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第7章 エッジワースの男女賃金論
この議論にたいするエッジワースの提案は、二次的差異の存在を認めつつも、
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とwtjと いう性別賃金率を適用するかわりに、両性の賃金率をWbi一ーただし、w E
〉w ; i
〉 lAFC‑に統一することであった(Edgeworth1922, 445)。この「二次的差異」を反映させない賃 金率である f職業賃金率J(occupational rate)は、男性にとって賃金率の低下を意味するD
これによって、他の仕事への転職を望む男性たちのかわりとして女性の雇用が増え、結果 として両性問の労働再分配が達成されると、エッジワースはその効果に期待した220
以上のエッジワースの議論を簡単に整理しておこうO 彼の議論は、大きく次の三つの論 理的構造からなっている。第一に、等しい労働にたいする等しい賃金は自由競争によって もたらされるO 第二に、労働市場は自由競争ではない。それゆえに、自由競争がもたらさ れれば等しい賃金は達成され (Pujol1992, 95)、さらに富の増加と(経済的)厚生の増加 が得られるO ここでエッジワースがいう自由競争とは、賃金局の設置とその拡大によって 最低賃金が保障され、女性労働組合が男性労働組合と同等の力をもっ状態のことであった。
そして、両性が自由に参入できる諸産業においては、両性問の労働再分配のため、性差に よる f二次的差異Jを反映させず、両性の賃金率を間水準とする f職業賃金率jの適用を 主張したのであるo
7
・4 .
女 性 賃 金 問 題 と 家 族 手 当 制 度 一 一 経 済 的 厚 生 の 観 点 一 一前節におけるエッジワースの議論は、彼自身が述べたように(Edgeworth1922, 437)、簡 易化のため、独身の男性労働者と女性労働者との間の競争を仮定してきた。しかし、「われ われはいま、概して男性がみずからの所得で妻や家族を養っているという一般的事実に遭 遇する
J
(ibid., 448)ため、エッジワースは家族を扶養する男性労働者の存在を考察に組み 込み、経済的厚生の観点を盛り込んだ議論へと進む。男性が妻および家族を扶養することは、エッジワースによれば、「文明世界のいたるとこ ろで是認されている規範J(Edgeworth 1922, 448)である230 他方、未婚女性労働者にかん
22ただし、
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を求めるために必要な割引を算定することが難しい以上、どのようにしてw ; i
を算出するのかについては、エッジワースは明示していない。また、エッジワースは、たとえば男性校長の存在感が少年たちに及ぼす影響力が女性校長のそれとは異なるような 事例一一これを
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三次的J
差異J(tertiary" difference)と彼は呼んだが(Edgeworth1922, 445)、これは性差によって生じる無形的な差異と解釈できる一ーには「職業賃金率」を適 用できないと考え どちらの性が携わろうとその生産物の価値が変わらないような産業に のみその採用を限定した(ibid.,447)。23エッジワースは、ラウントリーやタウシッグ(FrankWilliam Taussig, 1859・1940)、、
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しては、ラウントリーによれば、 r12.06%の女性のみが部分的、あるいは完全に、自分以 外の誰かを扶養しているに過ぎ〔ず
J
J 、父親の死を原因とする事例を除けば、「その割合は 4.12%にまで下がるJ(Edgeworth 1922, 449; Rowntree 1921, 36)。このラウントリーの調 査結果を根拠として、彼は、ブェゼアン協会による f賃金所得のある女性の 3分の 2は完 全に自活しているだけでなく、自分以外に扶養するものを抱えている J との見解を疑問視し、あくまで主たる扶養者は男性であると考えた(Edgeworth1922, 449)。
かりに再性問で等しい賃金を享受している一一同一賃金率かっ生産性が両性の関で等し し、一一場合、「等しい労働にたいする等しい賃金〔という考え〕は、一方が自分の賃金から 不平等な控徐を条件づけられているならば、もはやまったく公平で、はないように思われj
(i
b i d .
