154 | 2.2 治安当局と司法による取り締まりの強化
グラフ1で確認した2013年半ば以降の争議件数の減少は、決して「交渉の成果」による ものではなく、治安当局による取り締まりの強化によるものであった。たとえば、2013年 8月に発生した民間のスエズ製鉄会社とScimitar石油会社(重油生産を取り扱うカナダ系 企業)でのストライキに対しては、治安部隊が介入(それぞれ8月12日と17日)し、争 議のリーダー格であったメンバーが取り抑えられた。同月21日には、スエズ製鉄会社の組 合リーダーが逮捕され、全体で同社のストライキに参加した14名が起訴され、解雇を通知 されるに至った。ストライキの参加者の要求は、未払い給与・ボーナスの支払い、不当解雇 された同僚たちの再雇用、賃金上昇や労働環境の改善であった(Charbel [2013])。
治安部隊による介入は2015年に入っても報じられている。たとえば、同年9月、「新公 務員法」(同年3月に公布されその後撤回)に反対する公務員の「タダームン(連帯)調整 委員会」のメンバー(主催者発表 300 人以上)がフスタート公園で座り込み抗議活動を予 定していたが、治安部隊により同公園は閉鎖されてしまった。また同年10月には、前述の マハッラ・アル・クブラーでのストライキ中、ボーナスの支払いを求める労働者に対して治 安部隊が発砲の構えを見せて威嚇したことなども報じられている(Egyptian Street [2013])。
独立系労働組合連盟のメンバーでありエジプトの労働問題の研究者として著名なラマダ ン・ファーティマによると、「テロとの戦い」を掲げ「ムスリム同胞団」に対する警戒姿勢 を強める当局は、労働運動も「社会を不安定化させる動き」として取り締まりの対象とみな し、時に「ムスリム同胞団」との関連性を強調する傾向がある、という(Charbel [2013])。 以上、労働部門の法整備や労働環境の変化を前に、人々がどのような主張で抗議を行って いたのかについて考察した。改めて確認しておきたいことは、スィースィー政権成立前後で の争議数の低下が必ずしも労働者側の主張の解決によるものではない、という点である。こ れを踏まえた上で、次節では人々の抗議活動の受け皿としてのエジプトの労働組合の展開 をみていきたい。具体的には、労働運動の担い手としてエジプトの労働組合を官製と独立系 に分けて概観する。
155 | 力として機能した側面もあったことが指摘されているが、サダト期からムバーラク期にか けて増加した組合は官製労組の域を超えるものではなかった(Posunsney [1997])。
3.1 官製労働組合と独立系労働組合
(1) 官製労働組合
エジプト労働組合連盟(Egyptian Trade Union Federation: 以下、ETUFと省略)は国 内で唯一の法的に認可されてきた官製労働組合である。ETUFは、ナセル大統領(大統領任
期 1956-1970年)による経済部門の国有化にあたって、コーポラティズム体制の担い手と
して1957年に設立された。この時代に形成された国家と政府・公共部門労働者との間の「暗 黙の契約」により、労働者はストライキ等の権利を放棄する一方、補助金付きの安価な基礎 物品の配給などを通じ生活面での権益が守られるという、政治的自由と社会保障の引き換 えが行われた(長沢 [1984])。長らくETUFは、「暗黙の契約」の一方の当事者として独占 的地位にあったのである。同連盟の公式な組合員数は約 600 万人と、エジプトの労働人口 の約5分の1に達する(18)。長年にわたって政府・公的部門の労働者はほぼ強制・自動加入 する制度となっていたが、1990年代終わりから2011年の「1月25日革命」を経て、労働 運動・抗議行動が全国的に広がる中、この官製労組への不満や反発も高まっていった。
(2) 独立系労働組合
「1月25 日革命」直後には独立系の労働組合が多く設立され、全体で87 の労働組合が 作られたという。エジプトの労働問題研究の第一人者であるジョエル・ベイニンによると、
ムルスィー政権の終焉を求める「タマッルド(反抗)運動」が高まりを見せる中、特に以下 のような主要な独立系組合がこれを支援する署名活動を展開した。
①「労働組合労働者サービス・センター(the Center for Trade Union and Workers Services: CTUWS)」(19)
②「エジプト独立労働組合連盟(the Egyptian Federation of Independent Trade Unions:
EFITU)」
③「エジプト民主労働議会(the Egyptian Democratic Labor Congress: EDLC)」
④「アレクサンドリア労働者常設議会(the Permanent Congress of Alexandria Workers:
PCAW)」
こうした組織は全国レベルでの動員力には欠けていたが、「1月 25 日革命」以降、2013
(18) 2014年末時点の労働人口は約2960万人(世界銀行)。
(19) この組織はエジプトの老舗のNGOで、特に 1990年代に労働問題に特化していた。指導者 カマール・アッバースはムバーラク政権時代、何度も拘束されたことがある。
156 | 年半ばまでの争議件数の増加の背景にはこうした独立系労働組合の急増があった(Beinin
[2013])。こうして多くの独立系労働組合が結成され、やがて大きく2つの独立系労働連盟
が形成されていった。EFITU(2011年1月30日成立)とEDLC(2013年4月23日成立)
である。しかしこれら連盟の傘下にない独立系労働組合も存在した。実際には、独立系労働 組合の多くは混乱し、弱体で、分裂し、資金不足の状態が続いてきたという(Charbel [2015])。
