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ドキュメント内 針 生 誠 吉 (ページ 53-68)

五 結 び と 住 民 運 動

憲法科学

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:t>ける地方自治論をいかK再構成し、自治体憲法学をいかに創造 すべきかという点Kついての試論を展開してきた。地方自治はトックグイルの いうどとし民主主義の小学校であり、民主主義K よる憲法体制を支える基盤 である。企業国家Vζよる人権侵害が、日常の生活環境の棋底的破壊Kまで及ん だとき、自治体住民の念かから、民主主義と憲法を日常の生活の次元から再創 造しようとする動きが出て来たととを当然といえよう。とと V亡自治体憲法学創 造の意義がある。自治体VCi≫ける住民運動のもたらした創造的成果はとの意味 で先駆的意義をもつものである。支配層も、との新しい運動体の意義を理解せ ず、とれを抑圧する方向をとるならば、民主主義再生の芽をつみ、支配体制そ のものをゆるがす力とをるととは、後述のようK保守政党の有能念理論家達さ えよ〈知る所であろう。日本国憲法は社会主義型憲法では念い。むしろ典型的 を20 世紀 VCi>~ける資本主義型憲法である。とれをいかに再生させ、都市社会 の人権の大量破壊K歯どめをかけ、人権と福祉を日本の経済力Kふさわしい段 階Kまで向土させ、都市社会を再生させてゆ〈かは、革新も保守を超えた国民 的課類である。そとで再び憲法学の基本的課題に立ち返り、自治体憲法学再生 の原動力と念った、人権破壊K抵抗する住町塞動の問題Kふれてゆとう。

今回、われわれが憲法と呼ぶのは近代立憲法主義憲法のととである。従って 近代憲法VCi≫ける人権が大量K破壊され、とれを守ろうとする努力が行われず、

三権分立の形式上の制度のみが憲法典KしるされているK過ぎ念い時は憲法が あるといわ念いととは先人吉野作造氏らのよ〈知る所である。憲法の目的が人 権の実質的擁設Kあるととは、ナチス K抵抗したアメリカ在住のカール・

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ュタイン教授の今日、強調する所でもある。近代立憲主義は、絶体主 義の専政K抵抗し、その抵抗運動の実定法化された規範として、人権の体系的 規範化としての基本法、憲法をつ〈りあげた。既成の憲法学でも、とれを一般 的K立憲的意味の憲法という。従って近代立憲主義のオーソドックス念立場を

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とる憲法学からみても、人権が空洞化し、企業国家の生活環境破壊が放任され 地方自治体が民主主義の小学校として機能し念い状態Kある時、その固に癒法 があるとはいわ左い。そのよう左考え方を奇異V亡感ずるとすれば、明治以来、

真実の憲法をもた左かった状態K左らされて来た為である。日本の憲法体制は 明治憲法期 vc:J>~いては、外見的立憲主義としての憲法をもっ κ過きe なかった。

外見的とは、シャインとして、仮装として憲 法に似た何物かが存在するK過ぎ 左い状態をいう。占領後から今日までも、日本の憲法体箭!畑、企業国家の経済 権力Kよって、民主主義と人権は著しくそと念われた。その必然、的結果として の、高度経済成長Kよる生活環境の根本的破壊K直面して、住民運動は、はじ めてこの権力核K対抗して憲法上の人権要求をかかげ、抵抗運動を開始した。

それが権力をゆるがす実効性をもっ κ至った点でも日本 vc;1;~ ける遁期的念正統

的憲法運動といえるであろう。明治以来、自由民権運動、大正デモクラシーの 運動、昭和期の社会主義軍動はほとんど、激しく抵抗し左がらも、究極的Kは 包摂され、例外的K抵抗の純粋さを貫いた場合は、孤立して権力をゆるがす実 効性を持ちえなかった。占領後払自らの民主革命Kよって憲法制定権力の次 元で、国民K よる政府権力を確立しえず、高度経済成長後、労働運動の体制内 在化すら論義されるなかで、 ζうした住民運動が人権と民主主義、憲法の創造 Kついてもっている意義は高〈評価され念ければ念ら左い。との段階VL:J>~いて 従来、国家権力あるいは占領軍K 工って与えられた法を解釈する、公定解釈 中心の憲法解釈学では念〈、抵抗権の実定法化としての憲法を再創造する新し い憲法料学の道が聞かれたのである。

憲法は政治の子であるとよくいわれる。憲法は究極的Kは革命権に発し、政 治的諸努力の角遂する場で、支配権力をかちとり得た単ーまたは連合の勢力が その体制の基礎Kすえた統治のための基本法である。日本K沿いては上からの 外見的立憲主義、横からの占領後の憲法という形で与えられ、市民革命の経験 を欠落させているととは既にのベ?と。次K憲法では、現存の統治機構によって

