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ドキュメント内 棲神 第貳拾號 (ページ 45-85)

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そ示し給へる聖制に遣す︒問中智事氏の﹃本化開導法﹄亦本論に指点せる所の如し︒因ては悲に断然﹃新講賂﹄推薦者間一

涯を表明す︒

脅して誌に至り勝に筆を捕かんとするや︑恰も﹃講座﹄第九披凡上に落つ︒一瞥するに﹁本紗講義﹂一九三|一九六に至

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0  

る云云して予の名を的指して破立す︒請ふ本論と例讃精研搾べ宜く揮ペ揮ペ揮べ意︒

=︑

複恰

も十

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六日

強行

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岡臨

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部報

﹄量

一畑

︑予

が山

崎主

筆に

寄ぜ

たる

私信

を載

す日

望月教授の論評公表を望む

古 愚 生

今夕は恰も仲秋明月︑嵐の後の明月一段爽朗︑︷一不門恩卑政界も亦斯くあり度きものたり︑貴報昨日接手︑貴夏講舎に

望月帥が己心義論評ありし出話法法悦此事︑天下皆然るべきに︑我一小開誠一仰の航︑宗壊の衰頚宗門意識の消耗設に至つ

て極まる但望月師が此論評会聞を悔るは如何︑営仁不謹師︑感問研究の前に︑先後輩何の惜る所かある︑是の如き

は寧ろ宗撃に不忠賞︑製人として無責任なり︑特に況んや同師は宗患の新人として︑高間と双壁︑天下の具謄す乙所

如何に︷一部義に冷淡なる宗門にても︑望月高聞の批評を明作し居るもの一にして足らざるは︑予の許への一音信にて知ら

る︑更に況んや師は五日大撃の重要地位に居る︑五日大撃の代表のでとしても︑公Kk天下に登表して指針たるべき責

務あり︑復何の遠慮する所ぞ︑吾師よく此意を致して︑是非高間の﹁日蓮宗安心﹂谷両言と共に公表を切望す︑尤も師

は﹁

行者

の己

心﹂

義に

して

︑﹁

法界

周遍

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心﹂

又は

﹁伸

界川

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一念

﹂な

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共﹁

本抄

講義

﹂に

明瞭

なり

︑而

も共

行門

に於て云々は︑暗に予を許せるものL如くたるが︑此は未だ予の﹁信行翻心﹂︵紋天台の法行観心に簡ぷ︶の義を詳にせ

山川智膝氏の﹃親心本命紗四十五字法体段正義の結論﹄を許す

山川智勝氏の﹃幅削心本命沙問十五字法体段正義の結論﹄を湖町す

~-

ざる

に必

一す

. . . . .  

斯くて﹁己心﹂は凡夫の己心にで﹁本僻巣上の一心一念に﹂非ぎるとと︑と三人一致否宗門古今同一決定義也︑濁り同

中居士在って﹁本伸果上の一念﹂なる新義を創唱︑而して共門下は﹁先賢未道破の妙義︑六百年来未だ本紗が讃めざり

し云々﹂と巣して然るか鳴呼悶別して然る耶︑余は古人の今人よりも真面目に︑特に信仰の殻露なる製設を信ぜんとす

る者也︒叉︑近く出んとする﹁棲一脚﹂に否忍公大論評を川せる山︑余亦彼誌に出たる山川氏の結論に封する簡単なる諒

飴感を寄稿せり︑併せ讃み且つ貴誌に時載を望む︑東京及甲駿豆は宗門の中心地也︑法義中心を以て自ら任じ︑天下

闇宗の指南たらざる可からや︒︵中田谷︶是より秋涼脊灯父親好季節﹁直義﹂を讃且論評せんかな︒先つは課忙中早々不

蓋九月廿三日

望月師が夏講にて共意見の紙上掲載を許さどりしは諜停を慮ての事・なるべく師自ら機を見て公表すべしと口約され

たれば清水先生の書中不穏の句あるは先生の誤認なり望月師の詩め敢て附記す

記 者

と︒此日復恰も望月敬授に曲学校に舎ふ乃ち此意を致せるに師言く︑﹁雨家に聞はら・歩︑調自に優陀那和上の一念三千義

を近く穆報に殻表せんとす云々﹂︑讃者請ふ剖日市待語︒

JA

 

