第 2 章 フランス法
第 1 節 フランスにおける第三者のためにする契約 第 1 款 生命保険契約に関する規制の展開
本章では、フランス法における第三者のためにする生命保険契約における 保険金受取人の地位とそれを取り巻く利害関係者との利害調整について考察 する。フランスでは、1930 年に制定されたフランス保険契約法典(以下「1930 年法」という)は、それ以前の 30 年余りにわたる検討の成果として成立し たもっとも近代的な立法であるといわれており、諸外国に類を見ない独自の 立法がなされている。とりわけ、前世紀の末から発展してきた判例理論の蓄 積により、保険金受取人の地位をめぐる問題については大部分が立法的に解 決されていることから、その立法に至る経緯や法規定の背景にある判例理論 を知ることは、わが国の解釈論に対しても示唆深い⑴。
なお、フランス保険契約法典は、1976 年に保険法典として再編成されて おり、その後も幾度かの改正を経ているが、その多くは字句等の修正であり、
⑴ 後述するように、フランスでは、第三者のためにする生命保険契約について、保険 金受取人の保険金請求権取得の固有権性が認められており、保険金請求権が持戻し・
遺留分減殺の対象とならず、保険契約者が支払った保険料がその資力に比して明らか に過大である場合にはその持戻し・遺留分減殺の対象とする旨の規定を保険法典に有 している。しかし、保険金受取人指定されなかった相続人が、保険金受取人指定は生 前贈与や遺贈と変わらぬと認識しており、そのことから保険金請求権取得の固有権性 が絶対的なものであることについて疑問が呈する訴訟が提起されるようになっている ようである。この点につき、山野嘉朗「第三者のためにする生命保険契約をめぐる新 たな動向―フランス法・ベルギー法を中心に―」生命保険論集 187 号 39 頁(2014 年)
参照。
1930 年法の内容がほとんど維持されている⑵⑶⑷。
ところで、フランスにおいては、19 世紀後半になってようやく生命保険
⑵ なお、フランスでは、1930 年法において、保険金受取人の地位に関する基本的な問 題を立法により解決しており、同法制定以後は、この分野に関する議論が大きく減少 している。
【Ⅰ】1930 年法以前の主な体系書として、Lefort, Nouveau traité de lʼassurance sur la vie, tome 2., 1920;Dupuich, Lʼassurance-vie, 1922. 【Ⅱ】1930 年法以後の主な体系書 として、Maurice Picard et André Besson, Traité general des assurance terrestres en assurances terrestres en droit français, tome 4., 1945. 【Ⅲ】個別のテーマについて の論文集として、Lefort, Traité théorique et pratique du contrat dʼassurance sur la vie, tome 2.,1894;Barrère, Du droit des créanciers et des héritiers dans un contrat dʼassurance sur la vie, thèse Toulouse 1911;Bertucat, Lʼassurance sur la vie en cas de faillite de lʼassuré, thèse Dijon,1907;Bigo, Des stipulations pour autrui et des assurance sur la vie en tant quʼelles sʼy rattachent, thèse Paris,1901;Bizeaud, Droit des cranciers du contractant dʼune assurance sur la vie, thèse Paris,1907;Casmao-Dumanoir, De lʼassurance sur la vie dans ses rapports avec le patrimoine de lʼassuré, Paris 1898;Cendrier, Des droit des créanciers dans le contrat dʼassurance sur la vie, thèse Paris,1897;Faucompré, Du tiers bénéficiaire dans le contrat dʼassurance sur la vie, thèse Paris,1912;Habay, De lʼassurance sur la vie dans rapports avec le legislation de la faillite, thèse Paris,1905;Maurel, De lʼattribution du benefice dans le contrat dʼassurance sur la vie, thèse Paris,1900;Pouget, assurance sur la vie au profit dʼun tiers―Etude du droit du bénéficiaire, thèse Bordeaux,1906;Balleydier et Capitant, Lʼassurance sur la vie au profit dʼun tiers et la jurisprudence, Livre du centenaire du code civil,1904.
