昭和
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年卒(金)今年も四つ谷の八千代鮪で新 年会が聞かれ総勢1
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名が集結しまし た。新潟から金子兄。佐藤泰彦ご夫 妻も参加されて一輪の花をそえてく ださいました。昨年の総会をひきうけて楽しい千 葉大会を開催してくださった高原 兄,川島兄に感謝の拍手を送りまし た。割烹八千代も海の幸を盛りつけ てくれる人が,すっかり若い清潔感 のあるメンバーに替り新春らしく花 やいでおりました。
今年秋のクラス会全国総会は伊豆 の温泉三昧の旅の案が出て来まし そういうわけで平成1
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年2
月13
日 た。松原から富士山の見える景色の七 十 九 期 会
昭和4 9
年卒平成16年7月18日 (日)79期会開催 私たちも早いもので卒業から
3 0
年 の月日が流れ,歯科医師会,同窓会 などいろいろな所でご活躍している 方,未だ学問を探求し続けている 方,また,私生活ではお爺ちゃん,お婆ちゃんになった方,様々だろう と思われます。
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年ぶりになります が,卒業3 0
周年を記念し,同級会を開催することにいたしました。今回 は,
3 0
年を境にしてこれからの同級 会の行事運営について,充分に協議 したいと考えておりますので,多数 のご出席を期待しております。なお山口朗君がこの度,東京医 科歯科大学の教授に就任され,有志 により
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時から山口君の講演会も予 定しております。28
幸。駿河湾の海の幸,天城山の山の 幸,温泉の幸,文学の幸と盛り沢山 の幸があり, 一番近くてなつかしい 旅行になりそうです。
伊豆は何処に行っても温泉があり 海を眺めながら山を眺めながら歩く のも気持ちよさそうです。
波の音や潮の香り,温泉大好きな 人達がきっと喜びそうな企画がされ ることでしょう。
今現地研究の旅に入っているらし いです。
わが家の梅も散り桜も
1 0
日早まり そうです。ではご機嫌ょう。今年も
元気でまた会いましょう。(写真提供:佐藤兄,川上正義 記 )
日時
7
月1 8
日 (日)1 7
時より総会1 8
時より懇親会 場 所 帝 国 ホ テ ル追 伸 翌1
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日 (海の日)企画も考 えております。詳細は後日 各々に連絡いたします。(佐藤春海記)
す い ど う ば し
東京歯科大学の恩人平岡
平岡烈といっても同窓の皆様に た。つまりこの屋敷は三千円どころ は馴染みのない名前です。どのよう
な恩人なのかは,血脇守之助が高山 歯科医学院を継承した今から百年ほ ど前のことからお話申し上げねばな
の値打ちのもので、はなかったのであ る。平岡が江戸っ子器質の快男子な ので算盤抜きの譲渡を受けることが できたのである。(中略)この移転 りません。1
9 0 0
年2
月12
日東京歯 と共に三月の新入生は一躍百二十九 科医学院の開校式が挙行されまし 名となり, (中略)このようにして た。この頃の東京歯科医学院の校舎は小川町の東京顕微鏡院の校舎に当 初間借りしていました。その後三崎
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の大成中学を夜間使用し講義が行 われていました。このような状況の 中で血脇守之助が最も苦慮、していた ことは東京歯科医学院の校舎を調達 することでありました。現在の水道橋の東京歯科大学の敷 地である旧番地三崎町二丁目九番地 には元旗本屋敷である平岡 烈邸が あり,その隣地である三崎町二丁目 八番地に血脇歯科治療所がありまし た(現在の三崎神社あたりか)0
I
血 脇守之助伝J
