Alfândega da Fé
Alfândega da Fé アルファンデガ・ダ・フェ
ここでは数々の考古学遺跡が発見されており、先史時代から人々が住み 着いていたことがわかっています。町の名前はアラビア語で宿を意味す る「アルファンデガ(alfândega)」から取ったもので、レコンキスタ後 に「da fe(信仰の)」という言葉が付け加えられました。
アルファンデガ・ダ・フェ(Alfândega da
Fé)は、北部内陸地域のいわゆる「terra quente(熱い土地)」に位置し ています。というのも、ここは冬は非常に寒く夏は高温になる地域だか らです。このあたりはアーモンドの花でも有名で、満開となる2月や3月 にはとても美しい風景を眺めることができます。
Alijó
Alijó
アリジョアリジョ(Alijó)はドウロ地区(Região Demarcada do Douro)の中心に あり、ワインの生産で有名な町です。この町には有名なポートワインを 作る農園がたくさんあります。
この町が初めて設立勅許状を受けたのは1226年にさかのぼりますが、先 史時代から人が住んでいたことを証明する遺跡がいくつか見つかってい ます。
Amarante
Amarante アマランテ
アマランテ(Amarante)を訪れる人は誰でも、町を見下ろすようにそび え、壮大な景観を形作っているセーラ・ド・マラォン(Serra do Marão)と、ガリシアを起点とするドウロ川(Rio Douro)の最大の支流 でアマランテの中心部を流れ、ほとりに立ち並ぶ絵のような家々に彩り を添えているタメガ川(Rio
Tâmega)という、2つの大きな自然の姿に圧倒されます。
この町はミーニョ(Minho)地方とトラス・オス・モンテス(Trás-os-Mo ntes)地方を結ぶ中間地点にあり、アマラントゥスという名のローマの百 人隊長がその基礎を築いたと考える歴史家もいます。13世紀に、ベネデ ィクト派の僧で人々に人気の高かった修道士の聖ゴンサーロ(Gonçalo)
がこのあたりを訪れ、イタリアとエルサレムへの巡礼後にこの地に住み 着き、のちに町の守護聖人になりました。聖ゴンサーロはタメガ川にか かる堅固な橋を今の場所に作ったとされています。
アマランテの橋は、19世紀初めにポルトガルを侵略したナポレオンがこ の町を攻めてきたとき、町の住民が勇ましく抵抗した記憶を今によみが えらせてくれるものです。この町はトラス・オス・モンテス地方への主 な玄関口となっているため、スルト将軍はこの町を包囲しましたが、こ こで住民の頑強な抵抗にあいます。町は将軍の激しい攻撃に2週間耐え抜 きましたが、大量の火薬を使ったフランス軍の砲撃についに降伏しまし た。
アマランテのお菓子やケーキは非常に有名で、この地方のケーキ屋やカ フェに行けばすぐ見つかります。パポス・デ・アンジョ(papos de anjo)、ブリザス・ド・タメガ(brisas do
Tâmega)、トシーニョ・ド・セウ(toucinho do céu)、ボーロス・デ・サン・ゴンサーロ(bolos de São
Gonçalo、galhofas)といったお菓子はぜひ名前を覚えてご賞味ください
。
6月の第一土曜日には、結婚願望の高いオールドミスに人気のあった聖ゴ ンサーロを記念するお祭りが行われます。
また、ここを訪れた人には必ずセーラ・ド・マラォン(Serra do Marão)
へ足を伸ばし、息をのむほど素晴らしいその景観を楽しんでいただきた いものです。A4号線を20キロほど行ったところにあるポザーダ・デ・サ ン・ゴンサーロ(Pousada de S. Gonçalo)はゆっくりくつろげる宿で、
ここからはポルトガル全土でも指折りの景観を楽しむことができます。
近くには快適なアンジアィンス(Ansiães)の谷があり、オヴェリャ川(
Rio Ovelha)の右岸にあるマスの養殖場を訪れ、そのついでに周辺の深い 森を散策してみましょう。
またペーゾ・ダ・レグア(Peso da Régua)へ続く道沿いにあるTravanca da
セーラトラヴァンカ・ダ・セーラ(Travanca da Serra)村は大変美しい 場所で、そこからはこの地方全体をパノラマのように一望でき、晴れた 日には、マラォン(Marão)、ジェレース(Gerês)、カブレイラ(Cabr eira)の山々が見えます。村の中での見どころはティシェイラ・デ・パス コアイス(Teixeira de Pascoais)一族が所有し、現在は観光に使われて いるカーザ・ダ・レバダ(Casa da Levada)で、中庭には2つの巨大な花 崗岩のエスピゲイロス(espigueiros)(トウモロコシを乾燥し貯蔵して おく貯蔵庫)があります。シャウン・デ・パラーダ(Chão de