撃 人

自 題 ニ 親 心 本 隼 紗 鎖 仰 稿

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部 首

仰ヶ

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高タ

今錆

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愈堅

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宜哉 本化 別頭 ノ篇

章安

法華

玄義

私記

雄起

ノ序

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︑幸

哉擢

頂乃

至奉

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シ玄

義寸

倉野

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愈莞

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木虫

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日︑

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2

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口 止暇 断眠 探す 妙玄 イ︒

自註

n断話勺聾h

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昭和

八年

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十二日華ゴ其ノ納骨式て予亦参拝焼香︑議ヂ実J近稿翻心本隼砂錯仰於墓前一︑恭賦二章

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日 淵

近代輝師蔑す以テ加ゴ︒

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ノ筆

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組連縦横断す乱麻サ

白註

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今和

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命世

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人也

深憂

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一ァ

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焼香

ノ詩

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宗皐衰微奈す此ノ時イ︒身軽法重平生ノ志︒唯有ゴ吾郎ノ泉下=知↓︒

自註

病中

組一

一越

メ和

上て

草山

観心

木隼

紗錯

仰て

時結

故云

︒ 迫 詑

山川氏の結論中にもあったが︑飴りの愚さ︑否共牽強附曾苦舎典樟が何人にも容易に解かるととであるから排安を省

ヘ十 一月

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暮し

ても

Mきたるに︑今﹃大日本﹄の本日一一読着駄目見する乙﹂本紗十講﹄︵一一﹁ハ﹀に親心の韮相の御本交を講じてf

t

﹃翻心ノ心如何︒答へテ日ハク︑翻心トハ我ガ己心ヲ観ジテ十法界ヲ見ル︑日疋ヲ翻心ト云フ也︒﹄

といふのが︑﹃観心﹄といふ語の定義なのであります︑自分の己心を観じて此の自分の己心の中に︑十周作三千の諸法

がたさまって居るそれを内省関験する︑それが﹃翻心﹄といふととである︒

これ

をば

今の

日蓮

宗の

事者

とい

はれ

るや

うな

人が

己心とあるから己心といふのは己れの心だ︑それに相異ない︑己

山川

智藤

氏の

﹃親

心本

命紗

阿十

五字

法体

段正

義の

紡論

﹄を

評ナ

山川智膝氏の﹃観心本学紗阿十五字法体段主義の結論﹄を許す

/I. 

