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季刊土地連会報﹂(第五号︑一九七一年一一月一

O

日)前掲

﹃ 土

地連十年のあゆみ﹄(

)

(印)向上︑七六四ペ

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(

)銅崎富司との

インタ

ビュー︑二

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(弘)藤河浩三とのインタビュー︑二

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七年七月二

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日 ︒

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(貯)銅崎富司とのインタビュ

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藤河浩三との

インタビ

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OO

七年七

O

目 ︒

(

)前述したように

︑島田防衛施設

庁長官は年間賃貸

料以外

に﹁関連経費﹂として三八億

円 を

大蔵省に要求するとのべたが︑この

連経費﹂の三八億円が

銅崎らのいう﹁見舞金﹂のことであった︒

(位)前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(新聞集成編)

︑七 O

︑ 七

前掲闘争史(資料編)

(

臼)砂川直義とのインタビュー︑二

OO

七年

(

臼)前掲﹃土地連三十年のあゆみ

(

聞 集 成 編 ) ︑ 七 = 一 六 ペ ー ジ

(印)砂川直義とのインタビュー

OO

月二七日

(

)

(釘)仲宗根悟とのインタビュー

OO

七年一月二八

(印)前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(新聞集成編)

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桑江朝幸土がある明日がある桑江朝幸回顧録﹄(沖縄タイムス社

(

初)向上︑

ジ ︒

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法学志林

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八巻

第四号

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土地連三十年のあゆみ﹄(新聞集成編)︑七三

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七=

二ペ

ジ ︒

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小坂との会談の模様については︑前掲﹃土地連

三十年のあゆみ﹄(通史編)︑三二二ペ

ジ ︒

( η )

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安保障条約第六条に基づく施設及び区域並に日本国における合衆

国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法﹂という︒前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(資料編)

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0

ジ ︒

(九)軍用地特措法が制定された当時︑日本本土には約万人の軍用地主が存在したが︑そのうち契約拒否の姿勢を示したのは︑同年七

月時点で︑約二

000

人であった︒しかしその後政府が地主との話し合いを進めた結果︑同年一

O

月には︑それが五

OO

最終的には同法の適用を受けて強制使用されたのは︑僅か六

O

件余りであった その後︑立

飛行場用地などにこの軍用地特措法は適

用されたが︑一九六

0

年代に入ると︑その適用はほとんどみられなくなっていた 前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(新聞集成編)

八ペー ジ ︒

(市)南方向胞援護会編沖縄復帰の記録﹄(南方向胞援護会︑一九七

)

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(苅)第六七回国会衆議院本会議

(

)

縄復帰の記録﹃ 沖

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ジ ︒

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季利土地連会報﹂(第五号

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日)前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(通史編)︑七六二ペ

ジ ︒

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季刊土地連会報﹂(第六号︑一九七二年三月二五日)前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(通史編)︑七六五ページ︒

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向上︑七六五ページ︒

(別)前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(新聞集成編)︑

七七

0

ジ ︒

(幻)﹁季刊土地連会報﹂(創刊号

O

O月二五日)向上︑七

ジ ︒

(幻)向上

ジ ︒

(悩)﹁季刊土地連会報﹂(創刊号︑一九七

O

O

月二五日)︑向上

︑七三七ページ︒なお︑この原状回復費に関して日米関では︑沖縄

返還時に

﹁ 密

があったことが近年明かにされている︒例えば︑波多野澄雄沖縄返還と原状回復補償費の肩代わり外務省有識

者委員会いわゆる密約問題に関する有識者委員会報告書

(

O

O

年三月

)

(お)﹁季刊土地連会報﹂(第二号︑一九七一年一月二

O

日)前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(通史編)︑七四八

ジ ︒

(

)

諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との聞の協定

(

九七一年六月一七日調印)細谷千博

有賀貞

石井

木卓也編﹃日米関係資料集一九四五

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九七﹄(東京大学出版会︑一九九九年)︑八

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八=二ペー

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・石井修・我部政明・宮里政玄監修﹃アメ

合衆国対日政策文書集

成日米外交防衛問題一九七一年・沖縄編第九巻(柏書房︑二

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石井修・我部政明・宮里政玄監修アメリカ合衆国対日政策文書集成日米外

交防衛問題一九七二年

(書房︑二

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六年)

ハ 一

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土地連会報

(

︑一九七二年三月二五日)前掲﹃土地連三十年のあゆみ﹄(通史編)︑七六七ページ

( ω )

向上︑七六七ページ︒

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前掲

﹃ 土

地連三十年のあゆみ﹄(新聞集成編)︑八一七

i

ジ ︒

﹁了解覚書﹂(一九七一年六月一七日)

掲﹃沖縄復帰の記録﹄

i

一 二

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ジ ︒

土地連会報

(

九七

五日)前掲﹃土地連

年のあゆみ﹄(通史編)︑七五

j

ジ ︒

︑七

ジ ︒

﹁ 季 刊土地連会報﹂(第五号︑一九七一年一一月

)

向上︑七六三ページ口

前掲﹃日米関係資料集一九四五

一監修﹃沖縄返還関係主要

資料集﹄(国際交流基金日米センタ

ー ︑

前掲土地連三十年のあゆみ﹄(新聞集成編)︑七

00

ジ ︒

向上︑七三三

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)

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五七五

ジ ︒

おわりに

本論でみた通り︑沖縄米軍基地のそもそもの起源は︑太平洋戦争の末期に日本軍の建設した航空基地群︑すなわち

飛行場群であり︑その飛行場群自体は︑進攻してくる米軍を迎え撃っために構築されたものであった︒

一九四五年四 月︑沖縄本島に上陸

軍は

その日本軍の構築した飛行場群を奪取し︑

こを基点に次々と米軍基地を整備

( ) ( )

法学志林

O八巻

第四号

張し︑沖縄および本土攻略の拠点としてそれを利用した︒こういった意味で沖縄の米軍基地は︑太平洋戦争という日 米両国が直接対決した︑あの歴史的な出来事から産み落とされたものだったのである︒

しか

し︑

たとえ沖縄基地が﹁太平洋戦争の産物﹂であったにしても︑

それを同戦争終結後も維持・発展させたのは︑

米ソ対立という国際政治環境と︑

それを背景としたアメリカの軍事安全保障政策にあった︒同戦争終結から僅かニヵ 月後

四五年

O

月 ︑ アメリカ統合参謀本部は︑将来の対ソ戦を見据えたうえで︑基地化した沖縄をアメリカの海外 主要基地

地域の

一つに位置づけたのである︒その後米ソ冷戦が本格

化す

るなか

︑国務省も軍部同様に沖縄基地の重要

性を認識するに至り︑ついにアメリカ政

府は四九年二月︑沖縄基地を長期にわた

って

保有

し︑

その沖縄基地を本格開 発することを決定するのであった

( N S C

十三

/二

(五

))

しかしこ

の決定に基づいてアメリカ

側が︑沖縄基地

の本格開発を直ちに開始

したかというと︑決してそうではなか った︒在沖空軍戦術部隊の本国撤退構想や︑陸軍戦術部隊のローテーション構想にみられるように︑沖縄基地の本格 開発については︑空軍と陸軍の側から疑問が提起されたのである︒しかし結局のところ︑両構想とも実現までに至ら ず ︑

一九

O

年に入って沖縄基

地は本格的に開発される

のであった︒

この本格的な基地開発と並行して米軍当局は︑基地の整理縮小をも推し進めようと考えた︒陸軍次官のボ

l ヒ l

ズ から要請を受けた

沖縄現地の琉球軍司令部は︑

その基地開発の始まる直前(五

O

年三月)

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