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ドキュメント内 アジアの動向 シベリア開発 1964 (ページ 30-51)

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シベリャ開発 V第2回アジア・アフリカ会議へのソ連の参加を妨害する中共指導者の企図を非 難抗議する声明をキノレギス政府が発表した。 「キルギスが中国に隣接しソ連領中央 アジアの一部である事実さへも否定しようというのか

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5月17日

〔中央アジア〕

Vトルクメン共和国閣僚会議議長Gafurovは, 「5月14日及び15日付西欧諸国の 新聞がUp I電としてトルクメン共和国の首都アシュハパド市に大地震がおこり市 の大半が崩壊し死傷者多数を出したと報道しているのはデマである

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と語った。

5月19日

〔悔東]

Krasnoye Znamya紙によれば5月19日から5日間にわたり,極東及び東シベ リアにおける国際問題解説者の地域理論会議とゼミナールがウラジヴォストークで 聞かれた。

プリモルスキイ工業KRAYKOM書記Antokhinが開会の辞を述べ,共産主義建 設に関する宣伝活動の強化?国際情勢の解説の強化,第1インターの結成百周年記 念、日等についての討論が行なわれたO

5月21日

〔極東〕

Vブラゴヴェシチェンスク市ソヴィエトは最近の第8回集会で市検察官の手にな るレポートを検討し,少年の怠惰と犯罪の防止に関する討論を行なった。

〔中央アジア)

タジク共和国最高ソヴィエト幹部会はタジク最高ソヴィエト第3回会議をドゥ シャンベで1964年6月17日開催に決定。

5月22日

[東シベリア〕

Vブリヤート自治共和国のウラン・ウデ市ではロシア共和国文化協会後援の広域 ゼミナールがひらかれ,仏教,ラマ教,シャーマン教その他に関する無神論教養講 習が行なわれた。モスコウ,イルクーツクラヤクート自治共和国, トゥーパ自治共 和国,ハーカス自治什

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,ハンティマンシィスク民族管区, ウスト・オノレディンスキ イ民族管区,アギンスキイ民族管区及びブリヤート自治共和国の各地区,各都市か

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シベリヤ開発

らの科学者達がゼミナールに参加したc又,科学労働者,医師,農業専問家,作家,

党とソヴィエトの代表者達もゼミナールに参加したc

5月23日

〔極東〕

Vウラジヴォストーク市のKrasnoyeZnamya紙はその論説の中で、次の様に報じ ている。 Spasskiy地区のYevgenevskiy国営農場の第3部門の政治宣伝員達は春期 耕作労働に契約したソフホーズ労働者達の問で集中的な政治宣伝を行なっており,

労働規律の違反や怠慢あるし、は国家の損失のかげで得をしようとする者達との容赦 ない闘いを行なっている。しかしその一方ではNakhodkinski y地区のPartizanskiy 国営農場のように労働者の政治活動が低調なところもある。 Irnanskiy地区, Olgi‑ nskiy地区, Chuguyevskiy地区等の谷間でも農業労働者の大衆政治活動に十分な 関心が払われていない。

Vユージノ・サハリンスク=モスコウ間及びユージノ・サハリンスクェkニング ラード聞のイリューシン18型機による定期航空便が開始されて以来ユージノ・サハ リンスク空港では余分の仕事が増えた。つまり肉,魚,天然ジュース,ソーダ水、

料理等を特別な車でレストランから運びこまねばならなし、からであるc

5月25日

〔極東〕

V日本の木材輸入会社の社長と名古屋沿岸貿易促進協会々長に率いられた業者団 の一行はノ、ノミロフスクにおける5日間の日程を終了した。この輸入業者の一行はソ 連における木材買付増加の可能性を調査する為, Vyazemsky木材工業キャンプ,

Khorsky木材コンビナート, Dormidontovskiy製材工場等を視察した。業者団の 代表は「今までソ連から輸入していた量の数倍の木材を日本は必要としているが,

その点でハパロフスク経済地区の木材生産執行委員会との間に合意が成立した」と 語った。

V全連邦旅行協会は1964年度からサハリン州への新しい旅行ルート(No.144)を 開設しつつある。 No.144ノレートによれば本土からの旅行者達はユージノ・サハリ ンスク(豊原)と GornyyVozdukh宿泊地を訪れる事ができる。彼等は10日間の 滞在期間中にAnivskoyeVymorye 海岸やTunaycha湖畔にあるハンターや釣天狗 達の家を訪れる事もできょう。

Vマガダン放送によれば,

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源地の新砂金鉱山Polyarnyy鉱山にも春が訪れ,洗砂 一( 30)一 ‑258‑

シ ベ リ ヤ 開 兎

作業が開始されるつ 5月27日

〔極東〕

Krasnoye Znam̲ya紙は5月27日 戦闘的無神論者達 と題する全連邦知識人 協会々員プリモルスキイ地方書記Ivashchenkoの論説を掲載した。彼はその論説の 中でいかに多くの講師が教会牧師の非科学的ドグマの仮而を剥ぎ,偏見と闘う為に 働いているかという事を報告している。

V極東赤旗国境管区警備隊司令官A.K. Kosovets少将はハバロフスク放送局か ら15分間にわたって演説し,その中で国境警備隊の歴史について語り,その功績を 激賞した。又,ソ連国境の警備に関して警備隊とソヴィエト人民の密接な協力の必 要について指摘し,前2回の大戦中ソ連国境を侵犯した者を逮捕する為個々の警備 隊員が示した勇敢な事例のかずかずをあげた。そして 国境警備部隊にとって最も 重要な事は国家の防衛能力を強化する為あらゆる可能な道を求め続け,ソ連国境に おける敵の陰謀に対抗する為倦む事なく警戒心を存続させる事である と結論し fO

