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ドキュメント内 日本語とスペイン語(1) (ページ 160-200)

文は暗示的に → 文脈のなかで エラーである   解釈が再能か?

    /一一フ

  r./ 一  一

/ /

 はい

  , 目標言語で 正しい文を作れ   s

エラー文と正しい文を 比較検討せよ

はい ・帥

母艦語を瞑標言語に 翻訳して文を再構せよ

  いいえ    ・

学習者の母国語は わかっているか?

戯←

エラー文を 母閣語に 翻訳した文 はその文脈で 解釈が可能か?

はい

いいえ

→いいえ

e

エラー文を 詑録して 保管せよ

H酋対照研究とエラーアナリシスとトランスリンガル・アプローチ 上阻博人

 ピット・コーダーのエラー・アナリシスの状況は学習者の意図する意味が解釈でき るか/できないかという点と母国語がわかっているかどうか,という点で処理の流れ が変わる。ところが,作文(翻訳練習)であるならば,学習者の意図する意味はすで に与えられた日本語だし,また母国語(日本語)も当然わかっている。先の図式にな らって説為すると,次のようになろうかと思う。ここで畷示的誤り(overtly idiosyncratic)と暗面的誤り(covertly idiosyncratic)というのはわかりにくい ので,文法の誤り(error de gramit ica)と慣用の誤り(errer de norPta)と言い換 えることにする。これはコセリウの「体系」(sistema)と「規範涯(norma)の区別 に対癒する。

学習者の文は

目標雷語の文法に   → 照らして正しい文か?

 ,  はい

文脈のなかで     → 意味をなすか?

 ,  はい

エラーではない

いいえ→文法的に      エラーである

いいえ→ 慣用的に      エラーである

 慣用的なエラーの説明は簡単である。つまり,「文法的には正しいが,実際にはそ うは言わない」ということである。説瞬は簡単だが,その習得となるとルールではな くリストに属するのできわめてやっかいだ。これは学習者が白虹のレベルに達して,

いわゆる罫鰹滞期」(piateau)の毅隈になったときに多く直面する問題である。学 習者が1つ1っコツコツと克服していかなくてはならないことだろう。たとえば,次 がその携だ。それぞれ文法的には正しいのだがが慣用ではないと読明される。

 O fiesta rk.de deportes [deportiva]

 O Es muy agradable deslizarse eR unos esqufs *de [desde] la cumbre de la colina hermosa *con [cubierta de] la nieve.

玉研究

 また,方言の違いも慣用的なエラーと見なされる。つまり,スペイン語の「体系」

に属すのでその点では正しいのだが,もしスペインの墳用を学ぶという霞的があるな らば,エラーとなる。もちろん,これは方言を差別するものではない。スペイン以外 の特定のバリアントを学ぶならばスペインに特有な表現はエラーとなる。

 O Estoy interesado eR la colecci6n de seHos de correo *del exterior

[extranje?os].

 O Debe hacer algiffi deporte al aire l ibre, no te encierras s610 en tu

*pleza [cuarto].

 O Es muy agradable ofr el canto de los p5jaros cuando me despierto *en

[por] la mafiana.

 一方文法的なエラ…は,ルールに属することなので教室で適当な指示があってしか るべきだろう。ルールに属することをljストとして級うことはかけ算を知らないで足 し算ばかりすることと欄じである。そのための教材は,まさに学習考の巾問言語にあ る。これを大いに活用して教室にフィードバックするのが効果的だ。そのほうが学習 者にとっても農らの体験と薩接にかかわらない例文で理解するよりも,ずっと身近に 感じて受容されやすいのである。

 最後に,研究者としての立場からの提案をしたい。これまでの文法研究は,圧倒的 多数が目標言語(スペイン語)の固有の問題を級つたきわめて理論的な研究である。

そのおそらく20分の1にも満たないのが母国語と目標言語との対照研究であろう。

そして,ここで扱った中間言語から見た冒標言語の研究は一部のわずかなエラーアナ リシスを除けば皆無に近いという状態だ。この時期に,教室の現場で採集されたトラ ンスリンガルなさまざまな問題点を整理してファイルしてみれば膨大な数の項欝とな るだろう。これは1個人の研究ではとうてい処理が不可能な量である。そこで,トラ ンスリンガルな問題点の揃摘,およびその解決策を話し合う場があってしかるべきだ と思う。それには,教育。研究者の編広いネットワークを作り,活発な研究会を器催 し,認頻度のレポートを発行しなくてはならないだろう。しかも,ここでの中心テー マが田本人の学習者の中間言語からみたスペイン語の問題点であるために,外国での 理論・実践的な研究成果を待ってはいられないのである。

