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つ 。

ドキュメント内 お 知 らせ ー 2~3 ~ (ページ 32-35)

昭和

2 5

年卒

(金)今年も四つ谷の八千代鮪で新 年会が聞かれ総勢1

6

名が集結しまし た。新潟から金子兄。佐藤泰彦ご夫 妻も参加されて一輪の花をそえてく ださいました。

昨年の総会をひきうけて楽しい千 葉大会を開催してくださった高原 兄,川島兄に感謝の拍手を送りまし た。割烹八千代も海の幸を盛りつけ てくれる人が,すっかり若い清潔感 のあるメンバーに替り新春らしく花 やいでおりました。

今年秋のクラス会全国総会は伊豆 の温泉三昧の旅の案が出て来まし そういうわけで平成1

6

2

月1

3

日 た。松原から富士山の見える景色の

七 十 九 期 会

昭和

4 9

年卒

平成16年7月18日 (日)79期会開催 私たちも早いもので卒業から

3 0

年 の月日が流れ,歯科医師会,同窓会 などいろいろな所でご活躍している 方,未だ学問を探求し続けている 方,また,私生活ではお爺ちゃん,

お婆ちゃんになった方,様々だろう と思われます。

3

年ぶりになります が,卒業

3 0

周年を記念し,同級会を

開催することにいたしました。今回 は,

3 0

年を境にしてこれからの同級 会の行事運営について,充分に協議 したいと考えておりますので,多数 のご出席を期待しております。

なお山口朗君がこの度,東京医 科歯科大学の教授に就任され,有志 により

1 5

時から山口君の講演会も予 定しております。

28 

幸。駿河湾の海の幸,天城山の山の 幸,温泉の幸,文学の幸と盛り沢山 の幸があり, 一番近くてなつかしい 旅行になりそうです。

伊豆は何処に行っても温泉があり 海を眺めながら山を眺めながら歩く のも気持ちよさそうです。

波の音や潮の香り,温泉大好きな 人達がきっと喜びそうな企画がされ ることでしょう。

今現地研究の旅に入っているらし いです。

わが家の梅も散り桜も

1 0

日早まり そうです。ではご機嫌ょう

。今年も

元気でまた会いましょう。

(写真提供:佐藤兄,川上正義 記 )

日時

7

1 8

日 (日)

1 7

時より総会

1 8

時より懇親会 場 所 帝 国 ホ テ ル

追 伸 翌1

9

日 (海の日)企画も考 えております。詳細は後日 各々に連絡いたします。

(佐藤春海記)

す い ど う ば し

東京歯科大学の恩人平岡

平岡烈といっても同窓の皆様に た。つまりこの屋敷は三千円どころ は馴染みのない名前です。どのよう

な恩人なのかは,血脇守之助が高山 歯科医学院を継承した今から百年ほ ど前のことからお話申し上げねばな

の値打ちのもので、はなかったのであ る。平岡が江戸っ子器質の快男子な ので算盤抜きの譲渡を受けることが できたのである。(中略)この移転 りません。1

9 0 0

2

月1

2

日東京歯 と共に三月の新入生は一躍百二十九 科医学院の開校式が挙行されまし 名となり, (中略)このようにして た。この頃の東京歯科医学院の校舎

は小川町の東京顕微鏡院の校舎に当 初間借りしていました。その後三崎

I

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の大成中学を夜間使用し講義が行 われていました。このような状況の 中で血脇守之助が最も苦慮、していた ことは東京歯科医学院の校舎を調達 することでありました。

現在の水道橋の東京歯科大学の敷 地である旧番地三崎町二丁目九番地 には元旗本屋敷である平岡 烈邸が あり,その隣地である三崎町二丁目 八番地に血脇歯科治療所がありまし た(現在の三崎神社あたりか)

I

血 脇守之助伝

J

によればほとんど無一 文の血脇守之助が平岡よりその家屋 を譲り受けた経緯は次の通りです。

『血)協治療所の隣家の平岡 県邸 の執事が来て

( 1 9 0 0

年1

2

月頃?),  平岡が移転するからその家屋を買い 取らぬかという話である。平岡は汽 車製造会社を経営していた太っ腹の 経営者で、あった。平岡邸は交渉の末 三千円で譲り受けることになった。 この契約は証書だ証文だなどという のではなく,男と男との約束という 形で成立したのだそうである。(中 略)一週間後,血脇は登記所に赴

