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からだから遠く

ドキュメント内 Communication-Design 13 全文 (ページ 51-54)

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5.  からだから遠く

H 感覚を味わい尽くし、それを周りの人や環境と響かせ合うことができれば、それだけで ダンスになりますか?

S ダンスとダンス作品はちがう…

H どうちがうのでしょうか?

S ダンス作品というと、例えば、コンテンポラリーダンスの作品群のなかの一作品という ようになってしまう。そう思うと、作品ということに囚われない方がいいかもしれない。

H ではからだトークは、ダンスではあっても、あえてダンス作品を目指さなくてもいいで すか?

S からだトークは、ダンスの境界や可能性を探っている人たちのやっていることと重なっ たり響き合うところはある。こういう風にすれば作品になる、ということにこだわるより は、いろんなダンスがある、と言うことが大切じゃないか、と思います。

H 誰に向かって言うのですか?

S いろんな人に。これもダンス、あれもダンスだ、と言いたい。

H 日々のなかでダンスとは何だと思いますか?

S からだが反応するとか、喜ぶとか、そのときはすでに私たちはダンスしている。

H たぶんそうなんですよね。でも、そうでなく見えさせている何かが私たちの日常に働い ていて、からだトークの時間では私たちはそれから解き放たれているのでしょう。菊竹さん はどうですか?日々のなかでのダンスとは?

K はじめて自分で、踊りがひとりでできると感じれたのがついこの間のことです。ハワイ

に行って、強い波に揺られて、あとでもその波の感覚が残っていて、その感覚のまま揺れら れたときに、いままで頑張って揺れようとしていたときよりも、ずっといい動きをしてたよ うに感じました。それは、からだを周りに開いておくことだと思いました。その感覚を感じ ずに直立しておくこともできるけど、開いておくこともできる。

H 面白いですね。ふだん、私たちはからだを使っていながら、そのからだを感じることを

疎かにしているし、今度はそれを感じようとすると、かえって物体としての不器用なから

だに閉じ込められてしまう。でも、からだの遠心力と求心力の両方が感じられるとき、私た

ちは身も心もダンスをしているのでしょう。それはやっていても、見ていても純粋に楽しい

し、美しい。存在のダンスとでもいうのでしょうか。

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