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ドキュメント内 モ 芽三重塾郊 1芋 (ページ 35-41)

の北 、東 、西 の3方は慢 が と りか こん で ぃた の か も しれ な い。

S B l1785の 西 妻 柱 筋 で は、 柱 掘 形 と一 部 重 複 して 、 S B l1785よ り も古 い南 北 方 向 の 柱 掘 形 3間分 を検 出 した (S A 12308)。 S B l1785 の異行 と総長 、柱 間寸法 が と もに一 致 す るが 、 南端 の掘 形 は極 めて浅 く、 柱 掘 形 と は い い難 い。

これ は、 S B l1785が 当 初 の位 置 を 変 更 して 建 設 され た ことを示 す もの か も しれ な い。

A期の大嘗 宮 は、北 門 が 、大極殿 閤 門下層 で 検 出 した 同 規 模 の掘 立 柱 の 門 (S B l1210)の

心 か ら、 ち ょ うど88.8m(300尺

)の

位 置 に存 在 す る ことか ら、 この門 と朝 堂 院 外 周 の築 地 塀 S A l1330築 成 上 の 下 層 で 検 出 した掘 立 柱 塀

SA

l1320、 東 第 一 堂 礎 石 建 物 S B l1750の 下 層 で 検 出 した 同等 規 模 の掘 立 柱 建 物 S B H740、 等

と同時併 存 す る可能 性 が 高 い。

B期の大嘗 宮悠 紀 院 は、A期の もの よ り、約

9m(30尺 )南

に配 置 されて い る。柴 垣 は、

A

期 の ものが溝 を掘 り、埋 め込 む構 造 で あ った の に対 して 、B期の もの は柱 間 、柱 径 と もに不揃 いな ピッ ト列 で あ るため、 柱 な い しは杭 を立 て 、 これ に柴 をゆわえつ け る型 式 の もの で あ った と 考 え られ る。規模 は、南 門 と北 門 の 心 々間 距 離 が44.775m(151.3尺 )、 南 門心 と東 門心 の東 西 距離 が32.75m(110,6尺

)で

、A期の もの と比 して東西長 は短 いが 、南 北 長 は長 くな る。 た だ

一  

    御 一

‑ 35 ‑

遺構変遷図

し、SA12237・ 12312は 北 門 。南 門 よ りや や 外 側 に位 置 し、 両 者 の 心 々 間 距 離 は45.Om(152.0尺

)で

あ る。 同 時 にSA12249は南 に 向 う に 従 い 西 へ 偏 り、 南 辺 にお け る南 門 中軸 線 とSA12249の 東 西 距 離 は

32.375m(109.4尺 )と

な る。 従 っ て 四周 の柴垣 か ら算 出 した悠 紀 院 の 南 北 長 は、 門 心 々 間 距 離 と微 妙 な差 を 生 ず る

こと とな るが 、両 者 は概 ね

Vワ :1の

関 係 に あ る。

国屋 、 膳 屋 区 画 は、 西 の小 門 と東 門 との心 々間 距 離 が

26.325m(88.9尺

)、 北 門 心 とSA12249の 距 離 が 、

32.175m(1087尺 )で

あ る。 この 南 北 距 離 は 東 西 距 離 の ほぼ

1/y2で

あ る。 中籠 に開 く門 は検 出で きな か った。 他 の 問遺 構 が す べ て柱掘 形 を もつ ことか ら考 え て この 門 は存 在 しな か った の か、 単 に門 柱 の な い柴 垣 の間隙程度 の もので あ った の か は わ か らな い。

臼屋 、膳 屋 、御 厠 は、東西 柴垣 溝 か ら約4。

4m(14.8尺 )の

位 置 に東 側 の柱 筋 を 合 わ せ て 配 置 して い る。 ま た、 正 殿 は北 面 柴 垣SA 12312か ら、 臼 屋 、 膳 屋 区 画 の東 西長 とほ ぼ等 しい

26.5m(89.5尺 )の

距 離 に北 妻 柱 通 を、 東 面 柴 垣 か ら22.9

5m(775尺 )の

位 置 に西側 柱筋 を揃 え る。 この22.95m(77.5尺

)は

悠 紀 院 の東 西 長 の ほぼ

1/w/7に

あ た る。 御 厠 と正 殿 は南 の柱 通 りを揃 え て配 置 す る。

C期の大 嘗 宮 は、B期の もの と全 体 的 に類 似 して い る。 区 画 の 柴 垣 は 、 SA 12 236。 12313・ 12298・ 12279・ 12320・ 12316な ど の ピ ッ

 

