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作家によるビューヒナー受容の一範例

エートシュミットの長編小説『ゲオルク・ビュ-ヒナー ドイツの革命』

下 程 息

序 言

現在ではほとんど話題にされていないし、今日の目らすればもう古いと思われる、上掲の 作品を今日この場で取り上げることにした動機を先ず明らかにしておきたい。出版界で健 筆を振るっておられる浜本隆志氏は、多忙中であるにもかかわらず、『世界文学』(N0 98

2003 年) 誌上で冊子『ビューヒナー解読 コロキウム形式による』にかんするじつに好意

的な書評をして下さった。そのなかでゲルマニスティクの、就中、ドイツ文学科の大学院 の実情について歯に衣を着せずにこう述べておられるのに注目したい。「・・・ドイツ文学 の大学院は国公立私立を問わず、どこでも閑古鳥が鳴いているありさまである。かつての

院生たちがもっていた、ドイツ文学の将来に対する熱気は、いまや将来の展望が開けぬ不 安と絶望感に変容している。教員も同じく、ドイツ語履修者やドイツ文学専攻学生の減少 にあせりを感じ、将来展望が開けぬ閉塞感におちいっている」1。ゲルマニスティクの現今 のこのような閉塞状況を見据えた上で本コロキウムを「ゲルマニスティクがまだ光輝いて いた在りし日の記録であり、最後の教養主義の伝統にもとづく学問成果を示すものである」

2 と評され、「かつての教養主義や伝統を継承しながら、それを近い未来にどう展開するの か、ゲルマニスティクの再生はいかにあるべきか」3 、「このコロキウムをも契機にして真 剣に考えるべきではないか」4 と提言しておられる。現状を的確に把握していると同時に前 向きの牽引力をもっている、この問題提起に先ず賛意と敬意を表したい。この過分の讃辞 はいささか心苦しいけれども、本冊子は「関学のゲルマニスティクの一盛時の記録」であ ったことは確かである。こういう類の仕事は「教える側と教わる側との間の相互信頼関係」、 約言するならば、「和やかなコミュニケーション」によってはじめて可能となる。このコロ キウムはシャイフェレ氏の素晴らしい学識と人間性ぬきには考えられない。シャイフェレ 氏は、現在に至るビューヒナー文学にかんする種々様々な解読の可能性を入念に検討し、

広い視野からその長所と問題点を指摘しながら、この作家の個々の作品の構造を具体的に 把握し、その意味内容を精神史的であると同時に作品内在的に解釈されていた。シャイフ ェレ氏の現象学的解釈においては対象に対する感情移入の精神と偏見なき批判精神がバラ ンスよく同居していたが故に、氏の論議や問題提起は誰しも納得のいく公分母的ポイント をつねに押さえていたと思う* 。そして学生に質問されるときには、個々人の能力をその 素質に応じて引き出すよう配慮されていた。こういうシャイフェレ氏ならではの学者的・

教育者的美徳は、ドイツの精神科学の元祖ディルタイの正統な後継者であった、氏の恩師 オットー.F.ボルノー教授の薫陶の賜物だったと申したい。このことはこのビューヒナ・

ーコロキウムの記録からも推知されてきはしないだろうか。また、畏友義則孝夫氏の理解 ある助言と援助も忘れてはならない。堂々とした体躯の碩学である義則孝夫氏の存在はシ ャイフェレ氏にとって有形無形の支えとなっていたと思う。シャイフェレ氏は関西在住中 は毎週、東京移住後は隔週に大学院で教鞭を取られたが、「水曜会」とも言われている授業 終了後の談話会 ― もちろんアルコールぬきではない!― のアットホームな雰囲気は、こう 生産的な「対話の場」を育む土壌となっていた。だが、集中講義になって以降のシャイフ ェレ氏の授業は、時間的、技術的制約のために、同氏の「一方通行」とならざるをえなか った。相互のコミュニケーションが不可能に近くなったせいだろう、授業は以前のような 生気も活力もないルーティンワークに終始し、通訳をしていても以前のような心地よい疲 れは感られなかった。再度確認されてきたのは、授業、とりわけ外人教師の授業には相互 の対話が如何に必要であるかという、教育上不動の体験的真実であった。それだけに、本 コロキウムは古き良き時代の「理想的な日独共同作業」5の記録となっていたと、シャイフ ェレ氏と共に申したい。同氏と共に真剣かつ楽しく過ごしてきた時期は、独文教室の最後 の盛時ではなかったろう?本学の文学部は改組されドイツ語は凋落の一途を辿っている今

日、シャイフェレ氏の出講の終りでもって本学ドイツ文学科の創設以来の歴史の幕は閉じ たのだろうか?ドイツ語の前途は多難である。ドイツ語を今後生かしていこうと思うなら ば、時間的空間的な広い意味での大局観をもって過渡期の混迷に対処していくのが何より も必要であろう。その場その場の誤魔化し的方策、対症療法的な一時の応急処置、すぐに 成果を求める短兵急な処理では将来の展望は開けてこないだろう。

ところで本コロキウムは、ビューヒナーの全作品を取り上げ、この作家の解読と受容にか んする多種多様な可能性について検討したものであったが、そのなかで「この作家や作品 を素材にして、また、そのテーマをさらに進展させたかたちですぐれた創作が発表された」

