本章では、韓国のニューライト運動を取り巻く外部の環境「政治的脅威・機会」に着目 して、政治的・社会的条件のなかで、ニューライト運動登場に影響を与えた直・間接的な 諸要因を明らかにすることを目的とする。
1987
年民主化以後の韓国社会は、政治社会的に 二つの大きな変化を経験した。国際的には、新自由主義的グローバル化という政治・経済 的に新たな状況に直面したのであり、国内的には、民主化の進展とともに、政治的自由の 拡大、市民社会の成長と分化、そして最初の進歩派政権への政権交代がそれである。ここ では、まず、韓国の歴代政権から展開された新自由主義改革を検討することによって、そ れが現代国家の構造と性格をどのように変えたのかについて言及したい。また、その時代 の政治的環境と同時に、人々の価値変化を検討することも重要な作業であると考える。な お、韓国において新自由主義社会への再編過程は、どのような社会現実として反映されて いるのかについても考察する。新自由主義グローバル化と民主化は、ほぼ同時代的に経験 したので、民主化とニューライトの登場を分離することはできない。したがって、民主化 による韓国市民社会の成長・分化は、ニューライト運動の出現とどのような関連性がある のかについて提示し、最後に、進歩派政権の10
年という背景のなかで、ニューライト運動 の成長に有利となった要因を一連の政治社会的な事件ときっかけを取り上げて明らかにし たい。第一節 韓国における新自由主義的グローバル化および国内影響
第一項 IMF通貨危機と歴代政府の新自由主義的グローバル化政策の特徴
韓国では、新自由主義的グローバル化を選択することになった要因について、次の二つ の要因が挙げられている182。まず、その一つは、国際的な圧力である。外国政府、
WTO
、IMF
のような国際経済機構の圧力のみならず、世界市場の構造的な圧力が影響を及ぼした と言えよう。すなわち、1997
年東アジア通貨危機によって、新自由主義的グローバル化の 流れが開放化を通して全面的に内部化され、国内市場において、国際資本は、これまでの 国家主導の下で保護主義的政策を取ってきた東アジアの経済成長に対して、いわゆるワシ ントン・コンセンサス(Washington Consensus
)183を強要することができる良い機会で182)前掲、李正馥(2009)、139ページ。
183)ワシントン・コンセンサスは、1989年にアメリカの国際経済研究所(I I E)のウィリアムソンがアメリカ の経済政策や対南米政策を整理したものだが、アメリカ政府とウォール街の実質的に支配下にある,WTO(世 界貿易機関)、IMF(国際通貨基金),世界銀行などワシントンを本拠とする国際機関の間で成立した新自由 主義的な合意である。それは、①緊縮財政(小さな政府)②民営化(公共機関の売却)③市場・資本の自由化
(規制緩和)などの新自由主義的構造改革を「世界中に広く輸出し,米国主導の資本主義を押し広げようとす るもの」である。さらに、ワシントン・コンセンサスは、先進国に対してもグローバル・スタンダードとして、
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あったと言える。それゆえ、東アジア経済内部は、国際競争力の強化、小さな政府、労働 市場の柔軟化、脱規制、開放化などの新自由主義の論理が経済内部の支配的な論理として 展開された184。そして、もう一つの要因は、国内の政治的な要因である。たとえば、グロ ーバル化が国内産業と利益集団に及ぼす損益、グローバル化に対する国民意識や主要政治 勢力のイデオロギー的性格、新自由主義イデオロギーの拡散、政権の性格、政府各省庁の 態度などが、グローバル化に対する国家の対応において重要な影響を及ぼすと言える。実 際に、このような要因が、韓国の状況においてどのように作用しており、国家がどのよう に対応してきたのかは、韓国の国家性格において重大な影響を及ぼしたと考えられる。す なわち、グローバル化が国内に及ぼした影響とそれに対する国内の対応が韓国の国家の性 格を変化させた主な要因になったと言えよう。
韓国は、
1987
年民主化以後、内部的には、抑圧的な労働市場の構造や低賃金に基づく開 発独裁時代の限界が明らかになり、労働環境の改善を要求する労働運動が成長し、産業構 造調整の必要性が提起された185。ところが、ウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round
)、WTO
など世界経済の流れという外部的な条件によって、新自由主義的な政策が韓国国内 に導入され始めた。すなわち、韓国における新自由主義の影響は、IMF
主導によるグロー バル化の圧力が高まったという点で、従属的新自由主義とも評価されている186。しかしな がら、韓国は、1997
年IMF
通貨危機を解決するために国内に導入され、市場の自由化を 中心とする新自由主義的グローバル化の拡大に積極的な立場を取ってきた。さらに、国内 経済は、新自由主義的経済政策への再編に従い、市場の原理が拡大するなかで、国家が市 場のどこまでを介入するかという状況に置かれることになった。このように、世界経済の グローバル化の進展と国内のIMF