,4 4 9 )
、経済的厚生の観点から男性労働者が賃金額において優位をもつことは不合理 ではない。すなわち、男性が家族を扶養せねばならない事情において、両性問の等しい賃 金は男性に等しい満足を決して与えない一一両性の効用関数は異なるO このように、エッ ジワースの不平等性の功利主義論はここにも現れ、この考えは 1923年の F部会報告でも 再び取りあげられた。「男性と女性にたいする平等賃金に有利な仮定は、女性の大半が免除されている義務、
つまり家族の扶養、から大半の男性が免れないという反論に遭遇するJ(Edgeworth 1923,493)。
しかしながら、この議論は女性労働者やその権利を擁護する人びとに受け入れられにく いものであり、両性の間に衝突を招くこともエッジワースは理解していた(i
b i d .
,449
・50)。 彼はこの仲裁案として、すなわち両性が f競争の自由へと歩み寄るひとつの段階として考 察するに伎するJ(ib i d .
,4 5 0 )
ものとして、ラスボーンが提起した「母性手当J(endowment of mother hood)の妥当性を検討したのであるOラスボーンは、ウェノレズ(HerbertGeorge Wells, 1866暢 1946) が『新マキャベリ ~(TheNew
M a c h i a v e l l i
, 1911)において、「時代を担う児童の養育費を男性である父親の給料に追加し て男性労働者の給料を高くするのではなく、このような費用は、社会の再生費用なので、社会が〔これを〕直接女性に支払うシステム
J
(大塩 1996,148)として提案した「母性手ノレを引用し、彼らもこの規範を承認していると述べている(Edgeworth1922, 448・49)。
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第 7章 エッジワースの男女賃金論
当 」 に 影 響 を 受 け た 。 彼 女 は 、 こ れ を 実 施 す る こ と に よ っ て 、 同 一 労 働 問 一 賃 金 の 獲 得 と 女 性 の 地 位 の 向 上 と を 自 指 し た 。 さ ら に 彼 女 は 1917年 に 「 家 族 手 当 協 会J (Family Endowment Society)を創設し、ウェルズの「母性手当J構想、を、全国的制度、全額国庫負 担 一 一 財 源 は 租 税 一 一 、 妻 へ の 支 給 、 受 給 対 象 は 妻 お よ び 子 ど も 、 所 得 制 限 な し を 骨 子 と した現金給付による f家族手当J構想へと発展させた(大塩 1996,149;渡辺 1976,54)。 こ の ラ ス ボ ー ン の 構 想 と は 独 立 し て ベ ア ト リ ス ・ ウ ェ ッ ブ(BeatriceWebb. 1858・1943)も 1918年 の 「 産 業 に お け る 婦 人 に か ん す る 戦 時 内 閣 委 員 会
J
(War Cabinet Committee on W omen in lnd ustry)の報告において家族手当制度構想を論じているが、エッジワースは、前 述 の と お り 、 家 族 扶 養 を 理 由 と し た 向 性 問 の 不 平 等 賃 金 を 解 消 す る 手 段 と し て こ れ ら の 家族手当制度構想、を評価した。そして彼はその利点と難点とを分析し、さらにその難点を 避ける代替案の可能性を探ったのである。
エ ッ ジ ワ ー ス が 家 族 手 当 制 度 の 利 点 と し て 挙 げ た の は 、 第 一 に 、 男 性 に は 扶 養 す べ き 家 族 が あ る と い う 弁 解 を 無 力 化 す る こ と で あ るO これによって、「もはや家族を養う義務から 解 放 さ れ た 男 性 が 、 向 じ く 自 由 な 女 性 と 極 力 競 争 し な い で す む 理 由 は な 〔 く な る
J
J (Edgeworth 1922,451)0また、全国の母親に支給される子ども手当(children'sallowance) に よ っ て 、 各 家 庭 の 子 ど も の 養 育 費 事 情 が 賃 金 に お よ ぼ す 不 公 平 感 を 是 正 す る こ と も 期 待 でき、 fそ れ が 完 全 な も の で あ る な ら ば 、 確 か に 無 視 で き な い も のJC i b i d .
