第 3 章 雇用・失業統計の批判と失業代替指標
補論 2 イギリスの社会統計
―ラディカル統計学グループと共同著作―
イギリスのラディカル統計学グループ( Radical Statistics Group: RSG ) は、統計を「社会的生産物」とみなし、「社会を変えるために統計を使う」と いう基本視点にたって、1975 年に創立された。RSG は、民主的科学者運動の 一環として、運動の発展と挫折を経験しながら、30 数年にわたり、批判的視 点から統計研究、統計運動を発展させてきた。筆者は、2000 年前期、大学の 在外調査研究員としてロンドンに滞在した折り、RSG のメンバーとの若干の 交流の機会をえたので、その見聞も含めて、RSG の若干の紹介をおこなう
(岩井 浩( 2002 )( 2003 )、参照)。
1 RSG の歴史的経緯
RSG の理念や方法、活動については、RSG の創立期に出版された Irvine, J., Miles, I. and Evans, J. , 1979 が、伊藤陽一、
田中章義、長屋政勝訳『虚構の統計 ― ラディカル統計学からの批判』(梓出 版、1983 年)として翻訳・出版された。1999 年に RSG の創立 25 年周年記念 として、その共同研究の成果が D. Dorling and S. Simpson ( eds )
, Arnold publisher, 1999 として刊行さ れた。同書の翻訳は、岩井 浩、金子治平、近 昭夫、杉森滉一監訳『現代 イギリスの政治算術 ― 統計は社会を変えるか ― 』(北海道大学図書刊行会、
2003 年)として刊行された。
RSG の歴史的経緯、その活動のあり方については、Statistics in Society の 序文と結論で、その概要を知ることができる。RSG の活動は、イギリスの民 主的科学運動の中核であつた「科学における社会的責任を考えるイギリス協 会」( SSRS )の 1 部会として発展したが、1990 年代のソ連の崩壊等の歴史的 激動は、イギリスの科学者運動に大きな打撃を与え(上記の協会の消滅)、現
在 RSG は、どの組織にも属さない独立した活動をおこなっている。筆者は、
RSG の指導部の一人であった R. Thomas( RSG における雇用・失業統計研 究のリーダー)と話す機会があったが、RSG の歴史的経緯、総括についての 文献資料があるかと尋ねたが、文書はないとの返事であった。彼は、上記の イギリスの科学者運動と RSG をとりまく厳しい経緯について語るのみであった。
Statistics in Society の序文によると、「ラディカル統計学は 1975 年 1 月 に始められたが、この運動は第 2 次世界大戦の前まで遡る。その最も有力 な表現は、バナールの著書『科学の社会的機能』( J. D. Bernal,
, ( 1939 )(坂田昌一・星野芳郎・龍岡 誠共訳、勁草書 房、1981 年))であったとされる。その中核となったのは、「 1969 年に、ベ トナム反戦運動に参加した若い革新的科学者たちの新しい世代の人々が、科 学における社会的責任を考えるイギリス協会 SSRS )」を創設したことであっ た。……「これらの運動は、1970 年代を通じて統合されて大きくなっていっ た。その最盛期には、SSRS は 1200 名以上の会員と、多数の部会をもってい た。そ れ ら の 部 会 に は、ラ ディ カ ル 統 計 学 グ ルー プ( Radical Statistics Group )、ラディカル保健統計グループ( Radical Statistics Health Group ) も……含まれていた。残念なことに、1979 年から 1997 年までの保守党支配 下の 18 年間になんとか活発に活動する会員を維持し、度重なる政治的敗北を 切り抜けて生き残ったのは、RSG だけであった。SSRS は 1990 年代に最終的 に姿を消し、その慈善を担当する部会である『科学と社会協会』( the Science and Society Trust )のみを残すことになった。SSRS がなくなって以来、RSG はほかのどの組織の部会にもなっていない」とされている。
2 RSG の活動
RSG の研究活動として、年 3 回発行の Journal: Radical Statistics と年 1 回 の総会(毎年 1 月)が開催されている。Journal は、1975 年 1 月に 1 号が発 刊され、最新号は、2008 年の 98 号が発刊されている。RSG の研究活動状況 は、インターネット上の RSG のホームページ〈 http://www.radstats.org.uk 〉
から知ることができる( Journal の論文、RSG のメーリングリストの既存文 書、またその出版物、総会記事等の検索ができ、一部の文書はダウンロード できる)。また RSG メンバーの email-list は公開されており、そのリスト
〈 http://www.jiscmail.ac.uk/lists/radstats.html 〉にアクセスすると、過去に 遡って、彼らのメール上での discussion の内容および関連文書を読むことが できる(メール上、リストへの登録の手続きをすると、討論に参加すること もできる)。
年 1 回の総会は、各研究機関の会場でもちまわりで開催されており、2008 年 度 は、‘A decade of Revolution: Does it measure up ? ’ の 共 通 論 題 で、
Edinburgh, Scotland で開催された。RSG は、The Toroika という 3 人指導 体制をしいており、総会によって定期的に交代、選出されている。RSG は、