⑶ Maurice Picard et André Besson, Les assurances terrestres , le contrat dʼassurance, 5e éd., 1982, p.3-9; Yvonne Lambert-Faivre , Droit des assurances , 13 éd.,2011, p.826. なお、保険法典の注釈書・解説書として、Jean Bigot(dir.), Code des assurances 2014 commenté, LʼArgus de lʼassurance 30e éd. (2014); Francois Couilbault, Assurances de personnes Droit & Pratique, Collectif 2013-2014 édition
(2014); Francois Couilbault, Assurances de personnes Droit & Pratique, Collectif 2012-2013 édition(2012)を参照した。
⑷ なお、2007 年に保険金受取人に関する改正が行われた。すなわち、未請求の生命保 険金受取人の調査を可能とし、保険金受取人の権利を保障するための法律により、保 険法典の規定の改正および関連する条文の新設がなされている。Loi n°2007-1775 du décembre 2007 permettant la recherché des beneficiaries des contras dʼassurance sur la vie non réclamés et garantissant les droits des assures; Jean Bigot(dir.), supra note(3), n°I.B, p.303. なお、本法律を紹介する研究として、山野嘉朗「他人の ためにする生命保険契約に関するフランスの最新立法について」愛学 50 巻 1 号 167 頁以下(2009 年)、加瀬幸喜「フランス保険法典 2007 年改正―保険金受取人の調査お よびその権利の保障―」大東法学 19 巻 1 号 417 頁以下(2009 年)参照。
契約が普及した。というのも、フランスの民法典が制定されたのは 1804 年⑸のことであるが、同法の制定時にはそもそも生命保険契約に対する規律 は念頭におかれた立法がなされておらず、しかも生命保険契約は、人の生命 に関して投機を行う契約であることから不道徳であるという認識が存在して いたためである⑹。このような法的基盤の欠如および認識が、生命保険契約 の普及、発展を阻害したといわれている⑺。フランスにおける生命保険契約 の本格的普及は、1860 年以降のことであり、保険会社が養老保険商品を開 発し販売したことがきっかけになったとされている⑻。これ以降、次に述べ るように、破毀院判決を中心として生命保険契約をめぐる法規制が確立され ていくこととなる。
第 2 款 フランス民法典と第三者のためにする契約
フランス民法典は、ローマ法に起源を有していることから、契約の相対効 を当然の前提としている。そのため、第三者のためにする契約は、原則とし
⑸ 民法典は、1804 年に「フランス(人の)民法典」(Code civil des Français)として 交付されているが、その後属領にも適用されることとなるとともに、ナポレオンによっ て 1807 年に「ナポレオン法典」(Code Napoléon)と改称されている。もっとも、こ の名称は、ナポレオンの失脚により廃止され、1816 年に「フランス(人の)民法典」
と呼ばれるようになったが、その後 1852 年にナポレオン三世により再び「ナポレオ ン法典」と改められている。しかし、第三共和政成立以降、慣行として単に「民法典」
(Code civil)と呼ばれて現在に至っていることから、本文ではその用法にしたがう。
この点について、山口俊夫『概説フランス法〔上〕』(東京大学出版会、1978 年)63 頁参照。
⑹ P.J. リシャール著(大谷孝一=木村栄一訳)『フランス保険制度史』(明治生命 100 周年記念刊行会、1983 年)60 頁参照。
⑺ リシャール著=大谷・木村訳・前掲注(5)60 頁参照
⑻ リシャール著=大谷・木村訳・前掲注(5)84 − 85 頁参照。なお、加瀬幸喜「フラ ンス法における保険金受取人の法理」大東法学 7 巻 2 号 37 頁以下(1998 年)参照。
同論文では、フランスにおける第三者のためにする契約の法理論の形成について次の ような時代区分をしている。①模索期(1860 年から 1873 年)、②直接取得性否定期(1873 年から 1884 年まで)、③直接取得性確立期(1884 年から 1896 年まで)、④直接取得性 展開期(1896 年以降)である。本稿では、そのような時代区分はしていないが同論文 の検討を参考にさせていただいている。
て禁止されているが、次に述べる二つの例外を認めている⑼。
1119 条「人は、一般に、自己のためにのみ、その固有の名をもって拘束 され、あるいは要約することができる。」
1121 条「同様に、人は、自分自身のためにする要約の条件、あるいは他 人にする贈与の条件である場合には、第三者の利益のために要約することが できる。この要約をした者は、第三者が受益を求める意思表示をしたならば、
もはやそれを撤回することはできない。」
1165 条「合意は、契約当事者の間においてのみ効力を有する。合意は、
第三者を害することなく、また 1121 条に規定された場合のみ第三者にも利 益をもたらす。」
上記のうち、民法典 1119 条は、ローマ法の原則に忠実な規定として「契 約の相対効」を定めるものである。その上で、1121 条は、契約の相対効に 関する二つの例外を規定するとともに、第三者の受益を求める意思表示をし た場合には、要約者は撤回することができない旨の規定をおいている。また 1165 条も、「契約の相対効」の原則を規定するが、1121 条の規定された場合 についてのみ契約の相対効の例外を認める旨を規定している⑽。
もっとも、民法典における第三者のためにする契約の原則禁止については、
19 世紀中頃まであまり問題とされることはなかった。というのも、1860 年 以降の生命保険契約の本格的に普及に伴って、この制度を利用して、とくに
⑼ 民法典の条文については、レジフランスのホームページ(http://www.legifrance.
