イ、j

J

を中心と することを強調きれて、その検討の対象となる諸学説がベティなどにも拡大して いることを指摘されているが、それが第4部に生成するためには「視角そのもの の大拡張にもとづく決定的再編」が必要であるとして、 M L研究所の安易な「第

4部説」を批判されているO

ML 研究所が 1861~63 年草稿の「諸学説」部分を『資本論』第 4 部として刊 行した点については西ドイツでもプロジェクト・クやループ [69Jによる批判があ る O プロジェクト・グルーブは 1861~63 年草稿の当該部分は「マルクスの研究 過程の一段階」にすぎず、つまり最も発達した『資本論』の剰余価値論にもとづ くものではなく、未だ形成途上にある剰余価値論にもとづく諸学説の批判である から、そのまま第4部にはなりえないことを強調されているO

4 )拙著第 3章 II資本の生産過程」論と利潤論」の末尾に「引用ノート」と同「索

I J

の見出し項目の 覧表を掲げているO 以Fの考察に参照されたい。

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