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ドキュメント内 「諸国民の富」研究 (ページ 45-75)

た。 この改訂 はス ミスの主要な関′いがどこにあるかを物語 っている。ス ミスは資本蓄積 による生産 的労働者の直接的雇用量の増加を唯一の資本投下の基準 としているのである囲。

農業部門、製造業部門、商業部門、外国貿易部門において、 この順で等額の資本が雇用す る労働 者の数が多いとすれば、ス ミスはここで、農業部門においては資本 一労働比率が最小 (ついで、製 造業→商業→外国貿易

)で

あるので、等額の資本投下 によって生み出される生産的労働者の雇用量 が最大 となるとしたのである。つまり、ス ミスは農業部門が最 も労働集約的であると言 っているの であるm。

3.農

業部門における「純生産物」

更 にス ミスは農業生産物が社会全体の生産物の中で最大の部分であることを指摘す る。「地代 は 人間の所産 として見な し得 るあ らゆるものをさしひき、またはそれを償 って も、なおその後に残 る 自然の所産である。それが全体の生産物の四分の一 より少ないことはめ ったにな く、 しば しば三分 の一 よりおおいことがある」(II.V。12.p.364.566頁)。 ス ミスは社会全体の純生産物の中で、農業部門 における純生産物が最大であることを指摘 した。農業生産物 は、賃金、利潤 に加えて、地代を生み 出すか らである (「農業 に使用 され る労働者や役畜 は…農業者 の資本 の全利潤を越えてなおそれ以 上 に、地主の地代の再生産 も規則的に引 き起 こすのである」(II.v。12.p.363.566頁))。 小売 り商人の 資本は利潤 と「直接的な生産的労働者」 として小売 り商人 自身の賃金を回収す る。卸売 り商人は、

「 自分の利潤だけでな く、水夫や仲立 ち人の賃金の価値 も増加 させる」(II.V。 10。p.363.565頁)。「親方 製造業の資本」 は、「彼等 {雇用労働者

}の

賃金 と、その事業 に使用 された賃金、材料及 び職業上 の用具 という全資財に対する親方の利潤 との分だけ増加 させる」(II.V.11.p.363。565頁)。 ス ミスは、

続いて、「農業 に使用 される資本 は、製造業 に使用 されるどのよ うな等額 の資本 よ りも、多量の生 産的労働者を活動 させるばか りか、それが雇用する生産的労働の量に対する割合において も、また その国の土地 と労働の年々の生産物、つまり、その住民の実質的富 と収入 とに、 はるかに多 くの価 値を付加す る。それは資本が使用 され得 る一切の方法の中で社会 にとってずば抜 けて最 も有利な も のなのである」(IIoV。12.p.364.566頁)と 結論す るが、 これは何故か ?

このス ミスの見解 は、農業部門における純生産物を考慮す ると明白になる。 ス ミスの資本蓄積論 の本旨は、剰余における資本 と収入の割合が資本蓄積を規定す るとするものである。従 って、最大 の純生産物を生み出す産業分野、即ち、農業分野がその収入 において、第二節第二項で述べた意味 での「資本 と収入 との割合」が所与であ り、農業部門における資本 ―労働比率が最小であれば、 こ の部門が最大の労働者の雇用量を もた らす ことは明 らかである (実質賃金率 は同一 とする)。

従 って、農業部門は、資本 一労働比率が最小であ り、かつ、農業収入 (農業部門における純生産 物

)が

最大であるか らこそ、労働者の直接雇用の点において最大 となるのである。 ス ミスは、第一

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に、資本 ―労働比率の大小、第二 に、当該分野での純生産物の大 きさとその資本 と収入の割合を基 準 に して、資本蓄積が生産的労働者の直接的雇用を増大 させるか否かによって、資本投下の階層性 を論 じているのである。 この論理 は首尾一貫 してお り、決 して「弱い環」などではない。

ス ミスは、固定資本形成を捨象 した、 と我々は述べた。 これは、固定資本に体現 される新 しい生 産技術による労働生産性の上昇の問題を捨象することと同 じである。つまり、ス ミスは、生産技術 一定の もとで資本蓄積を論 じているのである。マルクスはこのような資本蓄積の「型」を外延的蓄 積 と概念化 したが、 ス ミスの「 資本投下の階層性の論理」 とはまさしく、 この外延的蓄積構造を意 味 している。 ス ミスは、直接的には、「剰余」 における「資本 と収入」 との割合が資本蓄積を規定 する要因であるとした上で、第一 に、様 々な産業部門における資本―労働比率の大小、第二 に、当 該の産業部門における純収入の量的大 きさを基準 として、資本蓄積が、生産的労働者の直接的雇用 量を増大 させるか否かによって、資本投下の階層性の論理を論 じたのである。

