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A. シュラムの女は、イエスの鳩、イエスの汚れのないもの(NIV訳では完璧なもの)と表 現される。イエスの鳩というのは、彼女の心の一途さを表していて、彼女が花嫁のアイ デンティティーを持ち、神の鳩として、聖霊の中を歩んでいることを表している。

B. イエスの汚れのないものであるということは、彼女が霊的に成熟したことを表している。

イエスの終末時代の教会は、しみやしわがなく神の栄光に満たされ、愛に成熟した教会 となる(エペソ5:26-27)。

C. 永遠の町にあるイエスの宮殿の全ての栄光ある存在の中で、イエスにはただひとりの花 嫁しかいない。“ただひとり”という単語は“ユニークである”とも訳される(NAS/NIV 訳)。花嫁には敵がなく、競争相手もいない。イエスは“私の宮殿にいる全ての者の中 で、彼女は私が望むただひとりの者、私が死んでもいいと思うただひとりの者である。” と語っているのである。花嫁がイエスに語ったこと(雅歌5:10,16)と全く同じ ことをイエスは彼女に語る。すなわち、彼女はイエスの心を奪ったユニークでただ一人 の人だと。イエスの存在が彼女の心の中でそうであるように、花嫁という存在は、イエ スの心の中にある1万もの存在の中で、最も大事な存在なのである。イエスは他の何者 をも必要としていない。

D. 母はこの歴史上に存在してきた教会を表している。神が私たちの父であり、教会が私た ちの母である。パウロは新しいエルサレムのことを“私たち全ての母”と比喩的に語っ ている(ガラテヤ4:26)。これまでの歴史の中で贖われた人々は、イエス(人の子)

を産んだ“母”として、また“母”の後を追う信者たちとして表される(黙示録12:

5,17)。神は、私たちの肉体的および霊的な誕生の著者である。神が私たちの肉体 的な誕生のために用いる代理人は、私たちの肉の母親である。また神が私たちの霊的な 誕生のために用いる代理人は、教会の証人、すなわち、私たちの霊的な母親である。神 のみこころを行う人が神の母親である(マタイ12:46-50)。主は、失われた人々 が神の教会の一部となるために、失われた魂を獲得するために教会を用いられる。母は、

イエスの婚礼の日に、愛の冠をイエスにかぶらせる(雅歌3:11)。

E. 私は花嫁を、神と人々への愛に成熟した教会と定義する。このことはこれまでに達成さ れたことがない。使徒の働きに見られる教会でさえも完全に成熟してはいない。いくつ かの町では栄光の瞬間があったかもしれないけれども。主が戻って来られるまでに、教 会は成熟し、しみやしわのないものとなる(エペソ5:26-27)。大患難時代を生 き残る終わりの時代の教会は、イエスが戻って来られる前に、一切傷のないものとして 歩むことができる唯一の世代として、歴史上ユニークな栄光を受けることになる。

F. 定義によると花嫁は、愛に成熟して歩む人々からなる。地球上にいる間に天の花嫁のよ うに生きることは、愛に成熟して歩むことである。興味深いのは、花嫁は彼女を産んだ 者、言い換えると~この歴史を通して贖われた者すべてを意味する母~の愛するお気に 入りだということである。終わりの時代の成熟した花嫁は、この歴史上ユニークな存在

で、彼女を産んだ者の愛する子である。

G. これまでの歴史の中の教会は私たちの母である。歴史上の教会が最も愛する働きは、終 わりの時代における魂の収穫と完全な成熟である(黙示録14:14-16、エペソ5:

27)。

H. 終わりの時代の教会は、キリストの満ち満ちた身丈に達するほどの成熟度合いまで到達 する(エペソ4:13)。神は始められたことを完成され、ハデスの門でさえも教会に 打ち勝つことはできない(マタイ16:18、ピリピ1:6)。これまでの歴史上の教 会はどの教会も成熟の中を歩んでいるとは言えなかった。これまでの教会はむしろエル サレムの娘たちのようであった。これまでの歴史上の教会は、終わりの時代の教会を天 の視点から見て、終わりの時代の教会を祝福されたものと呼ぶことになる。