最盛期には複数の部会をもっていたが、現在では保健統計グループが活動し て お り、近 年 の 著 書 と し て、S. Kerrison & A. Macfarlane ( eds ) Offi cial Health Statistics An unoffi cial Guide , Arnold publisher 2000, を 発 刊 し て いる。RSG の個々のメンバーの学術的研究成果は、Statistics in Society の巻 末の参考文献目録で参照できるが、同グループとしての活動は、アカデミッ クな分野よりは、社会変革を目指す統計批判、統計実践に主な舞台を置いて いるとされる。
RSG への入会案内パンフレットで、その活動は、次のような事柄を解明す ることにあるとされる。①社会的な問題を技術的な問題にすぎないものであ るかのように見せかけるために、専門的な用語を使ってことがらを神秘的な ものにしてしまうこと。②統計調査の目的、統計調査の仕方、そして統計調 査によって得られた情報の使い方について、社会がコントロールできていな いこと。③統計の仕事に携わる人々を雇用し、管理しそして仕事をさせてい る権力的な構造。④社会問題をばらばらな専門分野の諸問題に切り裂いて断 片的なものにしてしまい、共通している問題をぼかしてしまうこと。
彼らの活動が単なる在野での統計批判でないことは、例えば、イギリスに おけるミクロデータ(センサス)の提供拠点になっているマンチェスター大 学の Angela Dale 教授の活動、また RSG のトロイカ体制( 3 人のリーダー)
の一人であった Ray Thomas が王立統計協会( RSS )の政府統計部門の Secretary に就任し、活動していたこと等をみればわかる。特に 1975 年の RSG の成立が保守派の拠点であった王立統計協会との戦いを契機としていた ことからも、その歴史的転換は明確であるといえよう。RSG は、現在では公 的「学会」の一つとして、政府統計機関、他の研究機関、調査組織と密接な 諸関係をもって活動している。
3 RSG の基本的理念・方法と共同著作 ―Statistics in Society について―
RSG の基本的な理念と方法、統計の吟味・批判、その批判的利用の視点は、
その創立期に出版された前著 Irvine, I. Miles and J. Evans ( ed. )
, 1979(『虚構の統計 ― ラディカル統計学からの批判』)
および後著 , 1999(『現代イ
ギリスの政治算術 ― 統計は社会を変えるか ― 』)によって、その概要を知る ことができる。前著では、RSG の基本的理念と方法について詳しく説明され ており、Ⅰ部 社会統計の歴史的把握、Ⅱ部 知識と数、Ⅲ部 統計と国家、Ⅳ 部 統計の活用、Ⅴ部 結論から構成されており、統計の歴史的考察、その理 論と方法の検討、社会的生産物としての政府統計の吟味・批判、統計利用の 方法論的批判が体系的に述べられている。後著( D. Dorling and S. Simpson
( eds. )( 1999 ))においても、これらの「統計実践及び一般的には科学的実践 への 4 つの批判的見解」が引用され、前著の理論と方法を本書が継承してい ることが説明されている。
前著によると、第一に、反統計、統計の否定を招く「反科学的アプローチ」、
第二に、科学技術の発展に代案を提起する「代替技術アプローチ」、第三に、
科学・技術者の社会的責任(原爆開発と科学者の社会的責任等)問題とする 科学における「社会的責任アプローチ」(統計は中立であり、非社会的知識と 技術の集合体であるとみなされ、単に統計の使用と誤用のみが問題とされて いる。その代表として、W. J. ライヒマンの『統計の利用と誤用』、D. ハフ
の『統計でウソをつく方法』等が引用されている)があるが、これらのアプ ローチはいずれも一定の範囲で有効性があるが、ある面では反科学的であり、
また科学的に不十分であると批判されている。そこで第四の急進的科学アプ ローチ( RSG の基本視点)が提起され、統計は中立ではなく、社会的生産物 であり、統計は歴史的に社会的に規定されているとみなされる。資本主義社 会では、科学の中立性は保たれず、科学の産物は資本主義社会の階級制と結 びついているとされる(伊藤、田中、長屋訳( 1983 )第Ⅳ部、pp. 324 380、
参照)。新たに出版された共著でも、これらの「統計実践及び一般的には科学 的実践」への 4 つの見解に継承され、第一から第三の「 3 つの見解が、特定 の環境においては政策や実践に変化をもたらす点では成功であることを認め つつも、さらに進んで、もし統計が社会の産物であるならば、それは中立で はあり得ない」ことが指摘される( D. Dorling and S. Simpson ( eds. )( 1999 ), p. 414 )。社会的生産物としての統計の生産(作成)と利用にかかわる統計の 歴史的・社会的規定性の諸問題(政府統計の場合には、政府統計の生産・利 用を規定する政府の政策目的、行政手順と行政組織、その歴史的変遷等)が 統計研究の対象とされる( Statistics in Society の巻末の参考文献には、RSG の著作リスト、RSG 会員の研究業績リストが収録されている)。
新たに出版された後著は、全 8 編、47 章、484 ページにおよぶ大著であり、
対象とする領域が統計の収集、モデルと理論、人々の分類(ジェンダー、民 族、宗教等)、貧困、健康、教育、雇用、政治と経済におよぶ「社会と統計」
の多様な分野にわたっている。後著では、社会的生産物としての統計が、① いかなる目的に対応して、②いかに作成され、③いかに分析・解釈され、④ いかに報告さているかの視点から、統計の吟味・批判、統計の批判的利用が 考察されている。すなわち①目的 : 要望、依頼、要請、必要、需要。統計が いかなる目的で、いかなる要求により生産されているか。それは誰によって なされているか。政府統計と国の政策、権力と住民、その諸関係。②統計の 収集。統計がいかに生産されているか。政府統計、行政機構等との関係、③ 解釈・分析・推論・理解。統計がいかに解釈され、分析されているか(カテ ゴリー化、データ分析の仮定等)。④普及・報告・提示・情報・伝達・統計が