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エーティンガーとヘルダーリンにおける 万物和解説

第 1 節 千年王国説と万物和解(復興)説

1. 1.  アウクスブルク信仰告白

 1530年のアウクスブルク信仰告白は、主としてメランヒトンによって起草 されたが、ルターの承認も得ており、ルター派の信仰告白として最も重要な ものの一つである。そしてその第17箇条には、アポカタスタシスと千年王国 説を退ける次のようなくだりがある。「我々の主イエス・キリストは終末の 日に審くために来られ、すべての死人を蘇らせ、信じる者と選ばれた者に永 遠の生命と永遠の喜びを与えるが、神を恐れぬ人間と悪魔には地獄と永遠の 罰に定める。……それ故に再洗礼派の人々は退けられる。というのも彼ら は、悪魔と断罪された人も永遠の責め苦を受けることはない、と教えるから である。……同じく、今も見出されるユダヤ人の教えも退けられる。即ちそ の教えとは、死人の復活〔黙示録20章〕の前に敬虔な聖者だけがこの世の国 を持ち、すべての神を恐れぬ者を滅ぼす、というものである。」 1 再洗礼派 の謬説として挙げられているもの(最初の下線部)がアポカタスタシス(万 物復興説)であり、ユダヤ人の謬説として挙げられているもの(第二の下線 部)が千年王国説(Chiliasmus)である。

 敬虔主義においてこの両説を信奉する代表者が、ヨーハン・ヴィルヘル ム・ペーターゼン(Johann Wilhelm Petersen)とヨハンナ・エレオノーラ・

ペーターゼン(Johanna Eleonora Petersen)、即ちペーターゼン夫妻である。

そして彼らに大きな影響を与えたのが、イギリスのジェン・リードであった 2

1 Bekenntnisschriften S.72.

2 Groth S.39.

1. 2.  千年王国説

 ペーターゼン夫妻はラディカルな敬虔主義の代表的人物であるが、千年王 国説は敬虔主義全体に多くの信奉者を見出した。例えば、ヴュルテンベルク の敬虔主義を代表するベンゲル、エーティンガーもその信奉者であった。ま たシュペーナー(P. J. Spener)は敬虔主義という言葉で一番に連想される 人物であるが、彼も千年王国説の理解者と見なすことができる。千年王国説 をめぐるペーターゼン夫妻とシュペーナーの関係は興味深く、ここで一瞥を 与える価値があるであろう。

 シュペーナーはペーターゼンの黙示録解釈に完全に同意しているわけでは ないが、釈義的に自分がペーターゼンに匹敵できないことを知っており、黙 示録解釈のスペシャリストとして彼らに敬意を払っていた。彼にとって千年 王国説は、「概念的に把握することのない一つの神秘(mysterium)」 3 なの であった。千年王国説は確かに聖書的には明晰な教義とは言えず、そのよう な観点からシュペーナーはペーターゼンの千年王国説に対して留保の立場を 取り、彼自身は聖書各所の証しする終末論的な「より良き時代の希望」(die Hoffnung besserer Zeiten)を抱き、それを主張したのであった 4 。しかし 両者の見解は、一方がより穏健であり、他方がより過激であるという違いは あるが、同一方向を指していることに変わりはなかった。したがってシュペ ーナーは、ペーターゼンの千年王国説が排斥されることによって、それより も穏健であるが、それと類似した彼の「より良き時代の希望」も排斥される ことを恐れて、事実上彼らの千年王国説の擁護者となったのである 5 。  またベンゲル(J. A. Bengel, 1687 1752)は『ヨハネ或はむしろイエス・

キリストの啓示の解明』(1740年)においてシュペーナーの「より良き時代 の希望」の重要性を強調し、それを更に展開させた。ベンゲルの黙示録20章 1 節以下の釈義で特徴的なのは、「そして私は見た」(und ich sah)で導入さ

3 Groth S.41.

4 Groth S.41. またシュペーナーは、彼の『敬虔なる願望』(Pia Desideria)で、〈よ り良き時代〉の徴候として、「ユダヤ人の回心」、「教皇制度の弱体化」、「我々の教 会の改良」を挙げている。(Groth S.37)

5 Groth S.41f.

れる二つの段落、即ち黙示録20章 1 3 節と 4 6 節を終末の別の時期を表わ すと解釈し、前者を最初の千年期、後者を第二の千年期と見なした点であ る 6 。これはペーターゼンとも相違する見解である。そしてベンゲルは、

彼独自の年代計算でイエスの再臨の年を1836年と想定し、再臨以降に次のよ うな順序で終末的出来事が起こると預言した 7

  a)サタンの捕縛と共に最初の千年期(黙示録20章 1 3 節)が始まる。

  b) サタンが解き放たれることによって最初の千年期が終る(20章 3 節)。

続いて新たな闘争が起こって(20章 7 節以下)、ついにサタンが滅ぼ される(20章10節)。

  c) 第二の千年期(黙示録20章 4 6 節)が始まり、最初に復活した者た ちがキリストと共に統治する。

  d) 第二の千年期に続いて最後の審判(黙示録20章11節以下)が行われ、

続いて新しい天と地の創造がなされる(黙示録21章 1 節以下)。

 ここで注意しなければならないのは、先ず第一に、ベンゲルの終末論的期 待は最初の千年期に向けられており、この時期に「より良き時代の希望」が 成就される、と彼が考えていた点である 8 。第二に、キリストの再臨と共 に最初の千年王国が始まる、という点である。即ち、ベンゲルは千年期前再 臨説を取っているのである。

