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て殺害されたベルトランド 2 世の子であった (76) 。彼には、ジブレ領主権を獲得したいとい う思いがあった(恐らくは、上述のグイード 2 世の死によって、ジブレの領主権がエンブ

5.   括     語

公権力、とりわけエルサレム国王が健在である限り、十字軍国家に少なからぬ人力や経 済力をもたらすヨーロッパの商業都市は、その統制下に置かれた。あくまでもフランク人 たちは、商業都市に与えた特権や財産を封とみなしており、その姿勢はフルク統治期から 顕著になった。それは、商業都市の勢力を抑制するためのみならず、それらを国家の防衛 という運命共同体の構成員にするための方策でもあった。そして、そのような方策は、少 なくともロンバルディア戦争期までは機能していた。

しかし、商業都市側は付与された特権などを、封としてではなく、あくまでも自国の財 産とみなしていた。 1150 年代以降、その財産が奪われたとき、都市国家は皇帝や教皇といっ た遠方の力源に解決策を求めていくようになった。このことが、商業都市の市民たちに、

十字軍国家とアイデンティティーを完全に共有する機会を与えなかったのであろう。ヴェ ネツィア、ピサ、ジェノヴァ、それぞれに方向性や程度の違いはあるが、これらの都市民 で十字軍国家において封建家臣となった者たちに共通して見られるのは、母国と十字軍国 家のそれぞれのアイデンティティーの間で葛藤する姿である。圧力にも似た母国の強力な アイデンティティーが、彼らを完全にフランク人に同化することを妨げていたのである。

そして、国王不在となったエルサレム王国においては、各都市国家の持つ強力なアイデン ティティーが前面に押し出されることとなった。

聖サバス戦争がもたらしたのは、戦乱およびそれによる疲弊、といった物理的なものの

(76) Rey, “Giblet”, p. 411 f.

(77) Templar of Tyre, chap. 464-477.

ヨーロッパ商業都市と十字軍国家

みではなかった。エルサレム王国そのものがアッコン政府とティール政府とに完全に分断 されてしまったように、そして各騎士修道会もそれぞれの形で巻き込まれたことにより、

運命共同体としての十字軍国家に内包されていたアイデンティティーも、それぞれの商業 都市のアイデンティティーを核としたより小さな運命共同体に裁断されてしまったのであ る。

(本稿は、科学研究費補助金・基盤研究(B)「中近世地中海史の発展的研究 ─ グロー バルな時代環境での広域的交流と全体構造 ─」(代表・学習院大学文学部教授・亀長洋子)

の研究成果の一部である。)

「郷土食」が生まれる契機としての災害復興

─ 東日本大震災と食文化のセーフガード ─ 加 藤 幸 治

は じ め に

二〇一一年三月一一日に発生した、三陸沖を震源とするマグニチュード九・〇の東北地 方太平洋沖地震は、地震の揺れや津波のみならず、原発事故や交通遮断による物資流通の 機能停止、ライフラインの断絶等によって多くの人的被害をもたらした。この地震によっ て発生した津波は、三陸沿岸部で最大四〇メートル以上、仙台平野では海岸から最大六キ ロメートルあまりが浸水した。その津波で家屋が流されたり、原発事故で退避を余儀なく されたり、地震の揺れによる家屋が損壊したりして、震災から六年八か月を経過してもな お、七万九三一〇人が避難生活を送っているのが現状である

(1)

。宮城県の三陸地域は、地 震と津波の被害によって地域の生活や産業に甚大な被害を受け、農業や水産業などの第一 次産業や、地域の資源をいかしたモノづくり、特産品や観光面では、地域格差をはらみな がら復興にむけた努力が続けられている。

こうした状況において、とりわけ地元住民や地元企業等からのボトムアップの動きとし て特筆すべきなのが、食文化をめぐる動きである。復興商店街の名物づくりや企業や諸団 体とタイアップした商品化を基本とした被災地の食の愉しみは、確実に観光客を動員して いる。震災後、文化財レスキュー活動をきっかけに、筆者は八・八メートルの津波で繁華 街や港湾の水産・観光施設が壊滅的な被害をうけた牡鹿半島の石巻市鮎川をフィールドと して、実践的な調査研究を進めてきた

(2)

。その過程で、その時期の動揺する状況のなかで 人々が食に目を向けてゆき、草の根の活動や企業、復興商店街などの地域住民の主体によ る創意工夫によって、さまざまなものを「郷土食」化させていくという過程を目の当たり にしてきた。

郷土食という言葉は、その土地の風土と文化から生み出され、連綿と受け継がれてきた といったロマンを人々の胸中に抱かせる魅惑的な印象を持っている。しかし、歴史をひも といてみれば、 「郷土食」は大正から昭和初期の国内観光ブームや

(3)

、食糧対策や戦前から

(1) 「全国の避難者等の数」復興庁調べ、二〇一七年一一月一三日現在(復興庁ウェブサイトより)

(2) その実践の経緯については、拙著『復興キュレーション: 語りのオーナーシップで作り伝える“くじらまち”』

(社会評論社、二〇一七年)を参照いただきたい。

(3) 例えば、関戸明子『近代ツーリズムと温泉』(ナカニシヤ出版、二〇〇七)鈴木勇一郎『おみやげと鉄道 

─ 名物で語る日本近代史 ─』(講談社、二〇一三年)などが、戦前の国内観光ブームにおける「名物」生

東北学院大学論集 歴史と文化 第57号

戦後にいたる生活改善運動の展開

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、戦後の国内観光ブームやディスカバージャパンに代 表される地域文化の見直し、食のグローバル化の合わせ鏡としてのローカルな食の価値づ け、文化財や世界遺産、いわゆるおまつり法などの動きに対応した地域文化の観光資源 化

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など、さまざまな契機で「郷土食」のアイデアが勃興し、多くは消え去り、一部のも のが「郷土食」化して残ってきたのである

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。ある食材や調理法が、地域のくらしの歴史 と不可分のものととらえられ、それが別の経済的目的(復興や観光、地域活性化、雇用創 出など)を達するために活用される状況を、食の文化資源化と呼ぶならば、東日本大震災 からの復興はまさにその最前線である。

本稿では、そうした過程の一部を紹介しつつ、現代の「郷土食」化の動向について考察

してみたい

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