−実験経済学的分析−
鈴木久美 (山形県立米沢女子短期大学社会情報学科) 松八重泰輔 (早稲田大学経済学研究科博士課程)
佐藤綾野 (新潟産業大学経済学部)
1.はじめに
近年目覚しい経済成長を遂げている中国の金融制度改革は,計画経済から市 場経済への移行に当たって,急激な方式ではなく漸進的に進められてきた.岡 埼(2007)によると大きく3段階に分割できるとされる.第1段階は1978〜1990年 代初頭までであり,それまで中国人民銀行が中央銀行と商業銀行の双方の機能 を果たしてきたが,この時期モノバンクシステムからの脱却を果たし,株式制 商業銀行や証券市場が設立された.第2段階は1993〜1997年であり,社会主義市 場経済という概念が明確となった.また銀行の商業化の動きが強まり,商業銀 行と政策銀行が分岐していった.また法的にも1995年商業銀行法や中央銀行法 が整備された.金融市場においても改革が進み,インターバンク市場や外為市 場の統一も行なれた.そして第3段階が1997年以降現在にいたるまでであり,ア ジア通貨危機をきっかけに,本格的な不良債権処理,4大国有商業銀行,すな わち中国工商銀行,中国農業銀行,中国銀行,中国建設銀行の株式制への再編,
および金融監督体制の強化に乗り出した1.
しかしながら,1978年から30年にわたる中国経済改革全体からすると,市場 経済の浸透,所有権の多様化には明らかな進展が見られるものの,中国全体の 貸出総額の割合が約60%に達する4大銀行を中心とする金融システムは依然と して寡占的な状況にあり,その改革の遅延が指摘される.4大銀行は,金融機関 である前に政府機関としての役割が強く,所有権と行政管理件が政府行政部門 に集中している状況の下,自らの経営管理,債務に対する責任を負わず,経営 赤字も財政支出によって賄われていた2.
アジア通貨危機後2005年以降現在まで,中国農業銀行以外の4大銀行は資本再 編のため,多額の公的資本注入により次々と株式市場に上場し内外の管理体制
の強化を図ってきた.しかしながら,優遇税制がかなり活用されており,2006 年4月の国際通貨基金(IMF)報告書では,「中国四大銀行は大規模な改革を 行ってきたが,融資を行う際のリスクに鈍感であり,商業ベースで経営がなさ れているとはいいがたい.より根本的な革新が必要である」としている.また 2006年12月には外資銀行への規制を2001年のWTO加盟時に約束どおり実行した.
しかし中国企業のバランスシートの信憑性が低いため,現時点においては外国 銀行が中国国有銀行に対して圧倒的に優位であるとは言いがたい状況である.
そこで本稿では,中国国有商業銀行の改革移行期に着目し,金融市場の本格 的な競争化にともない,健全かつ競争力のある銀行システムの構築を目的とす る3.具体的には,中国政府から国有商業銀行への赤字補填が,融資の効率性,
リスク管理能力の向上など経営努力に影響を与えるかについて実験を行う.
本稿の貢献は,第一に補助金があるか否かは,銀行の経営努力に大きな影響 を与えない点を指摘した.第二に,単純な民営化よりも,国有化のまま補助金 が努力のインセンティブになるメカニズムを作ることを必要性を示唆している.
本稿の構成は以下の通りである.次節では本稿で検証する中国の金融改革を,
ゲーム理論を用いてモデル化する.第4節では,第2節の理論をベースに実験モ デルとして記述し,その結果を示した.最終節は本稿の結論部である.
2.モデル
この節で, 前節までで考察してきた中国政府による金融改革を単純化した理 論モデルで理論上の考察をおこない,それに具体的な数値をいれ理論上の推察 をおこなう.
最初に理論モデルを記述する.各プレイヤー である銀行は,可能努力集合 をもつ.これは一般的な経営努力をさしている. は非負の実数の集合である とする.混乱が無い限り,各プレイヤーは銀行と呼ぶことにする.銀行は,可 能努力集合の中から,最適なものを選択する.努力に依存した成功確率 は 所与であるとする.この成功確率は努力の増加函数である.つまり,努力を増 加させれば,この確率は増加する.成功確率とは,大雑把に言うと,経営状態 がよくなる確率を指している.成功したときに国から与えられる報酬は, と する.これは,任意の努力に対してようした費用以上であるとする.努力費用 は,経済学の一般的な仮定を満たしているとする4.政府は努力に依存せ ず,一定の補助金 をあたえる.われわれは,単純化のために補助金があたえ られた銀行を国営銀行,補助金を与えられないで独自で経営をおこなわすこと を民営銀行と呼ぶこともある.
このモデルの状況は次の通りである.
1. このゲームは1回限りのゲームである.
