に措置される︒
地域に目を向けさせないというか︑向け なくてよいという歴史がずっと続いてきましたから
7いう意味では
子どもの施設の場合は︑特に養護施設
の問題ですが
そのように動いてきておりますし
そ れ
から先ほどいわれた社会防衛的なことは当然なことで︑
学校から帰ってきた子どもたちは当然のことで
子ども
の施設もつぶれていますから︑
そういう意味ではいえま すね
︒
ドイツのペテルあたりですと
アメリカの巨大な資本 財団が︑何億ドルという金をあなたのところに出すか
ら
と言っ
ても
︑ それをペテルの連中は敢然として断ったの
です︒ ﹁私はこの国の多くの人に支えられてこの施設を運営しているのだ︑国からの措置とは違う︑
そういうことでや
っているから︑あなたのものは要り
ませ
ん﹂
あるいはスイスのベスタ
ロッチの子どもの
村では︑誰
が金を出しているのかタクシーの運転手も全部チケツ
トをも
ってやっている︑そういうことになり得るかとい
︑ っ
'y
﹂ちょっ
となかなかなり得ないと思いますし
そ れ そ
と寺院とをどう結びつけるかというと︑私は寺院という
のは施設の社会
化ということとは
直接はなかなか結びつ かないと思います
︒しかし
精神的にはそういうものの 必要性とか
どうするのかということを来た人に知って もらうとか︑訴えるという何か︑トラブルでもいいです か ら つながりをつくるようなものをそこにおくこと たとえば饗銭箱みたいなものですね
︒
長谷川
ありがとうございました
︒
時間も予定した時間に追
ってまいりました︒
﹂の辺で水谷先生から何かお話をいただければありが
たいと思います︒
水谷所長からの総括
水谷 最初にご挨拶しましたので︑私はフロアーでゆっ
くり
勉強させていただきたいと思
っていましたが
長 谷 川先 生 の ご 指 名 は お そ ら く お
礼の
言 葉 を 言 い な さ い
(笑)ということだろうと思います︒
皆さん︑本当にお忙しいところ︑ありがとうございま
した︒特に長谷川先生はじめ︑諸先生方︑心からお礼申
し上げます
︒
それでは私個人のフロアーにおりまして感じたこと
歩二
言
だけつけ加えさせていただきます
︒
須賀先生は現場ではないようですが︑上回先生︑菅野 先 生 そして先ほど質問なさった鷲見先生
まさに現場 の体験でいろいろおしゃっていただいたことはまことに 有益でした
︒
これから硯川先生と石川先生のコメント
もちろん︑長谷川先生のコl
デ ィ
l﹂れも非常にネ卜 勉強になりました
︒
ただ︑長谷川先生が﹁仏教福祉のことについて︑水谷 先生から何かあとで﹂とおっしゃったので
それもおそ
らく
一言
言 いなさいということだろうと勝手に思いまし て︑申し述べさせていただきます
︒
私は社会福祉の専門家でもなければ︑社会福祉の実践
家でもありません︒
したがって︑仏教福祉ということに
つい
て︑
口幅ったいことを
言
う資格はないと思っており ます
︒た
だ︑
仏教者であり
また多少
仏教をかじったも
のとして︑社会福祉という領域へ多少なりとも︑私は仏 教者として︑許されるならばということで︑ずいぶん発 一口をしてまいりました︒ そういう中で﹁仏教福祉﹂ということはどういうこと なのかということですが︑私の感じでは社会福祉という
概念ですらも
先ほど︑須賀先生がちょ
っと
おっしゃっ たように︑あるいは﹁文化﹂という問題も出ておりまし たように︑戦後
日本は五
O
年もたつのでしょうけれど
も︑まだまだ111
社会福祉に限らず大体そうなのでしょ うけれども︑特に学問用語というのはどんどん変わ
って
いきますから︑
﹁社 会 福祉﹂という概念もまだ固定化し
ていないのではないか︒固定化しない方がいいのでしょ
うけれども
ましていわんや︑﹁福祉﹂というのは何か
となると︑まさに幅が広くな
ってくる︒そこへ
﹁仏
教﹂
というまた幅の広い言葉を使うわけですから︑﹁仏教福
祉﹂ということになりますと一
OO
人お
った
ら一
OO
人に客観的な受け止め方ができるというわけにはなかな
ミ ︑ ︑
7
︑ .
