(1)金融セクター主導型経済への移行
第二次大戦と戦後の冷戦体制のもとでアメリカは,軍事技術開発に集中 できたのでハイテク産業が大いに発展した。もちろん,軍事技術開発を中 心とするものであったので,アメリカ経済は長きにわたり停滞した。
1920年代以来の好景気に沸いたのは,インターネットが普及した1990年 代に入ってからのことである。
ハイテク産業の生産力段階に突入すると,その成果が実体経済に導入さ れるプロセス・イノベーションが進展した。いわゆるIT革命である。一方 で,ハイテク技術が金融セクターにも投入され,さまざまな新金融商品が 開発されるようになった。
こうして,1990年代に入ると利潤獲得機会の主要部面は,実体経済から 金融セクターに転化した。金融資本により多くの利潤機会を提供するため に,徹底的な金融規制の緩和・撤廃がおこなわれた。
こうして,1990年代後半のアメリカの株式バブル,2000年代初頭の住宅・
金融資産バブルによって,金融市場は未曽有の活況を呈した。個人消費も 拡大して,景気は大いに高揚した。ここで重要なことは,実体経済主導型 と金融セクター主導型の景気の高揚には,質的に大きな断絶があるという ことである。
実体経済というのは,財やサービスなどを提供するセクターなので,そ の高揚には,おのずと限界がある。いくら活況期であったとしても,無制 限に設備投資はおこなわれない。アメリカの金融バブル最盛期に新車は 1600万台売れたが,3000万台や4000万台の生産能力を持つようになるまで の設備投資はおこなわれなかった。
(2)金融セクターの肥大化メカニズム
実体経済とは違って,金融セクターは,二つの要因で,とりあえず,い くらでも金融取引を増やすことができる。
それは,一つは,実体経済と同じように,膨大な研究・開発費が必要で あるが,それを商品化し販売するための設備は実体経済からすればゼロに 等しいくらい少なくてすむからである。プログラムを作る設備とか,世界 的な通信設備などがあれば十分である。
ただ,金融セクターで利潤をあげるには,金融商品の高い組成能力と販 売能力を持つ人材がカギとなるので,実体経済と比べて人件費はきわめて 高い。
もう一つは,金融セクターは,実体経済から完全に自立して肥大化する ことはできないが,実体経済と比べると比較にならないくらい肥大化する。
資産(金融)バブルが崩壊すると深刻な金融危機に見舞われるのはそのた めである。
たとえば,世界の外国為替の取引規模は1日400兆円だし,デリバティブ 取引の規模は兆の上の京である。
金融商品のヘッジ手段であるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)
の取引規模は,資産バブル最盛期には7000兆円もの規模に達した。世界の GDP総額5000兆円をはるかに超えた。保有する金融商品のヘッジではな く,さまざまな金融商品を対象にして,暴落したら暴落した分の儲け,暴 落しなければ手数料の儲けという,「賭け」の対象にする取引が急膨張した からである。
天文学的規模にまで膨れ上がった金融セクターは,必ず強制的かつ暴力 的に大収縮を迫られる。さまざまな金融商品を使って一種の「バクチ」を 打ったツケが回ってくるのである。金融資本は,損失をなんとしても減ら そうとして金融商品を投げ売りする。
こうして,いったん収縮をはじめたら,金融資本は,膨大な損失を抱え
ることになる。実体経済の恐慌と違って,金融資本が天文学的規模の損失 を抱えるのはそのためである。
2 「日本化」を懸念する欧米
(1)「日本化」とは
2011年の年末,ある新聞に「日本の『欧州化』懸念」という記事が掲っ た。この記事は,マーケットでは「(政府の)債務危機と経済悪化の負の連 鎖に苦しむ“欧州化”が日本でも進みかねない」との警戒感が強まってい る,と報じていた。
もちろん,この見方は誤ったものではない。2009年秋に発覚したギリシ ャの粉飾財政からはじまる欧州債務危機の連鎖で,重債務国で景気の悪化 が進んでおり,日本はそうなってはならないという主張なので,正論であ る。
ところが,世界がもっとも警戒し,なんとしても回避しなければと思っ ているのは,「日本の『欧州化』」ではなく,いわゆる「日本化」の「世界 化」である。
天文学的な財政赤字が累積し,深刻なデフレに見舞われ,景気が長期に わたって低迷するというのが,欧米のエコノミストらが指摘する「日本化」
