(図 14)
第 2 部 ハーンのミューズ―ビズランド
第
2
部の序本論文の「序」で引用したように、『書簡集』「序」でビズランドはハーンと の関係について、
1882
年に出会ってから、ハーンが死ぬまで途切れなかった「親 友」(“close friend”)であると以下のように紹介した。1882年の冬、私は、ラフカディオ・ハーンと出会って、ハーンの他界する日まで、
途切れることなく続いた親友となる基礎を置くという恩恵にあずかったことに感 謝している。(“I owed the privilege of meeting Lafcadio Hearn, in the winter of 1882, and of laying the foundation of a close friendship which lasted without a break until the day of his death.”Bisland 1: 77)
ハーンの「他界する日まで、途切れることなく続いた」とは、一体何を意味す るのだろうか。ハーンがアメリカを出発して以来、ハーンが死ぬまでの
14
年間、二人が会うことはなかった。しかもハーンが日本に来てから最初の
10
年間は、横浜到着直後の短い
3
通を除き、今のところ存在が予想される手紙は、第1
部 で示したように2
通だけである。そのためこれまでの研究史では、10
年間の文 通のブランクがあったとされており、この10
年間に表面的な交流はほとんど認 められないと考えて間違っていないであろう。ところがビズランドは、「途切れる」ことなく続いた「親友」と表現する。そ れでは、何故このように、
14
年間会っておらず、10
年間の文通のブランクがあ るにもかかわらず、「途切れることなく続いた」と、ビズランドは書いたのであ ろうか。私は、ビズランドには、そのように表現する裏付があったと考える。最近出版された研究、長谷川洋二『八雲の妻』(2014)において、ハーンの『書 簡集』(ホートン・ミフリン社から出版)編纂の勧めがマクドナルドとチェンバ レンからあったことを、ビズランドはハーンの死後約
1
年後、1905年9
月22
日付セツへの手紙に書いている。79 この手紙でビズランドは、既にマクドナル ドからの話以前にマクミラン社との交渉を持っていたことを明らかにしている。さらにその手紙で、ビズランドが以下のように書いていることが紹介される。80
自分は「ハーン氏に対して長い間抱いていた愛情の記念とする」だけで、本から の収入はすべて「貴方と子供たち」に与えられることを知らせた。(『八雲の妻』
270-71)
長谷川の紹介する手紙によれば、ビズランドはハーンに「長い間愛情を抱いて いた」ことを記していると言える。
ビズランドの記す「愛情」は、ハーンが日本から出版した
11
冊の書物の、日 本の精神文化の紹介や、再話の文学の中に、ハーンからの友愛をビズランドが 確認できたからではないだろうか。つまり二人には、他の読者に気付かれない、精神的な、友愛の交流が文学の中に流れていたと思われる。
一雄は、ビズランドを、ハーンにとっては「一種の恋愛」ではあったけれど も、第
1
部第10
章、第2
部「序」でも引用した通り、「澤邊の螢の光の如き清 冽な恋」「肉体を離れた精神的な恋」「文章上の恋」と表現している(『父小泉八 雲』45)
。一雄は、他の女性と比べる時、ビズランドが一番大きな螢光を冴え冴 えとより大きく発していると言う。一体「文章上での恋」「冴え冴えと」した螢光とは、何を指しているのだろう か。一雄はこれ以上の具体的な表現をしていない。一雄の言う「文章上」は、
手紙を指すとは思えない。また手紙そのものもビズランドの編集した『書簡集』
の全
2
巻の中で、ハーンがビズランドに出した手紙は総数37
通である。その後 発見されて、関田かおるによって編集された手紙を含めても、全部で40
通であ り、多いとは言えない。考えられるのは、ハーンからの手紙に、例えばキップ リングをビズランドから教えてもらったと言う表現がみられるような、文学鑑 賞や文学批評を通じた切磋琢磨が示唆されていることである(Bisland 2: 499)。すなわちハーンにとっては、手紙ではなく、出版して世に問うことそのもの が、同時にビズランドに対する何らかの報告になっていたのではないか、とい う可能性が考えられる。
ハーンは、ビズランドの自伝的小説『理解の灯』を読んだ感想を手紙に書い ているが(Bisland 2: 506-07)、しかしヘルン文庫の目録に入っていない。その 他、ハーン存命中に出版された、ビズランドの著書『7段階―世界一周早廻り』
(1891)、『やもめ、本当に』(1891)、『古いグリーニッジ』(1897)がすべてヘ ルン文庫には見当たらない。ハーン自身か、ハーンの身内の者、ハーンの弟子 等が、何らかの事情によって、隠したか、どこかに移動した可能性がある。
上述の事情を考えると、ビズランドが「途切れることなく続いた親友」と表 現したのは、ハーンとビズランドの作品中に、何らかの精神的な繋がりをそれ ぞれ相手に感じさせ得る内容が存在したと思われる。ハーンが出版する度に、