,4 5 2 )
と、彼はこ の利点を評イ話した。し か し な が ら 、 エ ッ ジ ワ ー ス の 分 析 に よ れ ば 、 家 族 手 当 制 度 に は こ れ ら の 利 点 と と も に 難 点 が 同 居 す るO そ れ は 第 一 に 、 家 族 手 当 に も ち い る 巨 額 な 資 金 の 管 理 に 役 人 を 増 や す こ と が 必 要 な こ と へ 第 二 に 、 そ の 財 源 の 確 保 に あ る 穣 の 危 険 が と も な う こ と で あ る 。 ラ ス ボーンは、すべての所得者への一定率課税での財源確保を提案したが、エッジワースは、
高 所 得 者 か ら 労 働 者 へ の 所 得 移 転 と い う 意 味 で 、 累 進 課 税 に よ る 方 法 を よ り 現 実 的 で あ る と 評 価 し た 。 し か し 、 そ の 場 合 で も 貯 蓄 を 抑 制 す る と い う 弊 害 は っ き ま と う で あ ろ うD 第 三 に 、 妻 が 稼 ぐ と 夫 は 怠 惰 に な る 傾 向 に あ る が 、 無 償 の 手 当 は こ れ と 同 じ 効 果 を 持 ち う る こ と 、 第 四 に 、 こ の 手 当 が 人 口 増 加 を 刺 激 し 、 資 源 に た い す る 将 来 的 な 人 口 圧 力 が 懸 念 さ れ る こ と で あ るo こ の 第 四 の 点 に か ん し て は 、 ウ ェ ル ズ や ピ ア ソ ン(Karl Pearson,
24エッジワースによれば、「家族手当協会」の報告書では、その費用は、児童を対象とす る 6年 間 給 付 な ら ば 年 間 1億 5400万ポンド、 15歳 ま で の 児 童 を 対 象 と す る 給 付 な ら ば 年 間 2億 4000万 ポ ン ド と 試 算 さ れ た 。 ま た べ ア ト リ ス ・ ウ ェ ッ ブ も 、 こ れ ら に つ い て の 費 用 を 年 間 2億 5000万 ポ ン ド と 推 測 し た(Edgeworth1922, 450)。
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1857・1936)が国家による出生規制つきの母親手当を主張したが、そのような形での人口規 制はあてにならないものであると、エッジワースは反論している(Edgeworth1923, 494)。 そして最後に、第四の難点と関連するが、この人口増加は、どのような刺激を与えても改 善することのない先見性がない無寅任な階層一一ブースのいう
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階層(最下層口臨時日雇 労働者、浮浪者など)やB階層(極貧者口臨時的稼得者)に相当する一一の増加と考えら れることであるO たとえ累進課税による財源で手当を支給したとしても、これでは困窮者 に施しを与える立場になる人びとにたいする罰的な意味合いのものになってしまい、エッ ジワースはとりわけ、「中産階級を破滅へと急き立てるJ(Edgeworth 1922, 454)、と警告 を発した。家族手当制度に以上のような難点がともなうならば、同制度の利点を活かしつつも、こ れらの難点を避ける代替的な手段を考えなければならない。エッジワースは、ラスボーン による家族手当構想、にたいする直接的代替手段として、学童給食無償化、家族手当の制限 的給付、労働組合などによる互助的再分配、という三つの方法を挙げている(i
b i d .
