八七〜八八頁)という定義が現われるのであり︑聖人の制作樹立した﹁政法礼楽﹂も明徳とされるに至るのである︒また︑
朱子の新民1復性説に対しては次のごとき批判を投げかける︒
かへ章句の説を以てすれば︑百姓悉‑其の性に復り其の本心を明かにして︑而る後に明徳を天下に明かにするなり︒百姓
斯の底の如‑せんと乍らば︑尭舜も竟に得べからず︒尭舜竟に得べからざれば︑其の解異端の偏論にして公共乍らず︑
呈 明 徳 を 明 に す と 謂 は ん や
︒ (
﹃ 大 学 句 読 大 全
﹄
︑ 巻
︑ 八
〇 頁 )
右のごとき批判が︑前節で検討した素行学の心性論の内容から直っても素行学において必然的産物たることは容易に推察6されよ‑︒そして右のごとき朱子の新民‑復性説に対する批判の根底には︑﹁上知はつひにK缶年下堅朴Ttl香呼
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天下の人民皆中材而巳︒政令は中村ををしふるの道たり﹂(﹃武家事紀﹄巻四六︑一三巻︑六〇九貞)あるいは﹁人を治むるの術
は︑人を以て知者賢者にあっべからず︑又愚者悪人と思ふべからず︑唯だ中村とおもうて其の教を精し‑するにあり︒中
ヽ︑村は教によって善悪にわかるる事︑古来皆然り﹂(同上︑六一〇頁)という︑政治の対象は﹁中材﹂であるといういわば中材
ヽヽ主義とでも称すべき考えがあることにも注意してお‑必要がある︒だからこそ︑彼にあっては︑﹁天下の政道は毛を吹いて
庇を求め︑あらはざれることを察して罰せんとする事をきらへり﹂(﹃山鹿語類﹄巻一二︑五巻︑四六〇頁)﹁人々皆凡情也︑し
きりに其のあらほれざる内をさぐらんとならば︑天下を挙げて刑すとも猶はやむべからざる也﹂(同上︑四六一貢)という政
治における巳発主義(結果主義)的態度を前提として︑朱子の新民説が批判されつつ政治の理想態が次のよ‑に述べられ
るのである(ここで前節1の最後に検討した問題を想起していただきたい)︒
︑ ン レ
人民淫乱溝宴を事とすること︑是れ天下の愚民の通情なり︒これを防ぎて淫乱なきごと‑と云ふこと︑更に奴㌫之︒
素
行
学
の
特
質
三
十
九
佐
久
間
正
四
十
ル カ ラ
歌舞遊曲もいたしつべし︑湛山翫水をもなしっぺし︑折にふれ女色を弄び︑風流をなすことも︑少しも否苦こと也︒
救正しき時は︑民これがために身を失ひ︑家をやぶり︑大義を乱ることあらざるもの也︒そのゆゑは国家恒例の政正
しきがゆゑに︑国に虹に業の民なし︑有得富有の民の子弟は其の分限に従って︑芸術の師を定めて︑これに其の道をな
らはしめ'年すでに豪.d葺ときは︑連に其の業に入れてこれを‑しむ︒壁曙は民に暇あらず︒或は百二月
い は ひ し
‑ ぎ ど
に家業のいとなみのいとまあるか︑或は祝祝儀の喜あるか︑或は花の暗・月の夕に各‑1種一瓶をたづさへて︑その
楽をなし︑其の情を安んぜんこと︑まことに民の真楽これにこゆることあらず︒若し無作法たびかさなり︑女色酒狂︑
家を失ふにいたらんは︑針鼠族鼎乙D,其扉友規官ゼつひにk‑:巳マときは要撃﹂とありとても︑政のあやまり
にはあ;Iざる也︒凡そ政道茸を以て︑剥頂利一︑旦廿束と云ふ也︒溝宴はあるべからず︑風流は戸TF:琴下凡
︑ ン ノ ヲ
の民間幼稚の童体まで︑道を事としへ書をよみ︑文をそらんじて︑高声小歌をもKl牡了﹂れ風俗正しき也と思ふ輩は︑
俗儒の異見︑末代の利口にして︑甚だ九華人情一㌃ゑ也︒是れ宋儒鷹芳心也︒
一
(﹃
滴居
童問
j巻
六︑
一二
巻︑
四三
五〜
三六
頁)
