掘 立柱建 物 を
6棟
以上検 出 したが,い
ず れ も全体 の規模がわ か らない。SBl129 は,SBl130よ
り新 しく,す
べ ての柱穴 に柱根が残 って いた。発掘 区中央部は広 場 とな ってお り,井
戸SEl122が
掘 られ て い る。SEl122は , 5段
以上 のせ い ろ う組 み井 戸枠 をも っていた。 井戸の南側 には,不
規 則 な形 を した浅 い土羨 がほ ら れて い る。 少量の上器が出上 した。第11図
左京 五条 一坊四・ 五坪 遺 構図
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X 左京八条三坊の発掘調査 (第 93次
)この調査は
,奈
良県 が奈 良市東 九条町宇 姫寺 に計画 した西 売 間 団地建設 予定地 の事 前調査 で ある。 この地域は,平
城京 の東市 を一 部含 んで いる。調査 は まず 予備調査 と して
,敷
地 全域 の残存 状況 を確 か め るために,幅
5紀,長 さ 100紀 以上の 試掘 トレンチ を
,東
西 に1本,南
北 に2本
いれた。 その結果, 高低の ある この地 の地 形 は,岩
井川 の氾濫 に よ り上砂 が堆 積 した もので ある こ と が判 明す る とともに,礎
石 列 をは じめ多 くの掘立柱建 物,数
条 の濤 を確 認 す る こ とがで きた。 この所 見 をも とに して,ひ
きつ づ き南辺 の 小路 をふ くんで,左
京 八 条三坊 の九坪 を中心 に本 格的 な調査 を実施 した。 その結果,東
市 が これ までの文 献上 か らす る と推定通 りこの地 域 に所 在す る可能 性 が強 い こ とを推定 させ る こ と に な った。礎石 列の発見 された寺跡,お
よび東市遺 構にふ くまれ る地 域 の調査 は ひ きつづ きこの後 に行われるが,以
下 概略 これ までの成果 を記 して お きたい。1
遺構
奈 良 時代条坊 に関す るお もな遺構 には南北 お よび東西 小路
,東
市北辺 をめ ぐる 濤,堀
河,寺
院 跡 が あ る。 この うち堀河 と寺 院跡 につ いて は 今回は じめ て所在 があき らかに された。
小
路
発掘 区の東 寄 りに九・ 十六 坪 を区画す る南北 小路90η を検 出 した。
小路幅
42程
あ り,東
西 に側 濤 をもつ。東 側濤(幅
2■,深
さ 0.4協 )が大 き く, 西 側濤 をふ くめて道 路幅 員は 6η(2丈
)あ る。南北 小路は発掘 区の東南部分 で 東 西小 路 と交 又す る。 九 。十 坪 を区画す る東 西小路 は55η を検 出 した。 南北 に側 濤 を ともな う東 西小路 の規模 は南北小 路 とほぼ 等 しいが,南
側濤 (輻 3糊,深
さ1,5靱 )は東市 の北辺 を画す るた めに特 に大 きい。 この南側濤 は交 又点 で
,南
北小路 下 を木製暗 渠
(S X02)で
通す。 なお南側 濤 か らは木簡・ 紙・ 布・ 漆 器・ 銅 銭 な どをは じめ とす る多量 の遺物 が出土 した。九
坪
東 西 お よび南北 小路 と堀 河 に か こまれ た九坪 で は
,坪
内に南北 小路 に沿 った幅 lη の濤 がめ ぐる。 南辺は一 部途 切れ るが東 辺には門よ うの施設CSB‑31‑
28)が開 く。 この 内方 に掘 立柱建 物36棟 ・ 井 戸
3基
・ 塀3条
・ 濤・ 土羨 その他 が あ る。 各遺構は重複関係 な どか ら3期
以 上 の変遷 が認 め られ る。 建 物は その規 模 か ら4通
りの ものが ある。 その とはSB・ 36・SB31・SB29で南半 分に ある。 いず れ も東 西棟 で,
うち SB36・SB29は
北廂 をもつ。 主屋的 な もの とみ られる。 その2 は3×2間
の規模で柱間寸法 が5尺
〜8尺
の小型建物で ほぼ全 域にわ た り,そ
の数 も多 く
,南
北棟 建物 を主 とす るこ とが特徴で ある。 その3はlXl間
あるいは2X2間
の柱間寸法 が5〜 8尺
