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グロティウスの自然法はローマ私法から個人の諸権利とその救済手続きを国家 以前の自然状態に多く適応させた。個人の主体的な自然権には生命・身体・自由 に関する自衛権、所有権、契約による債権、刑罰権があり87、これらが正戦の理 由となり、主権国家ではない私的な個人や法人の戦争の権利を正当化した。自由 な海洋を経由する VOC の東インドとの自由貿易を阻害したポルトガルは人類社 会の全般的利益に損害を与えた犯罪で処罰されるべきであり、VOC に統合され る商船による私掠行為は正当な復仇として認められる。

84 Ibid., p.350(289 頁).

85 Ibid., p.345-346(284 頁).

86 Ibid., p.328(266 頁).

87 Straumann, op.cit., pp.173,182,189,191,208,211-212. 本論ではグロティウスによるローマ私 法の適応の詳細を検証するだけのローマ法についての知識準備はなく、法による暴力か らの救済と安全の確保という中心点において、彼のローマ私法から国際法への適応がイ ンドの無告の民に平和をもたらす秩序を用意する思想に帰結したかを問う。

特に自然法を強制する私人の刑罰権を認め主権を分割するグロティウスは、セ ルデンやホッブズの国家に絶対的に集中した主権論と対立する。ホッブズとの対 比をグロティウスの次の引用は鮮明に示す。

   刑罰を科する大義は自然なもので、私たちが第 1 の法[自身の生命を守り、

損害の脅威となるものを避けることは許される]と呼んだ規則に由来する ことは明らかである。そうであったとしても、本質的に罰する権力は国家 に帰属する権力ではないだろうか。全くそうではない。それどころか、政 治家のあらゆる権利が国家から由来するように、同じ権利が私的な個人か ら国家に来ている。そして、同様に、国家権力は集団的な合意の結果であ る(中略)。それゆえ、誰も所有していなかったものを譲渡することはでき ないので、懲罰権は国家が保持する前には私人が保持していたことは明ら かである。88

この論理から刑罰権は無限定な主体に広く共有される。海洋のような自然状態 では私人に帰属し、また、それは被害の当事者でなくても、さらには関係者と同 じ国家に帰属していなくても、それと無関係に行使できる権利であるので、そう した権利を譲渡された主権者は臣民だけでなく外国人にも処罰権をもつことにな る。周知のようにロックが発展させることになる「非常に奇妙な学説」の革新性 は、グロティウス自身もサラマンカ学派との対比で、正戦を「国家の管轄権」を 超えて「自然法」から考える点において、自覚していた89

主権者以外にも戦争権を拡大することで、東インドにおけるポルトガルの独占 的な海洋商業帝国に対するオランダと VOC の抵抗を正当化する点で、グロティ ウスの自然権論は属州や植民地の独立戦争のような反帝国主義の抵抗原理となる 可能性を評価することもできる。しかし実際にはその後グロティウスが東インド 交易へのイングランドの参入を阻む VOC の独占政策を VOC と現地の諸王との

88 Groius, Commentary on the Law of Prize and Booty, pp.136-137. Straumann, op.cit., p.208-209 に引用。

89 Grotius, The Rights of War and Peace, 2-20-40-4,book Ⅱ, p.1024. Straumann, op.cit., 216

Ⅱに引用。

条約を盾に弁明したように、オランダによる独占的な搾取となる不釣り合いな通 商関係を契約の順守の原理で正当化する個人の自然権は、植民地主義のイデオロ ギーとなった。

自然権に基づく戦争権の主体を万人に拡散するグロティウスは、セルデンや ホッブズの主権論と比較するとき、国際関係を、de facto のみでなく de jure でも、

アナーキーな戦争状態としての自然状態に固定化し、正義や法の秩序に戦争の実 力が浸透することを正当化し90、さらには、特に懲罰権を万人に開放したことは、

帝国による人道主義を装う介入を認めることになり、依存により主権の間の平等 を損なう結果になっただろう。

VOC の侵出に最適な自然法の言説ともみなせるグロティウスに対して、オラ ンダと VOC の強暴な植民地主義と競争したイングランドからは、主権の法秩序 を海にも広げるセルデンのブリテン領海への主権の歴史を受けて主権理論を発展 させたホッブズに、対照的な平和と独立主権の国際関係思想を見出してきた。

VOC の世界帝国を正当化するグロティウスの自由な海と自由貿易のレトリック と対照させるとき(彼の言説全体は多数の著作にわたって分散的に展開しており、

むしろセルデンと相互参照し協働している論点も少なくないが)、セルデンは個 別の世俗国家主権による限定的に拡大する領海を主張し、その多元的な主権の間 に介在する諸国民の実定法の秩序の歴史を国際的な交流関係と法慣習(mores と consuetudo)の生成で説明した。ホッブズは正義を破壊的な戦争の自然状態か ら切り離し前者の成立を国家状態に移したことで、正義の戦争論を解除し、国際 関係から戦争の契機を減らし、少なくとも内面において効果のある平和の第一の 自然法を推奨した。分割と分散を許さない絶対主権への集中は「臣民の安全と平 和」を保障する国内秩序だけでなく、対外関係でも戦争権の主体を公権力に限定 した。帝国への膨張に対するホッブズの警告は、各地域の限定的な主権国家によ

90 Straumann, p.215 によれば、グロティウスは、法は「実力に支援されなければ、その実 効性を外的に持たない」という事実から「実力を法と同じ軛に連結すること」を許し、

脅威として働くことを、罰する自然権に認めていた(De iure belliac pacis, prol.19)。し かし、戦争権と一体化する刑罰の自然権は法の実行化よりも法の無力化をもたらすので はないだろうか。

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