間野 義之 Yoshiyuki Mano
巽 樹理 Juri Tatsumi
仲伏 達也 Tatsuya Nakabushi
伊藤 央二 Eiji Ito
早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授
博士(スポーツ科学)。専門はスポーツ政策。早稲田大学スポーツビジネス研究所所長。
東京大学大学院工学研究科非常勤講師。1963年横浜市生まれ。1991年東京大学大学 院教育学研究科修士課程修了後、三菱総合研究所に入社。研究員、主任研究員を務め る他、中央省庁・地方自治体のスポーツ・教育・健康政策の調査研究に従事。2002 年に 三菱総合研究所を退職し、早稲田大学人間科学部助教授となる。2003 年スポーツ科学 部の設立にともない同学部助教授、学部の発展改組にともない現在に至る。これまで地 方教育行政功労者章(文部科学大臣)、日本スポーツ産業学会賞、日本スポーツ産業学 会奨励賞、第16 回秩父宮記念スポーツ医・科学賞奨励賞などを受賞。著書には『スポー ツビジネスの未来2018-2026』(日経BP社)、『オリンピック・レガシーが生んだカー リングの町軽井沢:「SC 軽井沢クラブ」の挑戦』(徳間書店)、『2019・2020・2021 ゴールデン・スポーツイヤーズが地方を変える』(徳間書店)、『オリンピック・レガシー:
2020 年東京をこう変える』(ポプラ社)などがある。
追手門学院大学 社会学部 准教授
1979 年生まれ。2000 年シドニーオリンピック、2004 年アテネオリンピック
(チームキャプテン)にてアーティスティックスイミングのチーム種目で銀メダルを 獲得。大阪体育大学大学院博士前期課程修了後、現在は追手門学院大学社会学 部准教授。その他、一般社団法人アスリートネットワーク副理事長、関西ワールド マスターズゲームズ理事を務める。公職では、大阪都市魅力創造戦略スポーツ専 門部会委員、大阪市教育振興基本計画策定にかかる有識者委員を経て、現在は大 阪市教育委員会委員、2025 大阪・関西万博におけるパビリオン等地元出展に関 する有識者懇話会委員など兼務。
株式会社三菱総合研究所
ビジネス・コンサルティング部門 副部門長 兼 キャリア・イノベーション本部長 1967年大阪府生まれ。東京大学工学部(都市工学科)卒業後、1991年三菱総合 研究所入社。都市開発・地域経営や教育・スポーツの関連分野の調査研究・コン サルティング業務に従事。2014 年4 月、ビジョン2020 推進センター長に就任し、
産官学200 以上の組織が参画したレガシー共創協議会を立ち上げ、2017 年9 月 まで事務局長を務める。その間、大規模スポーツイベントによるレガシー創出に関 わる提言・情報発信、機運醸成、プロジェクト創出などを進める。プライベートで も、オリンピック3 大会、サッカーW 杯4 大会、ラグビーW 杯2 大会を現地観戦。
2020 年10 月より現職。
和歌山大学 国際観光学研究センター センター長代理/同 観光学部 准教授
講 師
モデレーター パネリスト
<PartⅠ>
「ゴールデン・スポーツイヤーズ(GSYs)のレガ シー」間野 義之
皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました早 稲田大学の間野です。伊藤先生、ご紹介ありがと うございました。それでは早速ですけれども、40 分間、話題提供ということで皆さんと情報を共有 したいと思います。
ゴールデン・スポーツイヤーズの名付け親とい うのもおこがましいのですが、1年延期したことに よって、ゴールデン・スポーツイヤーズという言葉 がむなしく聞こえる時もありますが、一方で3年が 4年に延びたというポジティブな見方もできるの ではないかと思っております。2019年、ラグビー ワールドカップ、昨年は本当に盛り上がりました。
そして、本当は今年に東京オリンピック・パラリン ピックが開催だったのですが1年延期となりまし て、ワールドマスターズゲームズも再来年に延び ました。ラグビーワールドカップは世界第3位のメ ガスポーツイベント、東京オリンピック・パラリン ピックは第2位。必ずラグビーのワールドカップは 夏のオリンピックの前の年に開催されていたので すが、これが連続して同一国で開催されるのは世 界で初めてです。そして、するスポーツの世界最 高の祭典であるワールドマスターズゲームズも、
夏のオリンピックの翌年に開催されていたのです が、これも同一国で開催されるのは世界で初めて ということでありまして、くしくも3年連続になった ということで、これをゴールデン・スポーツイヤー ズと呼んでみました。紹介映像があるので、ご覧 ください。
今、ご覧いただきましたように、まさにスポーツ の力で地方創生や観光につなげていこうという ことですが、やっぱりこれだけ3年の時間を使い ますので、やってお終いではなく、その後に何を 残すのか、レガシーが重要だということは皆さん
も同じお考えだと思います。元々、レガシーとい うのは、語源がラテン語のLEGATUSでありまし て、ローマ教皇の特使という意味でありました。