I. 成熟した花嫁の栄誉は、娘たちが彼女を見て、幸いだと言っている文章に見出される(雅 歌6:9)。娘たちというのは、歴史上全ての未成熟な信者を意味する。娘たちは雅歌 6:1でしたように、彼女のことを幸いな者、祝福された者と呼ぶ。これまでの歴史の 中で贖われた人々は、終わりの時代の教会がまだ地上にある間に圧倒的な愛で勝利して いる様を見て、神を賛美する。王妃もそばめも終わりの時代の教会をほめたたえる。そ れは、花嫁が栄誉ある地位に着くのを見て、天の御使いたちが喜んでいることを示して いるのかもしれない。神はこうして地上において成熟した人々を生み出すことに成就す ることになる。

VIII. 聖霊が花嫁の四重の栄光の冠について描写する

10

「暁の光のように見おろしている、月のように美しい、太陽のように明るい、旗を掲げ た軍勢のように恐ろしいもの。それはだれか。」(雅歌6:10)

A. 花嫁は、永遠の町のイエスの共同相続人として、四重の栄光を所有する者として描写さ れている。イエスが雅歌6:4において花嫁を地球上の町(エルサレムとティルツァ)

に例えたように、聖霊は花嫁を天にある物と比較しながら、花嫁の美しさを示すために 4つの比喩を用いている。

B. 聖霊は修辞的な質問を投げかける。“彼女は誰なのか?”と。イエスは彼の宮殿におけ る花嫁の卓越した地位について宣言する。聖霊はこの彼女の卓越した地位を肯定する。

聖霊は雅歌の中で3度同じ“この人は誰?”という質問を投げかける(雅歌3:6、6:

10、8:5)。

C. この文化における花嫁のミニストリーは“暁の光のよう”である。長い夜の後、朝の光 は地平線に希望を伴い輝く。この時代における教会はマタイ5:13-16に見られる ように、塩(風味、保存)そして光(方向性、命)として働く必要がある。この箇所は、

神の民が個人の上にまた社会(政治、軍、経済、教育、家族、メディア、芸術、テクノ ロジー、社会的な組織等)の上に与えるインパクトについて強調している。

D. この時代における花嫁のミニストリーはまた“月のように美しい。”成熟した教会は月

のように美しい。月は夜の間に光を供給するために神が造ったものである(創世記1:

14-19)。月には自分自身の光はないが、太陽の光を反射して受ける。成熟した教 会は、暗く堕落した世界に輝く神の光の源である。

16

それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、

小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。(創世記1:16)

E. 私たちが伝道のために働き、私たちの文化の変革のために働くとき、この時代の教会は 暗闇の中の月のように輝く(マタイ5:16、ピリピ2:15)。私たちのこの時代は 暗闇の時代であり、千年王国は昼の時代である。

F. これからやってくる時代における花嫁のミニストリーは、“太陽のように明るい”。花嫁 の完全な栄光は、イエスの栄光の輝く光の中にある。教会は、新しいエルサレムにおい て、イエスの光の栄光を反射する。イエスは永遠の町における“太陽”である(黙示録 21:23)。

23

都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊 が都のあかりだからである(黙示録21:23)。

G. 教会は、永遠の町の共同相続人として、新しいエルサレムにおいて神の光を反射する。

11

都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようで あった(黙示録21:11)。

36

もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが 輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます(ルカ11:36)。

思慮深い人々は大空の輝きのように輝き・・・(ダニエル12:3)

H. 教会は、永遠にイエスと共に治め、神の光を反射する(黙示録21:23-24、21:

11、1:16、イザヤ60:1-3、60:19-20、24:23、59:19、

62:1、エゼキエル43:2、詩篇50:2、マラキ4:2、IIコリント4:6、ヨ ハネ8:12、I ヨハネ1:5、マタイ5:14-16、ピリピ2:15、ダニエル1 2:3、Iコリント15:41-42、雅歌6:10)。

I. 花嫁の統治は、“旗を掲げた軍勢のように恐ろしい(新改訳では「恐ろしい」となって いるが、NAS訳ではawesomeという単語が使用されており、「畏敬の念を起こさせる ほど素晴らしい」という意)もの”である。

10

旗を掲げた軍勢のように恐ろしい(NIV 訳では majestic 威厳のある)もの(雅歌6:1 0)

J. 花嫁はイエスの王国において、政府の管理をもって永遠に治める(ダニエル7:27)。

27

国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる(ダニ エル7:27)。

21

勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得 て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである(黙示録3:21)。

K. 雅歌6:4で、イエスは地球上での困難な中にあっても彼女の心が勝利したことを強調

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