の正方形 小型建物で あ る。5棟
あ り,東
半 部に集 中す る。 そ の4は発掘 区西北隅 に ある3X3間
の建物で ある。 柱掘方が きわ めて 大 き い こ と,北
側 の七条 大路 と西側 の堀 河 に接 した位 置 に あるこ ととを併せ て特 別 な楼 風建 物 とみ られ る。 井 戸3基
の うちSEol(1辺
0。 7η,深
さ 1.5紡 )は 縦板組で,SEo3(1辺
0.9η,深
さ 1.8紀 )は 横板井籠組みで ある。十
坪
東市 内に あ り
,こ
れの北東隅 に あた る。 検 出 した遺構は建物1棟
,東西 濤
,土
羨の ほ か,小
柱 穴多数 が あ る。 しか し,今
回の調 査範 囲では外周 をめ ぐる塀,築
地 な どの痕 跡 はみ いだ していな い。十六 坪
建 物
3棟 (SB03・ 44045)お
よび塀(SAo4・ 05・06),橋 (SX01),
南北小 路東 側濤 に注 ぐ東 西濤
2条
な どがあ る。堀
河
今回検 出 した堀河は
,幅
約132,深
さ約1.52(遺
構 検 出 面)の規 模 を もつ。 発掘 の結果,当
初,素
掘 の堀河 で あった もの を,そ
の後,杭
と平 板 を 組 み合 わせ た シガ ラ ミ状 の施設 で,護
岸 工事 を行 な って い る ことが判 明 した。 多 量 に 出上 した遺 物は,護
岸 施設 以後 の もので ある。 この改 修 工事 の時期 は,出
土 遺 物 の年代 か ら奈 良時 代後半 と考 え られ る。 遺 物の多 くは,土
器類 が大半 を占め, 若子 の瓦類・ 木器・ 木簡 が 出土 した。 また,土
馬 。人 面土 器 。人形 とい った 祭 祀 的 色彩 を もつ遺 物 も多 くみ られた。 こ う した遺物 が堀 河 とい った用水施設 か ら多 量 に出土 した点で注 目す べ きで あろ う。 なお,出
土 土器 の うち,完
形 品が奈 良 末 か ら平安時代初期 の もの が多 く,そ
れ以前 の ものが破片で検 出 され る傾 向に ある。この事実 は
,堀
河 の清掃 が定期的に行わ れて いた こ とを示す と同時 に,平
城京 の 廃 絶 と ともに,そ
の交通 の用 が衰退 し,堀
河 も廃絶 した と推定 され る。トレンチ
一 ―」
堀 河
頑目
Se46第12図 一 鶴 一
♀ … 1 lP 1 2Pm
の断 面か ら判断す る と
,堀
河 の部分にの み岩 井川 の氾濫 に よる堆 積 がみ られ,そ
の痕跡 が かな り後 まで残 っていたのでは ない か と思われ る。 佐保川 と大和 川 を結 ぶ運河 と しての機能 をもったこの堀河 の追跡調査 は
,今
後 の差 し迫 った重要 な課 題 とい えよ う。十五 坪
東西 小路南側濡 に接 した塀
(SAo7),こ
の南側 に東西方 向に並 ぶ礎 石3個 (SB46),礎
石南側 に広 が る瓦散布 面がある。 礎石 列は東 西2間
で柱 間 2.4翻(8尺 ),南
北 1間で3.0翻 (10尺 )あ る。 瓦散布面 か らは奈 良時 代 の瓦 と ともに飛鳥時 代,奈
良前期 の軒 瓦 が出上 して お り,十
五坪 が寺 院跡 で あるこ とが 確 認 され る とともに,寺
院 の主要 部分 が調査地域 の南 に接 して あ る天 神社付近 にあ るこ とが推 測 され た。
2
遺物
今回の調査 地域 か ら多数 の遺物 が出土 してい る。 遺物 はお もに東 市北 側濤
,堀
河
,井
戸 SEo ⅢSEo3か
ら出上 した。③ 東市 北 側 溝
濤堆 積 層の奈 良時 代遺物 と しては以下 の もの が ある。
本簡
重要 な ものに「 コ東宮青 奈
直 □匠 」
,「
進 上駄 一匹 功四束 匠 」,「 □□国 匡 。□ □里 別公小足 戸 匠 」が ある。 計
17点
(う ち削片2)
土器類
土師器・ 須 恵器多数。 施釉陶 器
(灰
釉 片・ 三彩釉 片)2点
。 墨書 土器と して 〔コロ何都麻 之之□ 匡 一土師器杯 〕・ 〔土寺 ―土師器杯 〕。〔麻□ ―須恵 器鉄 鉢 〕・ 〔垣 一土師器 皿 〕な どのほ かに記 号的 な もの を含 めて
