(1) 特 色
(a)神苛性 と芸能 性の融合
起源や系統上の特色 として,備中神楽 は,神事性 と芸能性の励合 しJこ神楽 であるといえる。
備中神楽は,この地方の原始信仰 であ る荒神の神懸 り,すなわ ち神殿神楽 が ,各地方の芸能的酵 管 を受けなが ら,今 日に至 って きたのであ るが,その過程 において,芸能 陸を高めなが らも,古来 の神事性 を失わなか ったのである。押掛 ・神野軒 ・演劇舞 ・神野舞 ・神IrlJ‑ll‑とい う5段階の形式 や, 網 舞 ・布舞な どの神がか りは.神鮮性 を示す よい例 である。
このよ うな新旧の要素の一体化によって,今 日の備中神楽独特 の風格 が ,つ くりだ きれ たの であ ろ う。
(b)大衆性
郷土芸能 は,その地方の民衆の中にあ って こそ,価値 がある.この点 ,備 中神射 ま,舞い=7‑や形 式な どい ろい ろな意味 で,大衆性が浪 い神楽 であ るとい える。
まず,神楽 の舞い事についてである。山根堅‑氏 の論 文によると
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「佐陀神社の佐陀神楽 ,出雲 大社の出野神代神楽 ,土佐の津野 山神楽が三島神社 に伝 え られ,担当者が出撃 神楽の山王部落 な ど 一部の 限 られ た地方や人 々の中に残 ってい るJ とか 「芸北一掛 こ行 われてい る安芸神楽 に して も各‑380‑
神社にそれぞれ固有の神楽団を持 ち,しか もそれぞれの神社 の氏子の中か ら選ばれ た人 々が.継承 している。 」とい うことで,備中神楽のよ うに,民間人によって継承 されて きた ものは少ない.備 中神楽 は,特定の神社や氏子な どとは無関係 に,民間人の中に神楽太夫 とよばれ る神楽の考い手が いるのである。以前,この地方では,神楽道具を入れたつづ らを乗 せた荷車の後 ろに,インバネス とい う外 とうを着て,着物 のすそをしりか らげに して山蕗相をかぶ り, 4‑ 5台の自転牢 を連ねて い く光軌 ま,この地方独特の風物詩 であった。環在 では,このよ うな光嶺 は見 られな くな ったが, 宵年層の神楽太夫 も増 えて,いっそう民間人によって受 け継がれてい るのである。
次に.神楽の形式についてである。備中神楽は,各時代の要素を取 り入れなが ら,次第に郷土芸 能 としての形式 を特つよ うになって きた。つま り,荒神様だけでな く,お宮 で も行 われ,どこの家 で も依頼 で きるよ うに なった。 ま1.:,荒神神非 は,元来 ,神無月 である10月か,台風 の来 る時期 に行われていたが,現在 は,秋集 りや正月を初め として季節 に とらわれ ることな く行 われ るよ うに なっ/こ。
このよ うに大衆性 を備 えた備中神楽は,人 々の生活 か ら切 り離す ことので きない ものにrfっている。子 ど
もの誕生,家の新築な どの塵取 こは神楽 を行い,老若 男女が,夜を徹 して飽かずに見入 るのである。そして, 神楽 に親 しんできた人 々は,物 まね程度の神楽 を舞 う
ことができ,酒宴の場 では,最後に神楽が出なければ 終わ らないほどである。
では,なぜ,備中神楽が,人 々の魅力 をつな ぎとめ て きたのだろ うか. その理由 として農村に娯楽が少な い ことがあげ られ る。この地方 では,神楽が娯兼の功 一の もの として人 々の生活に入 り込んでいたのである。
しか し,この理由だけではない。高度擬済成長lこよ っ て生活水準が上が り,外の娯楽 も増 えた現在 で も,殴
然 として,人 々の心の中に,郷土芸能 として誇 るべ き 写兵 9‑ 2‑ 1老若男女の見物衆 備中神楽が存在 してい ることか ら,察す ることが でき
る。すなわ ち,備中神楽が,郷土芸能 として,人 々の血肉の中に入 っているのである。
備中神楽 は,長い間にわたって,舞 う者 と見る者の それぞれの立場 で,人 々が育 てあげた民族芸 能 といえるだろう。
(C)芸 能 性
備中神楽 は,真の範士芸能 として,独特の風格のある芸能性 を もった神楽 といえる。