4.農

業資本主義

更 に、 ス ミスはこの資本投下の階層性の論理を、「人間の自然的性向」(「{農業 という

}こ

の原 始的な職業 に対す る偏愛 の情」(IⅡoi。3.p.378.585頁)、 投下 された資本の安全性 (「自分の土地の改 良 に固定 される地主の資本 は、人事の性質上許 される最大限度に安全であると思われる。」(ibid.同 上))とに求めているが、 ス ミスの真意 はむ しろ、国民経済形成における社会的再生産の見地か ら 正当化す ることにあった。 ス ミスによれば、「 あ らゆる文明社会の大規模な商業は、都会の住民 と 農村の住民 との間 とで営 まれる」(IIIoi。1.p.376.583頁)、「 人間の作 った諸制度が事物 の自然的運行 を攪乱 しなければ、都会の富の増進 と都会の拡大 とは、あらゆる政治社会において、その領域また は農村の改良や耕作の帰結 として、 またそれ らと比例 しつつ行われるであろう」(IⅡ.i。4.p.378.586 頁)。 この国民経済形成の論理 としての資本投下の階層性 は、例えば、CoR.Faym、 我が国では、内 田義彦鰍、大塚久夫側が論 じたが、我々はここで、農業資本主義の概念を提示 したい。

以上見たように、 ス ミスの「資本投下の階層性」は、生産技術不変、従 って、資本一労働比率不 変の場合における資本蓄積による生産的労働者の雇用の増加を基準にしている。 これは決 して、ス ミス経済学の「最 も弱い環」などではない。論理的には正 しいでのある。ス ミスのこの「資本投下 の階層性」論の もつ意義は、ス ミスの資本蓄積論 は資本蓄積の制度論的分析なのであるということ である。我々は現代で こそ、資本蓄積 と所得分配の関係に関 して、利潤主導型や賃金主導型などの

「 資本蓄積 レジーム」 に関 して豊富な理論を持 っているがm、 ス ミスの資本投下の階層性の論理は、

産業革命以後の、資本 一労働比率が上昇 し、実質賃金率が生存賃金に固定 された利潤主導型の資本 蓄積 とは異なる資本蓄積の型を示 しているのである。我々はこれを資本蓄積の制度論的把握の萌芽 と呼ぼう。 この資本蓄積の型 は、 しか しなが ら、産業革命によって急速に失われた、ある特定の資

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本主義の蓄積構造を前提 としている。農業資本主義である。 これはいわゆる「 ブレナー・ テーゼ (Brenner These)」 である。「近代の資本主義 は圧倒的に農業的文脈の中で形成 された。つまり、

封建時代の崩壊 とともに、私的所有 とそれに付随する資本蓄積の倫理の発展のための新たな機会が 生 まれた。経済的専門化 と成長の媒体 として、小規模な家族経営による、地代を支払 う農業者 に特 徴づけられる農業資本主義の成立である。 このイギ リスにおける相対的に安定 した環境の中で富の 増大 は今度 は、国内市場 における産業財生産 に刺激を与え、 この工業 と農業 との発展が産業革命を 結果 として生んだ。」m

ス ミスが都市 と農村 との交換が「真の交換」であると言 うとき、ス ミスの資本蓄積論 はこの農業 資本主義の実体を正確 に反映 していたのである個。

第五項

 

まとめ。

以上 までで、 ス ミスの『諸国民の富』 の主題 は明 らかである。 ス ミスは、資本蓄積の観点か ら

「剰余」 における「資本」 と「収入」の割合、或いは、「純収入」における「収入」 と「資本」の割 合 とが富の増大を決定する要因であるとし、資本投下が富増大の決定的要因であると言 っているの である。第一編の分業論、貨幣論、実質価格 と名 目価格の区別、更 には投下労働価値説 と支配労働 価値説、 自然価格論 とは、第二編での、「純収入」 における「収入」 と「資本」の区別、現代的 に 言えば、「消費」 と「投資」の区別のためであ り、 ス ミスの結論 は、資本家 による「投資」が経済 成長 において決定的であるとす るものである。従 って、『 諸国民の富』 に関す る一般均衡論的理解 の誤 りは明 らかである。ス ミスは決 して、所与の資源賦与の下で、相対価格の変動が、最 も効率的 な資源配分を実現するなどとは考えなか った。ス ミスの目的はまさに、産出高の増大的変化 におけ る、投資の決定的要因を明 らかにすることにあつたか らである。

