Fig.80 出土軒平瓦 (1,1:り
―‑108‑―
6
山 田寺 第9次
(寺域 東 南 隅)調
査(1994年11月 〜12月)
山 田寺 跡 につ いて は、1976年以 来 、
8次
にわ た り、塔・ 金堂・ 回廊 。講堂・ 宝蔵 な どの伽 藍 主要部、 お よび南 門・ 東西南面 の大垣 な ど寺域 の確認調 査 を行 って きた。 これ らの調 査成 果 を 受 け、特 別 史 跡 の追加 指定・ 土 地 公有 化 事 業 が進 め られ たが、 それ に よ って史跡 整 備 の必 要性 が高 ま って きた。今 回 の調 査 は、 これか ら着手 され る整備事業 の実施設計 にあた り、 これ まで 未 解 明 で あ った寺域 東 南 隅部 の状況 を知 るた め に実 施 した もので あ る。寺域 の東辺 につ いて は、 第
4次
調 査 (1982年)と
第8次
調 査 (1990年)に
お いて 、 東 面 大 垣 とそれ に伴 う石組溝 な どを確認 し、南辺 につ いて は、第7次
調 査 (1989年)で
南 門 とそ れ に と りつ く南面 の大 垣 、 お よびそ の前面 を流 れ る東 西 溝 な どを確 認 して い る。 これ らの調 査 成 果 か らす る と、寺域 東南 隅 の平面位 置 は予 測 で きる ものの、東 へ急激 に標高 を増 す現在 の地形 が寺 域本 来 の地 形 なのか、後 の崩 壊 土 の堆 積 に よ る ものか速 断 で きなか った。 このよ うな ことか ら、今 回 の調 査 は寺 域 東 南 隅 の位 置 と地 形 、 お よび大垣 の構 造 と変 遷 の解 明 を 目的 と して い る。
調 査地 周辺 の地 形 は、東 か ら西 へ下 が る雛壇 状 の水 田地帯 で、一条 の小川 が ほぼ真西 に向か っ て流 れて い る。 想定 され る寺域東南 隅 の位 置 は、 ち ょうど この小川 によ って分 断 され て お り、
直接 コー ナ ー部 分 を検 出す る ことが困難 と思 われ るので、 若 干 北 へ ず らした位 置 に発 掘 区 を設 定 した。 ま た、東 側 か らの崩 壊土 が厚 く堆 積 して い る可能 性 が あ り、安全勾配 を考慮 した結果、
最終 的 に遺 構 を確認 した範 囲 は、東 西
7m・
南北10mの
約70ぜで あ る。遺
構
発 掘 区 の基 本 的 な層 序 は、 表 土 (厚 さ20 cm)、 床 土 (10cm)、 暗 茶 褐 色 土
(20cm)の
下 に、 丘 陵 側 か らの崩 壊 流 出上 で あ る微 砂 と粘 土 と粗 砂 の 互 層 が 地 表 下2.0〜2.2mま で何 層 も繰 り返 して堆 積 して お り、 そ の 下 で古 代 の瓦 片 や土 器 片 を含 む黒 灰 色 粘 質 土 とな る。 この黒 灰 色 粘 質 土 層 は70〜90cnの 厚 さ を持 ち、 そ の下 面 で 瓦 列 を伴 う土 塁 状 の遺 構 S X 535を 検 出 した。 な お 、 S X 535 の両 側 に も流 水 や崩 壊 に よ って もた ら さ れ た粘 土 と砂 の層 が交 互 に堆 積 して お り、 そ の 中 に は大 垣 が倒 壊 した際 の建 築 材 や 落 下 瓦 を含 む層 もあ る。 そ れ らの下 面 、 す な わ
―‑109‑―
Fig 81 山田寺第9次調査位置図
ち地 表 下3.8mで 花 南 岩 の岩 盤 か らな る地 山 層 とな る。
