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井波彫刻の伝統の現状と継承
河西 朋子 はじめに
信仰と木彫りの里と呼ばれるように井波彫刻は井波の町に深くかかわっている。初めて 井波に訪れたとき、多くの木彫刻の工房が軒を連ねていること、また道のあちこちに木彫 りの看板や置物などの木彫刻にあふれていることに目を引かれた。井波彫刻は井波の町を 代表する伝統工芸であることや、そこには長い歴史と伝統があることを知り、井波彫刻に かかわる職人の方に話を聞いてみたいと思った。そこで私は井波彫刻について調査するこ とに決めた。
調査では伝統工芸士として彫刻をしている職人や井波彫刻協同組合の職員の方を中心に 井波彫刻について聞き取りを行った。彫刻の需要低迷により職人の数が減少しているなど、
井波彫刻は昔のほうが活発だったという話をいくつも聞いた。そこで、変わりつつある井 波彫刻の伝統とは何か、また今後の井波彫刻の継承について職人の想いなどを中心にまと めていきたい。
写真1.三日町通りの家の表札 写真2.交通広場に置いてある猫の彫刻
152 1.井波彫刻の概要
井波彫刻の歴史について、『井波町史上巻』(井波町史編纂委員会、1970年)、『井波彫刻 協同組合公式ホームページ』を参考に以下述べていく。
井波彫刻は、欄間・獅子頭・天神様などの伝統工芸品を生み出し、彫刻産業で全国最大 規模の伝統工芸である。その井波彫刻には230 年余の歴史があるといわれる。まず、井波 は明徳元(1390)年本願寺五代綽如上人がその地に瑞泉寺を建立したことに始まり、以来、
井波は瑞泉寺の門前町として栄えてきた。瑞泉寺は幾度か焼失し、その都度再建された。
その火災で焼失した瑞泉寺再建のおり、本堂彫刻のために、本願寺より派遣された前川三 四郎から彫刻の技法を習ったのが井波彫刻の始まりといわれている。このとき技法を習っ たのは、井波の地元にもとから住んでいた大工たちであり、特に番匠屋九代七左衛門が有 名である。井波の彫刻は専業ではなく、大工との兼業で行われていたのであるが、その大 工たちが技術を受け継いで進化させ、今日の井波彫刻の基礎を築いた。堂塔建築の大工は ノミで渦を彫るが、それはそのまま荒彫りの彫刻にも通じていたようである。寛政4(1792)
年の瑞泉寺勅使門菊野門扉、両脇に彫刻した「獅子の子落とし」は、番匠屋七左衛門の代 表作で、狩野派風の図柄で浮き彫りの技法が駆使され、日本彫刻史上の傑作とされている。
以後、その門流が江戸時代末期頃まで主に寺社仏閣彫刻などの技法を競っていた。
明治時代に入ってから寺院欄間に工夫をこらして、新しい住宅用の井波欄間の形態が整 えられた。昭和に入ってからも寺社仏閣の彫刻は活発で、東本願寺・東京築地本願寺・日 光東照宮など全国各地の寺社・仏閣の彫刻が数多く手がけたが、それと並行して一般住宅 欄間・獅子頭・置物などにも力が注がれた。こうして、名工らの子孫によって受け継がれ てきた「井波彫刻」は時代のながれとともに豪華さを誇った寺社彫刻から民家の室内彫刻 へと移り変わっていった。なかでも住宅欄間は一時期主力となっていた。
昭和22(1947)年には井波彫刻協同組合が結成され、昭和 50(1975)年には通産大臣
より伝統工芸品の指定を受けた。そして現在では伝統工芸だけでなく、日展などへの作家 活動も盛んである。
過去250 年ほどにわたって培われてきた技術の集積がいま、伝統となって欄間をはじめ 獅子頭・天神様・衝立・パネルなどにうかがえる。現在、井波の町には 300 名近くの彫刻 師が居住し、通りには彫刻工房が軒を連ね、槌音を響かせている。
2.井波彫刻の伝統工芸士
井波には日展や中央・地方展にも出品せずに、ただひたすら伝統ある彫法を守り続ける 彫刻士がいる。彼らは井波彫刻の伝統である寺社彫刻のほか、住宅欄間・天神様に技能を 発揮している。
『伝統工芸士とは』(井波彫刻伝統工芸士会パンフレット)によると、伝統工芸士のこと
