江東地帯の地盤沈下対策から出発した東京の高潮対策は、数々の水害や地震による被災の経験を経て、総合的な防災 対策のひとつに位置づけられるようになった。こうした高潮対策の変遷を理解する過程において、3 つの歴史的観点か ら今後の防潮堤のあり方を歴史的に検討することは本調査の目的に沿うものと考え、ここに整理することとした。
観点1 防潮堤の整備水準向上及び更新
昭和 9 年から始まった高潮防禦施設計畫は、昭和 13 年の台風被害によって、計画の改訂・増補された。同様に、昭 和 34 年の伊勢湾台風や昭和 39 年の新潟地震における被害などは、既定の高潮対策に影響を及ぼし、東京の高潮対策は 計画対象の拡大、整備水準の向上(堤防天端面の嵩上げや対象区域の拡大)が図られてきた。昭和 9 年の高潮防禦施設 計畫では、護岸延長約 38,720 m、水門が 79 ヶ所、計画天端高最高値は A.P. + 3.6 mといった計画内容であった。現 在では、東京の高潮対策は伊勢湾台風級の高潮に対処することを前提に整備が進められ、建設局では平成 17 年度末に おいて約 168 kmの防潮堤及び護岸を整備し、その計画天端高最高値は A.P. + 10.0 mとなっている。港湾局では平成 19 年 3 月時点で約 50.3 kmの防潮堤を整備し、その計画天端高最高値は A.P. + 8.0 m、水門 19 ヶ所、排水機場 4 ヶ所、
陸こう 46 ヶ所を整備している。
こうした高潮対策の変遷には、計画諸元からなる計算式が大きく関わっている。時代毎の要請に応えるため、過去の 台風の分析などから、高潮対策の整備水準はひとつの計算式によって求められてきた。防潮堤の高さ(計画高)が計画 満潮位、気圧の低下と風の吹き寄せによる海面上昇の高さ(偏差)、風の吹き寄せによる河川水位の上昇(高潮遡上)、
波打上高によって算出される。
計画高=計画満潮位+偏差+高潮遡上+波打上高
今後、伊勢湾台風級以上の高潮が日本に発生した場合、東京の高潮対策はこれまでのように、この計算式をもとに、
計画の改訂、増補が行われるものと考えられる。この計算式は、河川工学や海洋工学などにおける実験や分析の集大成 であり、これまでの高潮対策の計画を支えるなど、重要な役割を果たしている。ただ、この計算式を前提とした計画の 改訂・増補は、すなわち計画対象の拡大や防潮堤の嵩上げを意味すると考えられ、事実、現状の高潮対策はそうした経 緯をたどってきた。
ここで懸念することは、冒頭、調査の目的として「防潮堤のあり方を考えるうえで重要な点は、これまでの経緯にと らわれることなく、現在の社会的な要請に応え得る高潮対策を改めて検討することではないだろうか。それは、河川行政、
海岸行政の枠を超え、都市行政とも一体となった高潮対策を意味するものと考える。」と触れたように、高潮対策を自治 体や縦割り行政の枠を超え、総合的にそのあり方を議論する機会(場)の有無である。
防潮堤の強化といった意味から、緩傾斜型堤防やスーパー堤防が実施され、部分的に整備が進み、成果があげられて いる。しかし、例えば隅田川、神田川、日本橋川の高潮高潮対象全区域を緩傾斜型堤防やスーパー堤防として整備する ことが現実的なのだろうか。この事業が開始された時点では、親水性を高めながら、堤防を強化するといった整備内容 から、期待も大きかったと思われるが、四半世紀が経過した今、その事業の進捗状況を踏まえると不安も感じられる。
また、海面上昇が社会問題化していることから、防潮堤の整備水準向上が迫られた場合、現状の約 218 km(建設局 と港湾局で整備した合計値)全体を対象に、堤防の嵩上げ実施は、時間的、事業費的に有効なのだろうか。現状の防潮 堤の耐用年数にあわせ、躯体を更新する際にも、同様な疑問が生じる。
こうした点を指摘するに至った背景は、高潮対策に関する史料において、そのあり方を根本的に検討した経緯を見出
観点1 防潮堤の整備水準向上及び更新
すことができなかったことにある。東京新聞の昭和 49 年(1974)4 月 4 日、14 面には、「ゼロメートル地帯の耐震護 岸急げ 高潮に『輪中方式』 大河川には緩傾斜堤防 対策委が都に答申」との見出しがあるが、記事には従来からの輪 中方式が継続されるに至った経緯は説明されていなかった。
