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クィンズランド州政府観光局への報告書

ドキュメント内 For the record : 覚え書き的研究活動報告 (ページ 120-123)

クィンズランド大学の大学院で論文指導してくれたのはカナダのブリティッ シュ・コロンビア大学で博士号を取得してきた新進気鋭の研究者だった。

かれは、人文社会科学の今後の重要な研究分野は「余暇」「観光」だと力 説していた。そのせいもあって、かれの担当するコース(科目)の一環として、

わたしはクィンズランド州政府観光局の手伝いを指示された。

当時、州政府や観光局はハワイへ向かう日本からの観光客の目をクィンズ ランドに向けさせる施策を立案しようとしていた。そのために、日本の旅行会社 がクィンズランド州そしてオーストラリアを、日本でどのように宣伝しているの か、またどのようなツアーを販売しているのかを知りたがっていた。

わたしが、観光局の事務所に挨拶に出向いたその日 に、担当者から日本の旅行会社が作成したオーストラリ ア旅行の商品パンフレットを大量に手渡され、それの内 容分析を依頼された。2 週間後完成したのが左の報告 書である。

この報告書を政府観光局に提出してしばらく すると、オーストラリアの代表的観光地ゴールド コーストでホテルチェーンを展開している会社の 社長室から面会の申し込みがあった。

依頼に応じてゴールドコーストを訪問し、指定 のホテルに出向くと、宿泊用のスイートルームが 用意してあった。部屋にはフルーツ・バスケットも 置かれていた。

社長には報告書の概要を説明しただけだった が、これ以降、この会社が経営運営する宿泊施 設には割引料金で宿泊できるようになった。

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後日談がある。この報告書のことを知った、ブリスベン在住者で、日本から の観光客案内の会社を営んでいた U さんから、日本語の旅行案内パンフレッ トを作成しようという提案があった。中身は、免税店やレストランの案内だった。

アルバイトになるならと引き受けた。できあがった案内書には州首相やブリス ベン市長の挨拶文も掲載した。

1980 年代後半以降、日本からの観光客は 急増し、オーストラリアを訪れる外国人観光客の 中でも大きな割合を占めるようになった。

閑話休題

「交さ点」『消費科学』(2000)Vol.41(10):32 頁日本繊維製品消費科学会 夏の冬・冬の夏

8月の後平から調査のためにアメリカの首都ワシントンでしばらく過ご した。残暑が厳しく気温も高く湿気があり、まるで日本にいるみたいだった。

その後ワシントンからは飛行機で2時間ほど北西にある中西部の町に立ち 寄った。9月の中旬だったが、着いた日の最高気温は5度。まるで冬なのに 半袖半ズボンの人が歩いていたりする。ところが翌日の気温は 25 度。わず か 10 数時間で起こったあまりの温度差に驚いたのは言うまでもない。同時 に、このように温度変化が大きい地域で暮らす人びとの衣服観はどのような ものなのだろうかと考えた。そして、アメリカから送られてくる通信販売カ タログの真冬号にはいつも夏服や水着が登場しでいる理由をかいま見たよ うな気がした。

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3)多言語放送(SBS)のための日本語番組の制作と放送

正確ないきさつはいまでは忘れている。1981 年の中頃にブリスベンの SBS で日本語番組を組み入れる協力を頼まれた。資金や技術援助はなく、担 当者が番組を「生」で、あるいは事前に用意したテープをオンエアするという ことだった。この依頼を受けて、番組作りをすることになった(PART 1 の「オー ストラリアの多言語・多民族放送」参照)。

参加者は、日本からやってきて現地企業で勤務する人、旅行会社を営む U さん、またクィンズランド大学の日本語学科で日本語を学ぶ学生さんや卒業 生らだった。

番組作成のための経費はそれぞれの持ち寄りで工面していた。番組作成器 材は中古のオープンリールのテープデッキとマイクだけだった。テープも番組 の回数分を用意して記録として残しておくことができなかったため、放送が終 わるたびに、新しい番組を上書きしていた。

放送当日は、制作参加者の中 で対応できる人間がスタジオに 出向き、放送機器を操作していた。

日本人会のような組織の支援も なかった。結局、運営資金と人員 不足に陥り、1982 年 2 月 12 日 が最終放送日となった。

最終番組のテープが手元にあ るが、再生するオープンリールの テープデッキがない・・・

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ドキュメント内 For the record : 覚え書き的研究活動報告 (ページ 120-123)

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