調 査 に よ って 検 出 した主 た る遺 構 に は、 東 面 大 垣 S A 500と そ の 東 を 流 れ る
2条
の 南 北 溝S
D530・ S D 531、 お よ び瓦 列 を伴 う土 塁 状 の遺 構 S X 535が あ る。
東 面 大 垣 S A 500は 、 第
4次
調 査 の所 見 か ら、 東 西1.8m、 南 北1.4m、 深 さ1,7m前後 の柱 掘 形 を持 つ 掘 立 柱 塀 で 、 柱 間 寸 法 は2.4mで あ る こ とが判 明 して い る。 こ の た め 今 回 の 調 査 で は、上 層 の土 塁 状 遺 構 を保 存 す る た め一 箇 所 で の み柱 穴 を確 認 した。 そ の結 果 、東 西14m、 南北1.3 m、 深 さ2,lmの柱 掘 形 を検 出 し、 さ らに柱 掘 形 底 面 か ら浮 い た 位 置 で 礎 板 を 確 認 した 。 こ の 礎 板 は、 長 さ93.5cm、 幅22.5cm、 厚 さ13cmの 桧 材 で、 ほぼ中心 に貫 通 しな い柄 穴 (直径
7.5cm)が
あ り、 そ れ を 中心 に直 径 約 20cmほ ど の柱 の圧 痕 が しる され て い た。 礎 板 が 掘 形 底 面 か ら70cmほ ど浮 い た位 置 に存 在 す る こ と は、 第
4次
調 査 で確 認 され た偏 平 な 自然 石 や 第7次
調 査 の瓦 詰 めな ど と も共 通 して お り、 掘 立 柱 塀 が 創 建 当初 の もの で は な く、 あ る時 期 に改 修 され た こ とを示 して い る。 な お、 東 面 大 垣 S A 500は 、 花 南 岩 の地 山岩 盤 を 削 り残 して 作 っ た 高 ま り の 上 に砂 質 土 と粘 質 土 を積 み上 げ て 造 った 幅 約
2mの
基 壇 を伴 って い た。 この基 壇 の東 側 に は、 屋 瓦 や 垂 木 な ど の建 築 部 材 が 散 乱 して お り、 そ の様 子 か ら一 本 柱 塀 で あ った東 面 大 垣 の上 部 に は瓦 が 葺 か れ て い た こ と、 そ の大 垣 塀 が東 側 に倒 壊 して い る こ とな どが判 明 した。東 面 大 垣 の東 で
2条
の南 北 溝 を確 認 した。 西 寄 りに あ る南 北 溝 S D 530は、 東 面 大 垣 心 か ら 東3.65mに 西 肩 を 持 つ 幅1.2m以 上 、 深 さ 0.4mの素 掘 り溝 で あ る。 ま た南 北 溝SD
531は 、 S D 530の 東 半 に重 複 して 掘 られ た 幅
09m、
深 さ0.3mの 素 掘 り溝 で あ る。この
2条
の南 北 溝 は、 す で に第4次
調 査 で 検 出 され て お り、 今 回 は そ の南 延 長 部 を確 認 した こ とに な る。 しか し第4次
調 査 で 検 出 した 溝 S D 531は、 石 組 を 伴 う 溝 で あ った が 、 今 回 検 出 した部 分 で は石 組 み は お ろか 、 そ の抜 き取 りの痕 跡 す ら 確 認 す る こ とが で きな か った。 調 査 した 範 囲 が 狭 い こ と もあ り、 あ るい は別 の 清 の可 能 性 も残 るが 、 溝 S D 530と の先 後 関 係 も共 通 す る た め、 上 記 の よ うに理 解して お く。
瓦 列 を 伴 う土 塁 状 遺 構 S X 535は、 東 面 大 垣 S A 500の倒 壊 後 、 落 下 瓦 や 倒 壊