︒
カ し カ 六
dし
この前も私はあるところで﹁仏教福祉﹂ということで
話をしておりましたら︑これもあるお坊さんが︑
﹁先生︑尼僧さんが年とっ
たらどこかへ入れなければ
いけないからそれを仏教福祉というのか仏教者
の福
sr
L
︑
も 引U4ML
というわけです︒坊さんが年取
ったときに困らないよう
に︑あるいは生活の困ったお坊さんを何とかするという︑
これを﹁仏教福祉﹂というのか言
われまして︑極端な例
ですけれどもなるほど︑まだそういう考えがあるのか
というので:
仏教福祉といった場合には︑何も仏教者が福祉をする
とかということではなしに︑坊主自身が福祉を受ける︑
そのことが仏教福祉なのだ︒たと︑えば︑浄土宗の場合は
いま尼さんの問題が起こっているのですね︒尼僧さんの
生活をどうしていくか︑これを実は
仏教福祉というのだ
という考え方もあるわけです︒これは極端な一つの受け
止め方ですけれども::︒
それで先ほど長谷川先生がおっしゃった
﹁理念﹂と
﹁現
場
L ︑
これもお
っしゃ
るとおりだと思います︒お
っし
やるとおりだと思いますが︑私は︑仏教者というのは教
化
者︑伝道者︑私は教
化とい
う言葉には抵
抗があるので
すが︑教化でもいいのですが︑伝統︑布教ということ︒
先ほど布教と教化は::︒
どうもすみません︒私もよる年なみで耳で遠いもので
すから
ちょっと聞きにくい面があ
ったことをお許しい
ただきたいと思います
︒
特に須賀先生は
べらべらおっし
やつ
るので︑話が早いので︑本
当にお若いなと思います︒
もう少し年をとってゆっくりしゃ?へっていただいた方
が理解しやすいのですが:::
︒ 須 賀
先生
の話
︑ とても速 く て 頭 の 回 転 が つ い て い か な か
った
面 も あ る の で す が ほかの先生方の発
言も私︑聞こえにくい面があっ たのですが︑何か
﹁教化﹂とか﹁仏教﹂という話もあっ たのではないかと思います
︒
ともかく仏教者は求道者である
﹂れは間違いないと
思います
︒
それから伝道者︑こういう位置づけをできる わけです
︒
その伝道を﹁教化﹂とか﹁布教﹂とかに具体 的な実践の中で置き換えていく場合に︑結局
いまの言 葉 で い え ば
﹁福祉推進者﹂とい
う の で し ょ う か
f佐 進﹂という
言
葉が
︑
ちょっ
とリーダーシ
ップ
をとるとい
うことで生意気だということであれば︑
下から福祉を支 える者という意味で﹁福祉介護者﹂││﹁介護
L
と い う
ことが下から支えることかどうか︑よくわかりませんが︑
一人一人の方々にみ仏の教︑えを伝︑えていただくというこ と は
一人一人の方々の
心を安んじるとい
うことで を安んじるということは︑まさにこれは福祉の
一番
の 元 なわけです
︒心
安んじて生活するということですから
そうすると︑まさに布教とか伝道という役目の仏教者は
﹁福祉介
護 者
﹂である︑あるいは﹁福祉推進
者
﹂である
﹂ういうことで私は仏教者は福祉者である
﹂のように
位置づけていいと思います
︒ 当 然のことながら︑仏教そ のものの展開は︑具体的には先ほど
﹁社会化﹂という問
題が出ていましたけれども︑﹁社会化﹂とは何かとか
﹁現代化﹂とは何かという問題もありますけれども
と もかく一般社会に布教されていく︑社会に一
般化すると いう意味で︑﹁社会化﹂というならば︑私はまさに仏教
の社会化とい
う面からいっても
いま申し上げたとおり だと思います
︒
また仏教の教えそのもの
先ほど︑須賀
先生が﹁空﹂でいかなけれ
ばいけない︑執着しない
﹂だわらないというようなことでちょ
っとお
っしゃった
と思いますが︑
そのとおりだと思います
︒
私は﹁空﹂イ コ /レ
﹁縁起﹂と受け止めていくのですが︑﹁
縁起
﹂と
' じ、
は相違相関︑相違相関というのはもちつもたれつである
︒
もちつもたれつということは
みんな一つの命の中で
もちつもたれつなのだから
みんな一
つの命の一体感と
いうのですか
︑命は
一つなのだそういう生命の一体感
の中
で︑あなたが苦しいときは私も苦しいのだ︑あなた
が幸せにならなければ私が幸せになったとは言えないの
だ︑こういうような仏教のそれこそ須賀先生がおっし
やる
﹁空
﹂思想から展開していきますと︑まさに仏教は
イコ
ール福祉なのだということを私は言っているわけで
しかし﹂れは仏教の次元からいっているわけでして す
社会福祉という一つのあり方からいきますと
︑特
に戦
後︑
科学的社会主義という
一つ の イデオロギーが出てきまし
て︑なるほどそういう科学的社会主義というイデオロ
ギ も
一つのこやしにしながら︑科学的社会主義とい
うものに惑わさせない福祉でなければならないと思いま
す︒そういうものが私は仏教福祉としてのこれからの
つの展開だと思っております︒
そういう意味で長谷川先生がおっしゃった﹁理念﹂と
﹁実践
﹂というもの︑
さらに私はそれにもう
一つつけ加
えて︑社会福祉の現場のことで申し上げますとたとえ
ば身体障害者にしろ︑あるいは老人にしろ︑福祉の実践 者ではなしに︑福祉を受けている方︑利用者がその仏教 福祉におれば感動するのだ︑感激するのだ
どこの福祉
にいてもそれなりの感動はあるのですが︑仏教的な感動 を受ける福祉施設が私は仏教福祉の施設ではないかと思
います︒福祉の実践者が仏教的な信念とか仏教的な信心
と か
仏教的な
生活
態度
︑ 仏教的な信念︑あるいはさら に信仰といってもいいのですが︑あるいは仏教的な生活
態度
︑
そういうものでいろいろな障害者とか︑
‑ 105‑
そういう 方々に接するということも仏教福祉施設においては大事
でしょうけれどもその福祉にいらっしゃる方々がそこ
において
一つ
の感動を覚える︑それがあとから考えれば︑
その感動は仏教的なものだったのだ﹂ういうことにな
って
こそ
︑ 私は仏教福祉といえる
のではなかろうか
、,
、ー
んなことを思いながら先ほどからの先生方の話を勉強 させていただきました︒本当にありがとうございました
︒
長谷川
どうもありがとうございました
︒