石見や安芸の神栄は,脚本 が約8 0 0域 もあって.各神社 に数編 ずつ行なわれていて,全地域に 共通 してい るものは少ないが,それに比べて,備中神発 の脚本の数は少ない。また,外 の神楽が, 特定の神社 や地域 に限 られてい るのに対 して,備中神楽は備中全域 とい うかな り広地 域で行われて い る。このよ うに,蜘本の数が少な く,しか も広地城 で行われ ることか ら,見 る者の 目が高 くな っ
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て,舞 う者 も一挙手一投足 にまで心 をつか うよ うにな ったの であろ う。
備中神楽の中 で も.神代神楽は,外 の神楽に比べ て,特 に芸能性が高 い。
山根氏 は
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「出雲神楽の大蛇退治の場面 を見 ると.足名槌 手名桜が稲EEl姫 をつれて,嘆 きの舞 に 現 われ るが, その しぐさは,何れ も単純 で,殊 に稲田姫のは舞 とい うほ どの もの ではない。煮美鳴 弔命の神や らいの舞に して も.大蛇退治の立梱 りの場面 で も,更に出撃八玉垣 の歌を と り交 わす ちぎりの場 に して も.いでたちや舞い方は極 めて窮朴 な ものであ るo 」と,備 中神発 の芸能性の高 さ を論 じてい る。舞い方は多感多様 で,ひ tLっの動 作 に も芸 の深 さが感 じられ る。 このため,これ
らを こなすには,多年の修業 を要す る。
神楽の内容 において も,絶妙 といえる.登場人物 は,命 ,姫 ,福 の神 ,鬼神 ,道化の神か ら大蛇 まで.ま ことに多彩 であ るoまた
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構成 も,静かな舞 ,急調 な乱舞 ,道化 した万才や歌謡 曲な ど, 変化に富んでい る。このよ うに,備中神楽 は,他地方に見 られない香 り商い芸能性があ る。
(2) 今後の課題 (a)芸能 性の嶺 失
郷 七芸能 は.各時代 の影智 を受 け,新 しい要素 を取 り入れて きた。 しか し.そのために現在 では, 神楽の合理化,簡略化,商品化 とい う芸能性の喪失が,神楽 をむ しばんで きてい るよ う1ご。芸能性 の焚 矢 は,郷土芸経 の生命 を失 うことであるの で,芸能性の高 さを失 わないよ うに,心すべ きことであ る。
(イ) 合理化 備中神楽 の構成やセ リ7, さらに衣裳 な どは ,時代考証や古曲の上か ら不合理 であ るとい う批判があるよ うだ。 た とえば,神 の衣装 で陣羽掛 こ日本刀を さした姿は考 え られない とい うのである。 しか し,埠 土芸能 としては,古伝 を尊塁 して古い信仰の精神 を失 わないよ うに し,備 中神楽の独特 の地方色 を保存 してい くよ うに,留志 すべ きであろ う。
(ロ) 冊時化 神楽 の古 い しき1=りは,当時の農耕生活の中か ら生 じた もの であ る。 しか し,現在 では,虎男 を唯‑の生裳 としていた当時 と異 な って,人 々の屯某や生清 の状態が多種多様 である。
また,従来の荒神信仰 も,人 々の心か ら滞れて きている。このため,封建的 な氏q・内の序列 や 日数 な どの古い しきた りが .今日の生活 と合致 しな くな って きたのである.実際 に,神殿屋敷 とな る家 で,経 鞍の負担 や家屋の
択
偽 な どの間喋 をかかえてい るところがみ られた.このよ うな話理由によって,荒神祭 りの式年神楽 が,次第 に簡略化 してい るのであ るC備中神楽 は,原始良民信仰 としての荒神奈 1)のいろいろな しきた りの中に,生 まれ育 って きたの1fか ら,そ の先祖 の過度 を保存 していかなければな らないが,現実 には,多 くの難 しい問題 をかかえてい る。
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商品化 錬 士芸能 を持 ち掛 ブてい くためには,その時代時代 の人 々の心 をつな ぎとめていかな ければILらない。 そこで,現在的 fJ興味 を盛 り上げ るために,神楽 を商品化す る債向がみ られ るC つま り,面や衣 裳 ,さ らに掛 、方が,次第に素朴 さを失 って華美にな ってい るo一例 をあげると, へ びの教は本来 1匹 であ るが ・現在 では2匹に増 え, その日か らは劉 拙 る とい うあ りさまであ る。この原因 として・カラーテ レビの普及や観光化な どの世相が大 さいが,それに押 し流 され て しま わないよ うに,慎重に対処すべ きである 。
