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今、日本でのヘイト・スピーチをどう見るか。

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第 32 号.

1   今、日本でのヘイト・スピーチをどう見るか。

 1.1 「オールドカマー」がターゲットとなるヘイト・スピーチ

この10年間、日本でヘイト・スピーチが台頭してきた要因は何だろうか。

それを分析する上で重要なのは、諸外国と比べて、日本でのヘイト・スピー チのターゲットが、ニューカマーより「オールドカマー」に集中してきたこと の意味である。「オールドカマー」と言っても、旧植民地出身の「在日朝鮮人」

であり、祖父母の世代より以前に「内地」(現在の日本)に渡り、もう既に日 本で70年以上暮らす家族に生まれた、日本育ちの人々である。生地主義の国 籍法をもつ国なら、外国人とはみなされない。よって外からやってきたことを 意味する「comer」という呼称に違和感があるほど、既に日本社会の一部と なっている人々である。新たな移民・難民・外国人労働者の流入が、国民・永 住権者の失業率を高めるなど、既得権や社会秩序を脅かす不安をもたらすこと で、「これ以上の外国人受け入れを容認できない」とレイシズムを強めて、移 民や多文化共生政策を攻撃するヘイト・スピーチとは、日本のそれは明らかに 異なる。

旧植民地出身は、「comer」と呼ぶのが相応しくないどころか、1945年以前 は大日本帝国臣民として(男性は)参政権や徴兵に応じる義務まであった。と ころが、現在は日本国籍を保有たず、「外国人」となっていること自体に象徴 的な意味があり、矛盾と問題が凝縮されている。しかも、同じ旧植民地出身者 でも、台湾系の人々より、同化に強く抵抗してきた「在日朝鮮人」が圧倒的に ターゲットとなっている。

1952428日、日本国は主権を回復すると同時に、旧植民地出身者に対 する、過去から未来にわたる責任を放棄するため、日本政府は旧植民地出身者

「元国民」から日本国籍を剥奪した。 1947年日本国憲法の施行により、当 時、主権在民となっていたが、日本政府は本人に直接通知することすらせず、

国民でもあった「在日朝鮮人」から一方的に日本国籍をはく奪した。旧植民地

出身者の側が、国家から課せられる義務を拒否するために日本国籍を返上する ならともかく、植民地支配をした側がされた側への責任を放棄するために国籍 をはく奪したのだ。第二次大戦の苦痛に満ちた人類の経験から学び取った共通 認識、植民地主義の否定、民族の解放と植民地の独立、個人の人権尊重という 原則は踏みにじられ、世界人権宣言や国際法上もほかに例をみない措置であっ た。

こうして権利としての国籍を剥奪し、一方的に「外国人」扱いとしたこと自 体、日本政府は責められるべきなのだが、そこからさらに「在日朝鮮人」を

「特権をもつ外国人」と読み替えて非難するヘイト・スピーチは欺瞞であり、

日本政府の責任を隠ぺいする以外の何ものでもない。

吉田茂がマッカーサーに「在日朝鮮人を全員送還したい」旨を打診したが、

賛同を得られなかったこともあり、1952年、日本国籍をはく奪することで

「在日朝鮮人」を排除しようとしたのだろう。しかし、今にいたっても同化政 策に抵抗して日本国籍保有を「拒否」する「在日朝鮮人」が少なからず存在 し、人権尊重を訴え続けていることは、何よりも日本政府の思惑通りにはなら なかったことを物語っている。

 1.2 朝鮮人が帰郷できず「在日朝鮮人」となった歴史と、朝鮮学校への弾圧 敗戦間近になると、解放を予想した朝鮮人の多くが、日本全国から下関を目 指していたが、解放を迎えても、朝鮮半島への自由渡航が認められなかった。

そのため、帰郷を待ちわびて「懐かしい祖国へ一日でも早く帰るための準備を 急ぐ一方、子供たちが、故郷に帰って母国の言葉と文字が多少なりとも使える ように」(424を記録する会, 1988, p. 186)と、国語(=朝鮮語)講習所を いたるところにつくったのが朝鮮学校の始まりだった(文, 2005, pp. 19–

59)。

しかし、東西冷戦構造の対立が深まり、ソ連の南下を阻止して東アジアでの 覇権を握りたい米軍政は、日本撤退後の南朝鮮を統治していたが、朝鮮民族の 自主独立を支持する「解放軍」であったどころか、むしろ、米国の利益を優先 して、独立した民主国家建設を目指す朝鮮人民の自治を封じ込め、草の根的な 社会革命の機運を敵視して、服従を強いていった。

GHQは、日本国内では直接軍政を敷かずに、日本政府をとおして統治した が、南朝鮮ではむき出しの直接軍政を敷いて、表面的にもきわめて乱暴で高圧 的な統治をおこなった。日本も南朝鮮も同じくマッカーサー司令部の管轄下に おかれた占領だったが、明らかに「アメとムチ」で対照的な政策がとられた。