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が以下のように説明されている。伝統的工芸品は、その主要工程が手づくりで、高度の伝 統的技術によるものであるため、その習得には長い年月が必要とされる。しかし生活様式 の変化に伴って、伝統的工芸品の需要が低迷していることから、後継者の確保育成が難し いことが、業界全体の大きな課題となっている。この課題に対処するため、伝統的工芸品 産業振興協会では「若者にやりがいと目標を与える制度」の一環として、経済産業大臣指 定伝統的工芸品及び工芸用具又は工芸材料の製造に従事する者を対象に「伝統工芸士認定 試験」を実施した。合格した者を「伝統工芸士」として認定し、その社会的地位を高める ことにより、後継者対策・伝統的工芸品の質的向上に励むことを期待している。同時に、
優れた伝統的技術・技法を伝える指導者としての役割を果たし、産地復興にも役立つこと も期待されている。
一般的な伝統工芸士になるための応募資格は、12年の職人歴があることが目安であるが、
井波彫刻の伝統工芸士として認定されるには、井波の地で彫刻の技術を身につけ井波の彫 刻組合に入り、20年以上の職人歴が必要である。
写真 3 の伝統マークを使った伝統証紙が貼られている井波彫 刻は、経済産業大臣指定の伝統的工芸品である。お話をうかがっ た中には、井波彫刻はお客からの需要で成り立っているため、伝 統工芸士という称号がお客に宣伝やアピールになるという声が きかれた。そのため外から見える位置にこのマークを置いてある 工房も少なくない。また、観光客が欲しがるような手軽なお土産 品とは違って、井波彫刻は大量生産のできない、一品生産であり、
たとえ同じようなデザインの欄間だとしても寸法を変えたり、一 度図案を書きなおしたりしてつくるため同じ形の作品はない。一 品一品、伝統工芸士であるというプライドを持って一生懸命つく っているため、手軽なお土産品のようなものはつくりたくない
という人の声も聞くことができた。井波彫刻の伝統工芸士という称号にみな、誇りとプラ イドをもっておられるように感じた。
井波には現在29名の伝統工芸士がいるが、私はこの伝統工芸士を中心に聞き取り調査を 行った。その結果を以下でまとめていく。
3.職人の道具
井波の彫刻師はみな、とても多くのノミをもっている。道具について、井波の地で40年 彫刻刀などの道具の注文・販売を行っている店主の方から話をうかがった。井波の彫刻師 は、研いでもいなければ柄もついていない状態の刃物を購入して、自分で研いで使用して いる。柄の材料も自分で調達して自分で調節し、グリップの部分などを自分の好みに合わ せてつくる場合がほとんどである。刃には多くの種類があることに加え、同じ刃であって
写真3.伝統のマーク
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も研ぎ方を変えることにより使い道がずいぶん違ってくるそうで、結局何本もの彫刻刀を 使い分け、大量のノミを所有することになるという。たとえば、写真 2 のように、同じ形 の刃でも、その刃の内側がくぼんでいるか、外側がくぼんでいるかによってそれぞれ、内 丸、外丸と区別される。また、同じ 4分(12㍉)というサイズの刃でも、7種類の刃の深 さ(極々浅丸、極浅丸、中浅丸、浅丸、中深丸、深丸、極深丸)×2種類(内丸、外丸)×
2種類(仕上げノミ、たたきノミ)で、合計すると 28種類になる。仕上げノミとは仕上げ の段階で使う主に削る細かい作業をするノミで、たたきノミとは、トンカチを使ってたた きながら荒彫りをするときに主に使うノミである。サイズは3厘から1寸5分まで19個あ り、それぞれのサイズに 28 種類ずつあるため、すべてをそろえている人はそういないが、
それでもとても多くの数になることがわかった。
私のような素人からしたら少しくらいの刃の違いなど彫る上で変わらないのではないか と思われるが、「実際に職人としてやってみると違うものなのだよ」と言われ、職人のすご さを感じた。また、同じ一本のノミでも使い続けると刃の長さが短くなってしまって、新 しくすることもあるようで、何十年もやっている人は同じ種類の刃物を何本かもっている こともあるそうだ。つくる作品や、その時々の工程によって使うノミを使い分けており、
普段はたたきノミと仕上げノミで分けたりなど、職人がわかりやすい分け方で分けて保管
写真4. 内丸(左)と外丸(右)のノミ 写真5. 匠雲堂に店先にあるノミの一部
写真6.ある職人のノミの引き出しのうちの一段 写真7.作業中の机の上