キリスト教を普及するためにローマ教皇が特使 をヨーロッパ各地に派遣をして、そこに教会をつ くって、聖書を置いてミサをしたのですが、ただそ れだけではなかなかキリスト教が普及しなかっ た。当然、そこには土着の宗教があったわけです ので、新興宗教であるキリスト教を普及するため に、当時、最先端のローマの技術や文化や知識 を伝授したことによって、結果として教会に通っ ているうちに暮らし向きが良くなる。そして、特使 が帰った後、その後にも文化的な生活が残るとい う、こういう極めて宗教的な背景を持った言葉で あります。形があるものもないものも含む、多様 な概念です。
IOC、国際オリンピック委員会もこちらを定義 しておりまして、オリンピックの憲法ともいわれる オリンピック憲章の第1章の中に、オリンピック競 技大会の良いレガシーを開催都市ならびに開催 国に残すことを推進するのだと。これがIOCの使 命であり役割であるということを明示しておりま す。これは、ある研究者が立候補ファイルと最終 報告書からこのレガシーについて分類したものな のですが、有形なものも無形なものも双方、非常 に多様な概念です。文化、経済、環境、イメージ、
情報教育、ノスタルジー、オリンピックムーブメン ト、政治、心理、社会問題、スポーツ、持続可能 性、都市化、ありとあらゆることがこのレガシー に含まれるわけです。もちろんツーリズムもこの中 に含まれるわけです。一方で、これはGrattonが定 義したものですが、この有形と無形以外にもポジ ティブとネガティブなものもあるし、計画的なも のと偶発的なものもあるといわれています。われ われはともすると、ポジティブで有形で計画的な ものばかりにフォーカスしがちですが、このレガ シーキューブ全体を見て、レガシー全体をマネジ メントする必要があることが分かります。当然、ネ
ガティブで偶発的な無形なもの、こんなことにも 留意をしていく必要があります。
ロンドン大会、ここがレガシーオリンピックとい われているのですが、先ほどのオリンピック憲章 は2002年につくられました。オリンピックの開催 都市というのは7年前に決定しますので、2002年 の時点ですと2008年の北京オリンピックの際に は既に決定しておりました。IOCのオリンピック憲 章の中でも、招致段階からレガシーをしっかりプ ランニングせよということですので、この2012年 のロンドン大会の招致段階からレガシーをプラン ニングしたオリンピックが始まったわけです。当 時、招致段階でロンドンレガシーとして、イギリス を世界トップのスポーツ国家にする、東ロンドン の再開発にする、若い世代を啓発する、持続可 能なオリンピックパークを設計する、そして、イギ リスが創造的、協調的であり、またビジネスチャ ンスに満ちている、これらのことを世界にアピー ルする、この5点をロンドンレガシーとしました。
実際、このオリンピック・パラリンピックを活用し て、積年の政策課題を解決するということで、東 ロンドン地区というのは非常に貧しく、恵まれな い地域だったのですが、ここをクイーンエリザベ スオリンピックパークとして再生させました。こ の写真があるように、非常に汚れた地域でした。
そこを246ヘクタール、ディズニーランドとディズ ニーシーを足したものよりも少し広いぐらいの面 積ですけれども、そこに1.5兆円の予算をかけて、
2年土地を調整して、4年間で会場を建設し、古い 工場だとか倉庫220を壊して、200万トンの土地 を浄化して、川沿いにありますので新しく30の橋 を架けて作り直しました。ある意味で、これは開 発型のオリンピックであります。われわれのこの ゴールデン・スポーツイヤーズというのは、実は開 発型ではないので、これがそのまま参考にはなら ないと思います。しかし、ロンドンの例を見てみま すと、選手村をそのまま使って、今、新たな町をつ くって、その中には学校や保育園、コミュニティー
スペース、医療施設を建設して、ここで人が暮らし て、そしてデジタル産業の集積地として人が働け る場所をつくりました。これがロンドンオリンピッ クの最大のレガシーといわれています。彼らの 2007年のコミットメントを2013年の実績報告で 見ますと、大体この5つのコミットメントが達成さ れています。あえて言うならば、若い世代の啓発 というものは実はあまりうまくいっていません。そ れ以外の面に関しては、ほとんどが計画通りに実 行されています。
では、このロンドンはどこを参考にしたかと聞 きますと、シドニーです。シドニーというのは、実 は開発型のオリンピックでした。シドニー郊外に オリンピックパークをつくって開発をしました。そ して、今ではシドニーの中でも人が住みたいエリ アとして開発されて、コモンウェルス銀行という オーストラリア最大の銀行の本社が移ってきた りして、2000年からですから、今、ほぼ20年たっ て、1つの立派な街として整備されてきています。
では、シドニーはどこを参考にしたかというと、バ ルセロナです。1992年のバルセロナオリンピック 開催当時は、まだピレネー山脈の南はアフリカだ なんていうことを揶揄されるような後進国であっ たのですが、このバルセロナオリンピックを経て、
スペインは見事な経済成長を迎えるとともに、バ ルセロナは今、世界の中でも押しも押されぬ観光 地、観光都市へ変貌したということであります。
これはある研究者が、アトランタから北京まで の開催都市の住民に対して重要だと考えるレガ