12,人
面 上器1, 土 馬4が
ある。 また,上
師器 杯,須
恵器 壷 な どに漆 の付着 した ものが相 当数 あ るこ ととま茫上目さオ彬る。
本製 品
挽物
(盆 )1,漆
器(匙 )1,曲
物 片・ 下 駄1,櫛 7,か
ん ざ し2,へ らと刷毛
10,削
りかけ 。人形1,人
物 画 の ある板2が
ある。そ の他
布 片
(絹
・ 麻),紙
片,皮
革片,金
属製 品 と して和 同開務19,帯
金 具ndヽ
型 銅 鏡2,銅
薄 板1,銅
釘1,鉄
釘10な どが あ り,ほ
かに るつば 片,砥
石片 が ある。
① 堀
河
お も な出土遺物 と して以下の よ うな ものが ある。
本
簡
「 コ百 七十 支
□匠 」
,「
コロロ料 酒一斗三升 コ九年 九 月十 五 日 」,「 符
民使
彼 在 匠 」
土 器類
土 師器・ 須恵器 多数。 施釉陶器 片
(緑
釉・ 三彩釉 )。 墨書土器 として〔大福 ―須恵器 〕〔佐 一須恵器杯 〕な どのほか
,記
号的 な もの を含 めて29,人
面 上器14,硯 2,土
馬47,上
錘1があ る。 いず れ も奈 良末 か ら平安 初頭 にか けて のものが主 体 で あ る。
木製 品
挽物 (高杯
1,皿 1),漆
器片,曲
物3,杓
子3,人
形。金 属製 品
鋳 造 関係遺 物 と ともに鋳 放 しの和 同開弥
3,和
同開務12,神
功 開宝4,帯
金 具8,銅
鈴1,海
老錠1,鉄
斧1,刀
子1,鉄
製 工具 柄1,鉄
釘6があ り,ほ
かに鋳型破 片1,ス
ラグ,ガ
ラス玉4が
出土 した。 なか で も鋳 放 しの和 同 開弥 は きわめて めず らしい例 で鋳 造 関係遺物 とともに注 目され る。瓦
類
軒 丸瓦
(6135・ 6225A。 6284)4点
軒 平 瓦
(6691A・ 6721)3点
③ 井
戸
SEol・ o3か
らも多数 の奈良時代7土
器 が 出土 したが,こ
の うちSE01か
らは完形 の漆器(壷 )が
出土 した。③ その他 の地 域
このほかに も九坪 か らは奈 良時 代の軒瓦が出上 し
,ま
た15坪 内礎石列 お よび瓦散 布 地域 周 囲 を中心 に飛鳥時 代軒 丸瓦
(単
弁8弁 ,単
弁10弁
各3点
), 奈 良前期 の軒 丸瓦14点,軒
平瓦22点 が出上 した。 このほ か に丼戸SEo3の
南 西 にある円形の ピッ トか ら弥生 式上器
(第 V様
式 )約15点 が一 括 で出上 してい る。して い る。
3
小結
九
坪
今 回 の調 査 で坪 の 中央 を南 北 に通 る堀 河 が みつ か っ た こ とか ら
,こ
の坪 は大 き く東 半 と西 半 に 分 け られ
,南
北 に長 い 区画 で あ り,ま
た南 北 小路 の 間 │ には幅 6η の建物 のない空間地的 なものがおかれているこ とがわかった。 外周 を 囲 う施設 としては南面の塀列があ り,東
辺に小路に面 して門を開 く。 内方の建物 配置は大型建物が南半に集中 し,北
半部に小型建物が比較的多 く,さ
らに東半部‑35‑
靴 囃 施 鵜 期 江 射 範 嚇
一 眈 査 務 ィ こ
潜 尉 棘 訥 つ き
瞬 る 舅 沖 o
間 た と 上
︐ り
三 の そ 十 果 に 調 れ 地 ほ 測 は 名 れ J に る
朗 ψ 従 る ︒
鮒 献 憩 嶋 縣 一 濯 畿 内
の ら の る 推 は の わ 寺 連 あ
坪 分 く こ え と て 寺 い 光 関 で 物 れ す せ 来 国 の で て よ 分 役 五 部 つ o
み る い 姫 と 金 の 実 建 さ 接 さ 従 o
模 坪 査 し に 半 な 十 要 て る が た つ も 神 姫 と 事
︐ 用 北 え
︐ う 相 四 調 示 掘 東 要 て 主 け れ 字 あ に で り 市 市 な ろ 使 に 考 は ろ の
籍 を 発 の 重 め は か ら の に 来 か 守 F
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