心は己れの心だから必ず我々凡夫の心に限って居ると斯ういはれてゐる︑けれ左もそん・なことをいふと︑此の御型文

は解稗出来・ない︑此の御聖文には

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んなととを書いである︑此の御型文は十界瓦HA

れと

いふ

とと

を車

両い

てあ

る︑

十回

仲惑

く十回介を具して居る︑此の後の方に法華経の御文をあげて最初には方便品︑次に書量品︑それから後に十界悉く十回介

を具︑して居るととを明かにしである︑さうするといふと伸は併の己心の=一千がある︑菩薩は菩薩の己心の三千がある︑

ご乗には二乗の己心の三千がある︑若し二乗に己心のご一千が・なかったら二乗は成併するととは出来たい︑天上︑人問︑

下地獄まで皆己心の三千がある︑だから﹃我ガ己心ヲ翻ジテ十法界ヲ見ル﹄といふととは︑十界界乏母に皆己心を観

ゃるので︑それが翻心だ︑凡夫の心を観

AY

るととに限って翻心といふのではない︒

そと

で此

の﹁

翻心

本隼

抄﹂

の﹃

翻心

﹄は

れで

は何

もの

L己心を視歩るととを翻心といはれたのであるかといふと︑

とれは本仰が本伸それみづからの己心を観ぜられたものである︑即ち本仰の一念三千︑本悌の己心の三千︑とれが﹃翻

心本

隼抄

﹄の

﹃観

心﹄

とい

ふと

とた

ので

︑此

の﹃

親心

﹄は

︑だ

から

︑天

台大

師の

﹃翻

心﹄

とは

全然

違ふ

︑天

台大

師の

﹃翻

心﹄

凡夫の心を翻・ヂる︑自分の心を観ヂる︑自分の心から思い迷︒た心を鍛錬して︑そして悌性を用らき出させる︑斯ふ

いふ夙に︑本営に行ふたならば坐蹄するので︑:::天台の観法は坐伸して本首に翻歩るまでには︑二十五のさまん\の

訟を修して︑それからで・なければ翻心が出来ない︑なか/\難しいもので︑我々凡夫の己心を観じて十法界を見るな

らぽ︑天台のやうにしたければたらぬ︑そして二十五方便を行守るといふのは︑自分の心を自分で観じて︑共の中か

ら十法界を翻

4y

るやうな準備をチヤシトするのだ︑あらゆるととろに居て共のまL止観の観法をするといふととは出

来ない︑二十五方便の中には住居までも襲へる︑さうし・なければ止視の翻心は出来たい︑自己の心を観じて十法界

を見るととは出来たいとせられてゐる︒

一譲氏が四十五字法体の﹁己心﹂を本怖の己心に樺成せんとするに如何に苦心し居るかの献が歴﹄?とし

と母

一口

ふて

居る

て見られるではないか︒氏の言ふ通り御本文弐下に十界互共の経交を引いて詮せられるに︑初に組じて九界共働界の

設に方便品︑働界共九界の詮に書量品︒次に別して十界各十回停を具する文を引かれである所から︑今文の﹁観J

我ガ

己心

J

O

ロコ口口つ

D D O D O O

見山

十法

兆円

2

5

観心己の﹁我﹂を︑十界各各の﹁我﹂と解すべき義が無いでは危いが︑抑本紗は十界の中何界の親心

コつ口つ

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0 0 0 0 3 0

0 0 0 0 0 0 0

修行︵信行︶即身成伸宏明し給ふものたりやを思へ︒下地獄や畜生の其れではあるまい︒叉上菩躍︑悌の其れでもない

q D O D D O D O 0 0 0

口口

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 9 0 0 0 0 9 0 D 0 0 0 0 9 9 0 0 0 0 0

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即ち正しく人界の其れであるととは異論はあるまい︒果して然らぽ十界各共の文詮は︑意絡に人界共働界を究寛せん

0 0 0 0 U D O U O O

口口

0 0 0 D U 0 0 0 0 0

つココ

o o o

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−−

U 9 0

コつ

D 0 3 3

O

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︒が何時めなるとと前後の文義の闘聯総じて本紗の始蜂起聾が︑専ら人界の己心に約し給ふζと誰か之を争はんや︒稜端

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0 9

D

0 0 0 0 9 0 0 0

口口

0 0 0 0 0

標章

の﹁

夫レ

一心

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品十

法界

ご之

コ心

﹂結

文の

﹁不

同識

訂一

念三

千ザ

者﹂

之﹁

不識

者﹂

も︑

よも

地獄

や高

生で

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い︑

ヮ︒コO

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況や

菩薩

︑備

をや

ち正

しく

我等

人界

の一

心也

︒此

﹁観

苛我

ガ己

心ザ

見出

十法

回全

是ヲ

一耳

目親

心己

と以

て我

等が

十界

王共

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︒口口

3 0 q o o J D O J 0 0 0 0 0

明鏡たる本隼に封して︒信心唱題の研磨を掛けて︑己心の相貌即ち本伸休内の我たるととを翻心信行せしむる.是bL

0 0 3

コ コ コ コ コ つ ロ コ つ

2 3 0 0

我家信行翻心といふと示し給ふ文也︒

3 0 J 3 3 3 3 0 0 0 J 9 0

つココ

0 0 0 0 3 3

甘口

O O D O D O

0 3

ヨコ

3 3 0 3 0 0 0

つコ

O

3 0

此我家の信行観心たるや︑民の言ふが如く︑彼天台の翻心のやうに二十五方便や十乗観法乞要しない︑但事の一念一一一

J

3 0 0

口コ

O

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口コ臼つ

2 0 3 3 0

コつコ

9 0 0 0

O

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ロ つ コ コ 口 コ

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千の妙境なる本隼に封して事の一念三千の妙観即ち本怖は我等が父たり我等は子怠り・父子一体生働同体天性相闘任

3

O J 0 3 3 0 0 3 0 0 0 0 3 0 0

運相

費︑

故に

子が

父を

慕ふ

謂ゆ

る﹁

一心

欲児

伸︑

不自

惜身

命﹂

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に﹁

時我

及衆

信︑

倶出

霊鷲

山﹂

で水

不コ

上︐

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下︐

降て

而毛

水月

相映

字︑

感膳

道交

功徳

a加はるの謂で︒是が正しく我家の事観事行の翻心の義相である︒組題の﹁親心﹂

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も今

文の

﹁観

口我

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心サ

見出

十法

国外

↓是

一耳

目翻

心己

の﹁

観心

﹂も

︑選

般の

﹁翻

心︐

法門

﹂の

﹁親

心﹂

も皆

的く

此観

心を

指し

給ふ

山川智路氏の﹃親心本館沙問十五学法体段正義の結論﹄を評す

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ドキュメント内 棲神 第貳拾號 (ページ 45-85)

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