掃頭対照研究とエラーアナリシスとトランスリンガル・アプローチ 上田博人

5.日本語教育とスペイン語教育

 以上述べてきたことは,スペイン語教育の現場とスペイン語学という理論をどのよ うに実際的に結びつけるかという課題について,私なりの考えをまとめたものである。

もちろん,両者は切り放してとくに関連づける必要はなU、,という意見もあろうかと 思う。しかし,研究者でもあるが,教師でもあるという社会的な立場はそれなりの責 妊があるはずだ。また,濁者が有機的に結びつけられれば,学習者も教師も大きな動 機づけがえられるし,教室は活性化されるだろう。その結果として,私たちが何より も望んでいる学習者の外口語の能力向上に役立つはずである。

 立場をかえて,日本でスペイン語話者に日本語を教育する人にも,ぜひ中間言語の 詳細な観察とその観点からの日本語の考察を勧めたいと思う。私の手元にはわずかな 資料しかないが,それでも,これまでに述べてきたことと同ごことがあてはまるよう な気がする。たとえば,早稲田大学の乾英一残は論文「スペイン語教授法の問題点:

「作文」の位置づけ」 r語学教育論集6』 (早稲田大学語学教育研究疲,1991)で次 のような興味深い日本語の傍をあげている。これは文通を希墾するバルセロナの大学 生の日本語文である。字の間違いはそのままleしておく。

(1)私は19年です。

(2)あなたにかきたいです。あなたはかきますか。

(3)私は日本こも大学でべんきょうします。

 中間言語を示すこの日本語文から乾氏は次のような分析をしている。まず,原文と 考えられるスペイン語文はこうである。

(1) Tengo diecinueye afios.

(2) Guiero escribirte. 8Me escpibes?

(3) Estudio tambi6n el japon6s en la Universiciad.

 例1の場合は,afio=「奪」という形でこの単語を理解しているものと思われる。

例2の場合はescribirのr手紙を書く」という意味がとらえられていない。例3で は,現在形を「…する」という形でしか理解していないことがわかる。r…している」

は未習なのだろう。

 これが,乾残の分析だが,私はこれらがそのような中闘言語の現れではなく,辞書 や教科書をそのまま使ったinduced error である可能性も考えられると思う。しか

1研究

し,これらはすべて推壁にすぎない。やはり,直接本人に会って確かめなければわか らないことだろう。そのための理想的な環境は,まさに教室だと言える。トランスリ ンガル。アナリシスの観点から見てとても教えられるのが,酒入郁子/佐藤由紀子/

桜本紀子/中村貴美子/申村轟子/由匿あき子氏のr外国人が日本語教緬によくする 100の質問』(バベルプレス,1991)である。そこには「新宿に行く/新宿へ行く」,

「太った人/太っている人」, 「風邪をひかないように/ひかないために」など興味 深い例がたくさん示されて研究されている。これらはともすれば任意的な対立,つま

りどちらでもよいなどと判断されがちだが,「教室」というトランスリンガルな場で はもっとシビアなものがあるようだ。その点,私たちスペイン語教師が見習わなくて はならない。

 ところで,作文の授業について,乾氏は先の論文のなかでとても大事な点を指鏑し ている。乾氏が在外研究のためにスペインに滞在申に,マドリードの外灘語学校のス ペイン語の先生の依頼で,H本人学生の作文のエラー分栃を手伝ったときのことであ る。ある学生の次のような内容のスペイン語文が問題となった。その肉容は

 f夏休み中に両親が日本からやってきて,私の通っている学校を見たいというので 連れて来たところ,ずいぶん小さくて,きたない学校だと言われた。外見は立派では ないかもしれないが,中身はとてもいい学校だと反論した。だから,私はく両親が私 の言ったことを信じてくれるように,〉がんばって勉強しなければならない」

 というものだ。ここでく…〉の中が,スペイン語でpara creer en mis palabras となっていたので,スペイン人の教師はこれを「自分の撮ったこと,すなわち,この 学校がよい学校だということを信じて3と,解釈してpara creerではなくcreyende の闘違いだと考えたのである。しかし,乾浅は,日本人留学生の作文であることを考 えると,ここはく…〉のような文脈であると考えるほうが自然で,本来はpara que crean...と接続法を用いるべきところだったのだ,と述べている。接続法が難しい ので前向調+不建詞を用いるのは日本人のerror o{avoidanceであるというわけで

ある。

 そこで,乾氏はrこうした作文の授業は,本来日本人教員とネーティブ。スピーカ ーが共同で行なうべきであり,そうすることによって,最大の効果が得られる」と主 張している。私もそれを実践してみたが,たしかにネーティブと日本人とのどちらか だけでは多くの大事な点が見過ごされてしまうようだ。たとえば,次はスペイン人教 師(東京大学教養学部のハビエル・リャノ氏)と私(上田)の勇析が食い違った例の

一一薄蛯?る。

ドキュメント内 日本語とスペイン語(1) (ページ 160-200)

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