ところで︑以上考察を進めてきた素行学の根底に愚民観が存在することは否めない事実であろう︒しばしば主張される 大君は民の父母であり愛を以て農民に対するべきであるという考えも畢竟愚民観を前提にしていることは︑次の引用によ
って明らかである︒
二 I 蝣
>
∵ 十 V : . '
・ 蝣 M t
>
蝣 I
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ママ(四カ)只だ農業桑麻の家職を事とし︑三時にいとまあらざるがゆゑに︑他に心をはこぶ処なければ︑知慮のたくみ生ずべき
ひまの問なし︑自ら苦労をつ‑して以て上に収納せしむ︑而して上の政令に生死をまかす︒これ民を愛すべきことわり也︒
如旋民なれば︑四時ともに上よりこれを教導し走れを撫育すること薄ければ︑害をうけ災に逢ふをTtl知︑たとへば小
児のものいはずわかちなくして自らその井におち︑火をつかむが如し︒ゆへにその実を考へて︑大君まことを以て民
の 情 を さ ぐ る 時 は
︑ 伊 香 中 K T B 遠 の こ と わ り あ る べ し
︒ ( 同 上
︑ 三 八 一
〜 八 二 頁 )
そして右のような愚民観が︑例えば﹁民の耕作する処の余慶は各‑其の家に喜グことなりといヘビも︑小民手前に米穀豊
なれば必ず怠り多し︑且つ又盗賊火災其の弊多きを以て︑これを府庫にをさめしむるのゆゑん也︒ここを以十能‑風堵
ものは︑民の産業の貨米こと‑ぐ︑‑収納して︑一年のまかなひを上よりこれに与ふといへる也︒走れ君民肝曲な‑舵‑相
和せるが致す処也﹂(Ta鹿語類﹄巻l〇︑五巻︑二三八頁)というように︑具体的な政策レベルにまで貫徹していることは確か
に注目してよいかもしれない︒右に引用した主張を素行の愚民観の社会観における現われとして憧目し︑﹁武士は︑民に対7する道徳的教化者であり︑民の統轄者であるとともに︑民の生産する富の唯一の管理者とされ且と評したのは倉地克直
氏であるが︑確かに素行学にはそのよケな側面があると思う︒と同時に︑そこには︑右の引用の末尾の一節(倉地氏の引
用はこの部分を省略しているが)や次に引用する一節からうかがえるごとき君(士)民調和・一体観が前提とされている
ことも︑支配イデオロギーの究明という視角からは看過することはできない︒愚民観は愚民観として把握しなければなら
ないことはいうまでもないが︑愚民観そのものはこの時代にとりわけ支配層にとっては特殊なものではないのであり︑そ
︑の具体的あり方と機能が問われなければならないであろう︒ここでの問題に関していえば︑﹁民の余慶﹂の管理が愚民観の
︑
みによってス‑レートに強調されているのではないことに注意を払う必要があろう︒
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財を慎むことは︑民力のあっまってなれる処の財なるを以て︑民力をかろんぜざるがゆゑに走れを慎む'是れ一︒民
の財をあつめてこれを府庫にをさむるは︑民のつかれを救ひ其の息を助けんがためなり︑是れ二︒此の両条を以て財
をつつしむの本とする也︒財はことぐ︑く民に出で︑君走れをあつめて府庫に置きて︑民時として其の不足を救ふを
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︑ ヽ
以て云ふときは'天下の財皆大君の有にして︑大君の財宝は皆万民の財宝也︒後世に及びて君と万民と自他の差別を
︑
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ヽ
