第六章 中国語を母語とする日本語学習者向けの「に対して」に関する教材開発―「対
2.1 教材における「に対して」の導入時期
取り上げた総合教材における「に対して」の導入時期を表 5 に示す。
表 5「に対して」の導入時期(「×」は導入されていないことを表す) 教材名 意味用法 対象 比較・対照
《综合》 第 3 冊第 4 課 第 3 冊第 5 課
《标准》 中級上冊第 2 課 中級上冊第 7 課
《新编》 × 第 4 冊第 3 課
表 5 から次の二点が分かる。
一つ目はすべての教材において「に対して」の「比較・対照」用法が導入されているが、
《新编》では「に対して」の「対象」用法が導入されていないことである。表 1 からわかる ように、「に対して」の 9 割近くが「対象」を表す用法であるため、「対象」を表す用法が
「に対して」の典型的な用法であると言えるであろう。《新编》では「に対して」の「対象」
用法が導入されていないという点は、「に対して」の典型な用法が導入されていないことを 示す。
二つ目は《综合》と《标准》では「対象」、「比較・対照」用法という順で導入されてい ることである。これは典型的な用法から導入するという一般的な文法の提出順序に合って いると言える。
2.2 節からは「に対して」の典型的な用法―「対象」を表す用法を中心に述べる。
88
2.2「に対して」の扱われ方
2.1 で分析対象とした日本語の総合教材では、「対象」を表す「に対して」は次のように 扱われている。
《综合》:一般接在指称人或抽象事物的名词后面、表示动作的对象、谓语多为指称言 语行为、态度、授受行为的动词。相当于汉语的“对(于)”(p98)。
(多くはヒト名詞や抽象物事名詞に接続し、動作の対象を表す。述部に言語行為や 態度、授受行為を表す動詞がきやすい。中国語の“对(于)”に相当する。)
《标准》:意味:Nを対象として; Nに。提示:该句型中的体言“N”表示作用的对 象、或评价、判断的对象。可译为“对……”等。(p25)
(意味:Nを対象として; Nに。この文型の体言「N」は作用の対象、あるいは評価、
判断の対象を表す。中国語の“对……”などに訳せる。)
《新编》:導入されていない。
以上の教材における「に対して」の扱われ方をまとめると、表 6 になる。
表 6 教材における「に対して」の扱われ方(「×」は説明が与えられていないことを表す)
前接語 述語動詞 意味解説 中国語訳
《综合》 ヒト名詞・抽 象物事名詞
言語行為や態度、授受 行為を表す動詞
動作の対象を表す “对(于)”
《标准》 体言 × 作用の対象或いは評価
や判断の対象を表す
“对”
《新编》 ×
表 6 から、次の二点がわかる。一つ目は《综合》と《标准》では「に対して」の意味用 法と前接する名詞、中国語訳が与えられているという点である。二つ目は《综合》では「に 対して」と共起する動詞が与えられているが、《标准》では与えられていないという点であ る。
問題点としては、以下の三点が指摘できる。
一つ目は「に対して」の基本的意味の解説が不十分であったり、誤解を招きやすかった りする点である。例えば、《标准》では「に対して」の意味用法を「に」で解説し、学習者 に「に」と「に対して」を同一視させる可能性がある。また、《标准》では「評価、判断の 対象」という用語が与えられており、「にとって」との混同を招く可能性が想定しうる。
89
二つ目は「に対して」と共起する表現の解説が不十分であったり、与えられていなかっ たりする点である。例えば、《标准》では「に対して」の前接語が「名詞」と与えており、
大まかなことを言っているだけであり、学習者に有益なヒントは提供されていない。また、
《标准》では「に対して」と共起する述部が提示されていない。
三つ目は日本語の「に対して」とその中国語訳とのずれが説明されていない点である。
冒頭で見たように、中国語の“对”は日本語の「に対して」と対応していない場合も多い ため、中国語を母語とする日本語学習者の特徴を考慮し、両者の対応関係を解明すべきだ と考えられる。
2.3「に対して」の例文
《综合》(3)と《标准》(4)では「に対して」の例文をそれぞれ 5 文ずつ挙げている。
(3)a.いつも空手部の先輩に対して敬語を使っているものですから。
b.お客さんに対しては丁寧に接しなければならない。
c.地震の被害者に対して飲料水や食料が提供された。
d.この制度に対して疑問を持っている人は少なくない。
e.李さんは王さんの主張に対して反論した。
(4)a.店員はお客に対して丁寧な態度をとらなければならない。
b.両親は私の決めたことに対して反対した。
c.木の家は地震に対して強いが、家事に対しては弱い。
d.登山をする時は、変わりやすい山の天気に対して十分な注意が必要である。
e.私みたいな子供連れの外国人がいたら、その人たちに対してどんな態度をとるだろ うか。
これらの例文から次の二点が指摘できる。
一つ目は教材で挙げられている「に対して」に前接する名詞は「先輩、お客さん(2 回)、
被害者、制度、主張、決めたこと、地震、天気、外国人」であり、ここに表 2 で挙げた出 現頻度が高い名詞は一つも出てきていないことである。また、「に対して」の直後に「は」
が出てくる例文は 1 文挙げられているが、「、」「も」などの例文は一例も提出されていない。
二つ目は「~に対して~を~動詞」という構文を持つ文は 4 文(全用例の 40%)挙げられ ており、BCCWJ の調査結果と大体一致していることである。しかし、「に対して」の直後に 動詞がくる例が 2 文も(全用例の 20%)挙げられており、コーパスから見た 0.5%よりはるか
90
に高い。また、これらの例文について特に解説も与えられていないため、(1)のような「に 対して賛成する」「に対して尊敬する」という不自然な文を類推で産出させる可能性がある。