ト列 が 示 す よ う に 、 B期の もの と同様 に、 杭 か柱 を た て 、 これ に柴 を ゆ わ え つ け る方 式 で あ っ た と考 え られ る。 各 建 物 の 構 造 。規 模 は ほ ぼB期 を 踏 襲 す る が 、 位 置 は 国 屋SB 12301 を基準 と して 、南 へ 向 うに従 って 北 へ 偏 る傾 向 が 大 き い 。

南 北両 門 の 心 々間 距 離 は45。

lm(152.4尺

)、 南 北 両 門 と東 門 との 心 々間 距 離 は 31.625m(106.8尺

)で

あ る。

ま た 、 SA 12313と SA 12236の 心 々 間 距 離 は

44.4m(150尺

)、 南 辺 に お け るS B12239と SA 12320の心 々 間 距 離 は31.325m(105.8尺

)で

あ る 。 こ の 四 周 の 柴 垣 の東西 。南 北 の心 々間 距 離 は

1:v7の

関 係 に あ る。

正 殿 SB 12261は 北 妻 柱 通 り を 、SA 12277か ら南

6.2m(20.9尺 )に

位 置 し、

西 側 柱 筋 が 、SA12279の 南 延 長 線 上 に位 置 す る。 従 って 、 正 殿 は建 物 の 西 北 隅

―‑ 36 ‑―

の位 置 を臼屋 、膳 屋 区画 の西 南 隅部 を基 準 に設 定 して い る ことが うか が え る。

御 厠 SB 12244の 東 側 柱 筋 は 、 東 辺 柴 垣SA 12320か ら約

3.05m(10.3尺 )に

位 置 し、宮 の南 北長 を4分す る位 置 に建 物 心 を合 わ せ る。

臼屋 、 膳 屋 区 画 は東 西

22.55m(762尺

)、 南 北18.8m(63.5尺

)で

、 東 西 長 は 南 北 長 の ち ょ う ど

v7倍

で あ る。 この 区画 の 中 に、 南 北 方 向 は約 15尺 、7.5尺、 16.5尺 の 間 隔 で 、 東 西 方 向 は膳 屋 をSB 12304・ 12286心 か ら そ れ ぞ れ 約 15尺 の 位 置 に、 臼屋 と東 妻 柱筋 を合 わせ て配 置 す る。 この よ うに、C期の 大 嘗 宮 も規 模・

建物 配置 は極 め て計 画 的 に行 わ れ て い る こ とが わ か る。

B・ C期の 大 嘗 宮 は、 四周 の 門 が ほ ぼ 同位 置 で 重 複 して お り、 全体 の 区 画 設 定 が 同一 の地割 計 画 の もと に行 わ れ た こ とを うか が わ せ る。 朝 堂 院 東 第 一 堂 礎 石建 物 (SB l1750),と ヽは 、 朝 堂 院 北 面 築 地 (SA 0103)心 か ら約240尺の 地 点 に 位 置 し、

BCC期

の 大 嘗 宮 南 門 は、 さ らに240尺 南 の 地 点 に 設 定 され て い る。 す な わ ち、

BoC期

の 大 嘗 宮 は、 朝 堂 院 が 基 壇 を もつ 礎 石 建 物 群 へ 改 作 され た後 に こ れ らの建物 群 を基準 と して造 営 され た可 能 性 が極 め て 高 い (第14図)。

 

大嘗 宮 以外 の遺構

SD 12253〜 12257 調 査 区 中 央 で 検 出 した 南 北 溝

9条

。 全 般 的 に 幅 は 約 30〜

40cm、 深 さ15cm、 埋 土 は いず れ も一 様 に暗 黄 灰 色 粘 質 上 で あ る 。 SD 12256と 12 257は 途 中 で と ぎ れ て い る が 、 当 初 は連 続 して い た の で あ ろ う。 SB 12270の 柱 掘 形 との新 旧関係 によれ ば、 乙れ らの溝 の方 が 古 く、 建 物 建 設 に先 行 す る排 水 溝 で あ る可能 性 が あ る。

SB 12205・ 12211  調 査 区 南 辺 中 央 部 の 、 奈 良 時 代 整 地 上 上 面 で 検 出 し た 掘 立 柱 建 物 2棟。 SB 12210は 一 部 柱 掘 形 が 存 在 しな い箇 所 が あ る が 2間 ×2間の 総 柱建物 に復 原 で き、南 北3.9m、 東 西 3.5〜 3.7m、 柱 間 寸 法 は約 1.2〜

