七十人会長会 タッド・R・
カリスター長老
道徳
主 の の 標準
フォトイラスト/デビッド・ストーカー
34 リ ア ホ ナ
それでは,生殖の神聖な力の使用に関する主の標準,すな わち主の道徳の標準とは何でしょうか。実際,主の道徳の 標準は,行うことと行わないことのリストというよりむしろ 原則です。それは次のように表現することができます。つま り,生殖の力は,次の二つの重要な理由のために婚姻関係 の中で行使されなければなりません。( 1 )配偶者同士を つなぎ,きずなを強める。( 2 )霊を世に迎える。この使用 には主の祝福と保証が伴います。
しかし,生殖の力は夫婦の関係以外で 行使してはなりません。したがって,婚姻 関係以外で生殖の力を行使するように刺激 する,あるいは実際に行使する,意識的 な思いや故意の行為は,いかなるものも 主によって承認されません。
ここで,誤解やあいまいさをできるだけ なくすために,主の道徳の標準を幾つか 紹介しましょう。
私通と姦淫
世の人々が私通と姦淫をどの ように感じているかにかかわり なく,主はこれらの行為を 禁じておられます。これは 合法的な結婚をしていな い異性との間で生殖の 力を用いる行為です。
当事者 がどちらも結 婚していない場 合は 私通であり,どちらか 一方,あるいは両者が 結婚している場合は姦 淫です。
使徒パウロは,「神の みこころは……不品行
を 慎」むことであると 述べています( 1 テサロ ニ ケ 4:3 ,強 調 付 加)。
また,こうも述べています。
「それとも,正しくない者 が 神の国をつぐことはないのを,
知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者,……
姦淫をする者……は,いずれも神の国をつぐことはないの である。」( 1 コリント 6:9 − 10 ,強調付加)
時々,人々はこれらの背罪の重大性を理解しておらず,あ るいはそれを正当化することもあります。コリアントンは,
娼婦イザベルのことで罪を犯したときに,自分が行ったこと の重大性をはっきり理解していなかったようです。彼の父 アルマは,そのことを彼がよく理 解できるようにしました。
「わが子よ,あなたはこのことが主の目から 見て忌まわしい行いであること……を知ら ないのか。」(アルマ 39:5) ヨセフもポテ パルの妻から誘惑を受けたとき,この大き な悪事について語っています。「どうして わたしはこの大きな悪をおこなって,神に罪 を犯すことができましょう。」(創世 39:9)
触れてはならないところに触れる行為 触れてはならないところに触れる行為 は,生殖の力を刺激します。したがって,
結婚する前に,その人が 衣服を身に 着けていてもいなくても,人の体の 隠れた神聖な部分に触れること は神の道徳の標準に反します。1
自慰行為
主は自慰 行為を 非 難 して お ら れ
ます。自慰行為と は自分 の 体 にあ る生 殖の力を刺 激する行為です。
十二使徒定員会 会長であるボイ ド・K・パッカー 会 長 は,次 のよう に述べています。
「この神聖な創造の 力をもてあそぶ罪を犯 さないようにしてくだ さい。……
神の道徳の標準は,
信頼関係を築き,自尊心を高め,
澄んだ良心を持つように促し,
また個人の生活と結婚生活に 祝福をもたらすよう 主の御霊を招きます。
フォトイラスト/マシュー・ライアー
…… それは主にとっても皆さんにとっても喜ばしいことで はありません。このような状態では,主の御
み
前
まえ
にふさわしい とか清いとかいう気持ちは味わえません。」2
同性愛
同性との肉体関係に反対する教会の立場は一時的な方針 であって永遠の教義ではないと,信じさせようとする人々が います。このような考えは,聖文とも,現代の預言者の言葉 とも,また救いの計画とも相いれません。
聖文や預言者の言葉,救いの計画では,
昇栄の条件として男女の間の永遠の結婚 が必要であると教えられています。夫と妻 が 死 すべき状 態 で 子 供 たちをもうける だけでなく,昇栄した状 態で永 遠に増し 加えられることを経験するというのが神の 永 遠の方式であって,同性愛はこの神の 方式に反しています。
