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ブータン発、幸福の政治・経済学  ―「GNH」とは何か―

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英明君主の唱えた「国民総幸福」)

「GNH」という三文字が、いま、世界の開発経済学者の注目を集めている。

「GNH」(Gross National Happiness)―日本語に訳せば「国民総幸福」、魅力的な響きを 持つキャッチ・コピーだ。「GNP」(国民総生産)をもじったもので、物の豊かさよりも、

心の豊かさの方が大切だというメッセージだ。ブータンでは国民的合言葉になっている。

製作者は現国王、すなわちジグメ・シンゲ・ワンチュク第四代国王の若き日の作だった。

彼は「ブータンにとっては、GNPよりGNHが大切だ」と言い出し、独特な“幸せの政治・

経済倫理学”を、国家戦略の基本哲学に据えた。

どのようないきさつで、このアイデアに到達したのか。国王と親しい国際エコノミスト、

西水美恵子・元世界銀行副総裁に、そのいきさつを尋ねたことがある。

「旅の途上で、閃いたのだ」と彼女はいう。鎖国を解きブータンに近代化の道を開いた第三 代王が1973年急死した。十六歳で即位した青年国王は、まず前国王から引き継いだ開発 計画改訂の準備に取り掛かった。そのために全国を行脚した。ロバの背と徒歩だった。“王の 足跡のなかった村はない”と語り継がれるほど歩き回り、村人と話をした。

「ある日、つつじとシャクナゲの大木がそびえる山間を歩きながら、側近に語った。“わが国 の民は貧しくとも、心は豊かだ。近代化がもしもこの豊かさを脅かすときが来たら、わが雷 竜国は滅びる”と言った。まさに、今、日本その他の先進国が抱え、悩みぬいている数々の 病を先見した洞察だった」西水さんに聞いた若き時代の国王秘話だ。

  以来ブータンはGNHを、改革と発展の国家戦略に定め、今日に至っている。GNHの思 想とは何か。かいつまんで紹介すると以下の通りだ。

一、戦略目標は国民により多くの幸福感を供給することだ。物質的な欲求を満足させるこ とにも留意するが、それよりも精神的な幸福感を大きくする社会的、文化的、自然的条件を 整えることに主眼を置く。

二、経済成長は、幸福を達成する合理的手段であることを、GNH哲学は否定していない。

だが、それは幸福実現の様々な手段のほんの一部に過ぎない。逆にGNPの概念そのものに、

環境破壊など人々の幸せにマイナスをもたらす要素も含まれている。富の増加は、必ずしも、

人間の心の幸せに繋がるかどうかもわからないと認識している。

三、幸福の鍵を握るものは何か。たしかにGNPの増加によって、衣、食、住などある程 度の満足を得ることも幸福の一要素ではある。しかしそれが達成された後に、人間の幸せの 鍵を握っているのは、GNPとは無関係の非物質的満足感だ。情緒、感情、あるいは宗教的 な心の満足の増進が大切だ。

四、世界の開発経済学の主流は、GNP思想に偏るあまり、人々の幸せに満ちた生活を可 能にしてくれる自然環境、精神文明、文化の伝統、家族や友人などとの絆である共同体まで 破壊し、人間を不幸せにしている。

五、仏教の教える自我の抑制と幸福感は、完全に正の相関関係がある。自我を抑えなけれ ば、物欲は無限に拡大、たえず欲望の満たされぬ苛立ちが続く。それだけでなく、この身勝 手な欲は、社会の不均衡と自然破壊を引き起こすし、やがて破滅する。

三十年前、若き国王が提唱したGNH思想のエッセンスだ。これはアジアに近代化と西欧 化をもたらした17世紀以降のヨーロッパの合理主義に対する批判とであり、挑戦でもある。

西欧が版図をアジアに求めたことによって、アジアの国々は近代化と西欧化を促された。

これに対し非西欧社会は、どんな対応をとったか。サムエル・ハンチントンによれば、その やり方は、三つだった。①近代化、西欧化双方を拒否する鎖国主義、②近代化と西欧化の双 方を受け入れたトルコのケマル主義、③近代化は取り入れるが、文化の西欧化は拒否、あく まで自国の伝統文化を維持する、改革主義だ。

日本はどうだったか。ハンチントン流にいうなら、16世紀西洋と接触して以来19世紀 半ばまで、①を選択、鎖国することによって、近代化と西欧文化導入を拒否した。しかし明 治維新で開国した。ただしトルコのように近代化するためには、西欧文化の受け入れも同時 に必要とは考えなかった。そこで、③の改革主義路線を選択、西欧を範として近代化を進め たが、自国の文化や価値観、生活習慣は維持し続けた。和魂洋才だ。