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レ
︑
思ふがゆゑに︑民を‑るしめて財をあつめ︑民ううれども上流救′がごとき︑是れ身の肉をさいて口に喰ふに同じ︒
(同
上︑
二二
七頁
) 右においても一方では︑為政者としての人君の統治責任が君民一体観を前提に問題にされているのである︒しかし︑この 君民調和二体観がイデオロギー的には支配‑被支配の現実の階級関係を隠蔽しようとするものであったことはいうま
でも
ない
素 ︒
行 学 の 特 質
佐 久 間 正
四十二
2 歴 史 観 を め ぐ っ て
本項では︑まず権力編成をめぐる素行の主張を検討し︑それが歴史観との関わりでどのように述べられるか︑そして結
果的には徳川氏支配下の幕藩制社会が肯定され︑正当化されるに至る論理を明らかにしてい‑︒具体的には︑公武(朝幕)
関係︑封建・郡県論といった問題をとりあげるが︑素行学における幕藩制社会肯定の思想内容への歴史観に関わる側面か
らのアプローチが本項の課題なのであり︑その限りでしか歴史観はとりあげないことをあらかじめことわっておきたい︒
さて︑統治能力を失なったがゆえに朝廷(公家)より幕府(武家)に政権が移行したと彼は考えるのであるが︑頼朝の
治政について︑﹁この(守護・地頭の設置)ゆゑに六十余州無為になりて︑諸国に私の意趣をかまふる輩なし︒しかりとい
レ
︑
ヾ
︑
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ヽ
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︑
ヘビも必竟天下こと‑〟‑‑武家の支配になりて'朝家の政を施行し国司の吏務を用ふるに吾及ノになれり︒是れ公家の政道
卦 紛
い (
, 雫
恥 臥
吾 も
. 呈
︑ 卦
監 <
p ‑
t ‑
j A
J ぐ
怠 臣
< J
i 5
芸 .
監 事
監 ﹂
( ﹃
武 ‑
妃 J
# 1
︑ l
1 1
華 三
九 五
頁 )
と 評
ひ た す ら
せられ︑そして承久の乱が︑﹁此の時よりl向公家の成敗をやめて︑天下の政務は云ふにKl及ノ︑帝位の儀︑公家の宮禄と
く ち い れ
もに武家口入し奉る﹂(同上︑三九六頁)劃期とされる︒建武の新政へ南北朝の内乱を経た両朝の合一も︑﹁武家の威徳によ
れり﹂(同上へ四六二頁)とされるが︑南北朝の内乱期の叙述において︑﹁将軍方﹂とされる北朝に対して南朝は﹁南朝﹂・﹁南
方﹂
(同
上︑
四五
〇頁
)・
﹁南
帝﹂
(同
上へ
四六
一頁
へ具
体的
には
後亀
山帝
)な
どと
称さ
れへ
さら
に後
者が
﹁朝
敵﹂
(同
上へ
四五
九頁
)と
までいわれているのを見ると︑素行の南北朝観がいかなるものであったか推察されよう︒かくして次のごとく結論づけら
れる
武臣上をなみして世を政するに非ず︑上に君道九隼がゆゑに武臣これを承けて天下を安んずる也︒保元よりこぞか ︒
︑
︑
ヽ
︑
︑
8
た建武の乱に至るまで︑朝廷の礼楽政道正しきに武臣己れが私をほしいままに致す事あらず︑全く上に無道あって天
下 困 窮 す る が ゆ ゑ に
︑ 武 臣 日 々 に 盛 に し て 是 れ を 静 譜 せ し む る 也
︒ ( 同 上
︑ 三 九 九
〜 四
〇
〇 頁 )
そして︑家康による豊臣政権の打倒・徳川幕府の開幕は天命によるとされ︑その絶対的正統性が保障されるのである︒
﹁章数附(元)﹂の次の一節を見ていただきたい︒