ゆる組に入りませんか?
世の中には、いろいろな人たちがいらっしゃいます。様々な問題や苦しみがたくさんご ざいます。その中で「これが正しい!」「これこそが真実だ!」って主張するのも大切ですが、
ここでゆるっと参りませんか?もしかして、その問題も、そもそも適切じゃないのかもし れませんしね。
「ゆる」って何ですか?
ぜひご一緒にゆるっと考えて参りませんか。
感じとしては、日常生活における水や空気が近い気がします。水や空気は、形も色もな いからこそ強さや有用さがあります。本当の究極は実現しえないのですが、取り組むこと によって限りなく究極に近づけます。
ゆるの目的って何ですか?
ゆるっと楽しく参りましょう、ぐらいでしょうか。あえて書くならば、目的を持たない ことによって、大いなる目的を自然に達することが目的です。
目的を明確にすることの大切さは、目的を考えることで考えをまとめたりできる効用も あります。しかしながら、目的を意識した時から、その目的を達成することが難しい逆説 的な状況が多くあります。その目的を決めることによって、その目的にとらわれ、あるが ままを見つめるときの邪魔をします。成果だけでなく過程も大切にして、良いことを求め ていきたいです。
ゆるの適用範囲やスコープはなんでしょう?
「ゆる」は形容詞ですので、何にでも当てはまります。既存の考え方と似ているところ がありますが、組織やプロセス、プロジェクト、ビジネスや経営、ソフトウェア、要求定 義やテスト、アーキテクチャ、合意形成、哲学や言語学などの領域などでゆるい特性が観 測されます、または観測できるといいな、と期待しています。
ゆるは「度合い」や「アプローチ」です。そのため「これはゆるですか?」について、
あらゆるものに対して「はい、ただし究極ではありません」が典型的な回答になります。
ドメインについても、ゆるは適用されます。あらゆることはつながり影響しあっていて、
何らかの行為は影響を与えます。戦争や契約をメタファに基づいた文化においては、ドメ インや領域を明確にすることが求められています。それを否定するものではありませんが、
あくまで便宜上のものであることを認識することです。その関連性を含めて複雑なものを 複雑なものとしてゆるっと取り扱いたいです。
ゆるじゃないものって何ですか?
あらかじめ完全な計画を立てる、完璧な管理を行うことは、ゆるとは別の方向性ではな いでしょうか。その結果、創造的な活動がスポイルされる、発生したゆらぎを吸収するた めにムリが発生する、ムリが出てコストが増え成果に結びつかないことがあります。その ため、実際の活動をよく観察すると、ゆるの特性は発見されることが多いようです。たと えば、この庭は気持ちいいと気づき、その庭の気持ちいい点を伸ばそうとします。
自分自身の「正しさ」や「真実」にこだわっているときは、ゆる度合いが低い可能性が
あります。「正しい」や「真実」だと認識しているものは、あくまでその人と、その人が 属している文化や共通意識のなかでの「正しさらしさ」でしかありません。相手の考えや とらえかたを尊重し、その考えの違いを相対的にとらえることによって、つながりや構造 をとらえて行きます。その結果、良いことが悪い結果を生んだり、悪いことが良い結果を 生んだりしますし、結果が原因になったり、原因が結果だったりします。
過去の経験や知識からとらえた統一的なものは、ゆる度合いが低い可能性があります。
同じパラダイムであっても 99.99999…% の「もっともらしさ」はあるけど、100% の正 しいことはありません。たとえば、力学法則も、実際の実験結果は「ぶれ」や「ゆらぎ」
があります。その「ぶれ」や「ゆらぎ」を含めて大切にします。さらに、真実と思われて きたものはどんどんパラダイムが変わってきた歴史を謙虚に受け止めます。そのために過 去の経験や知識をとらわれないように、過去の経験や知識をいったん横において、謙虚に あるがままを見つめ、それを大切にしてします。とらわれないであるがままに従って、進 めていきます。
目標を明確にし、その最短距離を直線で進むことにこだわるときは、ゆる度合いが低くな る可能性があります。むろん、そのように進めればいいのですが、現実はそんなに単純で 静的ではありません。われわれが取り扱う創造的で複雑な目的自体が変わり、アウトプッ トによって状況が変わります。そこで、その都度の生成されるものを大切にしていきます。
数値化や形式知化にこだわりすぎることも気をつける必要があります。状況に応じては、
暗黙的で定性的な認識がリーズナブルであることもあります。今まで以上に大量のデータ 処理を扱い、最大限活用します。だからこそ、数値化や形式値化し、分析する際に排除し えない恣意性などを考慮する必要があります。
ゆるっていいんですか。
「究極」や「最強」を目指しています。それが持つゆるさ故に究極はあり得ないのですが、
あるしきい値を超えたときに、究極を感じる人が多いようです。
最初は、ゆるめることになりますので、無駄をそのまま許容するように感じます。しか し、振り返っているといいところにハマってくるので、ムダやムリがなかったなという印 象を感じる人が多いです。
ゆるの困難は、何でしょう。
やはり、最初の計画や予測を確率事象として扱う必要があります。事前に決定論的な事 前の考え方とは大きく違います。確実に約束された未来や計画を前提にされていると、手 放す怖さがあるのではないかと思っています。この場合の、この手放すは放任ではありま せん。
ゆるは、儲かりますか?