によればほとんど無一 文の血脇守之助が平岡よりその家屋 を譲り受けた経緯は次の通りです。『血)協治療所の隣家の平岡 県邸 の執事が来て
( 1 9 0 0
年12
月頃?), 平岡が移転するからその家屋を買い 取らぬかという話である。平岡は汽 車製造会社を経営していた太っ腹の 経営者で、あった。平岡邸は交渉の末 三千円で譲り受けることになった。 この契約は証書だ証文だなどという のではなく,男と男との約束という 形で成立したのだそうである。(中 略)一週間後,血脇は登記所に赴き,四千七百円の抵当権を設定し,
その場で借りた三千円を返済し,千 七百円を手にしてゅうゅう帰宅し
明治3
4
年( 1 9 0 1
年)は治療所の繁栄,学生数の増加で経済的にもかなり楽 になって越年することができた』。
東京歯科医学院が順調な軌道で、滑 り出せたのは,この平岡 県からの 家屋の譲渡を受けたことが大きな後 押しになったと考えられます。血脇 守之助伝では平岡 照について記載 されているところはこの件だけでど のような人物であるかは明確に想像 できません。この度平岡 県につい て「日本で初めてカーブを投げた 男
J
(鈴木康允,酒井堅次著,小学館,2000
年)に詳しく記述されているや すまき
ことが分かり,著者の鈴木康允氏に もお話を伺う機会がありましたので 同窓の先生方に簡単で、はございます がご報告申し上げたいと思います。
平 岡 烈 は1
8 5 6
年(安政3
年)に生 まれ父は目安家の付家老でありまし た。16
歳でアメリカに留学し鉄道技 術を学び帰国して鉄道技師となりま した。この時「新橋アスレチック倶 楽部」という日本で初めて野球チー ムを作ったことにより,日本の野球 の創始者として正力松太郎とともに「野球殿堂」入り第一号として1
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年顕彰されています。後楽園にある 野球体育博物館の野球殿堂コーナー には平岡 県のレリーフがあります ので機会がありましたらご覧になっ⁝ 九 一 烈
平岡次郎町日記に記された自宅の見取図。
元旗本屋敷の見取り図
てください。後楽園の地にかつて あった東京砲兵工廠の一部(東京 ドームホテルのあたり)を借り て,
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年35
歳で渋沢栄ーらの後 押しもあり平岡製工所という車両製 造工場を設立しました。この頃の住 まいが現在東京歯科大学の元旗本屋 敷だ、ったわけです。ところでこの元 旗本屋敷の見取り図もこの本に掲載 され,この屋敷を少し改造した当初 の東京歯科医学院の校舎が偲ばれま す。紙面の都合上,他にもまだ茶目っ 気のある大層なお大尽振りなど書き きれないことがたくさんあります。
最後に平岡氏は三味線の東明流の創 始者でもあり,そして娘婿には三井 銀行の理事で茶人としても知られて いる高橋帯庵が,孫にはベギ一葉山 が歌った 『学生時代』などを作曲し た平岡精二氏がいることを申し添え ておきます。詳しくはぜひ鈴木康允 氏の著作をお読みください。なお皆 様の中で平岡 県についてもしご存 知のことがございましたらご連絡い ただければ幸いです。
(昭和5
4
年卒 ・三友和夫記)逝 去 会 員
下 記 の 会 員 が 逝 去 さ れ ま し た 。 こ こ に 謹 ん で 哀 悼 の 意 を 表 し 心 か らご冥福を
お 祈 り 申 し 上 げ ます 。
(敬称略・
届出)@i)‑
昭1 6 . 1 2
卒 近 藤 健 一( 8 6
歳) 肺 炎1 6 . 1 . 1 1
大 森 支 部 干
1 4 5 ‑ 0 0 6 4
大田区上池台1‑42‑7
‑
昭1 5
卒 岡 肇( 8 5
歳) 老 衰1 6 . 1 . 2 1
中 野 支 部 〒
1 6 4 ‑ 0 0 0 3
中野区東中野2‑13 ‑4
‑推
薦 平 下 武 千 代( 9 5
歳) 心 筋 梗 塞1 6 . 1 . 2 3
島根県支部 〒
6 9 5 ‑ 0 0 1 1
江津市江津町809‑6
‑
昭2 0 . 9
卒 萩 原 昌( 8 1
歳) 老 衰1 5 . 1 0 . 1 9
札 幌 支 部 〒
0 6 3 ‑ 0 0 0 2
札幌市西区山の手2
条6
