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︑ っ

ドキュメント内 仏教福祉 No.02 (ページ 107-114)

に措置される︒

地域に目を向けさせないというか︑向け なくてよいという歴史がずっと続いてきましたから

7いう意味では

子どもの施設の場合は︑特に養護施設

の問題ですが

そのように動いてきておりますし

そ れ

から先ほどいわれた社会防衛的なことは当然なことで︑

学校から帰ってきた子どもたちは当然のことで

子ども

の施設もつぶれていますから︑

そういう意味ではいえま すね

ドイツのペテルあたりですと

アメリカの巨大な資本 財団が︑何億ドルという金をあなたのところに出すか

と言っ

ても

︑ それをペテルの連中は敢然として断ったの

です︒ ﹁私はこの国の多くの人に支えられてこの施設を運営しているのだ︑国からの措置とは違う︑

そういうことでや

っているから︑あなたのものは要り

ませ

ん﹂

あるいはスイスのベスタ

ロッチの子どもの

村では︑誰

が金を出しているのかタクシーの運転手も全部チケツ

トをも

ってやっている︑そういうことになり得るかとい

︑ っ

'y

ちょっ

となかなかなり得ないと思いますし

そ れ そ

と寺院とをどう結びつけるかというと︑私は寺院という

のは施設の社会

化ということとは

直接はなかなか結びつ かないと思います

︒しかし

精神的にはそういうものの 必要性とか

どうするのかということを来た人に知って もらうとか︑訴えるという何か︑トラブルでもいいです か ら つながりをつくるようなものをそこにおくこと たとえば饗銭箱みたいなものですね

長谷川

ありがとうございました

時間も予定した時間に追

ってまいりました︒

﹂の辺で水谷先生から何かお話をいただければありが

たいと思います︒

水谷所長からの総括

水谷 最初にご挨拶しましたので︑私はフロアーでゆっ

くり

勉強させていただきたいと思

っていましたが

川先 生 の ご 指 名 は お そ ら く お

礼の

言 葉 を 言 い な さ い

(笑)ということだろうと思います︒

皆さん︑本当にお忙しいところ︑ありがとうございま

した︒特に長谷川先生はじめ︑諸先生方︑心からお礼申

し上げます

それでは私個人のフロアーにおりまして感じたこと

歩二

だけつけ加えさせていただきます

須賀先生は現場ではないようですが︑上回先生︑菅野 先 生 そして先ほど質問なさった鷲見先生

まさに現場 の体験でいろいろおしゃっていただいたことはまことに 有益でした

これから硯川先生と石川先生のコメント

もちろん︑長谷川先生のコl

l﹂れも非常に卜 勉強になりました

ただ︑長谷川先生が﹁仏教福祉のことについて︑水谷 先生から何かあとで﹂とおっしゃったので

それもおそ

らく

一言

言 いなさいということだろうと勝手に思いまし て︑申し述べさせていただきます

私は社会福祉の専門家でもなければ︑社会福祉の実践

家でもありません︒

したがって︑仏教福祉ということに

つい

て︑

口幅ったいことを

う資格はないと思っており ます

︒た

だ︑

仏教者であり

また多少

仏教をかじったも

のとして︑社会福祉という領域へ多少なりとも︑私は仏 教者として︑許されるならばということで︑ずいぶん発 一口をしてまいりました︒ そういう中で﹁仏教福祉﹂ということはどういうこと なのかということですが︑私の感じでは社会福祉という

概念ですらも

先ほど︑須賀先生がちょ

っと

おっしゃっ たように︑あるいは﹁文化﹂という問題も出ておりまし たように︑戦後

日本は五

O

年もたつのでしょうけれど

も︑まだまだ111

社会福祉に限らず大体そうなのでしょ うけれども︑特に学問用語というのはどんどん変わ

って

いきますから︑

﹁社 会 福祉﹂という概念もまだ固定化し

ていないのではないか︒固定化しない方がいいのでしょ

うけれども

ましていわんや︑﹁福祉﹂というのは何か

となると︑まさに幅が広くな

ってくる︒そこへ

﹁仏

教﹂

というまた幅の広い言葉を使うわけですから︑﹁仏教福

祉﹂ということになりますと一

OO

人お

った

ら一

OO

人に客観的な受け止め方ができるというわけにはなかな

ミ ︑ ︑

7

︑ .

d

この前も私はあるところで﹁仏教福祉﹂ということで

話をしておりましたら︑これもあるお坊さんが︑

﹁先生︑尼僧さんが年とっ

たらどこかへ入れなければ

いけないからそれを仏教福祉というのか仏教者

の福

sr

L

も 引U4ML

というわけです︒坊さんが年取

ったときに困らないよう

に︑あるいは生活の困ったお坊さんを何とかするという︑

これを﹁仏教福祉﹂というのか言

われまして︑極端な例

ですけれどもなるほど︑まだそういう考えがあるのか

というので:

仏教福祉といった場合には︑何も仏教者が福祉をする

とかということではなしに︑坊主自身が福祉を受ける︑

そのことが仏教福祉なのだ︒たと︑えば︑浄土宗の場合は

いま尼さんの問題が起こっているのですね︒尼僧さんの

生活をどうしていくか︑これを実は

仏教福祉というのだ

という考え方もあるわけです︒これは極端な一つの受け

止め方ですけれども::︒

それで先ほど長谷川先生がおっしゃった

﹁理念﹂と

﹁現

L

これもお

っしゃ

るとおりだと思います︒お

っし

やるとおりだと思いますが︑私は︑仏教者というのは教

者︑伝道者︑私は教

化とい

う言葉には抵

抗があるので

すが︑教化でもいいのですが︑伝統︑布教ということ︒

先ほど布教と教化は::︒

どうもすみません︒私もよる年なみで耳で遠いもので

すから

ちょっと聞きにくい面があ

ったことをお許しい

ただきたいと思います

特に須賀先生は

べらべらおっし

やつ

るので︑話が早いので︑本

当にお若いなと思います︒

もう少し年をとってゆっくりしゃ?へっていただいた方

が理解しやすいのですが:::

︒ 須 賀

先生

の話

︑ とても速 く て 頭 の 回 転 が つ い て い か な か

った

面 も あ る の で す が ほかの先生方の発

言も私︑聞こえにくい面があっ たのですが︑何か

﹁教化﹂とか﹁仏教﹂という話もあっ たのではないかと思います

ともかく仏教者は求道者である

﹂れは間違いないと

思います

それから伝道者︑こういう位置づけをできる わけです

その伝道を﹁教化﹂とか﹁布教﹂とかに具体 的な実践の中で置き換えていく場合に︑結局

いまの言 葉 で い え ば

﹁福祉推進者﹂とい

う の で し ょ う か

f佐 進﹂という

葉が

ちょっ

とリーダーシ

ップ

をとるとい

うことで生意気だということであれば︑

下から福祉を支 える者という意味で﹁福祉介護者﹂││﹁介護

L

と い う

ことが下から支えることかどうか︑よくわかりませんが︑

一人一人の方々にみ仏の教︑えを伝︑えていただくというこ と は

一人一人の方々の

心を安んじるとい

うことで を安んじるということは︑まさにこれは福祉の

一番

の 元 なわけです

︒心

安んじて生活するということですから

そうすると︑まさに布教とか伝道という役目の仏教者は

﹁福祉介

護 者

﹂である︑あるいは﹁福祉推進

﹂である

﹂ういうことで私は仏教者は福祉者である

﹂のように

位置づけていいと思います

︒ 当 然のことながら︑仏教そ のものの展開は︑具体的には先ほど

﹁社会化﹂という問

題が出ていましたけれども︑﹁社会化﹂とは何かとか

﹁現代化﹂とは何かという問題もありますけれども

と もかく一般社会に布教されていく︑社会に一

般化すると いう意味で︑﹁社会化﹂というならば︑私はまさに仏教

の社会化とい

う面からいっても

いま申し上げたとおり だと思います

また仏教の教えそのもの

先ほど︑須賀

先生が﹁空﹂でいかなけれ

ばいけない︑執着しない

﹂だわらないというようなことでちょ

っとお

っしゃった

と思いますが︑

そのとおりだと思います

私は﹁空﹂イ コ /

﹁縁起﹂と受け止めていくのですが︑﹁

縁起

﹂と

' じ、

は相違相関︑相違相関というのはもちつもたれつである

もちつもたれつということは

みんな一つの命の中で

もちつもたれつなのだから

みんな一

つの命の一体感と

いうのですか

︑命は

一つなのだそういう生命の一体感

の中

で︑あなたが苦しいときは私も苦しいのだ︑あなた

が幸せにならなければ私が幸せになったとは言えないの

だ︑こういうような仏教のそれこそ須賀先生がおっし

やる

﹁空

﹂思想から展開していきますと︑まさに仏教は

イコ

ール福祉なのだということを私は言っているわけで

しかし﹂れは仏教の次元からいっているわけでして す

社会福祉という一つのあり方からいきますと

︑特

に戦

後︑

科学的社会主義という

一つ の イデオロギーが出てきまし

て︑なるほどそういう科学的社会主義というイデオロ

ギ も

一つのこやしにしながら︑科学的社会主義とい

うものに惑わさせない福祉でなければならないと思いま

す︒そういうものが私は仏教福祉としてのこれからの

つの展開だと思っております︒

そういう意味で長谷川先生がおっしゃった﹁理念﹂と

﹁実践

﹂というもの︑

さらに私はそれにもう

一つつけ加

えて︑社会福祉の現場のことで申し上げますとたとえ

ば身体障害者にしろ︑あるいは老人にしろ︑福祉の実践 者ではなしに︑福祉を受けている方︑利用者がその仏教 福祉におれば感動するのだ︑感激するのだ

どこの福祉

にいてもそれなりの感動はあるのですが︑仏教的な感動 を受ける福祉施設が私は仏教福祉の施設ではないかと思

います︒福祉の実践者が仏教的な信念とか仏教的な信心

と か

仏教的な

生活

態度

︑ 仏教的な信念︑あるいはさら に信仰といってもいいのですが︑あるいは仏教的な生活

態度

そういうものでいろいろな障害者とか︑

‑ 105‑

そういう 方々に接するということも仏教福祉施設においては大事

でしょうけれどもその福祉にいらっしゃる方々がそこ

において

一つ

の感動を覚える︑それがあとから考えれば︑

その感動は仏教的なものだったのだ﹂ういうことにな

って

こそ

︑ 私は仏教福祉といえる

のではなかろうか

んなことを思いながら先ほどからの先生方の話を勉強 させていただきました︒本当にありがとうございました

長谷川

どうもありがとうございました

ドキュメント内 仏教福祉 No.02 (ページ 107-114)

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