Parada)にはドルメンがほぼ完全な形で残っています。
Amares
Amares
アマレスカヴァド川(Rio Cávado)の谷間とセーラ・ド・ジェレス(Serra do Ge rês)の間に横たわるこの地域は非常に肥沃で、オレンジとヴィーニョ・
ヴェルデの生産で特に有名です。
ポルトガル建国当時から、アマレス(Amares)周辺地域はここに定住し た様々な修道会の影響を色濃く受けて発展してきました。たとえばベネ ディクト修道会は11世紀にレンドゥフェ修道院(Mosteiro de Rendufe)
を建て、シトー修道会は12世紀にサンタ・マリア・ド・ボーロ修道院(M osteiro de Santa Maria do Bouro)を立てています。
近くにあるカルデーラス(Caldelas)の温泉は治療効果が高く非常に人気 があります。
Arcos de Valdevez
Arcos de Valdevez アルコス・デ・ヴァルデベス
アルコス・デ・ヴァルデベス(Arcos de
Valdevez)の町は、ヴェス川(Rio Vez)の谷間にありながら、豊かな緑 あふれる景観と伝統的な建物、特に大きな館の素晴らしさが印象的な、
アルト・ミーニョ(Alto
Minho)地方の魅力をふんだんに残しています。メジオ巨石地区(Núcleo Megalítico do Mezio)に展示されている様々な考古学の発掘物からも、こ のあたりには先史時代から人が住んでいたことがわかっています。
アルコス・デ・ヴァルデベスの町は、自然がありのままの姿をとどめて いるペネダ・ジュレス自然公園(Parque Nacional da Peneda-Gerês)の 中にあります。この地域には多くの快適な村落共同体があり、その1つ、
ソアージョ(Soajo)では住民が祖先の風習や習慣を今なお守り続けてい ます。
Armamar
Armamar アルママール
ドウロ川(Rio Douro)はつねに周りの景観に大きな影響を与えています が、その岸辺にあるアルママール(Armamar)の町は今なお穏やかで平 和な雰囲気に包まれています。
ここは農業地域で、最高品質のワインと、国内でも指折りのおいしいリ ンゴが生産されています。
13世紀に建てられたアルママールのロマネスク教区教会は、特に印象的 な記念建造物です。
Baião
Baião バイアォン
Baião(Baião)は非常に古い地方で、町の名は10世紀にムーア人を征服 してこの地域を手に入れたキリスト教の戦士、D.
アルナルド・デ・バヤン(D. Arnaldo de Bayan またはBayão)の名前に由来しています。
この地方独特の景観はドウロ川(Rio Douro)の影響を大きく受け、小さ な礼拝堂、館、大きな農園が風景の中にいくつも散在しています。アル ト・ド・バイアォン(Alto do
Baião)からは周囲の壮大な景色を眺めることができます。
Barcelos
Barcelos バルセロス
カヴァド川(Rio Cavado)にかかる古い橋を渡ると、そこは人気の高い ミーニョ(Minho)アートを象徴する有名な都市の1つ、バルセロス(Bar celos)です。
このあたりは先史時代の考古遺跡が残る地域ですが、バルセロス自体の 歴史は12世紀、アフォンソ・エンリケス王(D. Afonso Henriques)が住 民に設立勅許状を与えて村落を町としたときに始まります。その後1298 年、ディニス王(D. Dinis)が自分の侍従長を伯爵に取り立て、その権利 の一部としてこの町を与えました。
1385年には、コンデスターヴェル・ヌノ・アルヴァレス・ペレイラ(Co ndestável Nuno Álvares Pereira)が第7代バルセロス伯爵となりましたが
、彼は娘のベアトリス姫(D. Beatriz)とジョアン1世(D. João
I)の庶子、アフォンソ王子(D. Afonso)が結婚するとき、この町を持参 金として与えます。その後の一時期、バルセロスは大きく発展して力強 い成長を遂げ、橋や町の城壁が造られました。その名残は今でも、トー レ・ダ・ポルタ・ノヴァ(Torre da Porta
Nova)、パソ・ドス・ドゥケス(Paço dos Duques)、教区教会(Igreja Matriz)に見ることができます。
これらは今も町の中心的な歴史的建造物で、領主館や、ソラール・ドス
