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Ⅰ.はじめに

(1) 自動車が登場してから久しく、現在では欠かせない移動手段となっている。その反面、

自動車の普及により、道路を取り巻く状況は一変し、道路は危険を招く舞台となった。死 傷者を伴う交通事故の多発が、このことを物語っているといえよう。道路交通法は、その ような危険を防ぐため、交通規律を講じる権限を都道府県公安委員会に与えており(道路交 通法4条)、その果たす役割は大きい1

交通施設は、人口過密地帯を避けて通ることができない宿命を負っており、その機能性・

公共性が増せば増すほど、周辺環境の悪化という弊害を招く2。高度経済成長期を経て、自 動車の交通量が急増すると、それに伴う公害が社会問題となり、その対策の一つとして交 通規律も念頭に置かれることとなった3。1968年に制定された大気汚染防止法は、一定限度 を超える大気汚染がある場合4、都道府県知事が都道府県公安委員会に交通規律の実施を要 請できると規定している(大気汚染防止法21条1項)。また、同じく、1968年に制定された 騒音規制法も、交通騒音による環境悪化への対策として、市長村長が都道府県公安委員会 に交通規律の実施を要請できるとする(騒音規制法17条1項)。

こうした環境法上の規定を意識して、道路交通法が1970年に改正され、その目的規定に、

「道路の交通に起因する障害の防止」が追加され (道路交通法 1 条)、交通規律による道路 環境の改善も道路交通法の目的であることが明らかとなった5。また、同時に、そのような 公害対策を図る交通規律の実施手続に関する規定も新設され(道路交通法110条の2)6、大気 汚染防止法や騒音規制法に基づき都道府県知事または市町村長から要請があった場合など、

その必要を都道府県公安委員会が認めるときは、交通規律が実施されることとなった7

1 野口貴公美「乗物の安全・安心~陸・海・空の交通手段と移動手段~」野口貴公美・幸田 雅治共編著『安全・安心の行政法学』(2009年)233頁。

2 遠藤博也「交通の『公共』性と『環境権』」ジュリスト増刊総合特集『現代日本の交通問 題』(1975年)261頁。

3 北村喜宣『環境法[第3版]』(2015年)396頁。大塚直『環境法[第3版]』(2010年)342頁、

387頁。

4 なお、環境省令は、一酸化炭素について限度を規定している。

5 田上穣治『警察法[新版]』(1983年)164頁。

6 道路交通法研究会編著『最新注解道路交通法[全訂版]』(2010年)799頁。

7 北村滋「交通管理による環境対策」警察公論57巻12号(2002年)28頁(35頁注1)。例え ば、青梅街道五日市街道入口交差点において、一酸化炭素濃度が基準値を超過していたた め、東京都知事は1973年1月31日に大気汚染防止法に基づく交通規律の実施要請を東京 都公安委員会に行い、これを踏まえ同年2月15日から朝(7時から9時まで)と夕方(17時か ら19時まで)の時間帯に貨物自動車の通行が禁止されている。また、環状7号線につき、

練馬区長は1973年1月29日に騒音規制法に基づく交通規律の実施要請を東京都公安委員

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いずれにせよ、公害に苦しむ沿道住民は、環境保護を図る一手段として、速度制限や通 行禁止といった交通規律の実施に期待を寄せることができるのではなかろうか8。さらに言 えば、道路公害への司法的救済手段としては、供用関連瑕疵に基づく国家賠償請求訴訟や 供用差止訴訟がある9が、交通規律に関する規制権限不行使を問題とすることも理論的には あり得よう10

(2) 第1 章で 述べた とお り、 ドイ ツで は、交通 標識(Verkehrszeichen)を 通じ て告 知 (Bekanntgabe)される交通規律の法的性格が、一般処分(Allgemeinverfügung)形式の行政行 為(Verwaltungsakt)であると解されており、交通規律により権利侵害を被ると主張する交 通利用者(Verkehrsteilnehmer)は、取消訴訟(Anfechtungsklage)を提起することができた11。 他方、そのような交通利用者とは反対に、交通規律の実施を求める声も存在し、そうした 主張の実現を図る者は、義務付け訴訟(Verpflichtungsklage)の提起に踏み切ることとなる。

このような交通規律の実施を求める義務付け訴訟として目立つのが、沿道環境の改善を理 由としたものである。

受忍限度を超える公害が生じていれば、交通規律の実施が義務付けられることとなろう。

すなわち、沿道住民の環境利益が反映され、交通規律の実施に結び付く場面が想定される。

当然のことながら、こうした交通規律による環境保護を検討する際には、道路公害に関す る受忍限度を認定する基準が重要となってくるわけであり、それを支える法整備および運 用を分析する必要があろう。

