と↓ぐ同しじ時 )O:RMに増
る↓すなわち,・
所=φ生産高の増 の容量の拡大,ご の溶銑の装入量
およびアンロ
同様に,\たか ぐと=2\大の溶解
質の鋼の生産に=と ニになう\たよレことに
両大戦間期のドイツ重工業における技術的発展と合理化( 71
電炉では,高い温度を得るために電気エネルギ ーを適切な方法で熱に変えることができるよう になった。また電炉の利用による容易な作業の 規制と正確な溶解制御は,高品質め利用価値の 高い金属製の原料の溶解のための条件をつくり だしたとされている。高温によって合金鉄の生 産をも可能にしたアーク炉(Lichtbogenofen) あるいは誘導炉(Induktionsofen)において,思 いどおりの合金の含有量をもつ鋼の生産が行わ れるようになった(98)。このように,冶金学や物 理化学の研究成果を利用した/この時期の電炉の 技術的発展は,特殊鋼,とくに高級鋼の生産の 増大に大きく寄与したのであった。前掲表30に よれば,電炉による粗鋼の生産高は1924年の 767,000トンから1927年には142,500トンに,す
なわち86%増加しており,ト生産額でみると,同
じ時期に23,126,000R Mから39,631,000R M に,すなわち71.4%増加してJいるが,その後は
わずかに減少している。 1927年の粗鋼の生産高 の合計は15,936,600トンであjり,その生産額は 1,494,422,000 RMとなっており,それゆえ,1 トン当りの金額は93.8RMであるが,電炉鋼の 1トン当りの金額は278RMであり,このことか らも,この時期の電炉の技術的発展は高級鋼の 生産において大きな役割を果していたことがわ
かる○・ .I ・ : 。 。 このように,製鋼部門においても,この時期
には設備投資をともなう「技術的合理化」がお しすすめられているが,そこでは,製鉄部門ほ どには技術的再編成がすすまなかったことに注 意しなければならないであろう。上述したよう に,合同製鋼では,製鉄部門にあっては第1営 業年度から合理化運運動の終了する第5営業年 度(1929/30年)まで設備の拡大や新規建設が行 われているのに対して,製鋼部門においては,
第1営業年度にアウグスト・ティセン製鉄所に おいて製鋼所の一層の拡大が行われたほ か(99),第3営業年度にトーマス炉および平炉の 拡大や配置がみられたが,その後については,
第3営業年度(1927/28年)にアウグスト・ティ セン製鉄所の製鋼所の設備が拡大されており,
またルールオルト・マイデリイヒ製鉄所におい
て最初の傾注式ダルポット炉(der kippbare Talbotofen)が完成されている(100)∧ほかはとく
に大きな変化はみられない。ヴァイネルトは,
アンケート委員会の1930年の報告において,銑 鉄生産では技術的にも組織的にも非常に広範囲 に切り替えが行われたが,製鋼所および圧延工 場では,まだとうてい締めくくりをつけるとこ
ろまではいっていない,としている(101)。合同製 鋼の事例にもみられるように, 1920年代後半の 合理化の時期には,製鋼部門における技術的再 編成,とくに技術的革新の導入は十分にはすす んでおらず,比較的にはやい時期に縮少される ことになうたといえる1. 犬〉
3)圧延部門における生産技術め発展 うぎに圧延部門をみると,この時期の最も重 要な技術的発展としては,とくjにアメリカにお いてその導入がすすんでいた連続圧延機の利用 をあげる=ごとができる。ニ連続圧延機の導入は,
この時期記進展をみた産業電化にともなう電
力・電動機の利用を基礎にしていた。 1930年の アンケ十ト委員会の報告によれば,ト圧延工場で は,しつねjに進展している生産過程の機械化に対 して大きな利益を与えた電化が当時の専門家た ちの間でも,最も重要な進歩とみな吝れてい た(102)。丁どりわけ大型高炉による銑鉄生産の改 良と,そめ万ために必要な鉱石装填装置には,蒸 気機関がうIまく用いられた。しかし,圧延工場 内部での発展は,=ここにおいても蒸気機関の通 常の使用が=,機械工場においてと同じ矛盾を惹
き起こしでいたため,うまくいかなかった」と されている。すなわち,「動力体系および伝力機 構による≠ネルギ←の伝達は,作業機の特殊的 な使用を制約しており,十それは道具機を電力で 個別的に動かすようになってようやく克服する ことができた」のであり√このことによフて初 めて,生産過程自体を労働対象の合理的加工の 基礎とな七,生産過程めいっそうの専門化を達 成し,製作される製品の質をほぼ¬‑定に保つこ
とが可能Iとなうた叩3)。こうして4こjの時期には,
産業電化の進展にともない電力の利用がすす み,電力の利用に基づくこのような労働手段の 技術的発展によって,連続圧延機による生産が
12= : 十 ………高知大学学術研究報告I
技術的には可能になうている√W.ペヅカト広
「圧延技術の新方法は,1922年にはいわゆる連続 圧延の導入を可能に=した(104)士としているここの
ように√圧延部門では,:→般的には,連続圧延\]
機の導入はこの時斯の最もく重要な生産技術の発………=.:工刄 展を示すも=の・といえ宍るで参ろう.………1………れ,……日.=・..・=
しかし,し実際には,しアメサカではすでノにレこの……::j力万ダ突 時期に連続圧延機,の導入がすすんでいたのに対<\ノ机ノ
