第3章 評価方法及び測定原理
3.9 ラマン散乱測定
3.9.1 はじめに
対象となる物質に光を照射し、散乱光の振動数と入射光の振動数の差に対して散乱光強 度を測定することで、ラマンスペクトル(Raman spectrum)を得ることができる。ラマンスペ クトルには通常、赤外分光法で得られる赤外スペクトルと同様に、物質特有の振動スペク トルが現れる。そのため、ラマンスペクトルは赤外スペクトルと同様に、物質の同定に優 れ、物質の分子構造、幾何異性、コンホメーション、水素結合、化学結合の状態などに関 する情報を与える。ただし、ラマンスペクトルと赤外スペクトルでは選択律が異なるため、
得られる情報は同じでなく、相補的である。ラマンスペクトルを測定し、物質の同定、構 造などの研究を行う実験の方法をラマン分光法と呼ぶ。
3.9.2 原理
ラマン分光法は、光の散乱現象に基づく分光法である。ある物質に振動数iの光を照射し、
入射光方向と異なる方向へ散乱されていく微弱な散乱光を分光器で観測すると、散乱光の スペクトルが得られる。得られた散乱光のスペクトル線を振動数ごとに整理するとi、i ±
1、i ±2、…のような関係が成立している。入射光と同じ振動数を与える光散乱をレイリ ー散乱(弾性散乱)、i ±R (R > 0)を与える光散乱をラマン散乱(非弾性散乱)と呼ぶ。ラ マン散乱の内、i -R の振動数をもつ成分をストークス散乱、i +R の振動数をもつ成 分をアンチストークス散乱と呼び、区別している(Fig. 2-8)。入射光とラマン散乱光の振動数 差±R はラマンシフトという。ラマンシフトは物質に固有であり、物質ごとの運動状態に 対応するエネルギー準位に関係づけられる量である。
Figure 3.18
光の量子論では振動数 を持つ光は Einstein の関係式で与えられるエネルギー E をも
35 (a)
(b) E2
E2
E1
E1
hi
hi
h(i + R) h(i -R)
始状態 終状態
Fig. 3.19 (a)ストークスラマン散乱、(b)アンチストークスラマン散乱
つフォトンの集合と考えられる。ここで、 h はプランク定数である。このような見方をす ると、光散乱は入射したフォトンと物質との衝突過程と考えることができる。入射フォト ンと物質の弾性衝突による散乱がレイリー散乱、非弾性衝突による散乱がラマン散乱であ る。ストークス散乱では、入射フォトンのエネルギーと散乱フォトンのエネルギー差 hR
だけが衝突時に物質に与えられる。アンチストークス散乱では反対に、hRのエネルギーが 物質から奪われる。
ラマン散乱の過程で授受されるエネルギーは、物質を散乱の起こる前の状態 (始状態) か ら後の状態 (終状態) へ遷移させるのに必要なエネルギー (遷移エネルギー) に等しい。Fig.
3.18の物質の2準位モデルにてこれを考える。
ここでは物質はエネルギー E1 及び E2 (E1 < E2) をもつ2 つのエネルギー準位として モデル化されている。ストークス散乱では、最初、準位E1 にあった物質が hi の入射フォ トンが h(i -R) のフォトンに変換されるのに伴って、準位 E2 へ遷移する。散乱の前後 でのエネルギー保存則から
1
2
E
E h
R
の関係が成立しなければならない。アンチストークス散乱におけるラマンシフトは、(3.11) 式のE1 とE2を入れ替えた式で表され負の値をとる。
アンチストークス散乱の強度はストークス散乱の強度に比べて弱く、その傾向はラマン シフトの絶対値が大きくなるにつれて著しくなる。一般に、観測されるラマン散乱強度は 始状態にある物質が終状態へ遷移してラマン散乱を起こす確率と、物質がその始状態にあ る確率の積に比例する。Fig. 3.19によれば、アンチストークス対ストークス強度比 (IaS/IS) は 物質が準位E1にある確率とE2にある確率の比に等しい。熱平衡を仮定するとこの比は
(311)
36
Boltzmann 分布によって与えられる。
kT
h kT
E E I
I
RS
aS
exp
exp
2 1ここで k は Boltzmann 定数、Tは物質の絶対温度である。特殊な例外を除いて、ラマンス ペクトルは強度の強いストークス散乱のみを表示すれば十分である。事実、そのような方 法が用いられている。それは、アンチストークス対ストークス強度比 (IaS/IS)による物質の 温度測定を除き、アンチストークス散乱が与える情報が、ストークス散乱が与える情報と 質的に同じであるためである。
3.9.3 実験系
Filter2
Ar-laser
試料 Filter1
Lens1
Lens2 Lens3
PC
分光器 検出器
ミラー
Figure 3.20
(3.12)
37 参考文献
1. 高良和武・菊田清志:『X線回折技術』(東京大学出版会、1979) 2. 大野桂一:『ESRイメージング』(アイピーシー1990)
3. 副島 啓義:『電子線マイクロアナライシス』(日刊工業新聞、1987)
4. T. Takahashi and S. Adachi, J. Electrochem. Soc., 155, E183 (2008).
5. 高輝度LED材料のはなし(日刊工業新聞社、2005)
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