本章は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、私法学、公法学、労働法学など多岐にわ たる分野で活躍したゲルマニスト法学者であるオットー・フォン・ギールケ169における国 法理論の意義を、その背景に存在する国制像や権利論、国家論との結び付きを意識しつつ
169 ギールケの生涯やその著作についての概略は屋敷二郎「オットー・ギールケ」(勝田有恒/山 内進編『近世・近代ヨーロッパの法学者たち――グラーティアヌスからカール・シュミットまで
――』、ミネルヴァ書房、2008年、所収)およびそこで挙げられている諸文献参照。なお、前掲 354頁にもあるとおり、ギールケが貴族に列せられ、「オットー・フォン・ギールケ」と呼ばれ るのは1911年以後である。また、Wolfgang Pöggeler, Einleitung, in: Otto von Gierke, Aufsätze und kleinere Monographien, (2001)も手際よくギールケの生涯と著作をまとめている。
明らかにすることを目的とする。
本章はさしあたって、ギールケ法思想の目的を「公法と私法における根本的相違を前提 とした上での両法分野の統一」、「国家と個人の二極分化を前提とした上でのその克服」と 捉える。すなわち公法が人間を共同体(国家はその最高次の存在である)の一部として捉え、
私法が人間をこのような共同体から解き放された個人として捉えることを前提としつつも、
公法においても個人としての人間という契機を含み、私法においても共同体の一部として の人間という契機を含み得るような法思想の構築がギールケの目的であったと捉える。そ の上で、ギールケの国法理論もまたこのような観点を前提として検討されなければならな いと考える。
ギールケ法思想の根幹をこのように捉える本章の問題意識を明確にするために、以下で はまず、従来のギールケ研究において根強く存在する二つの傾向を批判的に検討しよう。
第一に取り上げられるべき傾向は、エルンスト・ヴォルフガング・ベッケンフェルデ170に よって代表されるような、ギールケを前近代的思想家と見る解釈である。この議論によれ ば、ギールケは中世的社会に愛着を有しており、ヘーゲルによって説かれた国家と社会の 二元論を知らず、ほかのドイツ自由主義者と同様にギールケもまた前ヘーゲル的な国制理 解にとどまっているとされる。近年においてもこのようなギールケ解釈上の立場はクリス トフ・シェーンベルガー171のような論者によって継承されている。すなわち、ギールケは
170 「ギールケは歴史に規定された現実的関係を、有機体論的自由主義者と共有しており、彼自 身の時代の問題を伝統的、歴史・国民的秩序形態の保持と復興によって克服し得ると信じていた。
ギールケも有機体論的自由主義者も、このような秩序に相対して開放的、解体的性質を有する、
1789年以来、具体化した現実としての市民社会を認識しなかった。100年にわたる時間の流れ の中でますます顕わとなる国家と社会の間の鋭い相互対立関係は彼[ギールケ]にとって国家と 国民の間の「自然的」、有機的編成の解消を意味していた。[……]彼は、カール・シュミットが 考えたようにヘーゲルやローレンツ・フォン・シュタインに比べて「決定的な進歩」をなしたわ けではなく、歴史的にも体系的にも、国家と社会についてのこれらの理論家たちよりも昔に位置 すべき地位にとどまっている」(Ernst-Wolfgang Böckenförde, Die deutsche
verfassungsgeschichtliche Forschung im 19. Jahrhundert, 2. Auflage, (1995), S. 153-154. な お、S. 163 ff. も参照)。
171 シェーンベルガーは前注で挙げたベッケンフェルデの研究を参照しつつ以下のように述べ る。「ギールケの特殊性は官僚的国家アンシュタルトと市民社会というこのような[実証主義国法 学が想定したような国家と社会の] 二元論から思考を開始していない点にある。ギールケの国家 理論は国家と社会というカテゴリカルな区別を知らない。彼は確かに一般的な国家公民
Staatsbürgerを前提とするが、しかしそれは職業身分的に把握され、様々な団体に区分される。
このようにして彼は旧ヨーロッパ的政治社会alteuropäische societas civilisに固執し、市民的 経済社会の解放も国家権力....