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その存在目的である人権が平和

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守られ、実力Vてよゐ抵抗の必要を生じ念い時 は、憲法一法律一命令といった静態的念法段階構造の念かで、政治的対立は平 和K統合されてゆ〈。条例も法律の範囲内

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j;~いて制定され、実力 K よる抵抗

を必要とし念い。日本の憲法解釈学は主としてとの面だけを学聞の対象とする という偏向を不自然とは考えてζ念かったのである。しかし憲法科学から見れ ば、との場合も、もし人権が侵害され、静態白糖段階構造K よってそれが守ら れ念い時は、各段階K沿いて、憲法規範と実質的人権を支える力として、実力 V亡よる抵抗は、その背景K常K潜在的K存在するのである。間接民主主義が病 理的状態Kある時は、補助的手段としての直接民主主義的諸制度が利用され、

さらに危機的状態では実力Kよる抵抗をふ〈めた手段Kより人権が守られねば 念ら念い。との人権を不断K守る抵抗のカが全〈存在し左い時、憲法は容易に 形骸化し、空洞化する。日本国憲法が十章の最高法規K沿いて冒頭に「との憲 法が日本国民K保障する基本的人権は、人類の多年Kわたる自由獲得の努力の 成果であって、とれらの権利は、過去幾多の試錬K堪へ、現在及び将来の国民 対し、侵すととのでき左い永久の権利として信託されたものである」としてい るのはとのためである。政府権力が人権を侵害し、或は第三者としての企業が 生活環境を破壊するのを政府権力か放置し、さらKはとれを助長する時、国民

は直ちK人権の獲得の努力をあらゆる面Kむかつて開始し念ければなら左

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憲法12条は、「との憲法が国民V亡保障する自由及び権利は、国民の不断の努 力Kよって、とれを保持し念ければ念ら念いjとしている。憲法はいわば不断 の努力、と侵害K対する不断の抵抗Kよってのみ守られる。憲法はとのようK 人権をめぐる日常的念政治的緊張関係をはらむものであり、経済権力の悪魔的 エゴイズムVてよる大量の人格破壊K対し抵抗し、憲法を守ろうとする運動を安 易K私的エゴイズムとして、アウト・サイダー視しては念らない。憲法秩序か ら見れば、人権の大量破壊を意図する経済権力とそは憲法秩序のわ〈内から追 放されねば念らぬアウト。サイダ一念のである。

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とれらのととは、憲法の存立目的を政治権力の擁護Kのみ見出し、権力との 結びつきV亡よって経済成長を遂げ、そとに国益と政治的正統性、錦の御旗を見 出し、殖産興業、高度経済成長を遂げてきた、日本型V亡歪曲されたブルジョア ジーの憲法観からすれば奇異K感ずるかも知れ左い。しかし正常型市民社会の フツレジョア精神は憲法をそのよう左ものとしては見てい念い。その古典的原型 をふりかえる事も、今日V亡ないては一定の意味をもっ。

1 7 7 6年のアメリカ独立宣言は、政治形態か梓力の存在目的を損う場合に は、人民はそれを改廃し、新た~政府を組織する権利を有するとのべてなり、

フラYス人権宣言も圧政Vて対する抵抗をかかげている。人権を破壊する政府権 力への抵抗は、近代憲法の大前提、基本的条件と在る、近代フ.ルジョアジ一、

近代市民の神聖念権利であり義務である。 19世紀にかけて平和と安定の時捗j

kは抵抗の権利は実定法のかげにかくれて b

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と( f(ドイツや日本の悪しき 法解釈学の支配する病理的状況

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:t~いては無視されてきた。しかし 2 0世紀の ファシズムの台頭、レジスタンスの経験は、戦後の西ドイツのヘッセン憲法念 どKとの抵抗権を実定法上の権剰として再視させた。 ζれまた、レジスタンス の経験すら欠落させた日本の法解釈学にかいては、とれを合法的念治安立法の わく内Kもじとめ、住民運動左ど Kよる抵抗のグアィタリティを失わせようと する傾向のあるζとは重念る病理的傾向として注意しをければ念ら念い。抵抗 権は政府権力の人権を守る度合Kよって、時V'C法秩序のわく内のものと念り、

ときにをのわくをとえて、憲法そのものの実現の基本的前提条件と念る。今日 企業国家が人権と生活環境の大量破壊を止めず、議会制民主主義Kよって、と れと防止しえず、あらゆる請願権の行使、表現の自由の行使、団体行動権の行 使も補完的役割を果し得念いならば、住民運動Kよる実力行使は、憲法の病理 回復の正当左手段として認められねば念ら左い。住民運動の正統性はととKあ る。日本国憲法もまた、今日底辺からの住民運動によって抵抗権の実定法化さ れた規範として、憲法が再創造され、生命を吹きとまれねばならぬ段階Kある

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