Y=‑15294
コ鰹 碁
Fig 82 山田寺第 9次 調査遺構図 (1:100)
‑110‑
した建 築 部 材 な どを埋 め込 む よ うに整 地 した上 に、 大 垣 の基 壇 を も包 み込 む よ うに盛 り上 げ た 土 塁 状 の高 ま り遺 構 で 、 下 端 幅 約
3m、
上 端 幅1.2m、 高 さ約70cmの 規 模 を もつ 。 盛 土 に は、瓦 を交 え な が ら粘 質 土 や 砂 質 土 を交 互 に積 み上 げ て お り、 現 存 す る最 上 部 に は1.2mの間 隔 で 南 北 に走 る
2列
の瓦 列 が残 って い た。 な お、 落 下 瓦 な どを埋 め込 ん だ整 地 土 中 か ら「 延 喜 通 費 」 が 出土 して い る。遺
物
調 査 に よ って瓦 類 、 土 器 、 金 属 製 品 、 建 築 部 材 、 石 製 品 、 銭 貨 な どが 出上 した。 これ らは整 理 途 中 で あ り、 こ こで は主 要 な もの につ い て 触 れ て お く。
瓦 類 に は、 軒 丸 瓦
5点
(山田寺 式Ci2点 <以
下 括 弧 内「 点 」 省 略>・ D:3)、
軒 平 瓦38 点 (重弧 文A:2・ B:10C C:6・ D:2・ E:1)、
垂 木 先 瓦7点 (A:1、 B:2、 D:
4)、 鴎 尾 片
1点
の ほか 、 破 片 を含 む大 量 の丸 瓦 と平 瓦 が あ る。 こ こで は 出 土 状 態 か らみ て 、 東 面 大 垣 の一 本 柱 塀 の倒 壊 に よ って 、 そ こか ら落 下 した と判 断 で き る完 形 あ る い は完 形 に近 い 丸 瓦 と平 瓦 を 中心 に述 べ る (Fig,83)。 この よ うな丸 瓦 は8本
あ り、 す べ て 粘 土 板 巻 き作 りであ る。 行 基 式 は
3本
で 、 凸面 に縦 位 縄 叩 き 目 を施 す (全長40cm前後)。 玉 縁 式 は5本
で 、うち凸 面 に斜 格 子 叩 き 目を施 す もの (筒部 長 31cm前後
)が 4本
で 、 縦 位 縄 叩 き 目 を 施 す も の (筒部 長34cm)が 1本
あ り、 後 者 の 凹 面 の 布 目痕 は粗 い。 完 形 か そ れ に近 い平 瓦 は54枚 あ る。 粘 土 板 桶 巻 き作 りの平 瓦 は33枚 で 、 凸 面 に斜 格 子 叩 き 目 を施 す 。 これ らの うち 全 長 が41cm前後 の もの が26枚 で 、36cm前後 の も の が7枚あ る。 一 枚 作 り の 平 瓦 は21枚 あ り、 凸 面 に縦 位 縄 叩 き 目を施 す。 うち凹 面 の布 目痕 が 密 な もの が20枚 で 、 粗 い もの が1枚
あ り、前 者 は全 長39cm前後 の もの (13枚
)と
34cm前後 の もの
(7枚 )に
細 分 され る。 以 上 か ら、東 面 大 垣 の一 本 柱 塀 に は当初 、 石 川 麻 呂 〜 天 武 朝 の造 営 期 に作 られ た 凸面 斜 格 子 叩 き 目 の 玉 縁 式 丸 瓦 と平 瓦 を 中心 に葺 き、 奈 良 時 代 以 降 の塀 の改 作 や修 理 の 際 に、 凸面 縄 叩 き 目 の 丸 瓦 と平 瓦 を補 足 した こ とが判 る。 さ ら に布
目痕 が粗 い丸・ 平 瓦 が あ るの で 、 10世 紀 頃 に Fig 83 S A500所用瓦出土状況図 (1:50)
‑111‑