・ピニョーレス(Solar dos Pinheiros)のような歴史的な邸宅が、中世の 快い雰囲気をたたえて散在しています。
バルセロスの散策で見どころは、現在はカンポス・ダ・レプブリカ(Ca mpo da República)として知られる、古い催事会場です。ここには18世 紀のボン・ジェズス・ダ・クルス教会(Igreja do Bom Jesus da Cruz)やノッサ・セニョーラ・ド・テルソ教会(Igreja da Nossa Senhora do Terço)教会があるほか、ポルトガル最大の手工芸品フェア が毎週木曜日に開かれています。
そのフェアに行けないという方にぜひお薦めしたいのが、陶磁器博物館
(Museu da Olaria)とバルセロス手工芸品センター(Centro de Artesanato de Barcelos)です。ここではミーニョ・アートや手工芸品の 数々を見ることができます。バルセロスで作られているものの中で一番 代表的なのは、明るい色のバルセロスの鶏でしょう。そのほか、ブラス バンドやこの地域の習慣や風習を描いた人形もお忘れなく。
Boticas
Boticas ボティカス
ボティカス(Boticas)は、有名なバロッサ牛を飼育しているバロッソ(B arroso)地方の、険しい山岳地域にある町です。そこで産出する牛肉は国 王の食物として昔から味の良さでは有名でした。このたび証明書が与え られ、保護原産地域としての指定を受けました。
ボティカスは有名な「死人のワイン(Vinho dos Mortos)」の産地でもあ ります。こんな名前がついているのは、びんに詰めてから土中に埋め、1 年ほど発酵させてよい味を出すからです。この手法は19世紀にフランス の侵略を受けた時、まったくの偶然から編み出されたものです。地元の 人々は、フランス軍の略奪を免れるため、絶対に考えつかないような場 所に持ち物や作物を隠したのですが、危機が去ってワインを掘り出して みると、それが素晴らしい品質のワインに醸成されていたのでした。
この地域の鉱水も質が高く、カルヴァリェーリョス(Carvalhelhos)の温 泉の水は「聖なる水」として特に有名です。
Braga
Braga
ブラガローマ皇帝アウグストゥスの治世の紀元前27年に、この地域に司法の都
、ローマの「ブラカーラ・アウグスタ」の建設が始まりました。これは イベリア半島を南北に横切る網目状の街道を作り、半島をローマと結ぼ うという計画の一部でした。カラカラ帝が216年にこの町にガリシア地方 の主都としての地位を与えたことからも、この土地の重要性がわかりま す。同じ3世紀に、パテルノ(Paterno)司教の治めるブラガ司教管区が 設立されました。
ローマ帝国が衰退すると、この町はまずスウェヴィ族に占領され、彼ら の政治と学問の中心地となりました。その後、西ゴート族やイスラム教 徒が侵入してきます。11世紀半ばには再度キリスト教徒がこの町を征服 し、ペドロ司教の司教管区が回復されました。イスラム教徒が支配して いる間、司教はその住まいをルゴ(Lugo)(スペイン)へ移していたの でした。1112年、マウリシオ・ブルビーノ(Maurício Burbino)大司教の 着任とともに、ブラガ(Braga)は宗教史に名を残す都となります。イン ノケンティウス3世は1199年にコンポステーラのカテドラル(Sé)との 論争の後、ポルト(Porto)、コインブラ(Coimbra) 、ヴィゼウ(Viseu
)ほか、現在スペインにある5つの司教管区支配権をブラガに移しました
。
ブラガのカテドラルはポルトガルで最も古く、何世紀にもわたってキリ スト教の重要な基準となりました。非常に古いものを指す時「ブラガよ り古い」というのはここから生まれたのです。常にキリスト教の影響を 受けてきたことはもちろんこの町の伝統にも反映されています。16世紀 から18世紀までがこの町の最盛期といえるでしょう。それに大きな役割 を果たしたのがまず、「ブラガの再建者」と言われるディオゴ・デ・ソ ウザ(Diogo de Sousa)大司教です。大司教は1505年からこの町の民事 と宗教の支配者となり、「村を都市に(大司教自身の言葉)」変える計 画に着手しました。その後、ロドリゴ・デ・モウラ・テレス(Rodrigo de Moura Teles)とジョゼ・デ・ブラガンサ(José de
Bragança)が、この町に豊かなバロック様式を取り入れました。
工業化と大学の設立は、現在のブラガの発展に大きく貢献しました。ブ ラガは世俗・宗教の両面における伝統をしっかり保っており、これらは