1.3m(4

〜4.4尺

)で

あ る。SB 12205も 総 柱 建 物 で あ るが 、 東 側 柱 は

4本

あ る の に 対 し、

中央 、西側 柱 列 は3本と変 則 的 な形 状 を なす 。 両 者 は い ず れ も建 物 方 向 が 、 北 で 東 に偏 って お り、柱掘 形 も円形 に近 く、深 さは約20cmと 浅 い。

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SX12215・ 12252 調 査 区南 辺 か ら中 央 部 に か け て 奈 良 時 代 の 整 地 上 お よ び 、 地 山上 面 に お い て検 出 した轍 。SX12215は 幅20cm、 深 さ10cmの 3条の 溝 、 ま た SX12252は同様 の溝 が2対平行 して い る。

SA12229 

調 査 区東 辺 中央 で 検 出 した 東 西 方 向 の堀 立 柱 塀 で あ る。 柱 間 寸 法 は

2.36m(8尺 )等

間 で 、東 端 は調 査 区外 へ の び る。 柱 掘 形 の埋 上 に は多 量 の 瓦 片を含 む 。

SB 12230 SB 12205・ 12210と 同 様 に 北 で 東 へ 偏 る

2間

×

2間

の 掘 立 柱 建 物 。南北4.3〜 4.5m、 東 西4〜 4.3mであ る。 中央 部 に は柱 掘 形 が な い た め 、 総 柱 建物 で はな い。

SB12231 

調 査 区東 辺 中央 部 で 検 出 した 掘 立 柱 建 物 東 西 棟 。 桁 行 3間、 異 行 2間、柱 間寸 法 は桁 行・ 果行 と もに

2.37m(8尺 )等

間 で あ る。

SB 12232 SB 12231の す ぐ西 側 で 検 出 し た 同 規 模 の 掘 立 柱 建 物 東 西 棟 。S B12231よ り も柱 掘 形 径 はや や小 さい。

SX 12235 SB 12231・ 12232の 北 側 で 検 出 し た 礫 敷 遺 構 で 、 方 約

8mに

わ た って遺 存 す るが 、 性 格 不 明 で あ る。 第 161次 調 査 で は朝 堂 院 東 第 一 堂 礎 石 建 物 (SB l1750)の四 周 が 、 礫 敷 で 化 粧 され て い た こ とが 判 明 して お り、 こ の

SX

12235は 本調 査 区 の東 に想 定 し う る東 第 二 堂 礎 石 建 物 に関 連 す る礫 敷 遺 構 で あ る 可能 性 が あ る。

SB l1745  第 161次 調 査 区 で す で に検 出 して い た 西 廂 付 掘 立 柱 建 物 南 北 棟 の 南 妻 柱 通 を検 出 し、 南 北 7間で あ る こ とが 判 明 した 。 南 妻 柱 通 は SX 12235の 下 層 か ら掘 り こま れ て い る。 側 柱 筋 はや や 北 で 東 に偏 して い るが 、 東 側 柱 筋 が 、S B12231の 東 妻 柱 筋 と柱 筋 を揃 え て お り、 両 者 は奈 良 時 代 の 同 時 期 の 遺 構 と考 え

られ る。

これ ら の 遺 構 の う ち 、SB 12205・ 12211・ 12230は 、 い ず れ も奈 良 時 代 整 地 上上面 で検 出 して い るが 、 方 位 偏 度 が 大 き い た め、 奈 良 時 代 以 降 の建 物 と考 え ら れ る。 ま た 、SB 12231・ 12232は 、 位 置・ 規 模 が 似 通 って い る た め 、 そ れ ぞ れ B・ C期の大嘗 宮 に伴 う遺 構 で あ る可 能 性 もあ る。

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な お 、 第 161次 調 査 で 検 出 した 掘 立 柱 建 物 (SB l1740)は、 朝 堂 院 東 第 一 堂 礎 石 建 物 (SB l1750)イ こ先 行 し、 同 等 の 規 模・ 性 格 を 持 つ 建 物 に比 定 され て き た。大極 殿 院 の建 物群 が 掘 立 柱 か ら礎 石 を用 い た もの へ 、 そ して朝 堂 院 四周 の 区 画 が掘 立柱塀 か ら築 地塀 へ と建 て替 え られ て い る事 実 と関 連 して 、 掘 立 柱 の朝 堂 院 地 区 の存 在 が 推 定 され た わ け で あ る。 しか し、 本 調 査 区 で は、 SB l1740の 南 延 長 線 上 に東 第二 堂相 当 の掘 立 柱 建 物 を検 出す る ことはで きなか った。