き,四千七百円の抵当権を設定し,

その場で借りた三千円を返済し,千 七百円を手にしてゅうゅう帰宅し

明治3

4

( 1 9 0 1

年)は治療所の繁栄,

学生数の増加で経済的にもかなり楽 になって越年することができた』。

東京歯科医学院が順調な軌道で、滑 り出せたのは,この平岡 県からの 家屋の譲渡を受けたことが大きな後 押しになったと考えられます。血脇 守之助伝では平岡 照について記載 されているところはこの件だけでど のような人物であるかは明確に想像 できません。この度平岡 県につい て「日本で初めてカーブを投げた 男

J

(鈴木康允,酒井堅次著,小学館,

2000

年)に詳しく記述されている

や すまき

ことが分かり,著者の鈴木康允氏に もお話を伺う機会がありましたので 同窓の先生方に簡単で、はございます がご報告申し上げたいと思います。

平 岡 烈 は1

8 5 6

年(安政

3

年)に生 まれ父は目安家の付家老でありまし た。1

6

歳でアメリカに留学し鉄道技 術を学び帰国して鉄道技師となりま した。この時「新橋アスレチック倶 楽部」という日本で初めて野球チー ムを作ったことにより,日本の野球 の創始者として正力松太郎とともに

「野球殿堂」入り第一号として1

9 5 9

年顕彰されています。後楽園にある 野球体育博物館の野球殿堂コーナー には平岡 県のレリーフがあります ので機会がありましたらご覧になっ

⁝ 九 一 烈

平岡次郎町日記に記された自宅の見取図。

元旗本屋敷の見取り図

てください。後楽園の地にかつて あった東京砲兵工廠の一部(東京 ドームホテルのあたり)を借り て,

1 8 9 0

年3

5

歳で渋沢栄ーらの後 押しもあり平岡製工所という車両製 造工場を設立しました。この頃の住 まいが現在東京歯科大学の元旗本屋 敷だ、ったわけです。ところでこの元 旗本屋敷の見取り図もこの本に掲載 され,この屋敷を少し改造した当初 の東京歯科医学院の校舎が偲ばれま す。

紙面の都合上,他にもまだ茶目っ 気のある大層なお大尽振りなど書き きれないことがたくさんあります。

最後に平岡氏は三味線の東明流の創 始者でもあり,そして娘婿には三井 銀行の理事で茶人としても知られて いる高橋帯庵が,孫にはベギ一葉山 が歌った 『学生時代』などを作曲し た平岡精二氏がいることを申し添え ておきます。詳しくはぜひ鈴木康允 氏の著作をお読みください。なお皆 様の中で平岡 県についてもしご存 知のことがございましたらご連絡い ただければ幸いです。

(昭和5

4

年卒 ・三友和夫記)

逝 去 会 員

下 記 の 会 員 が 逝 去 さ れ ま し た 。 こ こ に 謹 ん で 哀 悼 の 意 を 表 し 心 か らご冥福を

お 祈 り 申 し 上 げ ます 。

(敬称略

届出)@i)