その両者を合わせた全体を見ることで、「憲法9条」をも含めた、アメリカに よる極東支配の意図が初めて理解できるのだが、日本と南朝鮮の民衆はそれぞ れ隔離・分断されてきたために、そのことに気付かずにきた。それが、その後 の現代史にいろいろな意味でマイナスの影響を及ぼしたと梶村秀樹は指摘して いる(済州島四・三事件四〇周年追悼記念講演集刊行委員会編, 1988)。韓国 現代史とは日本にとって「対岸の火事」ではない。それを知ることなくして、

日本人の身に降りかかっている、アメリカ支配の全体像を十分理解できないか らだ。

GHQは、朝鮮半島のみならず日本国内においても、1947年10月(11月と の記録もある)、朝鮮学校を日本の法律に従わせようと日本政府に指令した。

日本政府は翌1948年1月24日、各地にある朝鮮学校を閉鎖し、そこで学んで いる子どもたちを日本学校に転入させることを盛り込んだ通達を各県知事に出 した。これに対し、朝連(在日本朝鮮人連盟)は、1月27日に第13回中央委 員会を開き、「奪われたわれわれの文化を取り戻し、祖国を知らず、母国語を 知らぬ朝鮮人児童に、朝鮮的なあらゆる教育と朝鮮建設に寄与する緊急かつ重 大な教育を実施することは、何よりも大きなわれわれの使命」(解放新聞社,

1948, Feb. 20)だと、再確認した。そして、朝連中央は、在日朝鮮人の歴史

的特殊性からして、その子弟に民族教育を行う自主性を保証し、財政面・物資 面で支援することを含め、日本政府は歴史的・道義的責任を果たさねばならな いという6項目の決議文を、36日、森戸文部大臣(当時)に提出した。

解放で希望に満ち溢れ、朝鮮各地で人民委員会を立ち上げて、自主独立の民 主国家を建てようとする朝鮮人に対し、露骨に弾圧する米軍政に比べ、「解放 された朝鮮人民万歳!」と呼びかけたソ連軍ではあったが、その関心は、北朝 鮮地域に親ソ政権を樹立して傀儡国家を建設することにあり、内実は米軍と異 なっていたかどうかは疑わしい。しかし、GHQは、朝鮮民族による独立国家 建設の動きがソ連・中国寄りになることを強く警戒し、新たな朝鮮の建国に連

動する日本国内の朝鮮学校を敵視し、一方的な封じ込めにかかった。「解放民 族としての自覚を持った在日朝鮮人は、アメリカ占領軍にしてみれば、朝鮮支 配 を 阻 む 後 方 基 地 攪 乱 者 で し か な か っ た」(424を 記 録 す る 会, 1988, pp. 4–5)。

しかし、幼い子どもを背負ったオモニたちは「この子には二度と亡国の辛苦 を嘗めさせたくない」と、警察の警棒、米兵の銃口の前に立ちはだかり、日本 全国各地で民族教育を守る闘いが繰り広げられた。命をかけて学校を守ろうと する抗議運動の結果、1948年4月24日、ついに朝鮮人代表と兵庫県知事との 交渉が実現し「学校閉鎖例」が撤回された。それを記念して、「在日朝鮮人」

はこの日を「424阪神教育闘争」と呼んでいる。

ところが、その夜GHQは、「戦後」初めてにして唯一の「非常事態宣言」を 神戸中心に発令し、カービン銃をもった米兵と、武装した日本の警官による一 大検挙「朝鮮人狩り」を行なった。朝鮮人学校で、同胞の部落で、電車の中 で、駅の改札口で、老若男女の区別なく検挙は行われた。なかには結婚式を挙 げている最中の新郎新婦もいて、無差別検挙のすさまじさを物語っている。大 阪では、抗議運動に加わっていた16歳の少年が射殺され、朝連兵庫県本部委 員長は獄死した(424を記録する会, 1988, p. 5)。逮捕された在日朝鮮人数 は、兵庫県だけでも警察本部の記録では1,700余名とされているが、在日朝鮮 人たちの証言では、4,000から5,000に上ったという(424を記録する会,

1988, p. 193)。この時に始まった朝鮮学校をつぶそうとする動きは、70年近

く経った現在にまでいたっている。

 1.3 アメリカの東アジアにおける安全保障戦略と日本でのヘイト・スピーチ 日帝から解放されたのもつかの間、米ソの対立の中で、朝鮮民族は南北に分 断され、その独立と自治への希望は、再び強硬につぶされていった。

日本国内では朝鮮学校への徹底的な弾圧が行われている一方で、朝鮮民族の 自主独立を封じ込めようとした米軍政に抵抗して、1948年4月3日、済州で 武装蜂起がなされた。済州四三事件である。それはその後、解放直後21万人 余だった済州島の人口が、人々の帰郷で1948年には約28万人にまで急増した が、そのうち3万人近くが犠牲になるほど凄惨な事態に至った。そのため、帰

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