ビズランドはハーンの隠し伝えた「暗号」を読み取っていたのではないだろう か。それらは、後世の読者にとってほとんど形跡を残さず、二人の死とともに 消えてしまうような、目立たないものだったのであろう。また、当時において も今の読者においても気づかれないまま、作品はまとまった内容を感じさせる 仕組みを持っていたと考える。
工藤美代子の、『夢の途上―ラフカディオ・ハーンの生涯【アメリカ編】』の 執筆目的は、エリザベス・スティーブンソン『評伝ラフカディオ・ハーン』に 描かれた、ビズランドの気持ちを知りたかったことにあった。ハーンのアメリ カ時代の、シンシナティ、ニューオーリーンズ、ニューヨークを中心に踏査し たノンフィクション作家工藤は、以下のような疑問につき動かされたとする。
ハーンはいったい誰のために、あれだけ膨大な書物を著したのだろうか。作家 とは、不特定多数の読者のために本を書いているように見えるが、実はそうで はない。自分の頭の中に想定する読者が常にいる。(中略)アメリカ大陸にあ って、ビズランドがきっと自分の本を読んでくれるに違いないという信念。(中 略)ハーンの執筆のエネルギーの源泉は、エリザベス・ビズランドにあったと 考えるのは、あまりに乱暴な推理だろうか。私にはよくわからなかった。(14-15)
私は、上記の工藤と同じ推測をする。ハーンは、
1900
年1
月の、文通再開後 の最初の手紙に、「一年に1
冊以上の本を出版して、あなたを喜ばせたかった。(でも、私は膨大な量の仕事があったのです!)」と言う(Bisland 2: 459)。こ れは工藤の表現した直接の読者がビズランドであったことを裏付ている。さら に、2年後の
1902
年の手紙に、ハーンは、もっと直截な動機を述べた。きっとあなたは12年前、おっしゃったことを記憶されていることでしょう。「あ なたに日本に行って欲しいのです。何故なら、あなたが日本について書いた本た ちを読みたいから。」その主題の10冊目が、今印刷中です。あなたは満足なさる はずです。(Perhaps you can remember having said, twelve years ago, “I want you to go
to Japan, because I want you read the books that you write about it.” As my tenth volume on the subject is now in press,―you ought to be getting satisfied.)(Bisland 2: 473)
工藤の指摘のとおり、ハーンの手紙は、ハーンがビズランドを頭に描いて執筆 し出版していたことを窺わせる。
しかしハーンとビズランドの交流について、工藤は最初の推測以上の確認を とることが難しかったと思われる。工藤の結論はハーンとビズランドの持ち前 の性格の相違に帰している。『夢の途上』の結論は、「あえて、この二人の関係 について、既成の言葉を使ってレッテルを貼る必要もない」とする(389)。ハ ーンの母(ローザ)や日本人の妻セツの役割が「実にはっきりとしているのに 比べ、ビズランドのそれは曖昧模糊としていた。だからこそまた、最も特別な 関係だったといえるのではないだろうか。」と工藤は締めくくる(389-90)。
私は、工藤の推測する、ハーンがビズランドに向けて執筆していたこととと もに、さらにビズランドもハーンを意識した記述を、ハーンに届けていたと考 える。つまり、ハーンとビズランドの間には、「文章上」での精神的応酬があっ たと考える。それらが、「特別」と表現した工藤の直感を裏付けるものであろう。
それらは、あまりにささやかな「暗号」めいたものであり、二人にしか分から ない話題や思い出にまつわる特別なものであったと思われる。そのために、一 般の読者は容易に見過ごしてきたのであろう。
私は、ハーンとビズランドの作品には、二人だけに理解できる背景を匂わせ る、イースター・エッグのように潜ませた「暗号」のような表現があると考え る。その二人が共有した話題を「符牒」として使った可能性を明らかにしたい。
すなわちハーンは、一般の読者が読んでも違和感のない内容の整合性を保ち つつも、表現の背後に 掛 詞かけことば風に二重の意味を含ませたり、思い出にまつわる言 葉をすべりこませたりした。それは、ビズランドだけにメッセージとして伝わ る仕掛けであったと思われる。
既にハーンは日本に向けて出発する寸前、ビズランド宛の手紙で、その時に 出版されるばかりになっていた『仏領インドの二年間』について、「ページの間 に私の魂の蚊をお捜しになるでしょう」という謎とも取れる言葉を残している
(Bisland 1: 475)。この言葉は、ハーンがこの先もビズランドがこの読み方をし てくれることを期待して、残した言葉であると考える。この「蚊」は、後述す るように、『東の国から』の巻頭「ある夏の日の夢」に登場している。