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結   語

ドキュメント内 7世 (ページ 32-36)

模骨の幅は 1. 5〜 3.4cmで ある。文様は線文 (平 行叩き )や 格子文で、分割界線たる紐痕が観 察される資料 もある。内面には、補足の叩 き締めによる同心円文や無文の当て具痕がみら

V. 結   語

韓半島の瓦工人の渡来 によ り、 日本の飛毒時代 において初期の瓦が製作 され、九州地域 や関東地域 に影響 を及 ぼす際 には、 この ような瓦製作技術が多少変容 した として も、そ こ には明 らか に韓半 島の技術 が反映 されているであろ う。 この ような前提 の もとで本稿 で は、瓦博士の伝来時期である588年を基準 とし、瓦製作技術が、 日本在地土器工人たちの技 術 と結合するな どして完全 に土着化する以前の

6〜 7世

紀 の 日本の瓦 を対象 として、高句 麗、百済、新羅の平瓦技術 との関連性の把握 を試みた。 しか しなが ら、古代の 日韓 におけ る瓦の関連性 を平瓦 を中心 に検討 し、既往の軒瓦研究の不足部分 を埋 めるには、多 くの限 界 と問題が浮 き彫 りになった。韓半島 と日本の初期瓦 に対す る筆者の理解不足 もあ り、 こ こでは韓国国内ですで に断片的に紹介 されて きた 日本の初期の軒九瓦 と平瓦 を総体的に紹 介することに重点 を置いた。

現段 階で、平瓦 を通 して韓半島 と日本の間の瓦製作技術 の関連性 を扱 うには、未だ多 く の限界がある。 これ を解決す るためには、 まず両国間の瓦の類似 した現象が、二人の移動 に起因す るのか、瓦製作道具の移動 に起因す るのか、それ とも造瓦技術 や瓦製作道具 を模 倣 したことに起 因す るのか な どに対す る真摯な検討が必要である。そ して、 このような前 提が成立 したな らば、そ こでは瓦の どの属性が問題 を解決するのに有効 とな りうるのかに 対する検討が要求 される。

同時 に、 これ まで遺跡別 に平瓦 を分析 す る際の有効 な属性 として考 えて きた瓦桶 の構 造、分割界線の種類や分割方法な どの属性 を詳細 に観察 しなが ら、 これ らをさらに綿密 に

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検討 しなければならないであろう。遺跡 ごとの研究成果が蓄積 され、地域別の瓦の特徴が 明らか とな り、 さらには高句麗 と百済、新羅の瓦の特徴が明確 になるであろう。また、高 句麗、百済の影響下に成立 したと認識されている、新羅瓦に対する具体的なアプローチも 試みることがで きるであろう。このような過程を通 して、今後 日韓間の瓦製作技術の影響 関係を客観的に検討できるようになることを期待する。

清水昭博「ノl辞̲O14司 ―嘲利pl電 モ引 ニフ1ア1斗州社Xll凋1引 日キユ ー」 『百済研究』第41輯、忠南 大学校百済研究所、2005年。

増球千「ユ子呵 ・習Xll増ア千斗剃 利対ノキ瑠 口i工 引利引 州社斗 ア千き」引Xll寸司2009逍 を利寸告r4 到、2009年 。

白種伍 「高句麗

 

i pl研究」檀国大学校大学院博士学位論文、2005年 。 獲孟植「高句麗アキ斗引 特性」 『王子司せ司電子』ヱ千f 4せII寸司、2001年

井内古文化研究室編 『朝鮮瓦埠図譜 Ⅱ

 

高句麗』1976年。

程孟植 『百済 増ノl●ll製作技法 新研究』寸電子斗久}、 1999年。

金基民「新羅 アi●I‐ 製作法呵│せ せ 研究 ―慶州 勿川里 出土 アi●I‐暑 そ州ユ三 ―」東亜大学校大学院 碩士学位論文、2001年 。

趙成允「慶州 出土 新羅 電フl斗引 編年 試案」慶州大学校大学院碩士学位論文、2000年。 桂孟植「高句麗アi斗引 特性」 『ヱ干司せ剤電子』ユ子司せOH寸到、2001年

宇治市教育委員会 『隼上 り瓦窯跡発掘調査概報』 1983年 。宇治市教育委員会 『史跡 隼上 り瓦窯 膨卜』 19894F。

京都大学考古学研究会 『岩倉古窯跡群』1992年、pp 144‑147。 佐原真「幡枝窯跡 の瓦」 『史林J

第90巻第3号、史学研究会、2007年

瓦 を桶か ら取 り外 した後 に、瓦の一部分 または全面 にわた り叩 き調整 を行 うもので、 日本では「補 足の叩 き締め」 としている。

八幡市教育委員会 『平野山瓦窯跡発掘調査概報』1985年。八幡市教育委員会 『楠葉平野 山窯跡 (第

2次

)発

掘調査概報J1992年。

10 

京都市文化観光局 。(財

)京

都市埋蔵文化財研究所 『栗栖野瓦窯跡発掘調査概報

 