gouv.fr/)より入手した。また、条文の翻訳については、法務省民事局参事官室(参 与室)編『民法(債権関係)改正に関する比較法資料』別冊 NBL146 号(商事法務、
2014 年)、日本損害保険協会=生命保険協会編『ドイツ、フランス、イタリア、スイ ス保険契約法法令集』(2006 年)、神戸大学外国法研究会編『現代外国法典叢書(19)
仏蘭西商法〔Ⅰ〕商一般・保険契約法・有限会社法』(有斐閣、1957 年)を参照した。
⑽ Francois Couilbault, Assurances de personnes Droit & Pratique, Collectif 2012-2013 éd.(2012), n°4607, pp.1186-1187.
死亡保険において残された家族あるいは遺族などへの経済的保障のため、特 定の者に権利を付与することが必要とされたことから、第三者のためにする 契約を制度として容認する必要があったことによる⑾。
第 3 款 第三者のためにする契約における判例理論の展開―固有権性の確立 まで
すでに述べたようにフランス民法典は、第三者のためにする契約を制度と して容認したが、判例の立場は一貫していない状態にあった。当初の判例は、
第三者のためにする契約の成立を広く認めた上で、保険金請求権は相続財産 には帰属しないという結論をとっていた。
しかし、1870 年代に入り判例の態度が一変する。まず、①破棄院 1873 年 12 月 15 日判決⑿は、保険契約者が誰も保険金受取人を指定していないとい う事案について、「約定が第三者の利益のために、たとえば、相続人のため に特定する指定がなされていないときは、この約定は、第三者にいかなる『固 有権(droit propre)』性をも与えていない。すなわち、被保険者の保険金に 対する権利は、要約者の財産に属したままである。したがって、この保険金
⑾ 山口・前掲注(5)108 頁、滝沢正『フランス法〔第 4 版〕』(三省堂、2010 年)292 頁以下参照。山口・前掲書の中では、「19 世紀後半以来の資本主義の飛躍的発展と、
それに伴って発生した新しい経済的・社会的状況(資本の集中化、工業生産の大規模化、
厖大なプロレタリア層の形成、貧富の懸絶化など)は、在来の法および註釈学派の思 考の基礎にあった前提そのもの(個人の自由と平等)に疑問を投じ、1804 年の立法者 意思の探求と法典の条文の論理的操作のみを問題とする註釈学派の論理主義は激しく 動揺する。法典の註釈書はこの時期においても書かれたが、註釈学派の内部に 1880 年代から在来の制定法中心主義を批判して、法的判断のために諸々の法律外的諸要素 を考慮に入れるべき必要を唱え、また他方、法律学研究のためにも、現実の所与から 生まれる判例の検討に、より力を注ぐべきことを主張する者が現れるにいたった。こ うした判例尊重の主張は、科学学派の先駆をなすものであった…。」とする(下線部:
筆者)。この点から、第三者のためにする契約の理論は、民法典から離れ、社会的要 請によって法制度が形成されてきたものであるとされる(木村健助「フランス民法典 と判例」比較法研究 9=10 号 12-13 頁(1995 年))なお、この点については、Francois Couilbault, supra note(10), n°4607, p.1187.
⑿ Civ.,15 décembre 1873, D.P.,1874,1,113, S.1874,1,199.