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不確実性(Uncertainty)の生起

ドキュメント内 修 士 論 文 (専攻分野 (ページ 35-46)

前述のように、ハーマンスが「対話的自己」という概念を提起する背景には、グローバ リゼーションの発展がもたらす多文化的状況の一般化がある。また、「意味メカニズム」

としてのメディアは、新たな意味システムの構成を可能にするのみならず、世界中の意味 システムの分化をも促している。それによって、文化の複雑化がいっそう加速されている。

こういった多文化的状況の背景にあるグローバリゼーションの加速と技術の進展によ って、多くの不確実性の生起が起きている。ハーマンス(2001)は、グローバリゼーシ ョンの加速と技術の進展に巻き込まれる人間の特徴が三つあると指摘している。第一に、

大量な集団や文化に所属していることによって、自己は、高密度をもつポジションズによ って形成されている。第二に、それらのポジションは比較的異質なものである。第三に、

そういう状況において、自己は、前例のない大きな“ポジション・リープス(position leaps)

15”をしなければならないという。

このようなポジションの密度と異質性の増加、およびより大きい“ポジション・リープ ス”をする可能性の増大が、不確実性という経験の原因のひとつとなっていると、ハーマ ンスは指摘している。

不確実性について、ハーマンスは、それを今後の課題として論じている。彼によれば、

不確実性に関して、まだいくつかの問題が残っている。たとえば、どんな状況において、

人は不確実性を感じるか。そして彼・彼女たちはどのように対応しているか。これらの問

15 ポジション・リープスとは、離れたポジションズの間を移動することである。

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題について、ハーマンスは明確に答えていないが、ひとつの研究の方向性が提示されてい る。すなわち、不確実性は本来、文化の中心にあるわけではなく、文化の周辺、文化間の 接触区域(contact zones)にあるのである。

これまでは、ハーマンスが提案している「対話的自己」に関する諸概念、諸特徴につい て説明してきた。彼によれば、このような対話的関係は、個人が誕生したときから始まっ たという。そして、個々人が生活している現代社会におけるグローバリゼーションの加速 や、技術、メディアの発展に従って、多文化の状況や自己における意味システムの形成は、

一層複雑になっている。こういった状況にあるからこそ、自己や文化、メディアを開放的 かつ分散的に把握する必要があるのではないだろうか。

ハーマンスはわれわれに、このような視座を提供しているが、そこに、また展開の不十 分な部分や未解決な問題が残っている。まず、個人は「自己」について物語るとき(すな わち、自己定義を行うとき)、どのような基準でポジションを支持/抑制しているか、どの ような基準で対話を認可/排除しているかという問題がある。第二に、どの程度、どのよ うな状況や時間の変化が、ポジションの劇的動きをもたらすか。自己は、自己空間におけ る劇的変化にどう対応するか。第三に、新しいポジションの侵入・生成が起きる場合、自 己は、それに対して、どのように声を付与するか。第四に、どのような状況において、不 確実性が生起するか。そして個々人は不確実性にどう対応するか。ハーマンスの理論には、

少なくとも、この四つの疑問を投ずることができる。これらの疑問を解決するため、新た な理論枠組みの構成が求められている。

次節は、自己物語論と対話的自己論の接点(二つの理論の共通点)に基づき、二つの理 論の知見を部分的に組み合わせ、お互いの視点を補充し、新たな理論を抽出することを試 みる。

第四節 分散的自己の物語的形成――理論枠組みの構成へ

本節では、「分散的自己」という視座を提供する対話的自己論の図式を、社会学的自己 論のひとつの視点、すなわち自己物語論に導入する。その目的は、二つある。第一に、対 話的自己論の図式における未解決の問題を自己物語論の示唆で解決しようとすること。第 二に、現在の自己物語論よりミクロの視点で、自己そのものの構造やそこにおける自己物 語の編成を捉えることである。この新たな視点を、「分散的自己の物語的形成」と呼びた い。