(b)後継者の育 成
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現在 は,神楽 を随一の娯楽 としていた昔 に比べて,「股の神楽 に対す る幽J山 ま,あま り拓 くないO しか し,郷土芸能 として,備中神楽 を保存 してい くべ さだ とい う気持 ちは,誰 もが持 っているよ う である。 この保存 とい う点か ら,後継者 の育成が環 も馬糞 な問題 であ る。
(・1) 備中神楽保存会 約30年前 ,備中神輿 の保存 と後継者の育成 を目的 として,備中神楽保存 会が発足 したC これは,教育委員会が兼務 してお t),備中神炎 の本場 である成羽町が中心 となって い る。保存会の機能 は,主 に,神楽社や同好会 と見 る仇 との連舷 や調軽 と,絵頚世 き,パ ン フ レ ,I
トな どの観光食伝の2点 であるO郷土の備中神楽発展のための努力が乗 F),無形文化財 として,昭 和31年に県の指定 を,昭和5 2年 に国の拒定 を受け,いっそ う,組轍の充実 や後継 者の育成 が検 討 されている。
(ロ) 神楽杜 と同好会 神楽太夫 の組 としては.神楽社 と同好会の2壌類 がある。現在 ,成羽町成 羽 には,神楽杜が4社 ,同好会が14,活動 してい る。
神楽杜 とは, 20‑ 30年の神楽歴 を もつ 7‑ I0名 のプロの神楽 太夫 によって組 まれてお り主に 荒神神楽を行 な うO それぞれの社 によって神楽が少 し異 な るが,それは,神楽太夫の職人根性 によ
って,長い間受 け継がれて きてい る もの である。
同好会 は,昭和4 6年に備中神楽の講習が開かれ た の ̲% き っか けに発足 した。昭和3 5年 ごろ か ら,娯楽の内容が変 わって神楽 に対 す る関心が低 くな り,神楽太夫の数が減 ってい たが ,生活 の 安定 による余 噂の増加 や台本 の作成な どの理由 で.昭和4 5年 ころか ら,次第 に増 えて きてい る。
保存会 との結 びつ きは,神楽社 よ りも同好会の方が強 く,床存会の指示 によって神楽 を演 じるO そ の活動範β削ま,上房郡や新見市 をは じめ県下のほ とん どの地域 であ り,年 に数十回は行 な うよ うで ある。同好会の 目的 は,後継 者の育成 であ り,台本 を もとに.講習を受 け,芸 を拓めてい るo
神楽社 ,同好会 ともに,備中神楽 の保存 と後継者の育成へ の貢献 は大 きく,今後の活躍が期待 さ れ る。
い) 備中神楽 クラブ (小学校 ) 後継者の育成は.青年層 にだけ でな く,子 どもに も働 きかけ ら れているO その代襲 的な例 として,成羽小学校の備中神楽がある。
昭和39年,成羽 小学校 では,山根竪‑校長 と大牒尚夫教諭 を中心 に,備 中神楽が クラブ括動 と して取 り入れ られたO それは,当時 ,神楽がす たれてきて後継 者の育成が叫 ばれてい たし,文部省 が郷土芸能 を苧段教育の中 で とりあげてい く方針 を うらだ していた状況 にあったか らであるo その 後見 であるPTAや保存会例 も,概極的 な姿勢 をと り,衣裳 や面 は各方面 か ら寄解 されたO クラブ 活動 としては,毎週1時間の捜薬 と,始菜軌 休み時間 ,放課後 な どの時間 も使 って,神楽の練習 をした。教 諭がロ と体 で子 ど もた らに伝理 す る方法 であ ったし,艶文調 の言い立 てが難 しいので, 指導上かな りの苦労 があっただろ う。 しか し,その堕をの り越 え,大人顔負 けの神楽 を演 じるほ ど になった。全国的には,神楽の数 は,かな りあるが,太鼓 ,乱 手拍 子 な どすべ て子 ど もで行 な う のは,この成羽小学校 だけであった. しか し.山収氏 と大塚氏の転任 のため,船中神楽 の府尊者が 不在 とな り,備中神楽 クラブは,成羽小学校か ら尊を消 して しまった。 これは,学校 での クラブ清 動 として神楽 を取 り入れ る場 合,教師が その道 にあって指帝 がで きなければな らない とい う問題 を 示 している0