の君主制的官僚制への集中も描かなかったのである。このような点に おいてギールケは、ヘーゲル以前の公共体に固執し、多くの点において伝統的な身分的社会にギ ールケと同様に結び付いていた前3月革命期の自由主義という伝統を引き継いでいる。[……原 文改行] ギールケはたとえばプロイセン一般ラント法に即して、このような[国家と社会、公法 と私法のカテゴリカルな区別を知らない]モデルを、あらゆる種類の諸団体の個人法から社会法 への上昇として記述し、このようなモデルをすべての諸団体を架橋する最高次の公共体たる国家.......................
と結び付ける。ここにおいて、すべての法の統一というゲルマン的イメージ....................
がギールケにとって 表現されているのである。ギールケにおいてこのような[伝統的な]すべての団体は主権的個人に
身分制社会を前提とする旧ヨーロッパ的社会編成に固執しており、国家と社会の二元論を 把握し得ておらず、たとえばそれは私法と公法が未分化なプロイセン一般ラント法に対す る高い評価に見られるのだ、とされる。ベッケンフェルデらによるこのような議論に対す る批判はすぐ後で述べるとして、先にもう一つのギールケ解釈の傾向を検討しよう。
第二の傾向は、ギールケを社会的(集団主義的)・倫理的ゲルマン法の擁護者であると特徴 付けた上で、ギールケはこのようなゲルマン法思想によって個人主義的・非倫理的ローマ 法に対抗したのだ、とする見解である。このような見解の代表的主唱者としてここではカ ール・クレッシェルを挙げたい172。クレッシェルの研究はギールケのドイツ民法典批判を 法制史的観点から問題視する。クレッシェルによれば、ギールケはゲルマン的所有権を、
社会的拘束を内包する権利として捉え、これに対しローマ的所有権をこのような拘束を認 めない個人主義的な権利として捉えているが、しかしギールケのこのような見解には実証 的な根拠が十分に存在しないとされる。クレッシェルによれば、ギールケはこのようにゲ ルマン法とローマ私法とを(クレッシェルの観点から見るならば本来は適切とはいえない形 で)、対置したうえで、みずからをゲルマン法の擁護者であると自己規定することによって
「私法の社会化」というみずからの見解を補強しようとしたのであるが、このことは法制 史的観点から見るならば維持できないものであり、この点にギールケにおける「ゲルマン・
イデオロギー173」的性格が見いだせるとされる。
よって任意に編成された表現として理解されるものでは決してなく、このことは西洋的...
westlich 自然法や契約的形態に対する嫌悪に対応する。ギールケ団体法論における一大テーマを特徴付け る人間と人間との結合.........
は近世的・西洋的自然法の契約論的意味では考えられていないのである」
(Schönberger (Anm. 4), S. 357-358)。シェーンベルガーにおいては、一方においてはギールケ の議論において公共体の概念が重要視されていたことや反社会契約論的性質が見られることに 関する適切な指摘が存在しながら、他方ではギールケが時代に取り残されており、ドイツ帝国初 期の社会的・政治的現実の把握をラーバント型国法学に比べ、適切に行い得ていない(Ebenda, S.
360)という具合に、本文で示すように必ずしも十分に根拠がないと思われる主張がなされている。
ただしEbenda, S. 376, Anm. 155においてギールケは国家と社会のドイツ的二極分化に対する
先駆的な批判者であるかもしれないと評価するM. Fioravantiの見解についてシェーンベルガ ーは好意的に言及しており、彼のギールケ評価には若干の動揺も見られるように思われる。
172 Karl Kroeschell, Zur Lehre vom "germanischen“ Eigentumsbegriff, in: Rechtshistorische Studien: Hans Thiemr zum 70. Geburtstag zugeeignet von seinem Schülern, (1977). [邦訳:カ ール・クレッシェル、和田卓朗訳「『ゲルマン的』所有権概念説について」(カール・クレッシェ ル、石川武監訳『ゲルマン法の虚像と実像――ドイツ法史の新しい道』、創文社、1989年、所収)]。
法史学的観点からギールケのこのような側面にアプローチするクレッシェルとは異なり、法解釈 学的、法政策的見地からギールケにおけるこのような側面を高く評価した論者として平野義太郎 がいる。平野義太郎『民法に於けるローマ思想とゲルマン思想 [増補新版]』(有斐閣、1970年)、
14-15、34頁以下。平野におけるこのようなギールケ受容と平野自身の思想との連関を論じた近
