第 3 章 基本的解析法における信号の分解と再構成 25
3.2 信号の分解
一般に信号は異なった周波数の信号成分が重ね合わされたものである。そこで,信号は m個の正弦波成分から構成されているものとし,信号成分の角周波数をωi ,振幅をAi, 位相をϕi(1≤i≤m)とする。時刻kTs におけるi番目の信号成分xi(k)は,k がa とc の間で値を持ち,それ以外では0であるとして,この信号成分を,つぎのように表す。
xi(k) = {
Aisin(ωikTs+ϕi) a≤k≤c
0 otherwise (3.10)
聴覚細胞の設定周波数をfj(角周波数λj,1≤j≤n)と表す。nは聴覚細胞の数である。
j 番目の聴覚細胞の切り出し波の中のデータ数をNj(=T /(fjTs))と表す。切り出し波 の位相ζ を1として,i番目の信号成分とj 番目の聴覚細胞の切り出し波との位置関係と,
そのときの内積を図3.2に示す。時間の経過とともに,切り出し波は左から右へ移動して いく。時刻aまでは切り出し波と信号は重なっていないため,内積は0である。時刻aか ら時刻bに近づくにつれて切り出し波と信号の重なる部分が変化し,時刻bでは完全に重
3.2 信号の分解 29
a
a
b b
c c
d d
Cutting out wave
Inner product (decomposition wave)
Signal
図3.2 信号,切り出し波と内積の相対的位置関係
なる。
これにともなって内積も変化する。時刻bから時刻cまでは完全に重なっており,内積 は変化のない波となる。時刻cから時刻dにかけては切り出し波と信号との重なる部分が 減少し,時刻dでは重なる部分が無くなる。これにともなって内積は変化し,時刻dでは 0となる。このように,内積の波は信号に対して過渡的な遅れをもって現れる。j 番目の 聴覚細胞に現れる全ての信号成分による波を加えた波がj 番目の聴覚細胞に現れる分解波 である。時刻bとcの間の時刻kTsにおける内積は,定常な信号が入力されている場合に 相当し,解析的に展開することができる。切り出し波が正弦波と余弦波の場合の内積は,
30 第3章 基本的解析法における信号の分解と再構成 次式で表される。
Y˜sk(i, j) = 2 Nj
Nj
∑
l=1
xi(k−l)sj(l)
= 2 Nj
Nj
∑
l=1
Ai(
−cos(ωikTs+ϕi) sin(ωilTs) + sin(ωikTs+ϕi) cos(ωilTs))
sin(λjlTs)
=−Aicos(ωikTs+ϕi) 2 Nj
Nj
∑
l=1
sin(ωilTs) sin(λjlTs)
+Aisin(ωikTs+ϕi) 2 Nj
Nj
∑
l=1
cos(ωilTs) sin(λjlTs) (3.11)
Y˜ck(i, j) = 2 Nj
Nj
∑
l=1
xi(k−l)cj(l)
=−Aicos(ωikTs+ϕi) 2 Nj
Nj
∑
l=1
sin(ωilTs) cos(λjlTs)
+Aisin(ωikTs+ϕi) 2 Nj
Nj
∑
l=1
cos(ωilTs) cos(λjlTs) (3.12)
以下では,分解波,再構成波に現れる数学的な現象の理解を得るため,連続系で展開する こととする。切り出し波の中のデータ数 Nj と切り出し波の長さqj の関係Nj = qj/Ts を用いると,(3.11)の右辺第1項のΣ部分は,次式で表わされる。
2 Nj
Nj
∑
l=1
sin(ωilTs) sin(λjlT s)
= 2 qj
Nj
∑
l=1
sin(ωilTs) sin(λjlT s)Ts (3.13) qj =T /fj,τ =lTsとおいてTsを無限小にすると
Tlims→0
2fj T
Nj
∑
l=1
sin(ωilTs) sin(λjlTs)Ts
= 2fj T
∫ qj
0
sin(ωiτ) sin(λjτ)dτ =Iss(i, j) (3.14)