今回の文献調査における、一般に閲覧できる史料からは、高潮対策の方向性そのもののに関する議論は見出せなかっ たが、河川行政、海岸行政が一体となり、高潮対策の方針に関する議論が行われてきたとも考えられる。もし、そうで あれば、江東地帯の限定的な高潮対策として開始された「輪中方式」が、対象範囲が広がった現状においても、適切な 手法であるとの検討内容を、分かりやすいかたちで広く告知することは、都民の防災意識向上に一役かうのではないだ ろうか。
図・表3−1 高潮の計画諸元(『東京の低地河川事業』)
観点2 水辺文化の充実
第2章で紹介した『隅田川堤防問題研究に関する調査報告書』は、隅田川の歴史や文化、地域特性についての分析が 行われ、隅田川堤防のあり方を考える上での問題点や課題が簡潔に整理されており、その概要はすでに紹介していると おりである。この報告書は、隅田川を都市の顔として再生するための親水空間を、緩傾斜型堤防によって創出する提案 がなされ、白鬚地区防災拠点、隅田川公園、三河島処理場などをマスタープランの核として位置づけている。この報告 書がまとめられた昭和 56 年(1981)と時を同じくして、東京都の緩傾斜型堤防整備事業が開始され、現在スーパー堤 防整備事業へと展開されている。
この事業が開始されてから 25 年以上が経過し、報告書で核として位置づけられた場所や他のいくつかの場所では、
緩傾斜型堤防もしくはスーパー堤防が整備されてきた。ただ、隅田川における高潮対策の対象区域全体にはまだまだ届 かない状況にある。都市部において不燃化を目的とした共同化がなかなか進捗しない現実からしても、隅田川の緩傾斜 型堤防化、スーパー堤防化はどこまで現実的なのだろうか。
仮に、全域が緩傾斜型堤防もしくはスーパー堤防に整備された場合を考えてみたい。緩傾斜型堤防もしくはスーパー 堤防の整備には、都市側の共同化が求められる場合が多く、戸建ての建築も整備後には容積の高度利用が求められ、高 層建築へと変貌し、その様子はこの報告書にスケッチ風の断面として示されている。オープンスペースの存在効果、利 用効果、精神生活の場、自然生態系の場としての親水機能を確保しながら、防潮堤を強化する目的として、緩傾斜型堤 防やスーパー堤防は有効であろう。しかし、この報告書が整備の前提としている隅田川文化は、沿川すべての建築を高 層化にするによって、果たして担保することができるのだろうか。
かつての隅田川沿いには、蔵や盛り場、花街が、近代になると倉庫や工場が建ち並び、多様な都市機能が展開していた。
また、現在のように防潮堤が整備される以前は、水辺と日常生活との距離が近く、隅田川文化が継承されてきたわけで ある。現在でも、数件の料亭が隅田川に顔を覗かせ、当時の雰囲気を今に伝えている。歴史的な観点からすると、土地 の区画そのものが、地域の特性を示すもので、街の雰囲気をつくりだしている要因だと判断できる。沿川すべてを共同 化することは、むしろ隅田川が培ってきた歴史や文化を否定することにつながるだろう。また、地域の歴史や文化を大 切にするということは、継承とともに文化の創出も含まれるべきで、今後隅田川沿川において人と水辺との関係が深まり、
新たな文化が生まれるような配慮が今後の防潮堤整備に求められると考える。下河辺淳氏が、平成 9 年(1997)の『建 設業界 通巻 544 号』「三百六十五日くらしの中の川を思う」で以下のように述べておられる。
「河川の専門家の見方は問題主義で、問題のある川を考える。水資源だといって渇水を考える。そのように目的ごと に考えざる得なかったし、対応してきたでしょう。今度の河川審議会の答申でも、そのことを否定はしていないの ですけれども、「三百六十五日の川」ということを論じようとしたところがこれまでと違うところだと思います。「川」
というのは三百六十五日、日々非常に変化していて、洪水のある日もあれば渇水の日もある、なんでもない普通の 川のこともある。毎日眺めていると全然違うんですね。そこを無視して、水は河川の中だけで考えていればよいと いう時代ではなくなりましたね。
(中略)
「人間はもう一度洪水と同居しよう、洪水とはつきあえるものだから」をテーマにしよう、というのはとても進歩し た考え方だと思います。それは昔は当たり前のことだったのに、今はそれは悪だからということで、行政は事業で 解決しようと思いこみすぎている。」