わたしたちは,すべての人が神の息子や 娘であり,そのような扱いを受けるのに値 すると理解しています。わたしたちは皆,
不完 全さと闘っていますが,自分 の選びの結果ではない 不完全さもあります。しかし,わたしたちは無限の贖
しょく
罪
ざ い
も 信じています。贖罪は現世や来世における力を有しており,
わたしたちの弱さと不完 全さを強さに変えるのに必 要な あらゆる力をわたしたちに与えてくれます。主はこう約束して おられます。「もし彼らがわたしの前にへりくだり,わたしを 信じるならば,そのとき,わたしは彼らの弱さを強さに変え よう。」(エテル 12:27 )
同性に心を引かれる傾向がある人々は,次のことを行う 義務があります。( 1)不道徳な関係を遠ざける。( 2 )贖罪 の持つ清めと完成をもたらす力を得られるように,力の範囲内 ですべてのことを行う。しかし,同性に心を引かれる傾向が ある人々も,相当の期間そのような行動を取らない場合は,
教会の責任に就き,神殿推薦状を受ける資格があります。3
サタンの触手
ここで,前述した幾つかの罪に先立つ危険な徴候を少し 紹介します。ある意味で,サタンはわたしたちを捕らえようと しているタコのようです。 1 本の触手でできなければ,捕ら えたと分かるまで次々と触手を繰り出します。わたしたちに
神の道徳の標準を破らせようとする悪魔の触手の幾つかは,
次のとおりです。
ポルノグラフィー
神は御自分の子供たちに,いかなる形であれ,決してポルノ グラフィーを含んだ映画やテレビ番組,ウェブサイト,雑誌を 見ないようにと望んでおられます。ポルノグラフィーとは,人に 肉欲を抱かせる写真や絵,読み物のことです。それは主の 御霊に反するものです。
一目見ただけで害を及ぼすようなもの など決してないのだから,自分がポルノグ ラフィーの影響にもてあそばれることなど あり得ない,と主張できる人は誰もいま せん。 ポルノグラフィーは有 害で,不快 で,無慈悲な蛇であり,あなたが一目見た 瞬間に襲いかかり,その後も目を向ける 度に襲ってきて多くの毒を加え続けます。
もしあなたがこの病癖に苦しんでいる ならば,それを克服するために力の範囲 内であらゆることを行う必要があります。
そのために告白や熱烈な祈り,断食,聖文 学習に没頭すること,怠惰な時間を建設的な時間に変える こと,インターネットの使用に厳密な境界線を引くこと,専門 家によるカウンセリングを受けることなどが必要です。しか しながら,あなたはそれに打ち勝つことができます。最終的 には意志の力が必須の要素となります。あらゆる依存症を 解決できる薬やカウンセリング技術などないのです。
慎みのない服装
わたしたちの服装は,自分の思いと行いに影響するだけで なく,ほかの人々の思いと行いにも影響を及ぼします。その ために,使徒パウロは,「女はつつましい身なりを」するように と勧告しました( 1 テモテ 2:9 )。
女性の服装は男性の思いと情欲に大きな影 響を及ぼし ます。胸もとが開きすぎていたり,スカート丈が短すぎたり,
服が体に密着しすぎたりしていると,不適切な思いを抱く ように他の人をあおる可能性があります。清くあろうと努め ている若い男性の思いにさえ影響を与えかねません。4
男性も女性も,魅力的でおしゃれでありながら,慎み深く あることができます。特に女性は,慎み深い服 装をして,
その過程で自分自身の自尊心を築き,男性の道徳的な清さ を守ることができます。最終的に,ほとんどの女性が,その 婚姻関係以外で
生殖の力を行使するように刺激する,
あるいは実際に行使する,
意識的な思いや故意の行為は,
いかなるものも 主によって承認されません。
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ような服装を好むタイプの男性の心を捕らえます。
清くない思い