「 直接の消費のために保留 される資財を維持 し、増加すること、 これが固定資本 と流動資本との双 方の目標であ り、 目的である。 この資財 こそ、人民を食べさせ、着せ、住 まわせるのである。人民 の貧富 はこれ ら二つの資本が、直接の消費のために保留 される資財に提供 され得 る供給が潤沢か貧 弱かに依存す るのである。」(IIoi。26.p。 283。455頁)

そ して この把握 は、ス ミス自身が『 諸国民の富』の「序論 と構想」で述べたところと一致 してい る。「人民大衆の収入 はどのような ものであったか、即ち、様々な時代や国民の年々の消費を充足 してきたファン ドはどのような性質の ものであったかを説明す ることが、以上の最初の四編の目的 である」(前)。

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第 四節

 

「 事物の自然 的運行」 と「 資本投下の自然 的順序」 ―資本蓄積の制度論 的把握 ―

第一項

 

富裕の自然的進歩

第二編 は、以上の資本家の投資に基づ く資本蓄積の論理を受 けて、次のように言われる。「労働 を充用する場合の熟練、技巧、判断についてはかなり進歩 した国民で も、労働を一般に管理 したり、

または指導 した りす ることについては非常な様々な計画に従 ってきた」(前出)。 第二編の表題 は

「様 々な国民 における富裕の進歩の差異 について」であるが、 この「富裕の進歩の差異」を説明す るものは、「労働一般の管理、 または指導」の差異であることが分かる。前述の記述は以下のよう に続 く。「 そういう計画が全て生産物の増大 に等 しく寄与 したわけではない」(I。7.p.11.64頁)。 つま り、「労働一般の管理、 または指導 に関する計画が全て生産物の増大 に等 しく寄与 したわけではな い」 のは何故かを解明することが、富裕の自然的進歩の差異の説明 となる。 そ してス ミスはこの

「 富裕の自然的進歩の差異」を資本蓄積の型の相違 とす るのである。 ス ミスが言 う「富裕の自然的 進歩」 とは何か ?こ れは第二編の末尾で与え られている。資本は、国内農業→国内製造業→国内商 業→外国貿易の順で投下 されるべ きであるとする「資本投下の自然的順序」、或いは、「資本投下の 階層性の論理」である。従 って、 ス ミスの言 う「富裕の自然的進歩」 とは資本蓄積の特定の型を意 味 している。つまり、「 資本投下 の階層性」 を意味 している。 ス ミスは第二編第五章「資本の様々 な用途 について」で、「資本投下の自然的順序」を論 じた。 これは、「等額の資本が活動 させ うる労

働の量」(II.v。1.p.360.561頁)を基準 として、農業→製造業→国内商業 (卸業

)→

国内商業 (小売業)

→外国商業へ と資本は投下 されるべ し、 としたものであった。ス ミスはこの投下順序を「事物の自 然的運行」(II.v.8.p.362.588頁)と 呼び、「 それ故、事物の自然的運行 (natural cOurse of things) によれば、あ らゆる発展的な社会の資本の大部分は、先ず第一に、農業に振 り向けられ、次に製造 業 に振 り向けられ、そ して最後 に外国商業 に振 り向けられる。事物のこの順序は、非常に自然であ るか ら、か りにも領土を持つほどの ものであれば、 どのような社会で も程度の差 こそあれ、常に観 察 されてきたことだと、 と私は信 じる。 しか しなが ら、事物のこの自然的順序 は… ヨーロッパの近 代諸国家 においては多 くの点 において全 く転倒 されて きた」(前出)と述べた。 ス ミスはこの「事 物の自然的運行」が「 ヨーロッパの諸国家」 において何故、「転倒」 されてきたかを、第二、第四 編で展開される経済政策、経済学説の批判の根拠 としたのである。

ス ミスは、以上の「資本投下の階層性」の論理に基づき、第二編で、「様々な国民における富裕 の進歩の差異」を論 じたのであるm。

従 って、 ここでス ミスは、第二編の主題である資本蓄積を、資本が農業→製造業→外国貿易の順

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ドキュメント内 「諸国民の富」研究 (ページ 45-75)

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