年の研究として武藤秀太郎「平野義太郎の大アジア主義論――中国華北農村慣行調査と家族観の 変容」(『アジア研究』Vol. 49, No. 4、2003年、所収)がある。
173 ゲルマン・イデオロギーに関する一般的な叙述については村上淳一『ゲルマン法史における 自由と誠実』(東京大学出版会、1980年)参照。また、Ebihara Akio, Was ist „juristisch“ in der juristischen Methode des Staatsrechts im 19. Jahrhundert? Die Funktion des
privatrechtlichen Begriffes der „juristischen Person“ in der staatsrechtlichen Diskussion
ここまでギールケ解釈における有力な二つの方向性を示したが、しかしこれらのギール ケ解釈は、ギールケの内在的解釈としては維持しがたいか、あるいはギールケのある側面 を過度に誇張しており、結果としてギールケ法思想の核心部分への接近を妨げる効果を持 っているように思われる。まず、ベッケンフェルデらによって唱えられた、ギールケは国 家と社会の二元論を知らないという主張は、以下の理由から支持しがたい。すなわち、本 章において繰り返し示すように、ギールケは国家と社会の峻別(ギールケ自身の用語に即し ていえば国家と個人の二極分化という方が適切であるが)を前提とした上で議論を行ってお り、ギールケが中世的な身分制社会の後に立ち現れる国家と社会の近代的二元論に対する 批判者だ、と評価するならともかく、国家と社会の二元論を知らないとするのはギールケ 理論に対する誤解に基づいているという点である。ゲルハルト・ディルヒャーの言葉を用 いれば、ギールケは確かに身分的社会編成を備えたプロイセン一般ラント法を賛美してい るが「ギールケは最高の栄誉を、まさにシュタインの改革による身分秩序の廃止に見いだ したのである174」。
続いてクレッシェルによって批判的に取り扱われたギールケにおける「ゲルマン・イデ オロギー」の問題を取り上げたい。この問題を適切に検討するためには、ここでは二つの 論点が取り上げられていることを確認しなければならない。第一の論点は、ギールケの歴 史叙述がイデオロギーから距離を置いた客観的叙述といえるものであったのか、という問 題である。ギールケに対する上記の批判が、法制史上の主張としてなされているかぎりで は――筆者には十分にその当否を判断する能力はないが175――意義のある研究だと評価で きるだろう。これに対し、もう一つの論点が考えられる。すなわち、ゲルマン法のローマ 法に対する優位を説くためにギールケはこのような対置を作り上げたのだ、という主張が ギールケ法思想の内在的解釈といえるものであるかどうかという問題である。この点を肯 定的に捉えるのであるならば、それはギールケ解釈としては間違っているとはいわないま でも、誤解を招くこととなるだろう。とりわけ、このような主張に基づいて、ギールケは もっぱら個人主義の批判者であり、個人に対して国家や身分的団体、社会的正義というも のを優先させた論者であり、しばしば説かれるようにナチス法学の先駆者であると捉えら れる176ならば、このような主張はギールケ法思想を歪曲化、あるいは少なくとも過度に一 um den Bundesstaatsbegriff, in: Zeitschrift für Neuere Rechtsgeschichte 18, (1996) におけ るギールケとラーバントの間の法人概念の相違をめぐる分析も、このようなゲルマン・イデオロ ギー批判と捉えてよいだろう。
174 Gerhard Dilcher, Genossenschaftstheorie und Sozialrecht. Ein „Juristensozialismus"
Otto von GIerke?, in: Quaderni Fiorentini per la storia del pensiero giuridico moderno 3/4, (1974), S. 349.
175 この論点について笹倉(前掲注6)、128-129頁およびそこで挙げられている諸文献参照。
176 カール・クレッシェル、笹倉秀夫訳「ナチズム下におけるドイツ法学」(カール・クレッシェ ル、石川武監訳『ゲルマン法の虚像と実像――ドイツ法史の新しい道』、創文社、1989年、所収) は、本文でも確認した「無制約の個人主義ではなく社会的義務付けを」というギールケの定式化 を確認した上で、この定式化がナチス初期の私法学に与えた影響について慎重にではあるが、肯 定している。また、ギールケとナチス法学の関係を積極的に論じる論者としてたとえばハンス・