「あなたは身近に飛ぶ鳥を見ることはできるが,頭の上に 巣を作らせてはならない」という言葉があります。きれいな 若い女性やハンサムな若い男性が近くを歩いているときに,
その人に注目するのは何ら悪いことではありません。それは 普通のことです。しかし,その思いが情欲に変わるならば,
巣が作られていることになります。
わたしたちは不適切な広告や慎みのない 服装の人を目にするのを,すべて避けるこ とはできません。しかし,不適切な思いが 湧いたときに,その思いを追い出すことが できます。故意ではなくて不適切なものを 目にするのは,罪ではありません。思いが 湧いてきたときに,それをもてあそぶところ に罪があるのです。聖文に次のように述べ られています。「ひととなりはその心の思う そのままであるからだ。」(箴言 23:7,欽定 訳より和訳)
要するに,わたしたちの思いはわたした
ちの行いの種となります。わたしたちには自分の生き方と 思いをコントロールする力があります。光と暗闇が同時に 同じ場所に存在できないのと同様に,良い思いと悪い思い は心の中に共存できないのです。最終的に,わたしたちは どちらのゲストを招くかを決めなければなりません。
わたしたちは自分が望むならば,すべての悪い思いを追い 出し,それを直ちに精神を高揚させる歌や詩,あるいは聖文に 置き換えることができます。光の前から暗闇がなくなるよう に,善の前から悪は逃げ去ります。
人目につかない場所と誘惑する友達
わたしたちがどれほど強くても,時と場所により抵抗する 力は弱まります。非常に立派な男女の中に,最悪の状況に 遭ったときに堕落した人々がいます。夕暮れ時に,初めは 安全な距離と思われた所からバテシバを目にしたダビデ王 に,そのことが起こりました(サムエル下 11:2 − 4 参照)。
誰も,自分 は誘 惑に対して非常に強い,あるいは誘 惑に 抵抗する力があると考えてはなりません。人目につかない場 所や夜遅い時間,道徳意識の低い友達には,サタンの手中 にわたしたちを引き込む強い力があります。
正当化
道徳上の背罪を後押しするために,二つの正当化がしば しば用いられます。最初の正当化は,「わたしは彼女を愛して いる」というものです。サタンは大いなる偽装者です。愛と 偽って肉欲を押しつけます。その違いを見破る簡単なテスト があります。愛は,自制,神の道徳の律法への従順,他の人 に対する敬意,無私の心によって深まります。他方,肉欲 は,不従順,自己満足,規律の欠如によって強くなります。
第 2 の正当化は,「誰にも決して知られ ることはない」というものです。主はその 誤った考えを何度も否定しておられます。
主はこう宣言されました。「背く者は深い 悲しみに刺し貫かれる。 彼らの罪 悪が 屋根の上で語られ,彼らの隠れた行いが 暴かれるからである。」(教義と聖約 1:3 ,
強調付加)
誰にも決して知られることのないような 暗い場所や,人目につかない場所などあり ません。神は御存じです。また,あなた が神の道徳の律法を犯す場合,あなたも そのことを知るのです。
悔い改め
わたしたちはこの世で道徳的な過ちを犯した場合,イエス・
キリストの贖罪があるので悔い改めることができます。将来 のために道徳的に清い生活をする最初の基本的なステップ は,過去の背罪を悔い改めること,砂の土台を岩の土台に 取り替えることです。しばしばそれは告白で始まります。
しかし,悔い改めとは,単に長い期間再び罪を犯さない こと,罪を捨てること,あるいは告白することだけではあり ません。とりわけ,悔い改めとは,誠実な心の変化であり,
道徳的に清い生活をしようと固く決意することです。なぜ なら,そうしなければならないからではなく,そうしたいと 思うからです。
神が明らかにしておられるように,神の標準を破る人は 必ずその結果として苦しみを受けます。しかし,神は計り知 れないほど愛情深く,思いやりのある御方であるため,次の ような輝かしい希望をわたしたちに与えてくださっています。
「主なるわたしは,ほんのわずかでも罪を見過ごしにする ことはないからである。
肉欲は,
不従順,自己満足,
規律の欠如によって 強くなります。