第5章 アメリカの取り組み
5.2 まちづくりから見たアメリカの都市計画:ペリーの近隣住区論を中心に
アメリカの都市計画のなかでハワードの理念に影響され、日本の大都市の郊外ベッドタウン 建設に大きな影響を及ぼした、クレランス・ペリーの近隣住区論*3 に触れておく。アメリカで は20世紀初め、人口が増え、自動車が社会に普及し始める。それは便利さとともに、都市とそ の周辺地域に行政境界とは異なるコミュニティがある統一性をもって存在し始める。そこから 安全で便利且つコミュニティの規模としても最適の規模としてふさわしい町づくりの考えがで てきた。それがペリーの「近隣住区論」である。これは郊外化現象とモータリゼーションの産 物とも言える。住区であって、都市ではないので、工場地域は存在せず、居住の場所と居住活 動を行うために必要な商業機能、学校、公園、警察、消防が近隣住区の最少の構成機能である。
ペリーは単なる都市施設の整備と貧困からの解放を都市計画の目的とはしていない。アメリ カの子供を養育している家庭がどんな環境を求めているか、から出発する。「近隣計画」の必要
*3 Perry,C.A. "Neighborhood and Community Planning-- Committee on Regional Plan of New York and Its Environs" 1929 :倉田和四生訳「近隣住区論」鹿島 1975
性は、先ず第1に、「家庭生活はよりよい環境を求める」(訳書 10 頁)から説かれる。そして
「両親たちは敷地と住宅だけでなく、さらにもっと多くのもの、学校、遊び場、食料雑貨店、
薬品店、そしておそらく教会を必要」(同頁)としているのである。また「列車の騒音に悩まさ れず、工場の煤煙からも遠く離れて住むことを願っている」(同11頁)と用途地域制にも関わ る土地のあり方を要求するとしている。さらに「家族の利益について思慮深い人ほど、彼が買 う家屋敷の外部にあり、彼が自由に利用するわけにはいかない施設に依存する度合いが大きく なる」(訳書12頁)と述べて近隣に公共施設の必要性を認めている。これらのことを実現する ためには都市計画は物的環境だけでなく、「近隣という言葉ははっきりしない、曖昧なもので、
その意義は『量的』と言うよりむしろ『質的』なもの」(18頁)を重視し、「街路の安全性だけ でなく、いまや都市の家族生活がその地域の環境に求めている総てを対象とする」(20 頁)と 言う結論に至るのである。それゆえ「宝石は適当なはめ込み台の中でのみその魅力を十分発揮 できるのと同じように、美しい住居は適当な居住環境なしには完全でありえない」(24 頁)と 述べ、単なる住宅という建物があれば「家族」の要求が満たされ、良き社会が形成されるので はないとする。これは現代のまちづくりにも通じるものがある。
これまでの日本の大規模なニュータウン(大都市のベッドタウン)計画の立案において殆ど の計画でペリーの考えは採用されている。その内容を要約的に紹介する*4。近隣住区の物理的 形態は次の6つの原則にまとめられる。
先ず、規模は一つの小学校を必要とする人口(およそ5,000から6,000人)の大きさで、境界 は住区内の通過交通排除を目的として、周囲はすべて十分な幅員を持つ幹線街路で取り囲まれ る。そしてオープン・スペースは住区の需要に見合う公園・リクリエーションの用地として住
区の約10%とする。
次に公共施設として、中心部の周囲に小学校・教会・コミュニティビルディング等を建設す る。人口に応じた商店街地区を住居周囲の交差点に、隣接住区との交通の接点で1カ所以上配 置する。
最も重要なのが、地区内街路体系であり、住区内は循環交通を促進し、通過交通を排除する。
上のことは彼の著書にある図を次頁に示しておく*5。
無論、ペリーの近隣住区論にたいする批判もある(訳書202―205頁)。その主なものを引用 する。
1.アイザックスによる批判
*4 都市計画教育研究会編「都市計画教科書」(彰国社 1987年130頁)
*5 倉田訳『近隣住区論』鹿島出版会 1975 29頁
①近隣住区の実現は村落共同体の制約が再生される。
②近隣住区が物的に見て適切な単位であるか。
③この概念が人種差別に使われる恐れはないか。
2.デューイによる批判
①異質なものが葛藤する現代社会で同質的な近隣関係が再生できるか。
②近隣住区の原型となっている「村落社会」がパラダイスであったか。
③職場等でできる第1次集団があるが、この住居地区により第1次集団のウェイトが弱まる。
3.ジェイコブスの批判
①近隣住区は自給自足的な閉鎖的なコミュニティである。
②田園都市を理想とせず、動的な都市性をもったコミュニティを考えるべきである。
③行政と対抗していくための規模としては小さい。3万人規模でなく、10万人規模が望ま しい。
共通しているのは、共同体としての「閉鎖性」である。かつての村落共同体が理想的な共同 体であったか、ということである。都市に希望を見いだす多くの人は「雇用の場」だけでなく、
「村落での共同体生活」が個人を束縛する過去の因習や、近隣からの目を逃れられる、という
希望を持っていた。にもかかわらずペリーの考えは近隣の人との繋がり、話し合いの機会の持 てる「住区」である。しかし子供達を交通事故から守り、短い距離の移動で日常の生活を間に 合わせる規模と機能を持っている点は評価できる。
ジェイコブスの批判は、彼女自身の調査に基づいて得たダイナミックに発展するための条件 を基礎に行っている。この批判は「まち」或いは「都市」の一部分である「住宅地」のあり方 には当てはまらないのではないか。商店街や繁華街では彼女の提案は充分説得力を持つが、住 宅地は静謐な環境を持たせた方が良いと一般的には考えられるからである。
以下にジェイコブスによる批判の基礎になっている彼女の著述*6 の関連部分、この箇所が最 重要な提案であり、彼女の名を高からしめている所であるので引用する*7。
「歩道の用途と安全性。都市の主要な公共の場である「街路」「道路」。都市の街路が安全な らば、都市全体も絶対とは言わないまでも必然的に暴力と恐怖から守られる。大都市は町や郊 外と根本的に異なる。都市には互いに顔も知らない人たちが満ちあふれている」。
続いて都市の発展のための四つの条件を挙げている。
①地区は一つの基本的機能だけでなく、それ以上の働きをしなければならない。できれば二 つ以上の機能を果たすことが望ましい。こういった機能はそれぞれ自分の予定に従って出 かけて行ったり、種種さまざまな目的に従って、その場所にいる人たちは確実に保証され なければならない。しかもこれらの人々は当然どんな施設でも共通に使用することができ なければならない。
②たいていのブロックは短くなければならない。街路が何本あっても街角を曲がる機会が頻 繁でなければならない。
③建てられた年代と状態の違った建物がいろいろ混じりあっていなければならない。古い建 物はちゃんとした調和がとれていて、その建物の生み出す経済的産物も種種さまざまであ ること。この混在はきちんと緻密になされなければならない。
④目的が何であろうとも、人々が十分密集していなければならない。このことは人がそこに 住宅を構えていて、そのおかげで起こってくる密度の高さも含む。