である。
日本では1980年代末に不動産バブルが崩壊すると,銀行が100兆円もの 損失を抱えて金縛りに見舞われた。
景気が冷え込み経済危機に陥ったので,景気テコ入れのために膨大な財 政出動が繰り返しおこなわれた。その後,銀行危機に見舞われ,同時に起 こった経済危機への対応にも財政出動が使われ,深刻な財政危機に陥った。
その結果,1929年の世界恐慌以来,世界で唯一というデフレ状態に陥った。
世界は,この「日本化」に陥ることをもっとも警戒している。欧米諸国 が,財政破綻の連鎖から起こる「世界恐慌」を防ぐために,財政赤字圧縮
に舵を切りつつあるのは,そのためである。
「日本化(Japanization)」という言葉が海外のメディアをにぎわせるよう になったのは,2011年の夏ごろからである。
たとえば,英経済誌「エコノミスト」8)は,日本でもかなり話題となっ た。表紙をかざったのがなんと和服姿の米オバマ大統領と着物姿の独メル ケル首相だったからである。ご丁寧にもメルケル首相は日本髪姿を結って いた。
表紙には,「進む日本化―借金,デフォルト(債務不履行),麻痺しは じめた欧米の政治」という見出しが付けられていた。
「エコノミスト」の記事は,次のようなものである。
「オバマ大統領もメルケル首相も,財政赤字の削減やユーロの危機への対 応で,痛みをともなう決断を避け続けている。こうしたことは,何もはじ めてのことではない。
日本で1990年代初頭にバブルが崩壊して以来,政治家は,問題を先送り し続けてきた。欧米諸国で同じようなことがおこなわれれば,日本以上に 深刻な事態となる。欧米の政治家は,このような前例を忘れてはいけない。」
「エコノミスト」は,日本のように政治家が問題の先送りをすれば,欧米 諸国も日本の「失われた20年」のようになると警告を発したのである。
「日本化」の英語としては,“Japanification”という言い方もされるが,
これは,日本の文化などの場合に使われているようである。ここでいう経 済の「日本化」には,Japanizationが使われる。
「エコノミスト」に限らず,2011年夏は,「フォーブス」(7月29日),「ア ジア・ウォール・ストリート・ジャーナル」(8月15日),「フィナンシャ ル・タイムズ」(8月20日)などが相次いで「日本化」を取り上げた。
それは,当時,ギリシャ危機の深刻化やアメリカの債務上限の引き上げ をめぐる米議会の与野党の攻防などで,欧米のマーケットの先行きに暗雲 が垂れこめてきたからである。
8)“Economist”, 30. July. 2011
「フォーブス」は,「日本化」というのは,リーマン・ショックのような パニックではなく,日本の「失われた20年」のように,経済停滞が長期 化することであるという。
「日本化」を実証する研究結果
C. R. ラインハート&K. S. ロゴフは,著書「国家は破綻する」で,次の ように,興味深い過去の実証研究結果をあきらかにした9)。
「現代の経済は高度な金融システムに依存しており,銀行部門が機能不全 に陥ると,経済成長にただちに影響がおよび,ひどいときには経済活動は 麻痺してしまう。
……銀行危機に陥った国が金融システムの修復に失敗すると,(たとえば 1990年代の日本のように)リセッションから抜け出したかと思うとまた落 ち込むことを繰り返し,潜在成長率を下回る状況が何年も続くのも,この ためである」。
しかも,「中央政府の債務は,(銀行)危機後3年間で,実質ベースで平 均して約86%増大した」。しかし,それは,「銀行システムの救済コストと 資本増強」によるものではなく,「生産の大幅な落ち込みが長引けば,税収 が大幅に減るのは避けられない」からである。
「国によっては,景気刺激を意図した財政政策をとったために政府債務が 積み上がることもある」が,「その代表例が1990年代の日本である」とい う。
このように財政赤字が膨れ上がれば,経済成長は止まってしまうという のである。すでに「30年」目に突入している日本の「失われた20年」は,
この実証研究の結果通に進んでいる。
景気が悪くなると税収が減り,景気のてこ入れのために財政出動を迫ら れるので,財政赤字がさらに膨れ上がり,ますます成長の足枷になるとい うことである。これをわれわれは,「財政赤字削減のジレンマ」と呼ぶ。
9) C. R. ラインハート&K. S. ロゴフ著,村井章子訳「国家は破綻する」日経BP社,2011年