使い方なので儲かることを約束することはできません。ただし、今後の商売やビジネス、
戦略を考える上で、とても重要な考え方になってきます。既存の方法では、ゆるに太刀打 ちできないのではないかとも感じています。
ゆると知働化の関係性は あるといいのですが。
ゆるの先へ
もちろん、何が何でもゆるく行くべし、というのもゆるさが足らないってことになりま す。ゆるの先があるのですが、それはこれから考えて明らかにしていきます。
ゆるマップ
キーワードをゆるっとまとめてみました。「かたっ」についても、ゆるとは反対でもあ りますが、含まれる概念でもあります。
「かたっ」と「ゆるっ」
「かたっ!」は「ゆるっ!」の別のパラダイム(考え方)です。「かたっ!」より「きつっ!」
と表現した方が良いのかもしれませんね。なぜ、「かたっ」と「ゆるっ」という二つの方 向性があって、その「かたっ」に重きがあったものの、「ゆるっ」にも注目し、考え方の 重心が移動していく傾向が見て取れます。
20 世紀においては、「かたっ」のパラダイムが重宝されてきました。かたっの世界観に 基づいた経営やソフトウェア作り、科学技術や工学が発展してきました。かたっの世界観 は、非常に有用ですし、決して否定するべきものではありません。それだけでなく、これ からも引き続き有用であり、成果を出していくと考えています。しかしながら、このかたっ の世界観にとらわれていると非常に危険です。たとえば、経営や運営をこの世界観だけで 組み立てるとリスクが増大し、利益を得るなどの本来の目的を達成しにくくなります。無 理(ムリ)が強くなって、関係者は疲弊するわりに長期的な目的から乖離するようになり ます。
かたっの世界観は、ゆるっの世界観の一部、と考えています。ゆるっは「かたっ」すら を飲み込んでしまう上位概念です。かたっの世界観からは、ゆるっの世界観を理解するこ とが困難です。おそらく、ゆるっの世界観についての印象は「こんなんで大丈夫?」とい う不安なのではないでしょうか。なぜなら、ふわふわしていて、一見とらえどころがなく、
いくつかのものを手放しているように見えるからです。しかしながら、ゆるっの世界から 見ると、逆に堅苦しく、不適切さや小ささを感じる事でしょう。理解のため、必要なもの も捨象してしまうとも感じます。かたっの世界観を捨てているわけではなく、限界や弱点 をよく知って、使えるところでは最大限に、しかも、気をつけて利用します。
「かたっ」の世界観
「かたっ」は、完全さや厳密さを追い求めます。絶対で、真実があり、「客観があり得る」
と考えているからです。なぜならば、現実は単純な規則や理論で説明できるという信念が あります。そのため、あらゆる事象を分割して考えます。たとえば「個人 (individual = これ以上分割できない →個人)」であるべきと世界を捉えています。分割でき、理論があ るから、すべてを予測し、決定することをが可能であると考えています。同時に、排他的 な役割や領域を想定し、物事をとらえます。
「かたっ」は、静的にとらえる傾向があります。静的であるということは、時間の要素