昭和60年度』

1986年。京都大学考古学枡究会 『岩倉吉窯跡群』 (前掲註7)、 pp.162‑164。

 

比嘉 え りか「初期瓦研究の現状 と課題 ―筑前地域 を中心 に一」 『七隈史学』第9号、2008年。 大野城市教育委員会 『牛頸月ノ浦窯跡群』1993年pp 32‑41。

12 

共伴 した須恵器 によって瓦の年代 を決定 しているが、報告書 にはおおかた須恵器0期とい うように 表記 されている。F牛顕月ノ浦窯跡群』報告書 によれば、神 ノ前2号窯l■はⅢ

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A期

として600 年 を遡及 し、大浦2号窯址 はⅣB〜 V期で6世紀末か ら7世紀前半 とす る。 したが って、須恵器 Ⅲ

A〜 V期

までを6世紀末〜7世紀前半 と比定することがで きる (大野城市教育委員会 『牛頸月ノ浦 窯跡群』(前掲註11))。

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以下に述べ る瓦の様相 は、直接観察 した資料 に限定 し、8世紀以後の瓦 も出土 した遺跡の場合 は、

6世紀末か ら7世紀前半に該当する資料のみ扱 った。各資料 の関連報告書は以下の とお りである。

神 ノ前2号窯跡 :大 宰府町教育委員会 『神 ノ前窯跡』1979年。野添13号窯跡 :大 野城市教育委員会

『野添窯跡群』1987年。 日ノ浦遺跡17号住居跡 1大 野城市教育委員会 『牛顕 日ノ浦遺跡群』1994

李 仁 淑

年。月 ノ浦 I号 窯跡 :大 野城市教育委員会 『牛頸月 ノ浦窯跡群』 1993年 。小 田浦28地 点 :大 野城 市教育委員会 『牛頸月ノ浦窯跡群』1993年。惣利西遺跡 :春 日市教育委員会 『春 日地 区遺跡群 Ⅲ』

1985年。那珂遺跡13次 :福 岡市教育委員会 『那珂2』 1990年。那珂遺跡22次 i福 岡市教育委員会

『那珂遺跡3』 1991年。那珂遺跡23次 :福 岡市教育委員会 『那珂遺跡4』 1992年。那珂遺跡32・34 次 :福 岡市教育委員会 『那珂10』 1994年。

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神 ノ前2号窯跡の粘土板作 りの平瓦 の場合、内面 を強 くナデ調整 してお り、布 目痕 や模骨(側)の

痕跡が確認で きない。瓦桶使用 の有無 を判断す るのは困難である。

15 

九州歴史資料館 『大学府復元』1998年、pp.58‑59。

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以下では、九州歴史資料館 か ら発行 された 『大宰府史跡 出土軒瓦・叩打痕文字瓦型式一覧』の瓦番 号 に したが うこととす る (九州歴史資料館 『大宰府史跡 出土軒瓦・叩打痕文字瓦型式一覧」2000 年)。

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九州歴史資料館 『大学府復元』 (前掲註15)の図面には提示 されていない資料であ るが、九州歴史 資料館所蔵の他の資料 とは特徴が相違する資料 としてこの段階に編年 し、 ともに提示 した。

18 

春 日市教育委員会 『浦 ノ原窯跡群』1981年

19 

李rl+「百済瓦博士考」 『湖南考古学報』第20集、湖南考古学会、2004年

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ナデ調整 によって叩 き文様が消 えた無文は除外 し、叩 き板 自体 に文様が刻 まれていない ものを意味 す る。

21 

亀 田修一 『日韓古代瓦の研究』吉川弘文館、2006年p478。

22 

李辞と「百済瓦博士考」(前掲註18)。

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比嘉 え りか「初期瓦研究の現状 と課題 ―筑前地域 を中心 に一」(前掲註11)。

参考文献

百済文化 開発研 究院 『百済瓦簿 図録』1983年。 国立慶州博物館 『新羅瓦導』2000年 。

本稿 に掲載 した写真図版は、筆者が本共同研究 において 日本国内で行 った実地調査の際 に、各関係機 関のご高配によ り撮影 させていただいた ものである。記 して感謝の意 を表 します。各資料の所蔵・保管 は以下の とお りである。

隼上 り瓦窯 :宇 治市教育委員会、幡枝元稲荷瓦窯 :京都大学考古学研究室、平野山瓦窯 :八 幡市教育 委員会、栗栖野瓦窯 :(財)京都市埋蔵文化財研究所、神 ノ前2号窯跡 :太宰府市教育委員会、野添13号窯 跡 。牛顎 日ノ浦遺跡17号住居跡・月 ノ浦 I号 窯跡・小 田浦28地点 :大 野城市教育委員会、惣利西遺跡 。 浦ノ原窯跡 :春 日市教育委員会、那珂遺跡 :福 岡市埋蔵文化財セ ンター、大宰府史跡 :九 州歴史資料館

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