V日本を訪問していたミコヤン第1副首相の一行は羽田発ウラジヴォストークへ 向っfO

〔カザ、フスタン〉

Vパブ、ロダーノレの葡萄酒ウオートカ工場長Bertaze会計主任Tochev等の一味は 25年の久しきにわたり国家の財産約30万ルーブル以上を着服していた科で銃殺刑に 処せられたっ

5月28日

:極東]

5月27日日本からの帰途,ウラジヴ♂オストークに立寄ったミコヤン第1副首相 は28日空路モスコウへ出発した。途中,彼はクラスノヤルスクに立寄り,クラスノ ヤルスク動力機械工場を視察した。

新しい水中翼船ロケット号がハパロフスクからプラゴヴェシチェンスクへ到着 した。ロケット号は時速60〜70kmを出すことができる。 ロケット号はブラゴヴェ シチヱンスクと Poyarkovo聞の旅客便に使用される予定であり, 片道170kmの巨 離を3時間で結ぶ事になろう。

〔中央アジアユ

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シベリヤ開発

V第46回国境警備隊記念祝典がアシュハパドで開催されトルクメン共和国第1書 記Ovezovが祝辞を述べた。また,中央アジア国境警備隊司令官Kuznetsov少将が 演説を行なった。

5月29日

〔極東〕

vウラジヴォストークのKrasnoyeZnaη1ya紙によれば来るべき極地航海シー ズンに際し極東汽船総局は強力な氷海航行能力を持った多数の船を急派しようとし ている。極東汽船総局,極地供給総局等に所属するディーゼル電気船アンガラ号,モ ーター船アンガラレス号,アノレダンレス号等幾つかの船が北洋で操業される予定。

' 5月29日付KrasnoyeZnαmya紙によれば, 5月28日のソ連国境警備隊祝日に あたり,ウラジヴォストークの太平洋国境管区警備隊本部で、祝典がひらかれた。太 平洋国境管区警備部隊の政治部主任Anikushin大佐は祝典の席で 太平洋国境管 区の兵士達の軍事的任務 について述べた。祝典に列席して祝詞を述べた者をあげ るとプリモノレスキイ工業KRAYKOM書記Maksimtsev;太平洋艦隊司令長官第一 代理海軍中将Vasilyev;等で,太平洋国境管区警備部隊の指揮官hanov少将がミ

コヤン第一副首相の代理として祝辞をのべた。

5月30

〔極東〕

Vマガダン市の25回記念祭として博覧会が開催される事になった。博覧会は大き な工業地帯の中心としてのマガダン市の発展ヲ建設の業積等について展示が行なわ れるであろう。

Vオブルーチェ管区の鉄道員はモスコウ時間の5月30日午前0時をもって夏季運 輸スケジューノレに服務を切り変える。

Vウラジヴォストークで日本の労働者から贈られた品々の展覧会が催された0

6月2日

〔極東〕

Vチュクチ,エスキモー,エヴェンキーラ及びヤクート人達はしばしば彼等に対 する大衆政治教育に従事しているマガダン州の 赤い天幕 隊員の訪問を受けてい る。 赤い天幕 隊員達は猟師達やトナカイ牧畜者達に党と政府の決定を説明し,

又鉛加工法(散弾細工の事か?〉を普及している。 1964年の第い四半期にUst‑Bel‑ skayaの 赤い天幕 隊員達は「農業経済における化学」「労働手帖」「隊員の公的

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シ ベ リ ヤ 開 発

責任」 「子供の育て方」等の主題で講習と討論を聞いた。加えてフィルムと写真が 見せられ,新聞や雑誌が読まれ,最も新しいニュースについて討論が行われた。コ ノレホーズやソフホーズの主任達は 赤い天幕 隊員達に助力を与えた。しかしチュ

クチ民族管区の行政委員会と地区生産局はそうするように指図しなかった。

6月3日

〔極東〕

Vユージノ・サハリンスク空港はサハリン州及び本土の空港向けの,各機関や企 業からの輸送を無制限に受入れるであろう。民間航空総局は最も速いサービスを用 意する。ユージノ・サハリンスクニハバロフスク聞は1日4回AN‑10型機の便が あり,ウラジヴォストークとの聞には1日1回AN‑10型機の飛行使を設ける。

Vコノレイマ河の氷結が解け, 6月2日からこの河の航行が開始された。Srednekan 波止場には新しい桟橋とクレーンが備えつけられた。 6月3日モーター客船モスク ヴィッチ号がZyryankaを離れた。この快適な船は65人の乗客を運ぶことができる0

6月5日

〔極東〕

, 1964年度マガダ、ン州漁業労働者消費組合は10台のセダンを受取る予定である が,その内 3台はヴォノレガで 7台はモスクヴィッチである。これらの車はマガダン 州の最も重要な漁業労働者に売られる筈である。

6月6日

〔束シベリア〕

V東ドイツ社会主義統一党中央委第一書記ウルブ、リヒトとその妻や随員達がIL‑

14型機でクラスノヤルスクへ到着し, クラスノヤルスク農業KRAYKOM第一書 記Kokarev;クラスノヤルスク工業KRミYKOM第一書記GavrilovPodolskiyそ の他の歓迎をうけた。

〔中央アジア〕

' 6月5日に開催されたウズ、ベク共産党中央委員会総会は6月6日閉幕した。総 会は日常生活における文化水準の向上と過去の因習克服について討論した。レポー トは中央委第一書記同志Rashidovによって書かれたO 総会関係者は1964年度にお ける建設機関の公約遂行の予想結果を要約した。それによると農業増産を成功させ るという観点から多くの濯瓶・改修工事が進められ,例へばアム河=ブハラ聞の運

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