さらに、結論を先取りしてしまえば、さまざまな発生(Emission)源から市民はイミッシオ ン(Immission)被害を受けるため、ある区間を対象とした交通規律の実施のみでは、環境対 会に行い、これを踏まえ同年3月31日から夜間帯(23時から6時まで)に車両通行区分の指 定が行われている。もっとも、この車両通行区分の指定とは、騒音発生源となる大型貨物 自動車を住宅区域から離すため、そのような車両に道路中央寄りの車線を走行させるとい う車線規制であるが、低速車は路肩寄りの車線を走行し、中央寄りの車線は追越車線にな るという国際的な交通ルールがあるため、これとの抵触が問題点として指摘されている。

詳しくは、久本礼一「自動車騒音と交通規制」交通法研究5号(1976年)99頁、108頁。

8 公害対策としての交通規律については、柳館栄「交通公害と交通規制」警察学論集24巻 9号(1971年)1頁以下。

9 例えば、最判平成7年7月7日民集49巻7号1870頁(国道43号線訴訟)。なお、国道 43号線において、国家賠償請求が認容された後、大型車に中央寄り車線の通行を促す交通 規律や阪神高速5号湾岸線への迂回を促す「環境ロードプライシング」などが講じられて いる。詳しくは、国土交通省近畿地方整備局・阪神高速道路株式会社「国道43号等の沿道 環境改善に向けて」(2016年)

http://www.kkr.mlit.go.jp/hyogo/communication//43renrakukai/amagasaki/data/2016-02 -16-06.pdf (最終閲覧2016年9月11日)。

10 河合潔「交通規制の再構成―その機能と法的構成、そして国家賠償請求訴訟をめぐって

―」関根謙一・北村滋・倉田潤・辻義之・荻野徹・島根悟・髙木勇人編『講座警察法第三 巻』(2014年)304頁以下。

11 BVerwG, Urt. v. 9. 6. 1967, BVerwGE 27, S. 181 (185). ; BVerwG, Urt. v. 13. 12. 1979, BVerwGE 59, S. 221 (225). ; BVerwG, Urt. v. 11. 12. 1996, BVerwGE 102, S. 316 (318). ; Stelkens/ Bonk/ Sachhs, VwVfG, Kommentar, 8. Auflage, 2014, § 35 Rn. 330.

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策として十分な効果が見込めない。したがって、省庁横断的な種々の施策が求められてい る12ことから、伝統的な道路交通法でなく、それとは別の新たな法的枠組みによって、交通 規律を実施することが望まれよう。この新たな法的枠組みこそが、EU法の影響を色濃く反 映した環境管理計画法制である13。ドイツでは、この環境管理計画に基づき交通規律を実施 し、それにより沿道環境の改善を図る動きが、大気汚染対策を中心に進展している14。 (3) そこで、本章では、交通規律に対する権利保護を論じた第1章とは反対に、こうした 交通規律の要請に着目して、環境保護に関するドイツの議論を紹介し、道路環境の改善を 図る上での法的な知見を深めていくこととしたい。以下、ひとまず、いかなる場合に受忍 限度を超える道路公害があると認定されるのか、その認定に際して依拠する法体系とその 運用を概観するため、交通規律の実施を求める義務付け訴訟に着目する(Ⅱ.)。その後、

環境管理計画に基づく交通規律について、EU法の影響を受けたドイツの法制度を紹介した 上で、計画訴訟の動向を追うこととする(Ⅲ.)。

Ⅱ.交通規律による環境保護

1.はじめに

(1) 第1章で論じたように、交通規律の取消しを求める交通利用者は、その名宛人

(Adressat)としての地位から原告適格(Klagebefugnis)が容易に認められる15一方、交通規律

の実施を求める第三者は、保護規範理論(Schutznormtheorie)に依ると、その根拠規範によ り保護されていなければ、出訴することができない。したがって、交通規律の実施を求め る 義 務 付 け 訴 訟 で は 、 訴 訟 要 件 の 段 階 に お い て 、 そ の よ う な 第 三 者 の 個 別 的 利 益 (Individualinteresse)が、交通規律の根拠法規により保護されているかが問題となる。

交通規律の根拠法規は、道路交通法166条1項に基づき連邦交通大臣が制定した道路交通 令17の45条1項であり、交通規律の実施を求める義務付け訴訟において、原告は、この規 定 を 手掛 か りと する18。 す な わち 、 道路 交通 令 45 条 1 項 1 文 は 、道路 交 通官 庁

12 斎藤誠ほか「交通安全の法と政策」国際交通安全学会『交通・安全学』(2015年)110頁。

13 ドイツにおける環境管理計画法制については、川合敏樹「環境管理計画法制に関する予 備的考察」磯部力先生古稀記念論文集『都市と環境の公法学』(2016年)82頁以下。

14 さしあたり、Hans-Joachim Koch/ Annette Braun, Aktuelle Entwicklungen des Immissionsschutzrechts, NVwZ 2010, S. 1199 (1203ff.).