丁目‑
昭5 2
卒 有 馬 誠 之( 5 7
歳) ,レ 不~
二1 6 . 2 . 3
目 黒 支 部 〒
1 5 0 ‑ 0 0 3 3
渋谷区猿楽町10‑8‑40 1
‑
昭4 4
卒 国 島 雅 通( 5 9
歳) 腎 臓 癌1 6 . 2 . 4
岐阜県支部 〒
5 0 0 ‑ 8 1 8 9
岐阜市三番 町8
‑
昭1 6
卒 兵 働 四 郎( 8 8
歳) 肺 炎1 6 . 2 . 1 6
福岡県支部 干
8 1 1 ‑ 1 3 5 4
福岡市南区大平寺1 ‑3 5 ‑9
‑
昭1 7 . 9
卒 古 屋 巌( 8 2
歳) 肺 炎1 6 . 2 . 2 1
山梨県支部 干
4 0 5 ‑ 0 0 0 6
山梨市小原西1 5 1
‑
昭3 7
卒 芦 苅 輝 雄( 6 6
歳) 月面 梗 塞1 6 . 2 . 2 2
大分県支部 干
8 7 6 ‑ 0 8 4 8
佐伯市城下東町6‑8
‑
昭1 9 . 9
卒 本 間 敬( 8 2
歳) d、し 不 ゴ」ノニ1 6 . 2 . 1 6
北多摩支部 干
1 8 7 ‑ 0 0 4 5
小平市学圏西11町2‑15‑19
‑
昭3 8
卒 松 田 勝 博( 6 8
歳) 間 質 性 肺 炎1 6 . 2 . 2 3
世田谷支部 〒
1 5 8 ‑ 0 0 8 6
世田谷区尾山台3 ‑13 ‑13
‑
昭4 5
卒 遠 井 政 宏( 5 9
歳) 急 性 心 筋 梗 塞1 6 . 2 . 2 2
埼玉県支部 〒
3 6 4 ‑ 0 0 0 6
北本市北本1‑84
‑
昭3 8
卒 東 孝 一( 7 3 歳)
直 腸 癌1 6 . 2 . 2 2
千葉県支部 干
2 7 0 ‑ 2 2 6 1
松戸市常盤7‑4‑3
‑
昭3 5
卒 菅 野 将 士( 6 8
歳) 大 腸 癌1 6 . 2 . 2 9
福島県支部 干
9 6 0 ‑ 8 1 4 1
福島市渡利字城向71‑1
‑
昭2 9
卒 坂 本 一 郎( 7 3 歳)
誤 喋 性 肺 炎1 6 . 2 . 6
芝 支 部 〒
1 0 8 ‑ 0 0 2 3
港区芝浦4‑4‑2 7
二田ナショナルコート9 1 6
‑
昭3 3
卒 角 田 裕( 7 1 歳)
肺 癌1 6 . 3 . 1
埼玉県支部 干
3 4 8 ‑ 0 0 5 3
羽生市南8‑11‑3
‑
昭3 2
卒 大 津 = 郎( 7 1 歳)
多 臓 器 不 全1 6 . 3 . 8
栃木県支部 干
3 2 8 ‑ 0 0 4 5
栃木市湊町1 3 ‑11
‑
推 薦 西 崎 浅 次 郎( 9 0
歳) 'し、 不 全1 6 . 3 . 3
横浜南部支部 干2 3 3 ‑ 0 0 0 2
横浜市港南区上大岡西1‑19‑8
‑
昭1 6 . 1 2
卒 石光 範 ( 8 6
歳) dレ 不 ノゴ¥ニ1 6 . 3 . 1 1
豊 島 支 部 干
1 7 1 ‑ 0 0 1 4
豊島区池袋2‑22‑1
豊島マンション6 0 1
追 悼
‑
昭1 1
卒 久 野 明( 8 9
歳) 日市 炎1 6 . 3 . 1 4 愛知県支部
〒4 7 9 ‑ 0 8 6 3 常滑市西之口 1‑74
‑ 昭 3 6 卒 篠
田 登( 7 0
歳)虚
血 性 心 不全 1 6 . 3 . 2 0 本 郷 支 部
干1 1 3 ‑ 0 0 3 3
文京区本郷2‑3 2 ‑ 2 ‑ 3 0 3
‑
昭2 2
卒 田 村 清 史( 7 8
歳) 肺 癌1 6 . 1 . 1 7
静岡県支部 干4 2 4 ‑ 0 9 4 9
静岡市清水本町1 0‑2
‑大 1 4 卒 長 谷川 完 ( 1 0 1 歳)
月面 梗 塞1 5 . 1 2 . 1 0
ト 勝 支 部〒 0 8 9 ‑ 0 6 0 0
北 海道中川郡幕別町札内あかしゃ5 6
‑
昭3 2
卒 田 中 章 夫( 7 1
歳) え ん 下 性 肺 炎1 6 . 3 . 1 6 函 館 支 部
干0 4 0 ‑ 0 0 6 1 函館市海岸町 1 4 ‑ 6
111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111.1111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111