3.2 信号の分解 31 と表される。部分積分を行うと,(3.14)は
Iss(i, j) = 2fj
T
λj
ωi2−λ2j sin(ωiqj) (3.15) と表される。(3.11)の他のΣ部分および(3.12)のΣ部分も同様に
Ics(i, j) = 2fj
T
−λj
ωi2−λ2j
(1−cos(ωiqj))
Isc(i, j) = 2fj
T
ωi
ωi2−λ2j
(1−cos(ωiqj))
Icc(i, j) = 2fj
T
ωi
ω2i −λ2j sin(ωiqj) (3.16) と表される。(3.15)と(3.16)より,つぎの関係が成立する。
Iss(i, j) = λj ωi
Icc(i, j) Ics(i, j) =−λj ωi
Isc(i, j) (3.17) 離散系での時刻kTs を連続系での時刻tで表し,(3.15)から(3.17)の関係を用いると,
分解波を表す(311),(3.12)は
Y˜s(i, j, t) =−AiIss(i, j) cos(ωit+ϕi) +AiIcs(i, j) sin(ωit+ϕi)
=Ai
λj
ωi
(−Icc(i, j) cos(ωit+ϕi)−Isc(i, j) sin(ωit+ϕi)) Y˜c(i, j, t) =Ai(
Icc(i, j) sin(ωit+ϕi)−Isc(i, j) cos(ωit+ϕi))
(3.18) と表される。ここで
r(i, j) =
√ Icc2
(i, j) +Isc2
(i, j) gs(i, j) = tan−1(
Icc(i, j)/Isc(i, j)) gc(i, j) = tan−1(
−Isc(i, j)/Icc(i, j))
(3.19) とおくと,(3.18)は
Y˜s(i, j, t) =Ai
λj ωi
r(i, j) sin(
ωit+ϕi+gs(i, j)) Y˜c(i, j, t) =Air(i, j) sin(
ωit+ϕi+gc(i, j))
(3.20) と表される。(3.20)は角周波数ωi の信号を入力として,j 番目の聴覚細胞に現れる波を 表しているが,切り出し波として正弦波を用いた場合と余弦波を用いた場合とでは振幅に
32 第3章 基本的解析法における信号の分解と再構成 λj/ωi倍の違いが生じており,位相についてはgs(i, j) =π/2 +gc(i, j)の関係がある。切 り出し波が正弦波+余弦波の場合は,次式で表される。
Y˜sc(i, j, t) = ˜Ys(i, j, t) + ˜Yc(i, j, t)
=Airsc(i, j) sin(
ωit+ϕi+gsc(i, j))
(3.21) ここで,rsc(i, j)およびgsc(i, j)は
rsc(i, j) =
√(λj
ωiIcc(i, j) +Isc(i, j))2
+(
−λj
ωiIsc(i, j) +Icc(i, j))2
(3.22) gsc(i, j) = tan−1((
−λj
ωiIcc(i, j)−Isc(i, j)) /(
−λj
ωiIsc(i, j) +Icc(i, j)))
(3.23) である。(3.20)および(3.21)は,角周波数ωi の定常な信号を入力として,j 番目の聴覚 細胞に現れる波を表している。また,これらの分解波は解析的に得られたものであり,こ れを「解析分解波」と呼ぶ。その周波数は聴覚細胞の設定周波数λj ではなく,信号成分 の周波数ωi であることに注意を要する。λj がωi に最も近い設定周波数であるとし,他 の信号成分の周波数が,λj から大きく離れているときは,それらの信号成分を入力とし てj 番目の聴覚細胞に現れる波は十分に小さくなるため,j 番目の聴覚細胞に現れている 波は,角周波数ωi の信号成分による出力と見做すことができ,その信号成分の周波数を 調べることができる。(3.20)および(3.21)は,定常信号に対する聴覚細胞の出力を表し ているが,次々節の信号の再構成を考察するうえで,重要な役割を果たす。