6 という、ビューヒナー受容史上刮目すべき事例が指摘され、その代表例として今は二十世 紀の音楽の古典であるアルバン・ベルクの歌劇『『ヴォツェク』( Wozzeck 1925年) とエートシュミットの長編小説『ゲオルク・ビューヒナー ドイツの革命』が挙げられて いた。このときの記憶が脳裏に深く刻みこまれていたので、定年後の自由な時間を活用し てこの小説を読んだのであるが、文学史の記述では洩れている、それとも末端で言及され ているにすぎなない、この作品は立ち止まって考えねばならぬ問題をいろいろ含意してい ることに気付いた。この新鮮貴重な読書体験を基にして『世界文学』誌上にこのビューヒ ナー小説にかんするエッセイ7を掲載したのであるが、締切日を迫られて書いたために、後 で読み直すと見落しや構成上の欠陥が目についた。同時に重要な問題が新たに浮上してき た。だからこのエッセイはしたがって色々と修正や補筆を必要としていた。この紙面で今 度は論文というかたちでその責務を果たす機会が与えられたのは幸いであった。以下の本 論はこういう経緯の上に成立したものであるが故に、必然的に、前述の「ビューヒナー・

コロキウム」のひとつの「補論」(Exkurs) となっている。このコロキウムがなかったら本 論は到底書けなかったと思う。

*本論の執筆に際してはエートシュミットのこのビューヒナー小説の底本としては下記の文庫本を選び、そ のなかからの引用箇所については頁数を括弧内に数字で示すことにした。

Kasimir Edschmid: Georg B ü c hner Eine deutsche Revo-lution . Frankfurt 1980(=suhrkamp taschenbuch 616). 530S.〔zuerst 1966 〕

ドイツは19世紀においてもフランスとは異なり近代化のための社会的、政治的地盤を欠 いていた。フランス革命の主体となった市民階級は形成されていなかった。こういう前近 代的停滞状態にあったドイツでは警察政治による検閲と言論統制が想像を絶して厳しかっ た。啓蒙と自由の精神の胎動は軍隊と官憲の力によって制圧されようとしていた。理想と 現実との間のギャップはあまりにも大きかった。ビューヒナーが活動の拠点としていた、

ヘッセン地方の行政はポーランド、ロシア、プロイセン、オーストリア等の周辺諸国の出 方に影響されていたがために、政情は日々不安定であった。自由のために戦うヘッセンの 若い知識人の反体制運動も、参加者の見解や方針がそれこそ個々まちまちだったため、組

織的な統一戦線を結成できず、迷走と挫折を繰り返していた。革命の国フランスから学ん だ、アジテーションによって飢えた農民に真実を知らせるために、ビューヒナーとヴァイ ディヒが檄文『ヘッセンの急使』( Der Hessische Landbote 1834 年)を当時の下層階級にも分かる聖書の文体で共に起草したとき、ウァイディヒはビュー ヒナーの草稿のなかの「金持ちたち」(die Reichen)という文言を「お偉方たち」(die

Vornehmen) と変えてしまった。ビューヒナーはこれに激怒した。自分の「心臓の血」(1

89)でもって書いた文面全体の鋭鉾が鈍ってしまうと判断したからであった。本紙面で 取り上げるエートシュミットのビューヒナー小説は、ヴァイディヒとビューヒナーという 両活動家の行動と運命を対位法的に主題化した長編である。ここでエートシュミットは自 己の文学の原点であった表現主義を捨てている。その手法は写実主義的と言えよう。この 長編はそれ故二十世紀の小説としては新鮮味がない、通俗作品にすぎないと言われるかも 知れない。とにかく作品の筋は巧みな話術と平易な文章によって劇的に展開されているの で、読みやすく面白い。反面、そのなかには作者自身の思い入れや想像力によって脚色さ れている部分もあるために、文献学者や実証主義者から批判されねばならない面もあろう。

だが、エートシュミットは創作家であって、研究者ではない。何はさておき読者を引きつ ける作品を書かねばならなかった。したがって、小説家の歴史解釈には創作の自由な遊戯 の場があっても、ある程度は許されはしないだろうか?だからこそエートシュミットは、

「三月革命前」(Vormärz) という時代とその運命下の青春群像を臨場感溢れるフィクショ ンとして描き出すことができた。こういう迫真的な描写はアカデミックな研究からはまず 期待できない。作中人物は、政治の修羅場でぎりぎりの生き方をせざるをえなかった、生 身の人間として活写されている。その緊迫感は格別である。とりわけヴァイディヒとビュ ーヒナー両人の臨終の場面は肺腑をえぐって止まない。裏切者、スパイ、世故にたけた人 間たちの暗躍、つねに逮捕の脅威の巷で敢行されている地下運動、亡命生活の苦渋、青年 革命家たちの孤独と焦燥を描く作者の筆致は生々しい。ヴァイディヒをはじめとする政治 犯を拘置していた、当時の監獄内の克明リアルな描写を目にすると、誰しも背筋が寒くな るだろう。同時に反面、献身的なビューヒナーの恋人、聡明で気丈なヴァイディヒの妻、

適宜織りこまれている自然の詩的風景、これらを描く作者の筆も卒がない。恋人ミンナと 共に時を過ごしているときのビューヒナーはじつに素直で人間らしい。孤高の鬼才ビュー ヒナーの人間性の影の部分に作者は細心な観察の触手を届かせている。邪悪そのものであ るゲオルギーに対して公平で良心的な監獄医シュテクマイアーが対置され、反逆罪に対す る当時の法理論上の論争が時代背景として適宜挿入されているのが、この作品に広がりと 奥行きを与えている。したがって、作品全体は十九世紀的な意味で小説らしい小説になっ ていると言えるだろう。この長編は、こういう「三月革命」の時代の壮大な風俗画に仮託 して反動体制下のドイツの知識人の蹉跌を生々しく描いて余すところがない。ヘルマン・

ケステンと共に「ドイツのすぐれた歴史小説のひとつ」 8と申したい。

以上のような事情を考慮するならば、超一流の作品のみならず、二流の作品や通俗文学に

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