して,\ドイツでは,\まだあ:まり取り組まれでおく\……び第 らず,その導入が本格的にすすむのは1930年代上レレアプウ に入ってかぢのことであっ=たふ……これに関して,レ この時期め下イツの鉄鋼企業におけ:る連続圧延 機の導入についでの合同製鋼の取締役,/エブエ ーグラーの1930年のアシケー下委員会での報告 が重要であ1るjすなわち,トドイツでば近代的な 連続圧延機を操業させしるには棒鋼の生産の割合 があま\㈲とも少なかったために√どの=工場でも アメリ=力式の圧延機を導入するyことができず,
半製品め場合√1ケ所に月産12万=トンを集中さ せるのがやっと犬であり,\アメリ\力に比ぺ=jると√∧
その量は少ない,と報告されている。ま万だ彼ら\
の算定によれば,j資本コ\ス下と減価償却費がア メリ万力の最新鋭の圧延機の導入によ∇つて可能と\
なる費厠の節約よりもぱるかに大き\く,例えば 薄板を生産するための近代的な圧延機の導入で もって1トン当りlORMが節約されうる=としで/
も,まったく新しい設備:に/はすべての付属品を 加えると約4,200万RMかかり,その結果,この lORMの節約に対して資本コストが1トン当り:
9RMかかることになり,このよう:な機械設備 の導入はコストの計算上引き合わないが√も七ノ 利子負担が4%まで引き下げられ,\税率が変更し
されれば,\そのよう呟合理化は可能であ=ろう=,十 とされている(リ5)。 。・ 。・ 十 ∧ 犬 十 レ そこで,犬圧延部門における/この特期の技術的=
革新の導入をみると√合同製鋼では√第1営業 年度には√ルールオノレトにおけるT基の電動分 塊(フレット圧延ラインの完成およ/びドル下ム
ント(ウニオンの圧延設備の一層の拡大がみら れる(106)。つづく第2営業年度(1926/27年)には・,
ボフこーム・ツェラインにおいて鋼管製造工場の万 拡大が着手されたほかドデゴレッセダドルプでも二
☆きゾたと≒
れて
<==1さ 卜=る皿七千
回り,∧また=ドル 型鋼\・上体鋼圧延 年度………(1927/28 ヰオノン:の第1圧延 (=Adj面仙妙)\が拡大さ
ごレうて補完されたほ 3巾鋼管製造工場およ
された。<まjた 臨………3一本。のj連続
∧kontinuierliches Vor‑
イダ〉(d面犬万万Fertig‑
の電動棒鋼圧延機の 第す営業年度(1928/
プぷフラインにおいて市 のための新ヅしい圧延工場 1セ=ル:ドルプ部門の鋼
されることがで
i年度に手がけ 火所め新しい棒
………デヱイスレペル
=ける厚板圧延
こおける鋼
新=じい設備の配置がみ
=かノら=印年にかけて/の第 又次倉庫(das Ko訥訥is一 削業工程のなjかで搬送 套続坤板調整機(eine 面打頑丿ustage卜が配置 ノトy\ヴヰオンでは圧延 炉し(eine∧Tiefofenan‑
(陽))6………=ダ\………=レ…………:
業にづい=でみ蕃:と,ト例 かノら25年にかけての時 ソを建設しでお=り。犬ぞの
にプも]大規模な拡張 しい冷間圧延機を
グストルフ製鋼で ぺ土レシグズドルフ製鋼で かけケごの時期に薄板圧延
が完了したとさ
報告犯基づいでい
両大戦間期のドイツ重工業における技術的発展と合理化
くつかの圧延工場における技術的再編成の事例 をみておくことにしよう。まず分塊圧延工場に ついてみると,ドイツ西部,中部ドイツおよび ドイツ東部の地域の3つの圧延工場が調査の対 象とされているが,ドイツ西部と中部の経営に おいては,つねにそれぞれ1台の二重式スタン ド(ein Duogeriist)が存在していたので,経営 手段の数および規模はあまり変わらなかったと されている。つ中部ドイツの圧延工場では,入れ 替え設備(die Verschibevorrichtung)およびマ ニュピュレータ¬(die Kantvorrichtung),動 力機にも何ら変化はみられなかったとされてい
る。ドイツ西部の圧延企業における分塊圧延工 場の技術設備は, 1920年に水冷機とともに同時
に鋳鋼圧延機が導入されたことによっで変化さ れたが,この方法でロールの硬度が高められ,
そしてロールの破損数が減らされることができ た。さらに1921年には第2番目の原動機が加わ り,そして同時に搬送設備の改良によって故障 の数が少なくなり,その結果,このことによっ ても生産のテンポが加速された。1925年1月に
はジブ(das Filhrungslineal)が取り付けられ,
これによって鋳塊は機械的に圧延に送られるよ うになり,それに応じて手作業の一部がなくな ったとされている。また搬送設備では,ドイツ 西部の圧延工場においてのみ変化がみられる。
そこでは, 1922年に1基の均熱炉用のクレーン が追加されており,その結果,全部で3基の均 熱炉用のクレーンが存在するようになったが,
汎用圧延ラインの炉が共同使用されていたの で,一部では1基の汎用圧延ラインのクレーン
も分塊圧延工場における作業にかかわったとさ れている。 1922年3月には水圧式剪断クレーン (der hydraulische Seherenkran)が5トンのス ラブクレーンによってとって代えられ,そして 1924年9月にはさらにもう1基の分塊・スラブ ストリッパー(ein Block‑und Brammenstrip‑
per Kran)が操業を始めている(112)。 ■ ■■
つぎに仕上げラインをみると,調査の対象と されたドイツ西部の2つの圧延工場と中部ドイ ツの1つの圧延工場のいずれにおいても,その 数および規模は上述の報告期間には変化はみら
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