出土 遺 物 は極 め て 少 な い。 しか し、

A期

の 膳 屋 西 南 隅の 柱 掘 形 か ら杯B蓋 (第 11図

‑1・

2)、 B期の膳 屋 北 側 柱通 り東 か ら2つ 目の 柱 掘 形 か ら高 杯 脚 部 (第 11図

‑3)が

出土 した。 平 城 宮 土 器 編 年 に よ れ ば、 前 者 が Ⅱ (霊 亀 年 間 か ら天 平 初 年 頃)、 後 者 が Ⅳ 〜

V(天

平 勝 宝 年 間 か ら宝 亀 年 間

)に

属 す 。 出土 状 況 か らい ずれ も単 な る混 入 とは考 え られ ず、 遺 構 の 時 期 を推 定 す る よ りど ころ とな った。

軒 瓦 で は 、 上 層 の 整 地 土 か ら軒 平 瓦6663、 C期 に 属 す る膳 屋 SB 12304の 北 側 の柱 掘 形 か ら軒 平 瓦6225L、 SB 12231の 柱 掘 形 か ら軒 平 瓦6225C等が 出 上 した。

ま とめ

今 回 の調 査 で は、 第 163次 調 査 で 検 出 した第 二 次 朝 堂 院朝庭域 に お け る儀 式 関 連 遺 構 の うち、 と りわ け大 嘗 宮悠 紀 院 の全容 を確 認 し、 それ 以 外 に新 た に2時期 にわ た って重 複 す る同様 の大 嘗 宮悠 紀 院 の遺 構 を検 出 した。 これ らの3時期 に わ た る大 嘗 宮 悠 紀 院 遺 構 は 、 建物 の規模・ 構 造 に若 子 の変 化 を認 め る もの の、 配 置 関係 は概 ね相 似 して い る。 いず れ も区 画・ 配 置 は極 め て周 到 かつ計 画 的 で あ り、 各 時期 ご とに特 徴 を読 み と

9       1.ocm 11図 169次調 査 出 土 土 器

(1 :4)

‑ 39 ‑

る ことが で き る。

A期の 大 嘗 宮 は、 大 極 殿 閤 門 下 層 で 検 出 した 掘 立 柱 建 物 の 門 (SB l1210)心 か ら

88.8m(300尺 )の

位 置 に北 門 を設 定 し、

BoC期

は朝 堂 院 区 画 の北 端 か ら14

2.08m(480尺

)の

位 置 に南 門 を設 定 して い る。 す な わ ち 、A期大 嘗 宮 は 、 大 極 殿 院 、朝堂 院地 区 の下層 掘 立 柱 建 物 群 と並 存 す る可 能 性 が 極 め て 高 い 。

ま た、 いず れ の時期 の 大 嘗 宮 も、 悠 紀 院 の東 西 長 が 南 北 長 の ほ ぼ

1/v7に

一 致 し、宮 内部 の地害1、 建 物 配 置 の 随 所 に、 この 比 率 に基 く計 画 意 図 を読 み と る こ

とがで き る。 そ して大嘗 祭 の 中 心 的役 割 を荷 う正 殿 の 位 置 を、 西 北 隅 の柱 位 置 を 基準 に位 置 設 定 を行 って い る こ とが 判 明 した 。

さて 、大嘗 宮 に関 す る記 載 事 項 は、 平 安 時 代 の『 儀 式 』・ 『 延 喜 式 』 等 に散 見 され るが 、復 原 す る と第 8図・ 第 9図の よ うに な る。

『儀 式 』 に よれ ば 、建 物 の規 模・ 平 面 形 の他 、 宮 内部 を 中籠 に よ って悠 紀・ 主 基 両 院 に2分 し、 さ らに 臼屋・ 膳 屋 区 画 、 正 殿・ 御 厠 区 画 に細 分 す る とい う区 画 に関 す る事 項 が記 載 され て い る。 これ に対 して 『 延 喜 式 』 で は正 殿 の 区 画 に関 す る記 載 が み られ な い。今 回 検 出 した大 嘗 宮 悠 紀 院 遺 構 は、 この両 者 と部 分 的 に共 通 して い る。 と りわ けB・ C期 の各 建 物 規 模・ 構 造 は『 儀 式 』 と酷 似 し、 区 画 は

3時期 と もに『 延 喜 式 』 と相 似 す る傾 向 を呈 す る とい え よ う。

― ―――――――――玩T夏――‐

1

1    主 基 院

+│

口 日

第 12図 『儀式』か ら復原 され る大 嘗宮平面図 (単:尺)

第 13図  『 延 喜 式 』 か ら復 原 され る大 嘗 宮平 面 図 (単:尺) JヒF月

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ドキュメント内 モ 芽三重塾郊 1芋 (ページ 35-41)

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