通貨危機によって形成された国内の新自由主義的経済 政策は、経済自由化、対外市場開放、脱規制化などとして特徴づけられる。とくに、発展 途上国から外されると同時に実施された自由化政策は、国家が財閥を規律付けることがで きる政策手段を失うことになった187。その結果、国家統制の弛緩によって生じた空間には、純粋な市場ではなく、財閥が代わりになり、民間主導型経済という名の下で、財閥の自律 性が強化されたと言える188。このような民主化以後に登場した政治経済体制について、任 爀伯(
2000
)は、市場規律が作動する市場民主主義ではなく、市場規律が作動しない、す資本と金融のグローバル化に対する各国の介入・規制を制限し、金融・労働ビッグバンなどの規制緩和政策を 強制した。丹羽宇一郎「財界だって格差社会はノー」『文芸春秋』2007年、3月号、146ページ。
184)前掲、曺喜昖(他)(2010)、13ページ。
185)ファン・ヒョンウク「新自由主義と韓国社会の変動」『進歩評論』第27号、2006年、39ページ。
186)ナム・グヒョン、ソン・テス「新自由主義支配戦略と文民政府、国民政府」『進歩評論』第11号、89ペー ジ。
187)また、対外市場開放で、国内市場の保護を通じて財閥を規律することができる手段が減り、国家所有銀行 株の売却と財閥の第2金融圏の所有、統制許容などで、財閥を規律してきたもっとも強力で効果的な金融統制 という手段を失うことになった。前掲、李正馥(2009)、137ページ。
188)遠藤敏幸「韓国の財閥規制と財閥の持続可能性200年代以降を中心として」『現代韓国朝鮮研究』第12号、
2012年、31ページ。
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なわち、「国家も市場も経済行為を規律することができず、特殊利益追求(
Rent Seeking
)、 企業の帝国化(超巨大企業)、激しい労働争議によって動く「規制されていない開放経済(
Unregulated Open Economy
)」であったと述べている189。新自由主義政策と論理は、全斗煥政権(
1981
~1988
)から始まって、民主化以後、盧泰 愚政権、金泳三政権の経済政策の根幹を成してきたのであり、進歩派政権の政治において も流れ込むことになった。すなわち、この時期は、政治的に、反独裁民主化の主役である 進歩派政権が重要な役割を担ったものの、経済的には、新自由主義政策が展開された時期 でもあった190と言えよう。また、新自由主義政策は、金泳三政権、金大中政権、盧武鉉政 権、そして李明博政権に至るまで、政権が変わっても変わらず、その水位が高まっていた。何よりも、自由貿易協定(
FTA
)の締結は、その先決条件であり、青年失業問題、教育の 自律化、公共部門の民営化、労働柔軟化などは、かつて韓国社会において違和感のない社 会的イシューとなっていた。このような新自由主義的な政策・制度変化は、国ごとに様々 であるが191、韓国の場合は、図表7
.のように、新自由主義政策のなかで、民営化よりは、金融自由化と脱規制などの論理が強調された192。とくに、供給重視の経済学やマネタリズ ムへの転換、国家機構の運営における市場化は、非常に制限的な範囲で行われたという特 徴が挙げられる193。このように、民営化よりは、主に規制緩和が進められてきた新自由主 義的な改革政策は、金泳三政府から進歩派政権とも言われる金大中政権、盧武鉉政権、そ して新保守主義政権として登場した李明博政権に至るまで強化されたと言える194。すなわ ち、新自由主義的グローバル化は、歴代政権によって推進されたのであり、
IMF
通貨危機 以後から韓国社会の支配的な発展戦略として位置付けられるようになったと考えられる。その後、世界の経済状況に対処するために、
1995
年のグローバル化の推進とともに195、189)前掲、李正馥(2009)、137ページ。
190)任爀伯「韓国ニューライト背景と展望:ニューライト運動と中道勢力の国民統合」『寛勲ジャーナル』秋号、
2004年、157ページ。
191)前掲、辛鍾和(2012)、202ページ。
192)たとえば、韓国における民営化問題は、公企業の国民経済上の割合と公企業の労働組合が核心的な障害が 低く、民営化の重要性がそれほど高くなかったため、新自由主義的改革の核心とならなかった。すなわち、韓 国の新自由主義改革の核心となったのは、脱規制と規制緩和を挙げられる。金泳三政権に入って、過去の軍事 政権の官治経済を克服し、グローバル化するという名分で規制緩和を強化し、このような新自由主義の基調は、
政権交代以後においても続けられた。前掲、ハ・ヨンソプ(2006)、19—20ページ。
193)同上、6ページ。
194)任爀伯によると、韓国の民主化は、権威主義の政権が経済発展を成し遂げ、民主化が起きた「成功の危機 による民主化」であったと主張する。成功の危機によって民主化が起きた国の場合、新生進歩派政権の経済政 策は、過去の権威主義体制の連続性が強いが、民主化によって誕生した進歩派政権の経済政策においても、新 保守主義的で新自由主義的な経済政策を継承したと言える。このような民主化への移行の概念として、「失敗 の危機による民主化」もある。これは権威主義体制の経済的実績と関連して分析した二つの対照的な民主化類 型である。前掲、任爀伯(1994)、160ページ。
195)金泳三政権の「グローバル化」政策は、1993 年の樹立当時から国政運営の主な目標として定められたが、
1994 年の第2 次APEC 首脳会談をきっかけに、より明確に打ち出していた。同年11 月17 日に記者会見を 通して「グローバル化構想」を発表したが、そこには「グローバル化推進委員会」の発足が盛り込まれていた。