EFITUの詳細は明らかでないが、2013年にEFITU関係者を招へいした日本の公益財団
法人国際労働財団によると、EFITUの組合員数は約120万人(20)、321組合と26連合会が 加盟している。主要加盟産業として、①税務関係、②パイロット、③観光業、④製糖、⑤イ ンフォーマルとされている(国際労働財団 [2015])。独立系労組の中にインフォーマル部門 を含め様々な職種からの参加者が集合していることが窺える。
こうした独立系労働組合運動は、「1月25日革命」以降、「エジプトの市民社会の中で最 も活発な勢力」として注目されてきた。しかし、独立系労組の調査を行ったあるノルウェー の研究者によると、独立系労組は、前述のような課題(分裂、弱体、資金難)に加え、新た な 3 つの課題に直面しているという。すなわち、①要求内容が賃金を含む個別の職場改善 に限られているケースが多く、構造改革や民主化を促すような主張が少ない、②地域ベース での活動に限られており、全国レベルでの動員力に欠ける、③労働者の組織化の自由を保証 する法的枠組みの整備が進んでいない、という課題である(Kindt [2014])。
これら3つの新たな課題のうち①は、第2節で確認したように、争議参加者の要求内容 が個々の緊急な問題解決に留まっていたことと合致している。②に関しても、より具体的な 独立系労組の活動状況に関する研究が必要であるが、筆者の組合関係者からの聞き取りと 共通した内容であると考えられる(21)。最後の③に関連し、「労働者の組織化の自由を保証す る法的枠組みの整備」とはむしろ逆行する形で、国家レベルでの「取り込み/吸収」の動き とあいまって、独立系労働組合を公的な政治空間から排除していこうとする大きな流れが 存在しているように観察される。以下この点について考察する。
3.2 独立系労働組合の取り込みと吸収、周縁化
(1) 活動家出身の労働大臣の就任
官製・独立系を含む多くの労働組合は、経済改革では新自由主義と親和的と評されたムス リム同胞団に対しては当初より距離を置いていたこともあり、ムルスィー政権への批判が 高まる中で発生した2013年7月3日の軍部の介入に対して、官製・独立系労働組合、左派 のグループ全体が一致して支持を表明した。しかし2013年半ば以降のスィースィー体制に
(20) 同財団のウェブサイトでも組合員数の表記が複数ある。同財団データベースの2015年11月 20日付けの情報では、「組合員数は約30万人」、「加盟組合は318組合」とある。
(21) 「エジプト独立労働組合連盟(EFITU)」の事務局メンバーであったファーティマ・ラマダ ンからの聞き取り内容による(2016年12月6日)。
157 | 対しては、官製労働組合はいうまでもなく、独立系労働組合関係者の間でも政権に対する距 離感、姿勢にばらつきがみられる。
こうした中、独立系労働組合の政権への取り込みとして注目されたのが、ムルスィー元大 統領の失脚直後のカマール・アブーイータの労働大臣任命である (Charbel [2013a],
[2013b])。同氏はEFITUの元リーダーで、長年労働運動活動家であった。しかし2014年
3月に成立したマフラブ内閣によって、労働運動活動家の間で「ムバーラク政権の旧友」と 悪評の高いナーヒド・アル=アシュリーが新しい労働大臣として任命され、アブーイータの 任期は短命に終わった。
(2) 独立系労働組合の法的根拠をめぐって
独立系労働組合に対する風向きは、「1月25日革命」直後の時期と比較して大きく変わっ た。官製労組であるETUFは2016年2月、ギザ県裁判所に対し、EFITUとその傘下にあ る独立系労働組合を相手取り、「独立系労働組合は違法であるため、即刻解散するべきであ る」という訴えを申し立てた。1年以上前から準備されていたこの案件の審議は、組合関係 者の情報として、争議関係者と治安部隊との緊張が高まっていることから再び延期される こととなった(Mohamed [2016])。
2016年3月時点で判決の行方は未だ不透明ではあるが、抑えておくべき点として、労働 組合法に関する議論がある。ETUFを唯一の公的な労働組合と定めたのは1976年制定の労 働組合法であった。しかし、「1月25日革命」直後の比較的自由な雰囲気のなかで、当時の イサーム・シャラフ内閣のアフマド・アル=ボライ労働大臣の下、ETUFとは別に自由な労 働組合の存在を認めようとする新労働組合法の法案が準備されていた。にもかかわらず、そ の後の国内政治情勢の変化のなかで、この自由な新労働組合法案はお蔵入りしてしまった のである。
しかし憲法の観点から独立系労働組合の権利を主張する動きもある。前述のCTUWS は その声明文のなかで、2014年憲法の第76条に「国家は組合組織(syndicates and unions) の独立性を保障すること」と謳っている、と指摘する(Charbel [2016])。
なお、この労働組合の結成の自由を阻害しているとして、ILOはエジプトを「労働者の権 利を侵害している25か国のブラックリスト」に含めていた。しかし2014年5月、政府か らの改善の約束を条件として、このリストからエジプトを外すことを発表した。政府代表団 に同行したETUF議長は「エジプトはそもそも労働者の権利を侵害していなかった」と強 調、副議長もブラックリストからの除外は外国投資の誘致に好影響を与えるだろうと述べ た。これに対し、EFITU事務局関係者は「エジプトにおける抗議活動はいまだ継続中であ る」と不満を表明した(Egypt Independent [2014])。
このように、独立系労働組合の置かれた国内状況は逆境的にみえるが、先述のノルウェー の研究者はこの状況を「ディレンマ」と指摘する(Kindt [2014])。さまざまな制約はありつ つ、これまでのような各地域に根付いた労働運動を展開していくのか、あるいは抑圧や取り