15 BVerwG, Urt. v. 21. 8. 2003, NJW 2004, S. 698.

16 Straßenverkehrsgesetz vom 5. 5. 2003 (BGBl. I S. 310).

17 Straßenverkehrs-Ordnung vom 6. 3. 2013 (BGBl. I S. 367).

18 道路交通令45条については、Adolf Rebler, Die materiellen Rechtsgrundlagen für die Anordnung von Verkehrszeichen, DAR 2013, S. 348ff.

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(Straßenverkehrsbehörden)が、交通の安全および秩序を理由に、特定の道路の利用を制限 ないし禁止、さらには交通を迂回させることができると規定している。

ここで、自宅前の道路に自動車が駐車すると車庫入れができなくなるとして、そのよう な沿道隣地者(Anlieger)が駐車禁止標識の設置を求めて提起した義務付け訴訟に触れてお こう。このような事案において、連邦行政裁判所1971年1月22日判決は、現行道路交通 令45条1項1文の前身である旧道路交通令194条1項1文が、交通の安全および秩序とい う公益を図る規定であるとしつつ、本件のような特別な事情が存在する限りでは、個人の 個別的な利益も保護していると説く20。すなわち、公道から自己の敷地に自動車でアクセス する際の障害を排除するといった個人的な利益も、旧道路交通令4条1項1文は保護して おり、交通規律の実施を求める第三者にも、原告適格が認められ得ることを明らかにした21。 (2) モータリゼーション化に伴い、騒音被害や排ガス被害が深刻になると、ドイツでも、

環境保護を理由とした交通規律の要請が強まった。そのようなエコロジー化(ökologisieren) の要請に応えるべく、1980 年に改正された道路交通令22は、道路交通官庁が、騒音および 排ガスからの住民保護も理由に、交通規律を講じることができると規定するようになった

(道路交通令45条1項2文3号)23。そして、これを契機に、道路環境の改善を目指す沿道

住民が、そのような交通規律の実施を求め、訴訟提起に踏み切る事案が相次ぐこととなる。

公害対策として交通規律の実施を求める沿道住民は、そのような義務付け訴訟の提起に 際して、この道路交通令45条1項2文3号に依拠することとなる。連邦行政裁判所1986 年6月4 日判決は、この規定が、自動車交通による騒音および排ガスから損害を被る住民 の個別的利益も保護していると解し、沿道住民に原告適格が認められるとした24。この判決 は、道路交通令に基づく騒音対策の実施を求める沿道住民の請求権を肯定した初めての連 邦行政裁判所判決として評価され、その後のリーディングケースとなっている25。いずれに せよ、第三者による義務付け訴訟であっても、環境保護を理由とした交通規律の実施を求

19 Straßenverkehrs-Ordnung in der Fassung vom 29. 3. 1956 (BGBl. I S. 327)/ 30. 4.

1964 (BGBl. I S. 305).

20 BVerwG, Urt. v. 22. 1. 1971, BVerwGE 37, S. 112 (114f.). ; なお、本事案について、第 一審および控訴審は原告の訴えを退けていたが、連邦行政裁判所は、道路交通官庁の裁量 権行使に瑕疵があったか否かの前提となる事実関係につき改めて判断させるため、控訴審 に差戻す判決を下している。

21 なお、現行の道路交通令45条1項1文についても、交通規律の実施を求める第三者の個 別的利益を保護し、その原告適格を基礎付け得ると解されている。; BVerwG, Beschl. v. 3. 7.

1986, DÖV 1986, S. 928 (928).

22 Verordnung zur Änderung der Straßenverkehrs-Ordnung vom 21. 7. 1980 (BGBl. I S.

1060).

23 なお、改正前にも、騒音防止を目的としたアウトバーンにおける速度制限の取消訴訟で、

道路交通令が騒音防止も保護していると判示した判例がある。; BVerwG, Urt. v. 13. 12.

1979, BVerwGE 59, S. 221 (227f.).

24 BVerwG, Urt. v. 4. 6. 1986, BVerwGE 74, S. 234 (236).

25 Franz-Joseph Peine, Rechtsprobleme des Verkehrslärmschutzes, DÖV 1988, S. 937 (948).

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