 エーティンガー(F. C. Oetinger, 1702 1782)もベンゲルの千年王国説を引 き継ぐ。エーティンガーは次のように言っている。「しかしながら言わなけ ればならないのは、聖書が区別しているのに、今まではっきりと区別されな かったものを区別しなければならない、ということである。神学者ベンゲル の仕事によって、今やその区別がより完全に現れる。……今や確かなのは、

地上の千年期はサタンの捕縛で始まり、世の終りのずっと前に終わるという ことである。というのは、世の終りとこの千年期の間には或る期間があっ て、その間にサタンは奈落における捕われから再び自由になる。しかし天の 聖者たちの千年期はその後で始まり、永遠の内に突入する。したがってかの

6 Groth S.72.

7 Groth S.72f.

8 Groth S.73.

二つの千年期は異なった初めと終りを持ち、それ故に時間に関してもまった く異なっている……。というのは、黙示録において天の聖者たちの千年期に ついて述べられていることは、地上の千年王国の状況と混同されてはならな いからである。これを注意深く区別することによって、この世が続く限りで の地上の王国の状態と、永遠における新しい天と新しい地の状態は、それだ け一層精確に区別することができる。」(TH 402f.)

 このようにエーティンガーも、ベンゲルを受けて二つの千年期を区別し、

一方を地上の千年期、他方を天の千年期と呼んだのである。彼は地上の千年 期に対して、昔から用いられ、ベンゲルも時々用いた「黄金時代」(die güldene Zeit)という呼称もよく用いた。彼はこの呼称に多分に錬金術的な イメージも込めていた。卑金属が金に変えられるように、神も不純な時代か ら「黄金の時代」を作るのである 9 。エーティンガーは、千年王国を異端 視するアウクスブルク信仰告白は時代遅れである、とさえ公言して憚らな い 10

 またエーティンガーは、天の千年王国を黙示録21章 2 節の「新しいエルサ レム、天のエルサレム」と同一視し、「神の都」(die Stadt Gottes)とも呼ぶ。

「黄金時代」と「神の都」は、前者がこの世に属し、後者が神の永遠の世界 に属することによって区別されるが、両者はエーティンガーにおいてしばし ば混同されているように思われる 11 。地上の千年期である「黄金時代」と 天の千年期である「神の都」は、身体性においても区別があり、前者は地上 的 な 身 体 性 で あ り、 後 者 は 天 的 な 身 体 性、 即 ち 完 全 な「 霊 身 体 性 」

(Geistleiblichkeit)を意味する。したがって彼にとって地上的な身体性は、

将来の天的な身体性の「像」なのであった 12

9 Vgl. Weyer-Menkhoff S.213. 黙示録21章18節によると、神の都は純金で造られて いるという記述がある。なお、エーティンガーには『黄金時代』(1759 61)という 著作もある。

10 Weyer-Menkhoff S.214.

11 Weyer-Menkhoff S.217.

12 Weyer-Menkhoff S.217. 

1. 3.  万物和解説

 ペーターゼン夫妻は、ヨハネ黙示録14章 6 節の〈永遠の福音〉 13 のもと で万物復興説、或は万物和解説(Allversöhnung)を理解していた。このこ とは、例えば彼らの著作『万物の復興の神秘 第 1 巻』の序論で、「永遠の 福音は万物の復興についての喜ばしい知らせである」 14 と言われている通 りである。ここではキリストは、「創造の初めと終りであり、万物の復興者、

和解者、平和を作る者」とされ、キリストによって万物が救済されるのであ る 15

 万物復興説においてペーターゼンに影響を与えたジェン・リードも、同じ く永遠の福音を万物和解説と関連して解釈していたが、彼女が個人的な幻視 を引き合いに出したのに対し、ペーターゼン夫妻にとってはこの教義の釈義 的基礎付けの方がより重要であった 16

 ペーターゼンの万物復興説において重要なのは、彼らはこの教義が〈最後 の審判の後に永遠に罰せられる〉という聖書の言葉と矛盾しているとは考え ていない点である。『万物の復興という神秘』では、次のように言われてい る。「永遠の生命には初めがない、それ故に終りもない。しかし、苦痛はそ の始まりがあり、罪の結果である。ここで罪とは永遠の根元を持たず、時に おいて生じたものである。……それ故に永遠の根元を持たないものは過ぎ去 り得る。……永遠の生命があり、永遠の苦痛があるが、この〔二つの〕永遠 は同じ種類でも、同じ長さでもない。終りのある永遠があれば、終りのない 永遠もあり、後者の永遠はただ神にのみ由来し、神の内にのみ存し、神がす べてにおいてすべてとなる〔第一コリント15章28節〕時に示される。」 17

13 「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわ ち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえ てきて、大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきた からである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め。』」(黙示録14章

6 7 節、口語訳)

14 Zit. nach: Groth S.40.

15 Groth S.44.

16 Groth S.44.

17 Zit. nach: Groth S.44

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