1. 新しい視点構成の可能性と必要性

視点を構成するまえに、まずは二つの理論を組み合わせる可能性と必要性を検討しよう。

1)前述のように、文化心理学的アプローチと社会学的自己論という視座との間には、

自己に対する共有な認識がある。文化心理学的アプローチは、文化的自己観、すなわち、

ある文化において歴史的に形成され、社会的に共有され自己、あるいは人一般についての モデル、通念、あるいは、前提に焦点を当てている。その文化的自己観は、社会的表象で あり、個人的・認知的表象である必要はない(北山,1997)。その点は浅野が提案してい る社会学的自己物語論とは、共通な前提がある。つまり、社会学的視座からすると、自己 とは、社会的な存在として捉えられ、他者に共有されるものである。そのような自己観も、

個人的・認知的表象より、社会的表象に関心を持っているということである。

2)二つの理論を同時に導入する際、理論間の接点が要求されている。対話的自己論と 自己物語論の間に、少なくとも、以下の二つの接点がある。

まず、両者の「自己」に対する基本的な認識の底には、共通する部分がある。ハーマン スによれば、自己は、相関的かつ自主的ポジションズの活発な多様性に基づいて定義され ている。それらのポジションは、特定の状況・時点では、対話的関係性に関わることがあ る。一方、浅野によれば、自己は、自分自身について物語ることを通して生み出されると いう。簡単にいうと、対話的自己論も、自己物語論も、語的関係性を通じて、自己が形成 されているということを認めている。さらに、浅野は、自己物語がいつでも「語り得ない もの」を前提し、かつそれを隠蔽していると指摘している。すなわち、物語の一貫性と連 続性(それが自己の一貫性と連続性でもある)を保持するため、無意識的にいくつかの事 物や出来事を、物語から排除している。それに関して、ハーマンスは、一貫性と統一性を

維持するため、自己が対話の排除を行うということについて論じている。つまり、自己物 語論が主張している二つの要点(物語による自己形成と「語り得ないもの」の存在)に関 しては、対話的自己論がある程度類似している視点を持っている。

また、対話と物語という二つの概念には、共通している部分がある。対話と物語のいず れの前提にも、語的関係性があり、語り手と聞き手(それが実在の相手であるかどうかは 不問)が必要である。たとえば、ハーマンス(1999)はサービン(1986)の観点を引用 して、ストーリー(物語)の定義について述べている。サービンによれば、ストーリーあ るいは物語とは、エピソードや、行動、一連の行動を時間的かつ空間的に組織する方法で ある。それに加えて、「ストーリーが成立すると、語り手と聞き手の存在が仮定できる。

語り手と聞き手との相互作用によって、物語ることがひとつの高度にダイナミックな相互 現象となっている。言い換えれば、物語ることが高度な対話的過程になされている」と、

ハーマンスは述べている。

ハーマンスの論説から、二つのことを推知することができる。A) 物語が生じる際、語 り手と聞き手の間に、対話的関係が存在しないとはいえない。むしろ、他者に向けて物語 ることの前提には、対話的関係性がある。B) 物語を創出する際、語り手の自己空間にお いて、語り手の内的ポジションが想像的な相手(=外的ポジション)と対話しながら、相 手の反応や考え方を推測して、相手の納得できる物語、または連続性をもつ物語を作り出 している。そうすると、対話と物語はそもそも両立できない存在ではない16。さらに、対 話は物語の形成・変化段階においては、不可欠なものだといえるだろう。物語が形成・変 化する際、「自己」は、諸ポジション間に移動し、対話を認可・排除することによって、

一貫性・統一性を持つ自己を維持し、自己と他者が納得できる一貫性・統一性をもつ自己 定義を創出している。すなわち、諸ポジションの対話的関係性と自己の統一性によって、

一貫性・統一性をもつ物語が作り出されている。

対話と物語という二つの概念は、論者によってその含意が異なるかもしれない。それに よって、これからの論をうまく展開するため、本文に用いたい対話と物語の特徴づけをあ らかじめ提示する。対話の特徴に関しては、浅野が物語療法の会話的アプローチの知見か らまとめているものを借りたい。すなわち、対話は会話と同じく、二つの側面を持ってい ると考えられる。一方で、対話とは言葉を用いて意味を産み出すことである。他方で、対

16 ハーマンス自身も、精神療法の物語分析に、対話的自己という概念を導入している。

ドキュメント内 修 士 論 文 (専攻分野 (ページ 35-46)

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