,456・57)。この当時、 1914年の改正学校給食法により、その費用の半分を国庫が負担する形で学童 への学校給食が実施されていた(小山 1978,202幽03)。エッジワースが提案した「学童給食 無償化jは、これを全額国庫負担にすることによって、男性の家族扶養にたいする負担感 を軽減し、両性問の賃金不平等を解消することを意図したものである(Edgeworth 1922, 456)。さらにこの方法にかかる費用は年額 1250万ポンドと、年額 1億ポンド以上の費用 を要するラスボーンの家族手当構想、よりも、かなり少額で済み、この点もエッジワースが 評価した要因である(i
b i d .
,4 5 6 )
。エッジワースが次に挙げた家族手当の制限的給付はラウントリーの試算が根拠となって いるOラウントリーは、家族手当給付を三人以上の子どもがし、る家庭に限定することによっ て、その費用を少額(年間 800万ポンド)に抑えることができると計算し、エッジワース も、費用の縮小という点で、この方法に賛同した (i
b i d .
,4 5 6 )
。第三の提案である「労働組合などによる互助的再分配jは、労働組合などの組織が分担 金を拠出し、それを家族の大きさに応じて、その妻たちの間で再分配することを意味して いる。国家による家族手当制度が成立するか否かは、その主財源となる雇用者(資本家) たちの理解にかかっているのにたいして、組合員たちによるこの方法であれば、立法化す る必要もなく、互いが理解するだけで十分であるo とりわけ、エッジワースは、未婚男性 とまだ子どもを抱えていない夫たちに、将来自分が父親となる日に利益を享受することを
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第7主主 エッジワースの男女賃金論
予期してこの基金に応じるべきである、と呼びかけた(i
b i d .
,4 5 7 )
。これら三つの提案において、エッジワースはその優先I}阿立を必ずしも明確にはしていな い。ただ、これらに共通して言えるのは、第一次大戦後の苦しい国家財政を考えると、ラ スボーンのような大規模な費用を要する国家による「家族手当J構想、は現実的ではないと 彼が判断したことである O エッジワースは、 1924 年に『既婚女性の経済的地位~
( T h e Economic P o s i t i o n of t h e Married Women)
を書評してし1るo 問書の著者、歴史家フイツ シャー(HerbertAlbert Laurens Fisher, 1865・1940)の妻レティス・ブイツシャー(Lettice Fisher)も、国家財政から判断して、国家による家族手当は難しいとの見解を表明し(Fisher 1924, 20; Edgeworth 1924, 447)、エッジワースは、みずからと同じ考えをもっ彼女を、 f経 済 学 の 問 題 を な す 動 機 と そ の 影 響 に つ い て 精 通 し て い る j と 高 い 評 価 を 与 え た (Edgeworth 1924, 447)。このようにエッジワースは、国家による家族手当には反対の立場をとったが、男性に家 族の扶養義務がある状況において、両性問の経済的厚生の観点から、なんらかの給付なし には両性問の満足最大化は達成できないと考えていたのである。
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5 .
男 女 賃 金 問 題 と 功 利 主 義ここまで
J
数理精神科学J
から「男女への等しい労働にたいする等しい賃金jに至るエッ ジワースの著作を通じて、彼の男女賃金論を概説してきた。その要点を整理し、本章をまとめることとするO
エッジワースの男女賃金論は、大きくは二つの論点から構成されるO すなわち、「等しい 労働
J
を「労働選択の等しい自由J
と解釈する点、および「等しい不効用J
一一そして、「等しい賃金jを「等しい満足
J
ーと解釈する点である。もっともこれらの論点は断絶 していない。エッジワースは、まず両性問の「労働選択の等しい自由jの可能性を検討し た。そして、向性が等しく競争できる産業において「等しい賃金jが実現したとしても、その賃金が両性にとって「等しい満足」となるかについても議論しており、これら二つの 論点は連続しているO
このうち前者については、スマートの著作にたいする書評やフォーセットの論文だけで なく、みずからも『印刷産業における女性』出版にたずさわることによって、実際の労働 市場には、慣習、工場法、労働組合といった人為的独占の影響によって、そのような自由 がないことを 19世紀末から彼は認識していた。これは、とりわけ、『印刷産業における女