2. 他の国営銀行の行動は,自分の利得には依存しない.
3. 国営銀行 の努力水準 を増加させると,成功確率 が上がる.
4. 成功したときの報酬 は努力水準には依存せず,一定でありかつ,成功 報酬は任意の努力 に対する費用 以上であるとする.
5. 努力水準を増加させると,それに伴って努力費用が増加する.
このときの補助金 G が与えられている銀行i(国営銀行)の期待利得は,
つまり,各国営銀行iは,次のような問題を解いて,自分たちの最適行動を決定 する.
. この問題を解くと,
となるような が均衡点となる.
補助金Gを与えられていない銀行i(民営銀行)の期待利得は,
つまり,各民営銀行iは,次のような問題を解くことになる.
. この問題を解くと,
となるような が均衡点となる.
命題
両方のケースの均衡条件によると, になる.
つまり補助金の有無は均衡努力水準になんの影響も与えないことがわかる.こ の事実は,このモデルにおける一般的な性質である
3.実験モデル
われわれは,この理論の実験を行うために,モデルをつぎのように特定化す る.
z 離散的な努力可能水準
z 成功確率 z 成功報酬
z 努力費用 z 補助金 G=10.
この特定化のもとで,国営銀行iの期待利得は,
問題は,
また,民営銀行iの期待利得は,
問題は,
この期待効用は線形であるので簡単に解くことが可能である.
傾きが負であるので, 国営銀行の努力水準は が最適努力水準となる.
上記の一般的なケースでも論じたように,補助金有無は均衡点は何の影響も与 えない.つまり民営銀行の努力水準は が最適な努力水準である.
実験モデルからわかることは,
z 補助金は,努力水準に何の影響も与えない.
z 特定化したモデルにおいて,最適努力水準は0である.
つまり,実際に実験するために設定した特定のモデルと一般的な理論モデル ともに,努力水準は補助金が出ている国営銀行と補助金のない民営化銀行の間 に差がないことがわかる.
4.実験
実験は,2007年3月9日に中国・北京にある早稲田大学北京オフィスのコンピ ュータルームにて実験を2回行った5.被験者は,中国人民大学財経学院金融学専 攻の大学院生20名であり,各回の参加者は10名である.1回目の実験に参加した 10名をグループ1,2回目の実験に参加した10名をグループ2とする.実験は,政 府が補助金を与える政策を採用している場合(以下,補助金あり政策と呼ぶ)
と政府が補助金を与えない政策を採用している場合(以下,補助金なし政策と 呼ぶ),各10回ずつの選択であり,実験所要時間は75分,平均獲得金額は46.2 人民元(約740円)である6.使用したソフトウェアは,z-Treeである.
4.1 実験デザイン
実験は,まず,政府の政策(国営銀行政策か民営銀行政策)について全被験 者に知らされる7.続いて,各被験者は,0から10の中から整数の範囲で努力水準
(e)を1つ選択する.各被験者が選択した努力水準に関連して,各被験者の費 用が決定する.
次に,努力水準に関連して,各被験者が成功報酬, を得る確率が決定す る.続いて,各被験者が得る報酬(R)が決定する.成功報酬( )が得ら れない場合の報酬はゼロである.
民営銀行の場合は,以上の合計値が獲得利益となり,国営銀行の場合は,民 営銀行の場合の獲得利益に加えて,一律10だけ配分される.
各被験者には,選択が終了するごとに,自分が選んだ努力水準,その時のコ スト, を獲得する確率,実際に獲得した報酬 R,補助金額およびその選択 によって最終的に得られた利得がコンピュータ画面を通して知らされる.これ を政策ごとに 10 回選択を行ってもらった8.毎回報酬をもらうことにより,極 力繰り返し効果を避けた.
つまり,一回限りの意志決定問題に近い状況をつくった.これを政策ごとに 10 回選択を行ってもらった9.
4.2 実験の結果
結果1 努力水準の平均値は,理論値のゼロとは異なり,正の値をとる.
実験全体での努力水準は,理論から求められた値はゼロである.努力水準の 平均値は,以下の表1に示すとおりであり,グループ1,グループ2とも,補助金 政策やセッションを行う順番によって多少差はあるものの正の値である.また,
これらの値は,統計的にゼロとは有意に異なる.
個別の努力水準の平均値も,ゼロとは有意に異なり,正の値をとることが多 い.セッション1,セッション2ともにゼロと有意に異ならない努力水準を選択 したのは1名だけであった.結果は,表2に示すとおりである.
表1 全実験・セッションについての努力水準の平均値
補助金がある場合 補助金がない場合 全選択 グループ1の努力水準の
平均値
3.710 2.820 3.265 グループ2の努力水準の
平均値
4.890 4.070 4.480