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プノンペン奮闘記

ドキュメント内 新年号.indb (ページ 36-39)

きようお願いします。

まず一件目は、5月22日夜12時00分、ホテル前 で8発の銃声。大型の銃のようでかなり大きい音で、

戦車でも来て発砲したのかと思ったほどです。ビル の反響で大きく聞こえたのかもしれません。あとで 聞くところ、いたずらで、空に向けての発砲で被害 者一名とのこと。我々の宿泊していたダイヤモンド ホテルの506号室(団員が最初に泊っていた部屋)

に弾痕が残りました。

続いて、5月26日午後3時半頃、事務所で執務中 に1発の銃声です。調査団の使用していた車の運転 手が一部始終を目撃していました。事務所となりの シェルのガソリンスタンドに4人組が車で乗り付け、

オーナーを誘拐して事務所脇の道路(Street 211)を 北に逃走。逃走時、2台のオートバイが伴走し、追 尾を防ぐ。犯人グループの内一人は2丁の銃、他3 人はそれぞれ1丁の銃で武装、逃走時に空に向けて 1発発砲。持っていた銃の中には新型のマシンガン で軍も持っていないようなものがあったとのこと。

犯人はマスクにサングラス。このオーナーは中国系 カンボジア人で、4件のガソリンスタンドを持つ金 持ち。巷の噂では若者の犯行か?後日談によると、

9万ドルの身の代金を払って翌日には釈放されたと のこと。前日の5月25日には別の誘拐事件が起き ている。

たてつづけて調査団の身近で事件が起きたことで 身の危険を感じました。パターン化された行動をし ないよう、通勤時のルートを毎日変える、食事に出 るときもパターン化は避ける等の対策を実行しまし た。運転手に通勤時のルートのことを伝えると、彼 らはそれを忠実に守り、「おいおい、そんなへんな 道に入っていったら余計危ないんじゃないの」と言 わせるほどでした。

調査が始まったころの社内報に書いたことと、現 状を並べてみました。

当時:食事がおいしい。レストランは中華料理、

フランス料理等いろいろあります。気軽に入れて、

さんある。餃子もおいしい。⇔現在:これは今でも 変わりありません。レストラン、日本料理店の数は 圧倒的に増えていますが、ダイヤモンドホテル横の 中華飯屋街は健在です。

当時:市街地は約28km2、5km×6km位の大きさ なので車でまわればあっという間。⇔現在:当時の プノンペン市は現在プノンペン都となり、行政区域 も376㎞2から678km2に拡大、人口も100万人か ら150万人規模へ、市街地の拡大は著しい状況です。

当時:プノンペン市はメコン川(全流域面積約80 万km2、総延長4,425km)とサップ川(トン・レ・サッ プ湖で有名)の合流点右岸に位置する。メコン川河

口まで約330km。市の存在はメコンとは切り離すこ

とができない。⇔現在:基本的には変わりありませ んが、市街地がサップ川左岸、バサック川左岸にも 拡大しています。インフラも整備され、市内交差点 の立体交差も各所で進んでいます。

当時:市内の生活にはドルをつかう。現地通貨(リ エル)もあるが、ドルの端数(セント分)の釣り等。

中華めし屋もドルで支払い。⇔現在:これは全く変 わりありません。

当時:相手政府の人たちはとてもいい対応をする

⇔現在:これも変わりません。

当時:セントラルマーケットにいけば結構なんで も手に入る。活気があって、八百屋のとなりで、パ ソコンを売っているイメージ。⇔現在:セントラル マーケットは健在ですが、多くのショッピングモー ルができました。中でもイオンモールができ、3階 にアイススケートリンクがあることには本当に驚き ました。

当時:ゴルフ場は1ヶ所あるが高いらしい(100 ドル)。テニスをする環境はある。⇔現在:ゴルフ 場は、当時はNewとOldの2か所で、それほど高く ないのが実態でした。今では、4か所、新しいコー スは結構高いようです。

マスター・プラン策定後、無償資金協力事業によ り具体の施設建設、ソフトコンポーネントによる能

Ⅰ(2002年〜2004年)で市の西部・南部を中心と した地区の堤防、排水路、排水管、ポンプ場の建設、

フェーズⅡ(2007年〜2010年)で市北東部を中心 とした地区の排水管、公園下の地下貯留施設、ポン プ場の建設、フェーズⅢ(2012年〜2015年11月に

堤防の整備

排水管を埋めて舗装

排水路や橋を整備

公園の地下に巨大な貯留槽を設置 

バー改修、排水管網の整備等が実施されました。ま た、1999年のマスター・プラン策定当時と市内の土 地利用等状況が大きく変わったことから、下水・排 水改善の新たなマスター・プラン策定業務が進行中 です。

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