1 6 . 1 2

卒 近 藤 健 一

( 8 6

歳) 肺 炎

1 6 .   1 .   1 1  

大 森 支 部

1 4 5 ‑ 0 0 6 4

大田区上池台

1‑42‑7 

1 5

卒 岡 肇

( 8 5

歳) 老 衰

1 6 .  1 .   2 1  

中 野 支 部

1 6 4 ‑ 0 0 0 3

中野区東中野

2‑13 ‑4 

‑推

薦 平 下 武 千 代

( 9 5

歳) 心 筋 梗 塞

1 6 .  1 .   2 3  

島根県支部

6 9 5 ‑ 0 0 1 1

江津市江津町

809‑6

2 0 . 9

卒 萩 原 昌

( 8 1

歳) 老 衰

1 5 . 1 0 . 1 9  

札 幌 支 部

0 6 3 ‑ 0 0 0 2

札幌市西区山の手

2

6

丁目

5 2

卒 有 馬 誠 之

( 5 7

歳) ,レ

~

1 6 .  2 .  3 

目 黒 支 部

1 5 0 ‑ 0 0 3 3

渋谷区猿楽町

10‑8‑40 1

4 4

卒 国 島 雅 通

( 5 9

歳) 腎 臓 癌

1 6 .  2 .  4 

岐阜県支部

5 0 0 ‑ 8 1 8 9

岐阜市三番 町

8

1 6

卒 兵 働 四 郎

( 8 8

歳) 肺 炎

1 6 .  2 . 1 6  

福岡県支部

8 1 1 ‑ 1 3 5 4

福岡市南区大平寺

1 ‑3 5  ‑9 

1 7 . 9

卒 古 屋 巌

( 8 2

歳) 肺 炎

1 6 .  2 . 2 1  

山梨県支部

4 0 5 ‑ 0 0 0 6

山梨市小原西

1 5 1

3 7

卒 芦 苅 輝 雄

( 6 6

歳) 月面 梗 塞

1 6 .  2 . 2 2  

大分県支部

8 7 6 ‑ 0 8 4 8

佐伯市城下東町

6‑8

1 9 . 9

卒 本 間 敬

( 8 2

歳) dゴ」

1 6 .  2 . 1 6  

北多摩支部

1 8 7 ‑ 0 0 4 5

小平市学圏西11町

2‑15‑19

3 8

卒 松 田 勝 博

( 6 8

歳) 間 質 性 肺 炎

1 6 .   2 . 2 3  

世田谷支部

1 5 8 ‑ 0 0 8 6

世田谷区尾山台

3 ‑13  ‑13 

4 5

卒 遠 井 政 宏

( 5 9

歳) 急 性 心 筋 梗 塞

1 6 .  2 . 2 2  

埼玉県支部

3 6 4 ‑ 0 0 0 6

北本市北本

1‑84

3 8

卒 東 孝 一

( 7 3 歳)

直 腸 癌

1 6 .  2 . 2 2  

千葉県支部

2 7 0 ‑ 2 2 6 1

松戸市常盤

7‑4‑3

3 5

卒 菅 野 将 士

( 6 8

歳) 大 腸 癌

1 6 .  2 . 2 9  

福島県支部

9 6 0 ‑ 8 1 4 1

福島市渡利字城向

71‑1

2 9

卒 坂 本 一 郎

( 7 3 歳)

誤 喋 性 肺 炎

1 6 .  2 .  6 

芝 支 部

1 0 8 ‑ 0 0 2 3

港区芝浦

4‑4‑2 7  

二田ナショナルコート

9 1 6

3 3

卒 角 田 裕

( 7 1 歳)

肺 癌

1 6 .  3 .  1 

埼玉県支部

3 4 8 ‑ 0 0 5 3

羽生市南

8‑11‑3

3 2

卒 大 津 = 郎

( 7 1 歳)

多 臓 器 不 全

1 6 .  3 .  8 

栃木県支部

3 2 8 ‑ 0 0 4 5

栃木市湊町

1 3 ‑11 

推 薦 西 崎 浅 次 郎

( 9 0

歳) 'し、 不 全

1 6 .  3 .   3 

横浜南部支部

2 3 3 ‑ 0 0 0 2

横浜市港南区上大岡西

1‑19‑8 

1 6 . 1 2

卒 石

光 範 ( 8 6

歳) dレ 不 ノゴ¥

1 6 .  3 . 1 1  

豊 島 支 部

1 7 1 ‑ 0 0 1 4

豊島区池袋

2‑22‑1 

豊島マンション

6 0 1

追 悼

1 1

卒 久 野 明

( 8 9

歳) 日市 炎

1 6 .  3 . 1 4   愛知県支部

4 7 9 ‑ 0 8 6 3 常滑市西之口 1‑74

‑ 昭 3 6 卒 篠

田 登

( 7 0

歳)

血 性 心 不

全 1 6 .   3 . 2 0   本 郷 支 部

1 1 3 ‑ 0 0 3 3

文京区本郷

2‑3 2   ‑ 2  ‑ 3 0 3  

2 2

卒 田 村 清 史

( 7 8

歳) 肺 癌

1 6 .   1 . 1 7  

静岡県支部

4 2 4 ‑ 0 9 4 9

静岡市清水本町

1 0‑2 

‑大 1 4 卒 長 谷川 完 ( 1 0 1 歳)

月面 梗 塞

1 5 . 1 2 . 1 0  

ト 勝 支 部

〒 0 8 9 ‑ 0 6 0 0

北 海道中川郡幕別町札内あかしゃ

5 6

3 2

卒 田 中 章 夫

( 7 1

歳) え ん 下 性 肺 炎

1 6 .  3 . 1 6   函 館 支 部

0 4 0 ‑ 0 0 6 1 函館市海岸町 1 4 ‑ 6 

111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111.111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111

ー一一奥村晴ー君の言卜報に接して 五十一期会 ( 昭和 2 0 年 9 月 卒) 一一一

1 6 年 1

8 日

ドキュメント内 お 知 らせ ー 2~3 ~ (ページ 32-35)

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