 

「心の安全保障」としてのGNH)

ブータンの近代化が歩んできた路線は、どうだったか。この国が西欧文明に遭遇したのは 先代の王の1959年、元の英国植民地帝国、インドへの開国であったことはすでに述べた。

近代化の父といわれる啓蒙家の先代王は、③の改革コース、つまり、ブータンの仏教文化を 維持しつつ、近代化を成し遂げる路線をとっていた。

第四代王の提唱するGNHも広い意味では、③の範疇に入る。しかし先代と比べて重点の 置き方が大きく変化しているところに注目したい。西欧の近代合理主義の産物である経済発 展思想を批判し、物質的豊かさを目指す開発のテンポを徐々に落としている。

GNPそのものを否定はしていないが、それよりも、ブータン独自の伝統文化に根ざした

“道徳的再武装”によって、国民の精神面での幸福感の充実を図ることに重点が移っている。

これは先代王の近代化路線の改訂に他ならない。

国王をして、国家戦略の見直しを決意させた背景として、二つのことが考えられる。一つ は1975年のシッキム王国の滅亡だった。シッキムはもともと、チベット系の人々が作っ た仏教王国だったが、その後、隣国ネパールから大量の移民が流入、異教徒が国民の大多数 を占めるようになった。

この民族大移動は、19世紀末の英国のヒマラヤ支配の一環として実施された。多数派の ネパール系住民は、仏教王国打倒の革命を起こし共和制に移行、さらに住民投票が行われイ ンドの一州に吸収された。

仏教の兄弟王国であったシッキムの滅亡は、他国の軍事侵略がなくても、国は内側から滅

びるという安全保障上の教訓をもたらした。

国家が生き残るには、外交政策だけではなく、民族としての帰属意識を日ごろから高める 国内政策が必要である。宗教、伝統文化、共同体的価値観の尊重を通じて、ブータン人であ ることの幸福感を増進する。そのような“内なる安全保障策”もGNHの重要な柱として位 置付けられた。

罰則付きの民族衣装着用規定や、文化破壊防止の為の外人観光客の入国規制なども安全保 障政策の一環であるとGNHは再定義している。

近代化路線改訂のもう一つの理由はブータンが、インドの援助で経済開発を進める過程で、

市場万能主義の強者の経済学から、身を守る必要があると認識したことだ。西欧の合理主義 が生んだ近代経済学は、万有引力のように地球のどこでも万遍なく効き目があるわけではな い。

小国にとっては効き目どころか、経済のグローバリゼーションという大波がやって来て、

沈んでしまうことがある。国王は、早くからその気配を感じ取っていた。

だが、このユニークな国家戦略は、四半世紀の間、世界にほとんど注目されないまま、ヒ マラヤの幸福の試みとしてひっそりと存在してきた。

脚光を浴びた“小国の幸福学”)

小国のささやかな“幸福学”「GNH」が、脚光を浴びたのは1990年代後半だ。世界の 開発関係者の間で、にわかに、ブータンが取り上げられるようになった。

西水元世界銀行副総裁はいう。

「近代経済学は、効用(Utility)という個人の満足度を表す概念は持っている。しかしその 満足度とは何かについては、理論的に踏み込んでいない。もちろんその満足度と幸福とどう いう関係にあるのかについては考えていない。だから、“国民総幸福”なんていう唐突なアイ デアは、エコノミストは無視するか、一笑に付すしか、なかった」と。

  ところが、経済成長に伴う社会のひずみの激化、環境や文化の破壊が地球レベルの問題と して発生、近代経済学そのものの有効性が問われるようになった。ブータンはこうした先進 国の市場万能主義への反省を先取りしたかのように、自然と人間の共生経済を営んでいた。

そこでブータン発の「幸福の経済学」は世界銀行やアジア開銀などの国際機関や先進国の途 上国問題研究者の注目を集めるようになった。

  理論経済学のエコノミストたちもブータンに関心を寄せはじめた。まず注目したのは、こ の国のGNP だった。“心の幸福”などという“奇妙な経済倫理を提唱する変な国“の経済 成長率が高いことに気付いたのだ。年間5〜7%の成長を継続、1988年に一人当たり国 民所得が、190ドルだったが、98年には645ドルとなり、インド、パキスタンを抜い て南アジアトップになっていた。

西水さんによれば、注目に値するのは「経済成長もさることながら、環境破壊が世界的問

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